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23話

最後の部分、改稿しました。(12月9日)



 アーネスト孤児院。

 ちっぽけな孤児院は、レンガ造りの同じように寂れた小さな神殿に隣接されていた。


 イーディスは物心ついたときから、この場所で生きてきた。無論、いつか出ていかなければならないとは理解していたが、こんなに早く出る羽目になるとは思いもしなかったし、このような形で戻って来るとも想像したことがなかった。


「……孤児院」


 焼け落ちた、と伝え聞いていた。だけど、実際に目の前にするまで、どこか信じることができなかった。

 だから、イーディスは馬車から降りて、ようやく事実が胸に落ちた。

 

「本当に、焼け落ちてるんだ」


 黒ずんだ木の骨組みだけが、雑草だらけの草地に佇んでいる。

 併設の神殿は煉瓦造りのおかげで、孤児院ほど損傷は激しくない。だが、それでも壁は焼け剥がれ、足元まで煉瓦の残骸が転がっていた。

 人の手が入らなければ、数年で街は自然に帰ると聞いたことがある。どうやら、それは本当だったらしい。焼け落ちて半年だというのに、畑の野菜は野生化していた。貧しいながらに修道女たちが懸命に整えていた前庭も可愛らしい花を押しのけ、雑草だけが元気よく生い茂っている。もう、じょうろで一気に水を撒く必要はなさそうだ。

 イーディスはふらり、ふらりと焼け跡へ足を進めた。


「……懐かしいな」


 骨組み以外、ほとんど見る影もなく焼け落ちてしまっているが、それでも一部は原形をとどめていた。

 例えばそれは玄関の石段、水飲み場、暖炉――。生き残り、半年間忘れ去られた存在を一つ一つ、イーディスは確認するかのように撫でて回った。


『お姉ちゃん!』


 撫でるたびに、思い出が走馬灯のように脳裏を横切る。

 石段を使ったじゃんけん遊びをしたこと、アキレスのすり傷を洗った水飲み場、2人で一緒に暖炉の前でうとうとしたことが、次から次へと蘇ってくる。


「……あ」


 それなのに、現実は非情だ。

 孤児院の裏手にあったはずの墓地が、すぐに目に入ってしまう。他の墓石は黒ずんだ痕があるというのに、真新しい墓石が1つ立っている。気がつくと、イーディスは墓石に引き寄せられるように歩き出していた。


「これは……」


 そこに刻まれていたのは、焼死した孤児の名前だった。

 全員、ここに埋葬されたらしい。1つ1つ、冷たい名前を指で辿っていく。


「マリア・ダグネス……ティナ・ビストール……アスティス・アウトレット……」


 どの名前も知っている。

 比較的仲が良くて遊んだ子、特に関わりがなかった子、意見がどうしても合わなくて衝突していた子――1つ1つなぞるたびに思い出が浮かび、胸を埋めていく。


「リンクス・アウトレット……ロビン・アドラー……リーフ・グリーン……」


 なぞる指が震え始める。

 名前がない。名前がない。名前がない。どこまで辿っても、一番見たくない(知りたい)名前が刻まれていない。読み進めるにつれて、心臓の鼓動が速く脈を打ち始める。

 もしかしたら、刻まれていないかもしれない。もしかしたら、生きているかもしれない。もしかしたら、こうしている間に後ろから呼ばれるかもしれない。あの耳の奥から離れてくれない優しい声で、『お姉ちゃん、おかえりなさい』と。

 そして、一番最後――


「……アキレス・ワーグナー」


 目当ての名前は、一番最後に刻まれてしまっていた。

 幾度読み直しても、その文字は変わらない。ひどく義務的な文字は何も語ることなく、ただ事実だけを刻んでいた。


「……そっか、やっぱりここにいたんだ」


 不思議なことに、思い出は何も浮かばなかった。

 事実を前にしたら、もっと感情が爆発すると思っていた。それなのに、イーディスの心は冬の湖面のように静かだった。他の子の記憶は浮かんでくるのに、胸が詰まるような思いがするのに、どうして1番大切な人のときは、それがないのだろうか。


「……ただいま、アキレス。お姉ちゃん、やっと帰って来たよ」


 やっとの思いで声だけ絞り出す。

 この声が、この下に眠る彼に届くように。

 いつの間にか頬を伝っていた涙が、冷たい墓石を濡らしていた。


「なるべくすぐにそっちへ行くから、待っててね」


 アキレスは今、この瞬間にもこの寂しい土の下で待っている。

 彼は人当りが良く、イーディスより周囲から慕われてはいたが、特別仲の良い友だちはいなかった。頼りになる人などおらず、一人ぼっちでうずくまっている姿が見えるようだ。


「私……今すぐにでも」


 アキレスに会いたい。 

 そう口にする前に、誰かが肩をつかんだ。弾かれたように顔を上げると、そこにはウォルターが立っていた。そこでようやく、彼と一緒に来たことを思い出した。


「その名前、お前の弟だろ」


 ウォルターが尋ねてきた。

 相変わらず、顔を隠しているせいで表情が読めない。だが、肩をつかむ力が少し強いように感じた。


「いいか、死んだ人間は悲しまねぇ。だから、生きるしかねぇんだとよ」

「……」

「気持ちを切り替えろ。いま、ここでオレたちがすることは情報収集だ。悔やむことじゃねぇ」


 力強く言われた言葉で、イーディスは少しずつ現実に意識が戻って来た。


「……そうですね」


 今自分のするべきこと、それはアキレスの死を悔やみ、逝きたいと思うことではない。

 夜会で隠れた魔族をあぶり出すために、必要になってくるであろう情報収集だ。イーディスは墓石に背を向けると、ウォルターと向き合った。


「いい目になったじゃねぇか、イーディス」


 若干、声色が明るくなる。

 イーディスは、ベールの向こうで彼が笑ったような気がした。


「この孤児院と王の崩御がどうも魔王・魔族と絡んでることは確かだ。

 どうだ? ここで暮らしてたお前の目から見て、何か奇妙なところはないか?」

「どうだ、と言われても……」


 イーディスは、改めて周囲に視線を巡らせた。

 焼け落ちた点以外、特別変わったところは見当たらない。先ほどまでとは違い、今度は自分の記憶と重なり合わせるようにしながら、再び歩き始めた。ふとした拍子で思い出に浸りそうになる自分を堪え、できるかぎり客観的に確認していく。


「特に変わったところは……あれ?」


 一点だけ、首を傾げたところがあった。

 イーディスは、焼け落ちた一角で足を止める。そこは特に焼け方が激しく、ほとんど柱は原形をとどめていなかった。


「火元はここか。なあ、イーディス。ここには、なにがあったんだ?」

「ここは……書庫です」


 本の形すら見当たらないほど変わり果ててしまったが、ここには孤児院に寄付された本が積まれていた。

 だが、ほとんど誰も訪れない場所としても知られている。なにせ、イーディス含め、孤児たちは、せいぜい自分の名前を書いたり読んだりする程度がやっとだった。書庫を訪れるのは、独学で文字を覚えた勉強熱心な子くらいだった。

 その子たちも神官たちから「火事になるといけないから、ランプを持ち込んではいけません」と口が酸っぱくなるほど言われていた。

 だから、ここが火元になるなんてありえない。


「なるほどな……だったら、どうしてここから出火したんだ?」


 イーディスがそのことを伝えると、ウォルターは腕を組んで考え込んでしまった。


「なあ、書庫を普段訪れていた奴らの名前は、あの墓石にあったか?」

「あ、はい。全員……ありました。でも……」


 ここで、ふとコゼットの顔が浮かんだ。

 イーディスより先に孤児院を出た子だったが、彼女も書庫を頻繁に利用していた。パンをもって訪れたときも、時間があると書庫を利用させてもらっていたほどだ。

 そして、孤児院が炎上した日――本好きのコゼットは、孤児院を訪れている。


 これは、はたして偶然なのだろうか。


「ウォルターさん、ちょっと寄りたい場所があるんです。コゼットに会いに行きたいんです」


 いずれにしろ、第一発見者である彼女から直接聞きたいことは山ほどある。

 孤児院はどのように燃えていたのか。

 孤児院から去って王城に向かった謎の集団とは、具体的にどのような人間だったのか。

 そして、できれば――アキレスの最期を知りたい。


 それは、公私混同かもしれない。

 だけど、どうしても知りたかった。現状、王都に来ることは容易にできないのだから。


「ああいいぜ。第一発見者だっけか? オレもそいつから直接話を聞きたかったところだ」


 意見が一致した。

 孤児院を後にして、次に向かうのはコゼットの働くパン屋だ。

 本当ならばこの場で墓石に加護をかけたいところだが、夜会まであまり日がない。夜会(すべて)が終わってからここに来たとき、祝福の加護の付与しよう。


 そのようなことを考えているときだった。




「そこにいるのは……イーディスちゃん?」






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