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王国騎士団長の初恋

イーディスは出てきません


 イーディスが舞台の練習に励んでいる頃、王都でも年越し祭りの準備が行われていた。


 市井には、まだ魔王の復活を伝えていない。

 そのため、王都に住まう民の誰もが「今年は盛大に祝おう」と張り切って準備をしている。

 雪で足元が凍り、手がかじかむというのに、誰も気にする素振りすら見せず、簡易舞台の設営に取り組んでいた。


「……平和だな」


 1人の青年が、王城の窓枠に寄りかかりながら城下町を見下していた。


 騎士団長 ランス・ブラック。

 ブラック伯爵家の長男で、魔王討伐の旅に同行し、さらに武勇を挙げた英雄だ。

 特にクリスティーヌとの魔王四天王退治は、きっと以後数百年――物語として残ることだろう。眉目秀麗で剣の腕は王国どころか世界随一ともなれば、黙っていても女に事欠くことはない。


 だが、彼の目に映る女性は、たった一人だけだ。


「……クリスティーヌ、あいつ……また、あんなことしてるよ」


 年越し祭りの準備で賑わう街の一角に、それとは別の人だかりができている。

 王都の掃きだめに暮らす浮浪者の集団だ。

 城下に暮らす人々すら嫌遠する人々の中心には、王妃のクリスティーヌが立っていた。

 彼女は汚らわしい浮浪者に囲まれているのに、にこやかな笑顔を浮かべている。泥まみれの浮浪者たちは、彼女の清潔な白い手からスープを受け取っていた。浮浪者どもは歯の抜けた笑顔を浮かべ、スープに貪りついている。王妃の御前だというのに、あまりにも礼儀知らずな食べ方だ。遠くから見ている自分でさえ眉をひそめてしまうのに、クリスティーヌは微笑を保ったままだった。


「……あいつ、やっぱり凄いな」


 ランスは感心した。


 夜会での魔族騒ぎから数日後、クリスティーヌが突然


『冬を越すことができない貧しい人に、ぜひ炊き出しをしたい』


 と、宣言したのである。

 その宣言には、貴族の誰もが驚いた。

 そもそも、定職に就かず、家族を養えない男など生きている価値がない。それにくわえ、彼らは城下町の美しい風景を乱す不届き者で、犯罪者予備軍だ。本当であれば、すぐにでも取り締まり、処刑するなり辺境へ送り込んで労働手とするのが得策だろう。

 ところが、優しい彼女は「すべての人に救いの手を」と、自らスープとパンを手配させた。こうして連日、昼間になると城下町へおり、自ら炊き出しを行っている。


「……立派だよな、クリスティーヌ」


 ランスは口の中で呟いた。

 彼女の生き方は、まるで聖女のようだ。



 クリスティーヌは、昔から不思議な女だった。

 幼い頃、ある日突然、


『私、剣を習ってるの。よろしければ相手をしてもらえません?』


 と、言ってきたのだ。

 最初は侯爵令嬢が剣を取るなんて、なにを考えているのか意味が分からなかった。とはいえ、一応、王太子の婚約者。無下に扱うこともできず、彼女の自尊心を傷つけないように適当に戦って、手ごろなタイミングで負けてやろうと思っていた。それなのに、蓋を開けてみれば彼女の圧勝。

 むしろ


『手を抜かないでくださいませ! 私、本気で戦いたいのです!』


 と、叱られる始末。

 こちらもこれ以上、負けてしまうと騎士としての威厳に関わるので、本気で戦った。なんとか辛うじて勝利することはできたが、いくつか彼女に手傷を負わせてしまった。これはまずい、と彼女に駆け寄ったが、こちらが「大丈夫か」と問いかける前に、こう尋ねてきたのだ。


『ありがとうございます。無理に戦わせてしまい、すみません。お怪我はありませんか?』

 

 自分も腕や足が痛いだろうに。

 もしかしたら、あの瞬間――自分は恋に落ちていたのかもしれない。


 クリスティーヌは、何でもできる。

 それでいて、いつも誰に対しても優しい。

 魔王討伐に名乗りを上げて、最前線で戦い抜いた。結果として魔王を仕損じたが、その働きは蔑まれるものではない。


 それにもかかわらず、それに異議を唱えてきた女がいた。

 ランスの婚約者だ。

 家同士のつながりで、無理やり結ばされた婚約だった。着飾るばかりで能のない女は、いつも自分と会うたびに小言ばかり口にする。

 やれ、もっと強くなれだの、もっと周りを見て行動しろだの、口うるさい女だ。ありのままの自分を受け止め、剣の腕も認めてくれる――クリスティーヌとは雲泥の差である。


 魔王討伐の旅から帰ってきた直後だって、いつも通り婚約者は不機嫌だった。


『クリスティーヌ様との付き合いを止めた方がよろしくってよ?』


 婚約者は開口一番、そう言い放ってきたのである。


『王が崩御したばかりなのに、即位式の後、すぐに夜会を開催するなんて……いくら遺言があったとはいえ、ちょっとおかしくなくって?

 ここは、王の喪を弔う名目で領地に戻ったほうが良いと思うの』


 彼女が何を言っているのか、自分には分からなかった。

 王の遺言通りに、クリスティーヌはすべて進めている。彼女の頑張りを褒めるべきであり、けなすべきではないのに。

 当然、ランスは激怒した。


『お前は、クリスティーヌを侮辱する気なのか!?』

『侮辱……ええ、軽蔑していますわ! 私の婚約者に色目を使う不届き者と!』


 婚約者はランスの腕にしがみつこうと手を伸ばしてくる。


『目をお覚ましになって! 彼女は王妃! この国を背負って立つ存在ですの。それはもちろん、忠誠を誓うのは良いことですわ。ですが、忠誠と妄信は別物ですのよ!?

 このまま、あの方に従っていたら――』

『目を覚ますのは、お前の方だ!!』


 ランスは婚約者の腕を振り払った。婚約者は「信じられない」と目を見開いたまま、後ろに倒れた。


『クリスティーヌは清廉潔白な王妃だ。むしろ、真の聖女だ。

 彼女を蔑ろにする者は……私の婚約者である資格はない。……次はない、よく考えておけ』

『お、お待ちください!』


 婚約者の声が聞こえたが、ランスは振り返らなかった。

 その後、彼女はクリスティーヌに従順になった。きっと、彼女もクリスティーヌの魅力に気づいたのだと安堵していたのだが――


「まあ、あの王妃様……炊き出しをしているわ」


 婚約者は扇子で口元を隠しながら、ランスの隣にやって来た。

 彼女は改心したわけではなく、魔族に憑かれていたらしい。夜、突然、魔族に血を浴びせられ、気がついたら魔族の操り人形となっていたそうだ。

 もっとも、詳しい事情など済んだことは興味ない。


「なにしにきた?」

「貴方の愛する()()()の様子を確認しに」


 婚約者は気取ったように言った。

 その姿に、ランスは眉間にしわを寄せた。

 彼女は、また元の状態に戻っている。クリスティーヌを軽蔑する愚かな女性に戻ってしまっていた。これなら魔族に憑かれていた時の方が、はるかにマシだった。


「ランス様は聞いていますわよね?

 クリスティーヌ様がしていることを。連日の夜会に宝石やドレスの新調、くわえて、毎日の炊き出し――増税の話は聞きまして?」

「もちろんだ。だが、たいしたことではない」

「たいしたことですわ」


 婚約者はいつも通り、小言を言いに来たらしい。


「国庫の財が減っているのを知ってまして? このままでは、2年もしないうちに国が破綻しますわ」

「増税すればいいだろ。すぐに解決する。だから問題ない」

「増税の程度が問題なのですわ。

 今年は不作。おそらく、来年も魔族に荒らされた畑は復興しないのに、税だけが増えるなんて……きっと、浮浪者が増えますわ。お優しい王妃様が浮浪者に炊き出しを行っているんですもの。働かなくても生きていけるのであれば、民はそちらへ流れるのは道理ではなくって?」

「ありえない!」


 ランスは婚約者の杞憂を一蹴した。


「そもそもだ、この国の財力がどれくらいあるのか知っているのか? 女が政治に首を突っ込むなんて、はしたないぞ」

「あら、愛しのクリスティーヌ様は女ではなくって?」

「……彼女は王妃だ。お前は、口うるさいだけの能無し女じゃないか」


 いつも通り、そう指摘した。

 すると、婚約者は寂しそうに顔を伏せた。


「もう、貴方を改心させることは難しいのかもしれませんね」

「改心するのは、お前の方だ。

 それ以上、クリスティーヌを侮蔑してみろ。反逆罪として処刑されるぞ」

「いいえ、その心配はなくってよ」


 婚約者は一枚の紙をとり出した。


「私、この度――とある御屋敷に行儀見習いに出されることが決まりましたわ」

「そうか。そこで性根を叩き直してもらって来い」

「それから、父がこう言っていますの。

 『ブラック伯爵との婚約を破棄する』、と」

「別に構わん。私もお前の顔が見えない方がせいせいする」


 できれば、もう少し早く婚約破棄してもらいたかった。

 もう少し早ければ、王太子を蹴落として、クリスティーヌと婚約できたかもしれないのに。


「……私は、貴方と一緒に添い遂げたかったわ」


 ランスはぎょっとした。

 婚約者は涙で頬を濡らしていたのだ。

 ランスは、いつも怒りの感情しかぶつけてこなかった小言女に「悲しみ」を感じる器官があったとは思えなかったのである。

 

「あ、貴方らしくないぞ?」

「いいえ、これが私ですわ。もうどうにもなりません。私が努力することで、貴方を改心させることができると思ったのですが……もう無理ですわ。私が耐えきれません。貴方がもう少し、現状を見てくださったのなら……すぐにでも、再度婚約したいですけど……きっと、それはもうないのでしょうね。

 ……さようなら、ランス様。もう二度と、会うことはないでしょう」


 婚約者は涙を流したまま、走り去ってしまった。

 彼女は常日頃、「令嬢が足を出すなんて、はしたない」とクリスティーヌには言っていたのに、素足を見せて逃げ去っていく。


「なんなんだ、あいつは……」


 最近、妙なやつが多い。

 それも、そろいもそろって、クリスティーヌのことをよく言わないのだ。


 魔王討伐の旅に紛れ込んだ孤児の女は、クリスティーヌから優しくされているのに、夜会では恩をあだで返すような真似をしでかした。

 婚約者は、クリスティーヌに対して悪口ばかり言いふらし、挙句の果てに「改心させたかったのに」なんて捨て台詞を残した。

 最後に、神官のエドワード。

 一緒に旅をし、クリスティーヌの魅力が骨の髄まで分かっていた男だったはずなのに、彼女に意見をするようになった。毎日の炊き出しに反対したのも彼であり、聖女の運用方法について意見を述べたのも彼だった。

 あまりにも、クリスティーヌ批判・孤児の擁護が目立ったため、ランスは他数名の仲間を連れて、書類に細工をした。

 そこまで孤児の娘を聖女と認め、入れ込んでいるのならば、彼女の傍へ行けばいい。 

 彼に関する本神殿の資格をすべて剥奪し、辺境の地へ送り込んだ。クリスティーヌは


『働き次第では、本神殿に戻ってくることができるわ』


 と言って慰めていたが、きっと奴が戻ってくることは永遠にない。

 他にも魔族に憑かれていた奴らは、そろいもそろってクリスティーヌに反対意見を言ってくる。その連中を片っ端から辺境やらどこへやら配置換えをしなくてはならないので、文官たちは大忙だ。


「やっぱり、魔族に憑かれる奴らは、どこか頭のおかしい奴なのかもな」


 クリスティーヌの魅力が分からないからこそ、魔族の手に落ちるのだ。


「おっと、クリスティーヌが動き始めた。城に戻ってくるんだな」


 ランスは窓枠から身体を離すと、そのまま正面玄関へ足を進めた。

 きっと、クリスティーヌは疲労困憊であろう。

 少しでも彼女が安らぐよう、慰めや励ましの言葉をかけてやるべきだ。



 なぜなら、彼女が「真の聖女」なのだから――。





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