27話
イーディスは3人の令嬢に包囲されていた。
しかも、腕をつかまれているせいで、逃げることもできない。下手に騒ぎを起こすこともできず、助けを呼ぶことも今の自分にはできはしない。
「さあ、参りましょう。――聖女」
このまま抵抗できないまま、どこかへ連れて行かれてしまう。
イーディスが諦めかけた、その時だった。
「みっともないわ」
老婆のようなしわがれ声が聞こえた。
声の主は軽やかな足取りで、イーディスと3人の令嬢の間に割り込んできた。
「バジェット伯爵の御令嬢にあるまじき言動。見るに堪えない」
乱入令嬢は、平凡な容姿をしていた。
少年とも少女ともいえる中性的な顔、ドレスを纏っていなければ使用人と間違えられてしまうかもしれない。しかし、その身の内から湧き出てくる気品が容姿を輝かせていた。少なくとも、黒い靄を被った令嬢たちと一線を画した美しさを感じる。
「根拠もなく、嫌がる者を連れて行く。それが伯爵家の方針?」
「そういう貴方は何者よ! この私たちに指図をするなんて!」
バジェット伯爵令嬢は腰に手を当てると、こちらに詰め寄って来た。もともと釣り上がっていた目つきが、増々きつく細められる。
「いいこと? 私はランス様の婚約者! クリスティーヌ様とも仲良くさせていただいているのよ?」
ランス、という名を聞いた瞬間、イーディスの記憶が刺激された。
記憶が正しければ、魔王討伐の際、一緒に旅に出た騎士の名前だ。
彼は毎日1回は彼女の耳元に唇を近づけ
『王太子の元ではなく、私の元へ来なさい』
と、睦言のように囁いていた。
正直、理解しがたい言動だった。なにしろ、あの時点で、すでにクリスティーヌには婚約者がいた。婚約者のいる女性を誘惑すること自体、イーディスにとって信じられないことだったが、まさか騎士の方にも婚約者がいたとは寝耳に水である。貴族内においてのみ、不倫・浮気は認められるのだろうか。
もちろん、王は子孫を残すため、側室を抱えると聞いたことがある。
だが、婚約者がいる者同士で付き合おうとするのは、絶対に不倫だ。
バジェット伯爵令嬢は、その事実を知っていたのだろうか。知っていてなお、クリスティーヌの傘下に入っていたのだろうか。それとも、婚約者の心を奪った女に反旗を翻そうと準備をしていたのか。
それは、今となっては分からない。
彼女はすでに魔族に憑かれてしまっている。その秘めた思いを聴くことは、現状――不可能だ。
「お分かりかしら? 私に逆らうとどうなるのか……さあ、どこの誰か知らないけど、そこをお退きなさい」
伯爵令嬢の皮を被った魔族は冷たく言い放った。
伯爵令嬢本来の感情はどうであれ、エンバス家とのつながりを語られると断ることはできない。彼女の婚約者が夢中になっている相手であり、この国を背負う王妃なのだ。王妃に逆らうということは、国を敵に回したのと同義である。
この国で生きていくなら、逆らうことなどできるはずがない。
「……」
ところが、乱入令嬢は動かない。是とも否とも口にしない。ただ、まったく動こうとしない姿は「駄目なものは駄目」と、令嬢たちに訴えているようだった。
「なんですか、その目は!」
「……」
乱入令嬢は何も答えない。ただ、目で訴えかける。
こちらが正論だ。お前が間違っている。そう断言している視線だった。
「家柄で人を判断する。なんて、みにくい」
乱入令嬢は呟きながら、さりげなく扇子を広げた。
緑色に輝く宝石を散りばめた扇子だった。柄の所には、不可思議な紋章が刻まれている。
「あなた、なにを言っているの! 家柄は――いや、待って」
その紋を一目見た瞬間、さっと令嬢たちは青ざめた。
「そ、それは……王家の紋章」
「まさか、噂に聞いた前王の落とし子?」
「どうする? さすがに王族とやりあうには、こっちの家柄が……」
令嬢たちは顔を見合わせた。
しばらく互いの意思を確認するかのように、視線を合わす。少し慌てているのか、黒い靄が令嬢たちの肩あたりで頻繁に揺らぎ始めていた。
そして――
「……申し訳ありませんでした」
バジェット伯爵令嬢は、イーディスから手を離した。
その顔は悔しそうに歪んでいる。
あとには、イーディスと乱入令嬢だけが残された。
「あの……助けてくれて、ありがとうございます」
イーディスは頭を下げた。
貴族なのに、こうして自分を庇ってくれた人は珍しい。前国王、ウォルターに引き続き、3人目である。
イーディスは改めて乱入令嬢を見た。彼女の表情は変わらない。ただ、小さな声で
「……これは、謝罪だから」
とだけ囁いた。
イーディスは困惑した。謝罪とは、どういうことだろうか。この令嬢とは初めて会ったはずだ。謝罪もなにもない。
「……怖がらせた、謝罪」
「いや、最近、そこまで怖かったことは……とくにないですけど……ごめんなさい、お会いしたことありましたっけ?」
魔王討伐の旅のときは、怖いことの連続だったが、この令嬢と会ったことはない。
それ以前は王族と知り合う機会など皆無であり、以後となると怖かった出来事は限られてくる。
初めてウォルターと会ったとき、ジンジャーを人さらいや四天王から守ったとき、リリーの説教、天井裏の密偵。そのどれにも、乱入令嬢が関わっているとは、とても思えなかった。
「とりあえず、名前を教えてもらえませんか?
私はイーディス・ワーグナーです」
「……イーディス・ピルスナーでは?」
「……すみません、間違えました」
イーディスは耳に熱が集まっていくのを感じた。恥ずかしさのあまり、背中の壁と同化して消えてしまいたい。
「ここにいたら、きっと同じ目にあう。移動する」
乱入令嬢はそう答えると、こちらに手を差し出してきた。
この人なら安全かもしれない。
しかし、イーディスが令嬢の手に触れる前に、大きな手が腕をつかんだ。
「おい、イーディス。そこで何をしてるんだ!?」
令嬢の肩越しに、ウォルターが立っていた。少し急いで来たのか、若干息が荒い気がする。
そばにクリスティーヌの姿はなく、黒い靄も感じられない。
「……よかった、無事だったんですね」
少し胸が軽くなった気がした。
「ウォルターさん。今、この方が――」
「……私はこれで失礼」
紹介する前に、令嬢は小さく礼をすると、あっさり去って行ってしまった。
「あ、待ってください!」
慌てて追いかけようとするが、彼女の動きの速さときたら、まるで瞬間的に移動したかのようだった。さっと楽しく談笑している貴婦人の間に割り込み、そのまま奥の真剣に討論をしている集団の向こうへ入り込む。気がつけば、乱入令嬢は魔術のように消えてしまっていたた。
「悪い、1人にさせた。……さっきのやつに何かされたのか?」
「いえ、むしろ助けてくれたんです」
先ほどの出来事を話すと、ウォルターは腕を組みながら唸った。
「前王の落とし子か……」
「知っているんですか?」
「噂だけだ。今の国王が生まれる前、ひそかに育てていたっていわれる奴だよ。オレも詳しい事情は知らねぇが……確か、名前は……フラン・トニックだったか?」
「落とし子……ですか」
イーディスは、乱入令嬢が去って行った方向を見つめる。
ウォルターの情報が正しければ、つまり今の国王の異母姉ということだ。容姿はもちろんだが、性格もあまり似ていないように思える。
はたして、彼女は何に対して謝罪をしたかったのか。
次に会ったときに、絶対に聞いてみよう。
イーディスは心に誓った。
「皆の者、よく来てくれた」
そのとき、国王の声が夜会会場に響き渡った。
「余の呼びかけに対し、ここまで迅速にすべての貴族が集まったことを誇りに思う」
会場の上座に目を向けると、国王となったレオポルト王太子が手を広げていた。だが、いつも尊大だった表情は、どこか退屈そうに歪んでいる。話しぶりもまるで棒読みで、誰かに言わされているように思えた。
「さて……今日は皆に伝えたいことがある。
……イーディス・ピルスナー、こちらに来い」




