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悪役令嬢、現状を顧みる?



「なによ……何が起きたのよ」


 クリスティーヌは自室に戻ると、そのままベッドに崩れ落ちてしまった。

 着替えは別室で済ませ、侍女たちはすべて下がらせてある。夫になったレオポルトがやって来る可能性もあったが、今日は渡ってこないだろうと確信していた。


 普段は1日も欠かすことない来訪だが、それがなくなるくらい今宵は衝撃的だった。


「魔族が……それに……あの小娘……」


 クリスティーヌは現実を逃避するかのように柔らかい枕に顔を埋めると、ぎゅっと目を閉じた。だが、瞼を閉じてもなお、イーディスの紫色の瞳が目の裏にこびりついたように離れてくれない。


 怖い。

 クリスティーヌは身体を屈めた。


 自分の周囲にあそこまで魔族がいたことも恐ろしいが、それと匹敵するくらい聖女の変貌ぶりが怖くて堪らなった。

 この数か月で、イーディスは様変わりしていた。

 ぼさぼさで手入の行き届いていなかったはずの髪は多少滑らかになり、一本一本が輝いて見える。身に纏っている物も泥臭い服ではなく、清純さを感じられた。背筋もまっすぐ伸び、身のこなしも礼儀正しく、良家の令嬢と評価しても過言ではない。

 なにより、変化したのは目だ。

 いつも自信がなさそうに沈んでいた目は、まっすぐこちらを射抜いてきている。


 まるで、クリスティーヌのすべてを見透かしているかのように。


 あの目に覗き込まれた瞬間、クリスティーヌは失敗したと直感した。

 未来で視たような憎悪の炎は感じられないが、それでも、彼女は確実に成長している。少なくとも、現時点で一緒に旅した間抜けな孤児ではなくなっていた。

 このままでは近い将来、王太子たちが心変わりを起こし、彼女を好きになってしまうかもしれない。そうなったが最後、あの恐ろしい未来が訪れてしまう。


 それだけは、絶対に避けたい。


「だから、なんとか友好関係を構築しようと飲み干したのに……どうして? どうして、魔王が生きてるの? どうして、魔族があんなにも……」


 疑問ばかりが嗚咽とともに喉の奥から湧きあがる。

 イーディスが自分に意見をしたことで動揺する心を、やっと落ち着けたと思えば、次に出現したのは魔族の大軍。しかも、あろうことか友人たちや政治中枢にかかわる大臣たちまで魔族に犯されていた事実が発覚。極めつけに、魔王の復活まで告げられ、クリスティーヌは自分を失いそうになった。


 友人が魔王に憑かれているのに、気づきもしなかった自分が嫌だった。

 その魔族に対し、手も足も出せなかった自分が嫌だった。

 おまけに、最後まで魔族と対峙し続けていたのは他でもない――見下していたイーディスだったことが嫌だった。

 

「もう……限界」


 クリスティーヌは立ち上がると、部屋の隅にひっそりと置かれた机に足を向けた。

 机の上には、石造りの水盆が安置されている。すでに縁まで水で満たされた盆には、小さな桃色の花弁が浮かんでいる。花の季節はとっくに終わってしまっているが、クリスティーヌの魔術で花の時間を凍結しているおかげで、摘まれたばかりの愛おしいまでの美しさを保持していた。

 花の美しさとは反対に、水面に映るクリスティーヌの表情は疲れたように沈んでいた。


「クリスティーヌの名のもとに。太古の精霊よ、遠見の道を開け」


 慣れた詠唱を口にしながら、指先でちょこんと水面に触れた。

 触れた場所から円を描くように波紋が広がっていく。

 すると、クリスティーヌの浮かない顔は消え、代わりにフードを被った男が映った。目元まで怪しげなフードを被っているせいで、あいかわらず表情はあまり分からなかった。


「……どうした、今代の王妃? なにやら、顔色が悪いみたいだが」

 

 水面の男は、口調と似合わぬ甲高い声で尋ねてきた。


「ええ、実は今日は散々でしたの」


 クリスティーヌは水面の男にすべてを語った。


 この水盆を手に入れたのは、魔王討伐が終わってからだった。

 前王の遺品を整理しているとき、先代の王妃が持っていた水盆を見つけたのである。

 一緒に見つけた遺言書によると、王妃にのみ代々伝わる品らしく、自分の本当の姿を映し出す水盆なのだそうだ。王妃はこの水盆に自分の思いを吐き出し、水盆の向こうに現れる「もう一人の自分」と対話することで、進むべき答えを導き出す――いわば、「魔法の水盆」なのだ。


「……以上でございますわ。

 お見苦しいお話で申し訳ありません。先代様たちでしたら、もっと上手く問題に対処したでしょうに……」

「いや、貴方は努力している」


 水盆の向こうの男が答えた。


「誰であっても、貴方と同じ反応をしたはずだ」

「ですが、私は……あの魔族に対し、なにもできませんでした。あの……聖女だけが、最後まで立っていられたのです」

「いつまでも聖女に固執する王妃だ。執着は自分を見失う。もう少し周りに目を向けろ」

「ええ、その通りですね」


 こうして水盆と対話しながら、クリスティーヌは自分の考えを整理する。なにより、こうして言葉にして恐れを口にすることにより、自分を見直すことにも繋がっている気がした。「王妃として自分を着飾ることが欠けている」と気づかせてくれたのも「貴族との関わりを増やすため、毎晩のように夜会を開く必要性がある」という考えに至ったのも、この水盆と対話したおかげだ。

 とても便利な水盆である。いままですべて自分で抱え込み、処理してきたが、こうして誰かと話してみるのも悪くないものである。


「いったん、イーディスのことは忘れますわ」

「よろしい。それで、現状――懸念すべき事項は?」

「私……今、懸念すべき事項は魔族狩りだと思いますの」


 クリスティーヌは指を顎に当てながら、静かに応えた。


「聖女のおかげで、魔族のあぶり出しに成功しましたわ。ですが、憑かれていなくても魔族と通じる者がいましたの。おそらく――あまり考えたくはありませんが、魔族に魂を売った者たちだと推測できますわ」


 たとえば、フラン・トニック。

 本名は、フラン・トニック・オーウェン。

 エンバス家に代々つかえる密偵一族の末裔だ。もともと、彼女の母が王家に仕える密偵であり、王家の密偵にも顔が利いた。普段はエンバス家に仕え、さまざまな天井裏を飛び回っているが、夜会になると「王の落とし子」という偽りの身分を被り、クリスティーヌの補佐をしてくれる。


 だが、彼女は王家を裏切った。

 魔族の盾になり、命を落としたのである。

 

 彼女は絶対に裏切らないと確信していた。それなのに、裏切った。

 もしかしたら、彼女の奥底にはエンバス家に対して不満がたまっていたのかもしれない。本当は、母の後を継ぎ、王家の密偵として働きたかったのかもしれない。

 その真相は闇の中だ。


「……今回……魔族と通じることがないと分かり切っている者ですら、こちらを裏切ることが確認されました。おそらく、あの夜会では確認できませんでしたが……他にも潜んでいることでしょう」

「そうだな」

「だから、今後――誰もが疑心暗鬼になるでしょう。このままでは、少しでも怪しい行動を起こしたら、すぐに処刑台に引っ張られる国になってしまいます」


 無論、そのようなことは絶対にさせない。

 クリスティーヌは拳を硬く握りしめた。


「貴族全員が、すべての情報を開示しするよう王命を出します。開示できない者は投獄します。そうすれば……」

「それは酷い管理社会だ。プライベートがなくなるぞ?」

「しかし……他に方法はありません」

「最後の手段として取っておくべきだ。いまは、誠実に物事に取り組むしかない。もしかすると、なにも起きないかもしれないのだから」


 水盆の返答を聞き、クリスティーヌは頷いた。

 今考えたのは、たしかに最悪な結末だ。しかし、そうならない結末だってありえるかもしれない。


「敵魔族は逃走した。まず最初に……これからは、情報に鍵をかけた方がいい。その鍵は、王とお前含めた幹部数名が管理するべきだ」

「ええ。私もそう思いますの。また盗まれてしまったら困りますから」

「また、今回憑かれた者たちを全員処罰するべきだと提案する」

「それはいけません。それこそ、皆が疑心暗鬼に陥ってしまいますわ。監視の強化程度で十分でしょう」


 どうすれば、この国が行く末永く存在できるか。

 そして、自分が死ぬことなく、一族も滅亡せずに済むのか。その道を模索することこそ、最優先事項である。


「王家と貴族のつながりをより高める必要もあるでしょう。

 頻度は落としますが、夜会はこれまで通り開催。ただ、会場の警備は強化します」

「うむ、いいと思うぞ」

「それから、魔族対策です。魔族情報収集チームを再結成。すみやかに逃走した魔族・魔王の情報を集めます。聖女も王城に残ってもらい、すぐに魔王討伐に出動できるよう準備をさせます」

「最後の部分だけ不正解だ」


 水面の男は首を横に振った。


「聖女は辺境伯の領地に帰す。必要とあれば呼び出す。それがいいだろう」

「な、なぜですの?」


 クリスティーヌは声が翻ってしまった。


「今回の一件で……聖女の有能性が示されました。今後、活用していくべきではなくって?」

「有能性が示されたからこそ、魔族に狙われる危険がある。ここは、辺境伯の領地で時が来るまで安全に過ごさせるべきだ」

「しかし……」

「それに、君は彼女に執着しがちだ。少し遠ざけておいた方が、頭が回るだろう?」

「それは……そうかもしれません」


 たしかに、イーディスが城にいた頃は枕を高くして眠ることができなかった。

 常に「もしかしたら、今頃――王太子と謁見しているかもしれない」など考えてしまい、気が気でなかった。

 王都から遠い領地へこもってしまえば、王太子と会うこともなくなる。


「ただ……あの辺境伯が、魔族と通じている可能性がありますわ」


 なにせ、刺青の有無を除けば魔族そのものだ。

 出自を考慮したら、ますます怪しい。現時点で聖女の傍に置いておきたくない人物筆頭である。


「それに、彼の領地に行ってから……聖女が成長してしまいましたし」

「聖女の成長はいいことだ。王国の戦力が増えるではないか。 

 心配ならば、監視役を派遣すればいい。君の信頼のおける人物なら、なおのこと良いだろう」

「そうですね……その方向で少し、考えてみますわ」


 水盆に「おやすみなさい」と告げ、水盆への魔力の供給を遮断した。

 水面に映し出されていた男の顔は消え、クリスティーヌの顔に戻る。その顔は、少し自信を取り戻した表情に変化していた。


「さて……明日から忙しくなりますわ」


 クリスティーヌは大きく伸びをした。

 窓の外は白くなり始めている。だが、あと数時間は微睡むことができるだろう。



 クリスティーヌはベッドに沈むと、すぐに寝息を立て始めた。


















「やれやれ、やっと眠ったか」


 水盆が揺れ、中からフードを被った小柄な男が現れる。


「頭がどこにあるか分からないものを信用するとは……まだまだ甘いな、王妃様」


 ぐっすり夢に浸る世間知らずの王妃を見下しながら、声を押し殺すように笑った。


「あの密偵の小娘の方が、まだ人を疑っていたのに。……まあ、すぐに降参したけど」


 数日前、遭遇した小娘を思い出す。

 あの小娘の方が警戒心が強く、国と主家への忠誠心も強かった。取引を進めるのも容易ではなく、こちらに屈服させてからも、なにかと手を焼かされた。

 なにしろ、あの夜会で――イーディスを拉致しようとしたのに、密偵の小娘に邪魔されたのは手痛かった。 

 やはり、人間をこちらに引き込むのは難しい。取引相手が裏切る危険性がある以上、しばらくは再びパペット・クラウンを駆使した方が効率的かもしれない。


「さてと、僕はもう帰らなくちゃ。そろそろ帰らないと、あいつらに叱られる……と、その前に」


 男は王妃の頭に手を乗せた。

 そして小声でなにやらぶつぶつと詠唱をする。手の先がじんわり黄色に染まり、その色は徐々にクリスティーヌの額へと移っていった。


「ばいばい、王妃様。せいぜいこの国を狂わせる傾国の女帝になってくれよ。たっぷり悩んで、踊り狂え」


 男は満足そうに呟くと、水盆の中へ足を浸した。

 そして、そのまま身体を沈めていく。頭が消えていく直前、王妃を忌々し気に睨みながら――彼は呟いた。



「この魔王の掌で」






これにて、第三章「聖女、夜会に参戦する」終了です。

次回から第四章に入ります。


なかなか感想を返信できず、すみません。いつも読んでいます!

これからも、今作をよろしくお願いします。


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