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30話

第4章、始まります。



 

 簡易舞台の上で、道化(ピエロ)が踊っていた。

 鮮やかな緑色と赤い縞模様の服に身を包み、大人の横幅より大きい玉の上でバランスを保っていた。白塗りにした顔は余裕たっぷりで、不思議な笑みを浮かべている。


「凄い!凄い!」


 イーディスは興奮して手を叩きながら、ふと――どこか、頭の冷静な部分で「これは夢だ」と感じていた。


 この光景は、2年前の年越し祭りのものだ。


 普段は穏やかな日常の時が流れる中央広場は、どこを見渡しても人で溢れかえっていた。

 堂々とたたずむ噴水も、冬でも可憐な花が咲き誇る花壇も、この日の主役になりえない。年越し祭りの中央広場といえば、冬の初めから設置される簡易舞台だ。

 曲芸や音楽など、ありとあらゆる出し物が披露される。

 そして、最後の演目は初代聖女の魔王退治だ。聖女に扮した王都随一の美少女が魔王を討ち取り、新年への祈りを捧げる。

 今年一年の恵みに感謝し、また来年も――恵みある年が迎えることができるように、と。


「凄いね、アキレス!」

「うん! 凄いよ、お姉ちゃん!!」


 隣に視線を向ければ、アキレスが座っている。イーディス同様、興奮しているのか頬を上気させていた。


 忘れもしない。

 この日は、初めてアキレスを連れて観劇を楽しんだ日だった。

 左手にゴミ拾いやさまざまな手伝いで貯めた小遣いを、右手にアキレスの小さな手を握りしめ、中央広場へ乗り込んだのである。大きな頭のせいであまり見えなかったが、人の隙間から道化が玉に片足乗りしているのが分かった。


「ね、来てよかったでしょ?」

「うん!」


 アキレスが元気よく頷いた。

 この時期になると、朝晩の冷え込みのせいか、アキレスの体調が悪くなる。だから、年越しの祭りは風邪や熱で伏せていることが多い。事実、この年も一昨日まで寝込んでいた。「今年こそは、一緒に楽しむからね!」と渋る彼を無理に連れ出したのは、他でもない――イーディス自身だ。


「来年も、その次の年も来るんだからね! 絶対に!」

「分かってるって! お姉ちゃんは心配性だな」

「お姉ちゃんは心配性なの! だから、もう病気になんてならないでよね」


 イーディスはアキレスに微笑みかけると、自分と同じ色の髪をわしゃわしゃと掻きまわした。アキレスは少し迷惑そうに、だけど、どこか嬉しそうに笑った。


「分かってるってば!」


 とはいえ、この数時間後――風邪をぶり返し、また寝込むことになってしまい、神官たちにこっぴどく叱られるのだが、この時の二人は知らない。


 来年も、その次の年も――年越しの祭りに行けないことも、知るわけがなかった。


「ねえ、お姉ちゃん」


 道化は片手で逆立ちをしている。

 不安定な場のはずなのに、落ちる気配は依然としてなかった。


「ん、なんだい、弟よ」


 もったいぶって答えると、アキレスは縋りついてきた。まるで恋人にするかのように、イーディスの右腕に手を回してくる。


「僕たち、これからも一緒だよね」

「……うん」


 少しためらった後、イーディスは静かに応えた。

 自分の肩をアキレスの小さな肩に寄り添うように傾ける。これは夢だ。もうすぐ、きっと覚めてしまう。けれど、この瞬間だけは、アキレスのぬくもりに浸りたい。


「いつまでも、一緒だからね」

「そうだね……できる限り、ずっと」


 この夢が、覚めるまで。

 命よりも大切だった弟と共に。


「できる限り?」


 アキレスが寂しそうに呟く。


「どうして? ずっとは駄目なの?」

「だって……」


 これは夢だから、とは口が裂けても言えない。

 イーディスが少し思案していると、アキレスが腕を力強く抱きしめてきた。


「アキレス! 痛い痛い、折れちゃうって!」

「どうして? いつもは――いままでは、ずっと一緒だって言ってくれてたのに!」


 アキレスの紫色の瞳が、イーディスの顔を覗き込んでくる。そこに甘えの色はどこにもなく、切羽詰まったような焦りを感じた。


「ねぇ、答えて! どうして? なんでなの!?」

「どうしたの、アキレス? ちょっと変だよ?」


 さすがは夢。

 平凡な日常の夢のまま、穏やかに終わらせてくれないらしい。


「――ディス、イーディス!」


 イーディスが悩んでいると、後ろから鋭い声が届いた。

 弾かれたように振り返ると、人ごみの向こうに大きな人影が見えた。角が生えて、尖った耳を持った牙の男だ。怪しげで凶悪な風貌なのに、誰一人として目を向けていない。きっと、ここに集った誰もが道化に注目しているからだろう。道化の技は終焉を迎えようとしていた。片手のまま高く跳躍し、華麗に玉を目がけて着地する。


「イーディス! こんなところで、いったいなにしてんだ!」


 拍手喝采の渦にも負けない大声だった。

 耳元で叫ばれているみたいで、頭の奥が痛くなる。


「ったく、こんなところいたら風邪ひくぞ」


 武骨な手が肩を揺らした。

 まるで、アキレスと引き離そうとしてくるかのようだ。意地悪いことこの上ない。ところが、不思議なことに、腸が煮えくりかえるような怒りを感じなかった。命より大切な弟と過ごす至福の時を邪魔されたはずなのに、あまり怒りがわいてこない。

 いったい、これは何故なのだろうか。


「ウォルターさん……私は、どうして……」

「――んなもの知るか!! あーもう、面倒くさい!! イーディス、早く起きろって言ってんだよ!!」





 次の瞬間、強烈な痛みが頭に奔った。


「痛いッ!!!」


 衝撃のあまり、イーディスは跳び起きる。

 頭が痛い。恐る恐る指先で触れてみると、小さな瘤ができているのが分かった。


「やっと起きたか、イーディス」


 目の前には、ウォルターが立っていた。

 仕事明けなのか、騎士の服を纏っている。拳を握りしめていることから察するに、彼が自分の頭を殴ったのだろう。イーディスは目元にうっすら涙を浮かべながら、ウォルターを睨みつけた。


「ひ、ひどいじゃないですか。殴るだなんて……!」

「馬鹿。起こしてやっただけ、ありがたく思え。こんなところで寝てたら、風邪ひくどころじゃすまされねぇぞ?」


 ここでようやく、イーディスは自分の置かれた状況を思い出した。

 訓練場の隅に佇む大木に寄りかかっている。足元まであったはずの草は茶色く枯れ、1週間前に降った雪が積もっているところがちらほらあった。


「あ……そっか、私、寝ちゃったんだ」


 リリーによる礼儀作法講座も終わった休憩時間。一人こっそり庭へ抜け出し、付与系魔術の練習をしていたのだ。しかし、吹きつける風は凍えるほど寒く、イーディスの体力を確実に奪っていく。そして、つい疲れて木に寄りかかってしまったのだ。


「本当に少し、うとうとするだけだったんですけど……」

「しっかり熟睡してたぞ。ったく、体力の配分には気をつけろってんだ。ほら、行くぞ」


 ウォルターが手を差し出してくる。


「お前に客人だとよ。……立てるか?」

「……ありがとうございます」


 イーディスは武骨な手を取った。

 自分を眠りから覚ましてくれた手は、アキレスよりずっと大きい。アキレスの時は、自分が包み込む立場だった。だが、ウォルターの手は逆で、イーディスの手が包み込まれてしまう。鋭い爪が肌に食い込む感じがしたが、本人も調節しているのだろう。特別、痛みは感じなかった。 


「つーか、お前は魔王に狙われてんだぞ? 無断で庭をふらふらするな」

「ハンナには言いましたよ」

「だからってなぁ……まったく、ハンナの奴もこいつを1人にするなんて……減給だ、減給」


 ウォルターは呆れたように言った。



 夜会も終わり、こうして辺境伯領に戻された。

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 クリスティーヌから


『魔族をあぶり出してくれて感謝していますわ』


 と言われたが、目は微笑んでいなかった。王に至っては言葉かけの1つすらない。

 ただ、あれ以来、王城内に魔族討伐部隊・情報収集部隊が再結成されたと聞く。対魔族について行動を起こしていることから考えるに、この危機的な現状を認識している。だから、国王夫妻は、イーディスへ礼を言いたくなかっただけなのかもしれない。


「……まあ、別に構わないけど」

「ああ? なんか言ったか?」

「いいえ、独り言です」


 せめて、「よくやった」の一言くらい、褒美として与えてもらいたかった。

 あまりにも呆気なく辺境伯領に戻されたので、わざわざ苦手な夜会にまででたことが、なんだかバカバカしく思えた。きっと、これからも――クリスティーヌたちは自分を認めようとしない。イーディスが活躍したとしても、その事実から目を背けるだろう。

 それなのに、どうして自分はこうして修行を続けているのか。

 なぜ、この領地にとどまり続けているのか。本当に魔王を倒したいのか、などさまざまな考えが頭をぐるぐる回り、自分を見失いそうになってしまう。

 イーディスが悶々と悩んでいると、ウォルターの足がわずかに遅くなった。


「独り言だ? おいおい、大丈夫かよ。少し休むか?」

「大丈夫ですよ、客人にも悪いですし……そういえば、誰が来たんですか?」


 イーディスは笑顔を作り、ウォルターを見上げた。

 しかし、彼は微妙な表情を浮かべたまま、何も答えない。鷹のような目を細め、イーディスの心を見透かすように睨み付けてきた。


「……まあいいか。客人は、お前も知っている奴だ。着替える必要もねぇよ。どんっと構えてりゃいい」

「私も知っている人?」

「オレは嫌いだが――……」


「遅いですよ、聖女」


 玄関の辺りに誰かが立っていた。

 背の低い少年だ。純白の神官服が風でひらめいている。

 イーディスは少し目を見開いてしまった。


「やっと来ましたか。まったく、僕だって暇じゃないんです」

「暇だろ、することがなくて」

「はぁ……山積みですよ。なんなんですか、あの神殿の杜撰な経営は。だいたい、この時期なのに年越し祭りの準備がほとんど始まっていないなんて……汚職こそないにしても、もう見るに堪えません」


 少年はウォルターの言葉を受け、不機嫌そうに息を吐いた。


「エドワード・バドワイザー。本日よりこの地の神殿長に任命されました」


 エドワードは、顔に大きく「不服」という文字が浮かび上がりそうな表情をしている。


「別に左遷ではありません。クリスティーヌに『聖女を見張りなさい』と言われ、仕方なく本神殿を出たのですよ」

「いや、左遷だろ」


 ウォルターが面倒くさそうに言った。イーディスも同意する。

 あのクリスティーヌがどこまで「聖女を見張る」を本気で言っていたか分からない。

 だが、本神殿の幹部候補とまで言われていた少年が、神殿長とはいえ、こんな時期に僻地も僻地に赴任してくるなんて、不祥事を起こしての左遷以外の何物でもない。


「お前、1度、魔族に憑かれてたじゃねぇか。情報を魔族に漏らしてたし、相手が悪いにしても令嬢殺したし……クリスティーヌに見捨てられたんだな」

「違います。これは、クリスティーヌに信頼されての仕事です。魔族のごたごたが落ち着けば、きっと本神殿に戻してもらえるはずですから」


 きっと、と彼は口にした。

 つまり、確約はされていない。よって、今回は片道切符の出向である。


「そ、そんなことよりもですね。聖女、僕は貴方に神殿長として頼みごとがあるのですよ」


 エドワードは誤魔化すように咳払いをした。


「頼みごとですか?」


 しかし、この人が自分に頼みたいことはなんだろうか。イーディスは想像することができない。エドワードは困惑しているこちらに向けて、ちょっとした爆弾発言を投下した。


「年越し祭りの舞台で、聖女を演じてもらいたいのです」





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