33話
「これで終わりだ、聖女!」
魔王の掛け声が周囲に響いた。その途端、白い煙幕が辺りを覆いつくされる。
イーディスは咄嗟に腕で顔を覆った。
「――ッ、守護の術が間に合わない!」
煙が徐々に晴れ、気がつけば、立っているのは自分だけだった。
先ほどまで一緒に戦っていた仲間たちは、一様に倒れてしまっている。イーディスはすぐに仲間に駆け寄り、かがみこんだ。手を仲間の口元にかざし息を確認する。
「よかった……まだ、生きてる」
「威力は抑えた。その程度で死なれていては、我も楽しみがない」
ほっと息をついたのもつかの間、魔王の声が耳に届いた。イーディスは仲間の頭に手をのせたまま、魔王を睨みつけた。
「なんで……これは、四天王の技だったはずなのに!?」
「我は魔王だ。四天王程度の技は朝飯前よ」
魔王は不敵な笑みを浮かべた。
玉座に腰を下ろしたまま、こちらに指を向けてくる。
「さあ、聖女。これで残りはお前だけだ。
守護の力しか能のない者が、我にどうやって勝つつもりだ? せいぜい、我を楽しませろ」
「たしかに、私は……みんなを守ることしかできません」
イーディスは唇を噛みしめると、顔を下に向けた。
「でも、私は――」
イーディスはふらつく足に鞭を打ち、なんとか立ち上がる。
「諦めない!」
叫び声と共に、腰に差された剣を引き抜いた。
「だって、ここであなたに負けるわけにはいかないのですから!!」
銀色に輝く刃を上に掲げ、まっすぐ魔王に向けて走り出す。
「はあああああ!!――ッうわ!?」
しかし、急に踏み込んだせいだろう。
完成したばかりの床は滑りやすく、そのまま転んでしまった。
「駄目駄目!! カットだ、カット! 真面目にやれ!!」
舞台監督の怒鳴り声で舞台に包まれていた緊張感が揺らいだ。
やれやれと倒れ込んでいた役者たちが起き上がり、ちょっと呆れたような視線をこちらに向けてくる。
「足元を注意しろ、足元を! 本番まで、あとどれだけか知ってるのか!?」
「す、すみません」
「……もういい、時間だ。今日の練習はここまで、解散だ!」
舞台監督は時計を一瞥し、そのまま去ってしまった。
後に続けと役者たちも愚痴を零しながら帰り支度を始める。幾人かの役者はイーディスの傍を通り過ぎるとき
「惜しかったな」
「口調は良かったわよ、声色も。あと一歩ね」
と肩を叩きながら慰めてくれた。
いつも叱られるのは辛いが、こうして世辞でも慰めてくれるだけ、実際の旅より幸せである。イーディスはそう思い込むと、ゆっくり立ち上がった。
「いやー、良かったぜ。今までのなかでは1番じゃねぇか?」
ウォルターが近づいてきた。
先ほどまで魔王の貫禄を醸し出していたが、いまはそんな気配まるでない。いつもの彼に戻っている。イーディスは小さく息を吐いた。
「でも、失敗は失敗です」
「成長してりゃいいし、本番なんとかすりゃいいんだよ」
ウォルターはとんとんっと背中を叩いてきた。
「本番まで、あと3日しかないんですよ」
「3日もあれば十分だっての」
「だといいんですけど……」
イーディスは模造の剣に顔を映した。いつにも増して疲れたように歪んだ表情が映っている。修行を中断し、練習に励んだところで、本番に上手くいくとはとても思えなかった。
イーディスが項垂れていると、ウォルターは長い息を吐いた。
「……あのな……お前が演じてる初代聖女はさ、完全に勝利を確信して、魔王に立ち向かったのか?」
「……それは……」
台本に書かれた注釈を思い出す。
初代聖女は、守護の力に目覚めた。
だが、その他の力は点で秀でていない。剣術は子供に毛が生えた程度で、とてもではないが、百戦錬磨の魔王に勝てるわけがなかった。それでも、彼女は仲間を守るために駆けていく。負けるかもしれないが、勝てるかもしれない可能性に懸けたのだ。
本当に勝てるとは思ってもいなかっただろう。
「それと同じだ。希望を捨てずに最後まで努力してこそ、勝機は訪れるって言うだろ」
「……そうかもしれませんね」
イーディスは少しだけ微笑んだ。
「んじゃ、オレは向こうで着替えてくる。あとで、ここに待合せな」
「はい」
イーディスはウォルターと別れ、支度部屋に向かう。
一応、主役扱いになるので個室が与えられていた。個室にはすでにハンナが待機していた。
「お疲れさまでした、奥様」
「ありがとう、ハンナさん。ちょっと一人にさせてくれませんか?」
イーディスが言うと、ハンナは着替えを手にしたまま困った表情を浮かべた。
「いえ、しかし……奥様を一人にするわけには……」
「ちょっとだけでいいんです。大丈夫、なにかあったらすぐに叫びますから。
……それに、たまには一人で着替えたいんです」
このような暮らしに慣れていないんで、と両手を合わせて拝みこむ。
ハンナは少し迷ったような表情を浮かべたあと、小さく息を吐いた。
「ちょっと忘れ物をしたので、少し取りに戻ります。その間だけですよ」
「ありがとうございます!」
リリーならこうも簡単にいかないが、ハンナはお願いされたら断れない性格だ。そこに付け込み、いろいろ無理難題を頼み込んでしまう。申し訳なく思うが、本当に今は一人になりたかった。
ハンナが支度部屋を出ていくと、イーディスは手近な椅子に座り込んだ。鏡の前には剣の刃と同じ、疲れきった自分の顔が映っている。
「……私、本当に聖女なのかな?」
イーディスは紫色の首飾りを指で弾いた。
聖女として演じれば演じるほど、自分が聖女だとは思えなくなっていた。
まず、今回――演じるにあたり、イーディスは初代聖女のことを調べ尽した。
彼女は自分とは違い、王家の出身だった。
末の姫として大切に育てられていたが、神託を受け、おっかなびっくり魔王の脅威に立ち向かっていった。その過程で皆を守り抜く「守護の力」に目覚め、防御の要として成長していく。
あの場面の後だって
『守護の力は――盾だけじゃないのよ!』
と啖呵を切り、魔王と自分の間に城塞を創り出すのだ。
そこに仕掛けられたありとあらゆる仕掛けで魔王を翻弄させている間に、仲間たちの傷を癒す。そして、最後は騎士と共に剣を取り、魔王に最後の一撃を与えるのだ。
城に戻ってからも、とくに政治に口を出すこともなく、神に祈りを捧げて死んでいった。
とても勇敢で、知恵が回り、誰に対しても優しい――穏やかで素敵な女性だ。
「歴代聖女って凄いな」
イーディスはぽつりと呟いた。
二代目聖女も同じだ。
彼女は騎士の家系出身で、なによりも力を求めた。兄弟たちに引けを取らない戦士になりたいと願い、魔王とも勇敢に戦い抜いた。魔王討伐後も城には帰らず、魔族の残党狩りや後進育成に精力を尽くし、命尽きるその時まで、国のために剣を振るった猛者である。
果敢に戦場を駆けまわる様子は、まさしく勇敢な者だ。
三代目聖女は慈悲に溢れていた。
敵味方問わず傷ついたものには救いの手を差し伸べ、魔王の傷も治そうとした強者だ。彼女自身が
『魔王は社会の膿。早急に治療するべきものです!』
と、立ち向かい、魔王の悪しき心を治療した伝説があるほどだ。
その確固たる信念は、尊敬に値する。
四代目と五代目も、圧倒的な強さの魔王に立ち向かい、仲間と力を合わせて戦った。
四代目は新しい国を誕生させ、五代目はすべての権力から身を引き、仲間と共に諸国を回った。四代目は新しい国なら「建国の母」であり、五代目は影で様々な悪事を暴いだ「正義の聖女」として名を知られている。
では、自分は、イーディス・ワーグナーは後世の人から、いったいなにを尊敬されるのだろう。
自分の行いがこのように残り、語り継がれていくと考えると、少し身体が震えてしまう。
自分の行い一つで、「六代目は愚かな聖女だった」と烙印を押されかねないのだ。
それこそ、ウォルターが演じた魔王のように「悪役」として伝わってしまう恐れもある。
「きっと、私を退治するのは、クリスティーヌ様なんだろうな」
何事にも颯爽と振る舞う彼女は、まさに正義の味方にふさわしい。
愚図で鈍くさい聖女より、ずっと――。
「あら、クリスティーヌという声が聞こえましたが?」
突然、扉が開かれた。
香水の匂いが部屋に充満する。
「まさか、聖女。あの女より自分が劣っていると思っていらして?」
つかつかと背の高い女性が入って来た。
貴族にしては軽装だが、一目で高価だと分かる衣服に身を包んでいた。つばの広い桃色の帽子をかぶり、呆れたような眼差しをこちらに向けている。
「ご、ごめんなさい、奥様。止めたのですが……」
その後ろから、ハンナが慌てふためいた様子で入ってきた。
「あら、これからお仕えする主に対して、挨拶もさせてくれませんの?」
女性は腰に手を当てると、ふんっと鼻を鳴らした。
「挨拶が遅れましたわ。
私、この度、聖女様にお仕えすることになりました、エリザベート・バジェットでございますの。エリザとお呼びくださいませ」
どうぞ、よろしく。
そう言いながら、エリザはスカートの端をちょっと持ち上げる。
洗練されたその仕草を見て、イーディスはハッとした。
「まさか……あなたは、先日の夜会で……」
「ええ、父から聞きましたわ。なんでも、貴方をどこかへ連れ出そうとしていたのだとか」
イーディスを連れ出そうとした令嬢のリーダー格。
「あのときは、魔族に憑かれてしまっていまして……大変、申し訳ないことをしましたわ」
そして、騎士団長の婚約者だった。




