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32話


「黒い靄も見えます。額に刺青もあります。どう考えても魔族です」


 イーディスが剣先を喉元に向けると、猫魔族は大げさに狼狽した。まるで「抵抗する意思はない」と示すかのように両手を上にあげ、びくびくと震え始めたのだ。


「う、うむ。おっしゃるとおり、あっしは魔族だにゃ! だが、それとこれとは別問題というか、なんというか!」

「やはり、魔族ですね」


 イーディスは警戒心を最大限まで高めた。

 ここはシャンディの店。相手は好き勝手に暴れることはできるが、自分が彼女の店を荒らすことは避けたい。できるかぎり一撃で仕留め、拘束するのが最適解だ。そのあと、情報を引き出そう。

 イーディスはそう判断すると、詠唱を口にする。


「イーディスの名のもとに。祝福の加護よ――」

「やめて、お嬢ちゃん」


 しかし、その詠唱を最後まで言うことはできなかった。 

 シャンディが魔族を庇うように割り込んできたのだ。あろうことか、猫魔族の腕にしがみつき、こちらに訴えるような視線を向けてきている。

 イーディスは困惑した。

 シャンディは以前から、親しいわけでもないのに優しく接してくれる。落ち込んだときは声をかけてくれるし、親身になって相談に乗ってくれたこともあった。イーディスが嫌な思いをしていると感じたときは、自分のことのように怒ってくれた。

 正直、イーディスには彼女の心が分からない。ただ、漠然と――この人は善い人なのだ、と感じるようになっていた。困っている人がいると手を差し伸べたくなる、ちょっぴりおせっかいな人なのだ、と。

 だが、それを踏まえたとしても、魔族を庇うのはいただけない。

 

「シャンディさん、退いてください。その人は魔族です!」

「ええ、知ってるわ」

「だったら、どうして――?」

「だって――……あ、そうだった、そうだった。まだ、お嬢ちゃんは知らなかったわね!」


 シャンディは戸惑ったような表情をした後、弾かれたように笑い出した。


「この人、私の旦那」

「え?」


 イーディスは目が点になった。

 猫魔族の方も恥ずかしいのか、にやにやと緩い笑みを浮かべている。


「え? だって、魔族、ですよ?」

「そうよ。刺青だってあるし、本人も魔族だって否定していないわ」

「それは……そうですけど……」


 魔族は敵だ。本気で人間を滅ぼそうとしてくる。

 その魔族とシャンディが結婚しているなんて、到底信じられなかった。だが、2人の子――ジンジャーはその特徴を受け継いでいると言えなくもない。あのふわふわ柔らかく、触りたくなってしまいそうな茶色の髪の毛と、目の前にいる猫魔族の毛並みは非常に似ている。無邪気そうな目や声色も、血縁があると言われれば信じたくなってしまうくらい酷似していた。


「あっしはしがない魔族の語り部でして、ふらふら放浪の旅をしていたとき、シャンディちゃんと運命的な出会いをしたんだにゃ」

「あのときはねぇ、本当に死ぬかと思ったよ。なにせ、料理修業の旅をしていたら、急に『なにか食い物をよこすにゃー!!』って襲って来たんだから」


 シャンディは頬を赤く染めながら、楽しそうに馴れ初めを語り始める。


「でも、私の料理を食べたら、すぐに表情が変わってね……ぱっと手を握ってきて『結婚してくれ!』って」

「だって、ずっとシャンディの料理を食べていたいにゃって思ったんだにゃ!」

「もう、ガフったら! 結婚までしなくても、毎日、店に食べに来ればいいじゃないか」

「三食食べたいにゃー、シャンディちゃん。本当ならこんな店たたんで、シャンディちゃんのご飯を独り占めしたいにゃ」

「この店は先祖代々続いてきた店だ。私の代で潰すわけにはいかないわよ」

「さすが、シャンディちゃん。そういうとこ、だいすきだにゃー」


 猫魔族――ガフは甘えるように喉の奥を鳴らした。ふさふさの尻尾もへにゃへにゃと腑抜けたように揺れている。

 2人を中心に熱く蕩けそうな雰囲気が広がり始める。とても嘘をついているようには見えないし、いままで対峙してきた魔族たちとも、印象がかなり異なる。イーディスは構えた剣を下ろしていいのか、それとも突きつけたままでいいのか、よく分からなくなってしまった。


「えっと……ウォルターさん。どうしますか?」

「オレに聞くな」


 ウォルターは不機嫌そうに机に肘をついたまま、コップの水を飲んでいた。


「一応、親父――先代の辺境伯が見届け人として、シャンディとガフの婚姻誓約書に『魔族の味方をしない』って一文を結ばせたからな。問題は起こらないだろ」

「婚姻誓約書?」

「なんだよ、イーディス。おまえ、神殿併設の孤児院で過ごしたんじゃねぇのか?」

「……詳しい業務内容まで知りません」


 アキレスや友だちのアグネスは、積極的に神殿の仕事を手伝っていたが、イーディスはあまりやらなかった。要領が悪く「手伝って」とも言われなかった、ことも起因しているかもしれないが。


「互いに婚姻する際の条件を記載するんだよ。んで、両者が納得出来たら名前を入れて、見届け人が魔力を流して完成させる誓約書だ」

「なんだか、魔術拘束みたいですね」

「みたいじゃなくて、拘束だっての。

 まぁ、婚姻ってのは互いの人生を繋ぎあわせる鎖みたいなもんだからな」


 それだけ、婚姻とは気軽にできるものではない、ということだ。

 そういえば、神殿から時折、「こんな誓約、認められるか!」という怒鳴り声とか「ここで誓約を結んだのに」というすすり泣くこえが聞こえてきた思い出が蘇ってくる。あの時は何のことだかさっぱり分からなかったが、婚姻誓約書のことだったのかもしれない。


「それで、それを破ったらどうなるんですか?」

「まあ当然、破った方に罰が与えられる。

 くわえて、あの2人に用意した誓約書は最上級の誓約だ。そりゃ、軽い誓約だったら、破った方が全治1か月の怪我を負うとか、そんな程度だが、破ったら二度と婚姻ではできず、顔に一生消えない罪人の印が現れる」

「それって……結構、重いですね」


 イーディスはひくりと口の端が動いてしまった。ウォルターは「そんな程度」と軽く言ったが、全治1か月の怪我は相当辛い。婚姻というのは、気軽にできるものではないのだと実感する。


「婚姻ってのは、そういうもんだろ」


 ウォルターはコップを机に置くと、その脇に小銭を置いた。


「帰るぞ、イーディス。まだ日は高いからな、少し組手でもするか」

「は、はい!」


 ウォルターはいまだに幸せ空気を醸し出す二人の脇を素通りした。イーディスも剣を鞘にしまうと、急いで彼の背中を追いかける。


「おや、もう帰るのかい?」


 イーディスがシャンディの隣を通り過ぎようとしたとき、彼女と目が合ってしまった。2人は抱擁を止め、こちらへ身体を向けてきた。


「もっとゆっくりしていけばいいのに。せっかくの休憩時間なんだろ?」

「ありがとうございます。でも……修行も必要ですし」

「そうか、大変だにゃー聖女様は。お疲れ様だにゃ」


 ガフは腕を組み、ふむふむと頷いた。

 正直、魔族から「お疲れ様」と言われると、妙な気分になる。イーディスが苦笑いで返すと、ガフは思い出したかのように手を叩いた。


「そういえば、さっき婚姻誓約書の話をしていたようにゃが、聖女様はウォルター様とどのような誓約を交わされのにゃ?」

「あ、それ。私も気になるわ。というか、あんたたち、いつ式を挙げるのよ?」

「えっと……」

「ウォルター、早く決めなさいよね。街中が楽しみにしているんだから!」


 目を輝かせながら言われても、イーディスは返答に困ってしまった。 

 ウォルターはどんな反応をしているだろうか、と視線を向けると、彼は疲れたように額に手を被せていた。


「はぁ……お前たちは、オレの結婚を口実に酒を飲みたいだけじゃねぇか」

「先代はね、結婚の時にぱあっと派手に領民に銀貨50枚を配ったんだよ。あんたも、そんくらいしなさいよ」

「するか! つーか、こいつとオレは、まだ正式な婚姻は結んでねぇっての。

 ほら、お前も もたもたするな。帰るぞ」


 ウォルターは怒ったように顔を赤くすると、イーディスの手首をつかんできた。そのまま、引きずられるように店の外に出される。そこで離されるかと思いきや、腕を離す素振りはなく、そのままずいずいと進み続ける。最初は手首をつかまれていたはずなのに、気がつけば右手を握りしめられていた。


「ウォルターさん、あの……」

「あのままいたら、質問攻めになって組手の時間が減るだろ。時間の無駄だ」

「いえ、そのことではなく……」


 イーディスは手のことを指摘しようとしたが、なんとなく躊躇ってしまった。

 どうしてか分からないが、もう少しだけ握っていたい。武骨で硬くて、だけど優しく包み込まれるような手を感じていたい。こうして握っているだけで、不思議と安心する。もう少し、頑張れるような気がするのだ。


「どうした、イーディス」

「……なんでもありません」


 口元が自然と綻ぶのが分かった。

 ウォルターは眉をしかめ


「変な奴」


 と呟いていたが、特に気にならない。

 幸せ、というのはこんな雰囲気のことをいうのだろう。

 アキレスを救うことができなかった者が幸せを享受するのは間違っているかもしれないが、せめて、この一瞬だけでも――この暖かい感覚を味わっていたい。

 

 イーディスは耳が熱くなるのを感じながら、この一時に浸る。


 優しい午後のことだった。






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