バルコニーにて
ウォルター視点です
バルコニーに出ると、冷たい風がウォルターの頬に刺さった。
ウォルターはポケットに手を入れる。吐く息も白く、雪がちらついても不思議ではない。バルコニーは会場の賑やかな喧噪からは遠い。誰かが話を聞こうと近づいてくれば、非常によく分かる。
「……そうね、ここでよいでしょう」
バルコニーの中心辺りまで来ると、クリスティーヌはようやく立ちどまった。
「……それで、話とはなんですか?」
バルコニーの中心辺りまで来ると、ウォルターは立ちどまった。
早めに切り上げて、イーディスの元に戻りたかった。エドワードを傍に残してきたとはいえ、夜会に出た経験も怪しい小僧だ。エドワードでは対処できない事態が生じ、イーディスが1人になってしまう可能性が高い。
「実は、聖女のことで話があるの」
「イーディスのことですか?」
ウォルターは片眉を上げた。
「国境のことでは?」
「あれは、聖女を近づけさせないための策よ。ああでも言わないと、あの子はついてくるでしょ?」
困ったわー、と言いながら、クリスティーヌは額に指を置いた。
困ったと口にしているが、表情からは余裕の色が感じられる。彼女は薄着にも関わらず、特に寒さを感じていないらしい。細くて白い腕を剥き出しにしているにもかかわらず、肌をさする素振りすら見せなかった。
「今回、エドから聞いたのよ。聖女の力が覚醒したって。今日の夜会で、その力を披露してもらうとか……ねぇ、正直なところ、彼女の力はなに?」
「そうですね……」
ウォルターはクリスティーヌを見下しながら、しばし考える。
ここから先、思わぬ油断が命取りになる危険があった。なにしろ、彼女が魔族に憑かれている可能性がある。だから、できる限り、イーディスの能力に関する情報の漏洩を避けたい。
「簡単に言えば、魔族を払う力ですね」
現時点で、絶対に知られてはならない情報――それは、イーディスが魔族の判別ができることだ。その情報だけは、絶対に漏らさないよう――発言の1つ1つに注意を払う。
「魔族を浄化するっていうんでしょうかね。剣を一振りすりゃ、あっという間に魔族を殺せる力ですよ」
「それだけですの?」
「まぁ、そんな感じですね」
「そう……ならよいのですが」
クリスティーヌの目の奥に、安堵の色が見えた。
やはり、この女は魔族に憑かれているのか。ウォルターは警戒心を高めた。
「いえ、エドにも聞いたのですが、あまり詳しく答えてくれませんでしたの。それに……なんだか、最近……エドの様子がおかしくて」
「エドワード・バドワイザーがですか? オレにはそう見えなかったんですけど?」
「いいえ、妙なのです。
なんだか、私を避けているみたい。私が夜会に誘っても年齢を理由に参加しないし、お茶会を開いても来ないのよ。他の人は、みんな参加してくれているのに……」
「さあ、仕事が忙しいんじゃないですかねぇ?」
ウォルターはクリスティーヌの後ろ――声が聞こえない程度の距離に控える取り巻きを一瞥した。
クリスティーヌとは異なり、取り巻きはバルコニーが寒いのか微かに震えている。だが、彼らの眼は凍っていない。むしろ、嫉妬の炎が燃えていた。まるで、「クリスティーヌと二人きりなんて、身のほど知らずが!」とでも言いたそうな表情である。
「そのようなことは分かっているわ。私だって忙しいし……でも、それでも、合間を縫って開催しているの。せっかく平和になったのだから、少しくらい陽気な気分になる催しをして良いと思わなくって?」
「……平和、ねぇ。
それにしちゃ、魔族が増えすぎではないですか?」
「あら、そうかしら? ここ最近の目撃情報は聖女から寄せられたものだけなのですが」
「……」
ウォルターは内心、舌打ちをした。
どうやら、情報は一部遮断されているらしい。もっとも大事な情報が、クリスティーヌまで上がっていない。おそらく、あの取り巻きのなかにも魔族が潜んでいて、情報操作をしているにちがいない。ただ、それを今、この場所で告発するのは危険が伴う。なにより、憶測ばかりで証拠がなかった。下手したら、こちらが処罰されてしまう。
「話はそれだけですか? オレは戻りますよ」
「ちょっと待ってくださらない?」
さっさとこの情報をイーディスと共有しよう。
ウォルターは立ち去りかけたが、クリスティーヌに回り込まれてしまった。
「これは、私からの忠告なのですが……聖女には気をつけた方がよろしくってよ」
「イーディスに気を付ける?」
「ええ、彼女は聖女。聖女といえば、人を惑わす存在として知られていますわ」
クリスティーヌはどこからともなく扇をとり出すと、優雅に広げた。
「もちろん、正当な聖女もいましたわ。しかし、その半数は国や民を騙し、滅亡へと追い込んだ張本人です。今代の聖女が同じ轍を踏まないと断言できませんわ」
「……つまり、オレがイーディスに騙されていると?」
「ええ。あまり言いたくありませんが……私は、貴方を心配しているのです」
バカバカしい。
ウォルターは心の中でクリスティーヌを侮蔑した。
今から数年前のことだった。
クリスティーヌと初めて会ったとき、ウォルターは今まで出会った貴族の中で一番まともだと感じた。
なにしろ、彼女は誰もが忌避する外見を「個性」として受け入れてくれたのだ。そして、まるで友だちのように接してくれた。
無論、敵兵すべてを殺し尽すのは、さすがにやり過ぎだと思ったが、『敵へ情報を渡さないため』『今後、無断で攻め込まないようにするための見せしめ』だと主張されれば、引きさがるしかなかった。
文武両道で誰もを平等に愛する女性――それが、クリスティーヌ・エンバス。
あの方が将来の王妃になるなら、この国は安泰だ。
あのときは、本気でそう思っていた。
――クリスティーヌと侍女との会話を聞くまでは。
『はぁ……なんで、あんな魔族紛いと仲良くしなければならないなんて……もう最悪』
たまたま客間の傍を通りかかったとき、2人の会話が漏れて聞こえてきたのだ。
『でしたら、必要最低限の接触にすればよろしいのでは?』
『ここで仲良くして、恩を売っておかないと、レオポルトから婚約破棄されたときに困るもの。あの馬鹿王子は私たちエンバス一族を皆殺しにしてくるわ。それを避けるためにも、魔族紛いの助けが必要なの。彼がいないと、楽に国境を越えられないかもしれないでしょ?』
『いやいや、クリスティーヌお嬢様? そもそも、婚約破棄などされませんから』
この瞬間、ウォルターが抱いていた幻想は壊れた。
国を背負って立つ以上、性格に多少の裏表があっても構わない。
だが、根っこのところで差別意識があるような奴を崇めたくなかった。
「貴方と親しくしているのは、きっと利用するためだと思いますの。あの聖女……貴方を可能な限り利用したら、捨てるつもりだと思います。騙されているのです、あの聖女に」
「……ご忠告、ありがとうございます。詳しいことは自分の目で判断しますんで、オレはこれで失礼」
返事を聞かず、そのままクリスティーヌに背を向けた。
イーディスはクリスティーヌとは違う。
聖女という特記事項をのぞけば、特に変わり映えがない女だ。
最初は、他の人たちと同じようにウォルターのことを怖がっていた。いまでも、荒れたところをみせれば怯える姿を見せる。しかし、そうでなければ、いまでは明るく挨拶をしてくるし、ごくごく普通に会話をすることができた。
おそらく、彼女は自分の外見をそこまで気にしていないのだろう。外出の際にベールを被ったとき、イーディスは本気で「どうして顔を隠すのだろうか」と疑問に思っているようだった。
「あいつ、変な女だよな」
おどおどしていると思えば、敵に立ち向かうだけの気概がある。たたき上げの騎士たちに交じり、泥まみれになりながらも修行に取り組む姿を見る限り、根は真面目なのだろう。
たとえ、自分の知るイーディスの姿が偽物だとしても、クリスティーヌより彼女を信じたい。ウォルターはそう思ってしまうくらい、イーディスに好感を持っていた。
「ったく、やっぱりいないか」
先ほどまでいた場所に戻ってみるが、イーディスの姿はどこにも見当たらない。
少し離れた場所にエドワードの姿を見つけたが、大人の貴族に埋もれ、身動きが取れない状況だった。
「どこにいったんだ、あの小娘」
ウォルターは懸命に探した。
そこまで時間は経っていない。そこまで遠くへは行っていないはずだ。
案の定、イーディスは、どこかの令嬢に絡まれていた。
壁に押し付けられ、小さくなっている。
「ようやく見つけたと思ったら、トラブル発生かよ」
イーディスは、いつも面倒ごとを背負い込む娘である。
ところが、不思議なことに、彼女が抱え込んだ面倒ごとに首を突っ込むのは嫌な気分がしない。むしろ、助けたいとさえ思い始めている。この気持ちは、なんというのだろうか。
「……ばかばかしい」
一瞬、とある言葉が脳裏にちらついた。
けれど、それこそありえない言葉である。
「おい、イーディス。そこで何してるんだ!?」
ウォルターは首を横に振ると、イーディスたちに駆け寄るのだった。




