31話
「無理です!」
イーディスは反射的に答えてしまった。
「年越し祭りの聖女役なんて、私にはできません」
年越し祭りで披露される「魔王討伐の劇」は、いわば年越しのクライマックス。
誰もが注目し、新年への思いを高める大事な儀式だ。魔王役はもちろん、端役の演者まで厳正な審査の元に決められる。まして、主役の聖女ともなれば、毎年応募者が殺到し、過酷な予選会が繰り広げられるのだ。それを潜り抜け、ようやく選ばれた王都1演技力もあり、輝く美しさをもつ美女が聖女を演じる。
「ですが、貴方は聖女ですよ?」
「そういう問題ではありません!」
険しい過程を一気にすっ飛ばして、「美人でもないし、演技力も素人だけど、聖女だから聖女が演じます」では、世の女性たちの反応が恐ろしい。その視線を想像するだけで、イーディスの背中が震えあがった。
「もしかして……神官様は年越しの祭りを観たことがない、のですか?」
「まさか!」
エドワードは心外そうに目を見開いた。
「年越しの祭りは、神殿が主催する一大儀式ですよ。参加者としてはありませんが、主催者として観たことは幾度もあります」
「それでは……」
「これは、新年を迎えるため、前年度の穢れを払い、祝福の祈りを捧げるもの――あなた以外に適任がいます?
だいたい、いままでは、本物の聖女が不在故に、代役が選ばなければなりませんでした。しかし、本物がいる以上、代役を選ぶ必要がどこにあるでしょう?」
「いや……そうかもしれないですけど……私、お芝居なんてやったことがありませんよ?」
「練習すれば何とかなります」
だんだんと逃げ道が塞がれていく。
イーディスは唸りながら必死で回避方法に考えを巡らせた。しかし、なかなか良案が思い浮かばない。あれでもない、これでもない、と思案している間にも、エドワードは「それでは、詳しい練習日時を……」と勝手に進行を進めようとしている。このままでは、なし崩しに決められてしまう。
「駄目です!」
イーディスは彼の言葉を遮るように、声を張り上げた。
「だって……そう、私は聖女として修業を積まなければなりません。お芝居の練習をしている時間はとても……そうですよね、ウォルターさん!」
イーディスは助けを求めるようにウォルターを見上げた。
ウォルターは完全に他人事だと思っているのだろう。退屈そうにポケットに手を入れ、大きな欠伸をしているところだった。
「ああ? 都合はつけられるだろ」
しかし、助け舟は来なかった。
「でも……魔王が復活した今、いつ魔王と戦いになっても不思議ではありません。
ここは、修行を優先するべきではないでしょうか?」
それは半分が言い訳。
魔王が世界を滅ぼそうとしても、イーディスにあまり興味を持てなかった。
なにしろ、この世界にアキレスはいない。生まれ育った孤児院もない。
修行をしているのは、クリスティーヌたちに認めてもらいたいからだった。だが、先日の態度を見る限り、いくら努力し結果を残せたところで、褒められることはないだろう。
正直、あまり修行をする気にはなれない。
だけど、残り半分は本音だ。
「私は……もっと、強くなりたいです」
夜会が終わり、王都を去る日――イーディスは再び、孤児院跡地を訪れた。
雪がちらちら舞い散るなか、アキレスたちが眠る墓石に祝福の加護をかけた。もう二度と、眠りを妨げられることがないように、と。
紫色の粒子が墓石を輝かせたとき、ああ――本当に弟は死んだのだと実感した。
それと同時に、なにか自分の中で区切りがついたような気がした。
弟は死んだのだ。もう戻ってこない。なにをしても、夢以外で笑ったり冗談を言い合ったりすることはできないのだ。
ところが、自分は生きなくてはならない。
アキレスの後を追いかけたい気持ちがある反面、漠然と「生きたい」という感情が膨れ上がりつつある。その理由は自分でも分からないが、魔王に命を狙われている現状、イーディスには魔王より強くなるしか生きる手段は残されていなかった。
「魔王より強くならないと、いけないんです。だから――」
「お前は根詰め過ぎだ。
だから、あんなところで居眠りしちまうんだっての」
ウォルターは腕を組むと壁にもたれかかった。
「練習場への行き帰りにやればいい。どうせ、オレも行くからな」
「え? ウォルターさんもお芝居を?」
今度はイーディスが目を見開く番だった。
正直、彼が舞台の上で何かを演じている姿が想像できなかった。
「……この街じゃ毎年、魔王役は領主がやるって決まってんだよ」
あまり乗り気ではないのか、ウォルターは面倒そうに言った。
「オレも嫌だけど、仕事だからやってるんだよ。お前もうじうじ悩まないで腹を決めろ。そりゃ、お前は美人じゃねぇけど、聖女として胸を張っていればいいんだっての」
「ええそうですよ、聖女。美貌でいえばクリスティーヌの百分の一にも及びませんが、なんとかなりますよ」
もうどこにも逃げ道はない。
それでも逃げようともがけば、回避できる可能性はあるかもしれない。ただ、ウォルターの言葉が随分と胸に刺さった。
これは、聖女としての仕事だ。
そう思うと、嫌なことだからといって、逃げるのは違う気がしてきた。
それに、初代聖女を演じることで、聖女として強くなれるキッカケをつかむことができるかもしれない。
だから、イーディスは聖女役を引き受けることになった。
引き受けることになった、のだが――。
「……お嬢ちゃん、なんだかやつれてないかい?」
「眠る山猫亭」の女将 シャンディが声をかけてきた。
芝居の稽古が終わった昼下がり、食事を兼ねて訪れたのである。
この時間はやはり繁盛している様子はなく、イーディスとウォルター以外の客はいない。どこか殺風景な店内は広々として見えた。
「ウォルター! あんたさ、お嬢ちゃんに無理させてるんじゃないでしょうね!?」
「させてねぇよ」
ウォルターはテーブルに肘をつけながらパンを頬張った。
「だいたい、領主さまに向かって呼び捨てはねぇだろ」
「領主といえど客は客。どんな客にも同じ対応をとる、それがあたしのモットーさ。
……それで、お嬢ちゃん。本当に大丈夫かい?」
「……安心してください、大丈夫です」
シャンディの言葉を受け、イーディスは笑顔を浮かべた。
だが、死んだように乾いた笑い声しか出てこない。
芝居の練習は、想像以上に厳しかった。
リリーによる礼儀作法の勉強と同じくらい辛い。
舞台監督は妥協を許さない人だった。台詞の読み方や背筋の伸ばし方はもちろん、視線の位置や指先の動き1つ1つを指摘される。その容赦ない指導は、リリーによる礼儀作法の勉強と似たものを感じた。
「おいおい、筋は良いって言われてたじゃねぇか」
「それはそうですけど……」
イーディスは、素直に喜ぶことはできない。
あのとき、舞台監督の顔は笑顔を浮かべながらも、額のあたりに幾本か筋が立っていた。どう考えてもお世辞以外の何物でもなかった。
「修行したい……剣を振りたい……」
「剣は振ってただろ、さっきまで」
「それは、お芝居の話じゃないですか」
慣れ親しんだ剣の動きも「舞台の上では見栄えが重要」と指示され、大きな振りを要求された。無論、舞台上で本物の魔族が襲ってくることは絶対にありえないが、あまりにも隙の多い動きだ。どこか動きが硬くなってしまう。それを舞台監督に指摘され、またさらに硬くなる。その繰り返しになってしまっていた。
「オレだって最初は変な感じがしたけどよ、まあ慣れだ、慣れ」
「慣れ、ですか……」
「そうそう! こいつも最初は酷いものだったのよ!」
シャンディはにまにまと笑うと、近くの椅子に腰をかけた。
「台詞は噛むは、動きは雑だわ……もう散々。あたしゃ、ピルスナー家は今代で終わりだと思ったね」
「てめぇ……そんなこと考えてたのかよ」
ウォルターの背中が震えた。
「だって、そうでしょ? そもそも、あんたはーー」
「シャンディちゃん! いま帰ったにゃー!!」
シャンディが何か言いかけた、その時だった。
入口が勢いよく開き、何者かが入ってきた。
「なんだいなんだい、揃いも揃って辛気臭い。せっかく年越しの祭りが近いというのに。もっと明るく元気にぱぁーっと行きましょうにゃ!」
大きな袋を担いだ男だった。
はち切れんばかりの腹、異様に目立つ自己主張の強い赤い服。そして、極め付きは、猫の顔。猫のような顔ではなく、猫の顔だ。
3本ずつ生えているヒゲ、くりっとした目、ふさふさとした茶色の毛に、ぴょこんと生えた三角の耳。
どこからどう見ても、猫そのものだ。
「おっ! そこにいるのは噂の辺境伯夫人ではにゃいですか! 」
猫男は踊るような足取りで近づいてくる。
肩のあたりに黒い靄が纏わり付いているのが、はっきり見えた。
「さ、下がってください! ウォルターさん、シャンディさん!!」
イーディスは椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がると、すぐさま剣を引き抜いた。
「この人、魔族です!!」