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22話

 

「お前、命を狙われたって本当か!?」


 次の日、ウォルターの叫び声が館を震わした。


 イーディスが一人で朝食をとっていると、ウォルターが食堂の扉を蹴り破る勢いで入って来たのである。到着したばかりなのか、まだ旅装を解いていない。玄関から走ってここまで来たのか、肩を激しく上下させていた。


「ウォルターさん、おはようございます」

「おはよう――じゃねぇっての! 聞いたぞ、天井裏に密偵が潜んでいたって」

「でも、殺されそうになっただけですし……」

「殺されそうになっただけで一大事だ! だいたい、お前はな――ッ、ったく!」


 ウォルターは何か言おうと口を開いたが、面倒になったのだろう。呆れたように右手を顔に置くと、そのままイーディスの隣に腰を下ろした。


「話しの大筋はリリーから聞いたが、一応、お前からも聞いておきたい」


 だから、洗いざらい話せ。

 鷹のように鋭い目がイーディスを射抜いた。食事が終わるまで、待ってくれる気はないらしい。イーディスは食べかけていたパンを皿に戻し、昨日の出来事をすべて話す。


「――それで、窓から逃げていったんです。ハンナが後を追いかけていきましたが、見失ってしまったそうで……」

「……申し訳ありません」


 ハンナが食後の茶を2人分入れると、哀しそうに頭を下げた。

 密偵を取り逃がした後のハンナときたら、こちらが申し訳なるくらい寂しそうにしていた。普段から明るい分、暗い彼女を見ていると心が痛んだ。


「気にするな。この屋敷に忍び込んだ時点で、そこらの密偵じゃねぇ。

 しかし、ここでエンバス侯爵令嬢が絡んでくるとはな」


 ウォルターは茶に手を伸ばした。イーディスもつられてカップに手を伸ばす。カップはほんのり温かく、白い湯気が立ち上っていた。


「密偵の主が令嬢の取り巻きって可能性もなくはねぇが、あの令嬢自身が魔族に憑かれている可能性だってありえる。なにせ、エンバス侯爵家の密偵団っていえば、貴族世界では有名だからな」

「有名なんですか?」

「知らない奴はいねぇよ。王家直属の密偵をのぞけば、あれが密偵の頂点だ」


 そこまで言って、カップに口をつけた。


「……しかしな、このタイミングで聖女を殺すか? せいぜい監視程度だろ、普通」


 イーディスは頷いた。

 夜会に呼ばれた招待客が、参加直前に殺された――なんて、社交界に疎いイーディスでも「なにかある」と疑ってしまう。たとえ、ウォルターや屋敷の使用人の内輪もめで死んだとしても、怪しすぎると懸念を抱く人がいるはずだ。殺すタイミングとしては、あまりにもお粗末すぎる。

 今回の襲撃には、他に理由があったのではないだろうか。


「ま、魔族が焦ってるってことじゃねぇか? 

 夜会に聖女が来る。せっかくうまく潜り込めたってのに、それが台無しにされるんだ。奴らにとっては、たまったもんじゃねぇぜ」


 ウォルターはまだ熱い茶を一気に飲み干すと、立ち上がった。

 着替えてくるのだろうか、と思ったが、そうではないらしい。


「んじゃ、早く食べ終われよ。出かけるぜ」

「出かける? どこに? もう夜会に行くんですか?」

「いいか、オレたちにとって夜会は敵陣だ。しかも、どこに敵が潜んでいるかわかんねぇ。1つ1つ、しらみつぶしに探すしかねぇだろうな。だが、敵にはオレたちの姿が見えている。現状、不利な状況だ」


 ウォルターはまだ手を付けていないパンをとると、イーディスの胸元に突きつけてきた。


「だから、情報を収集する。

 戦ってのは、戦う前から始まってるんだぜ。戦に至るまでに何をするか。何を準備するかで、勝敗ってのは変わってくるんだよ」


 力量や兵力に差があったとしても、事前に情報を収集し策を練れば勝つことができるかもしれない。

 たとえば、魔王討伐の旅なんてその最たるものだ。魔王率いる魔族軍は王国軍に匹敵する数を誇る。いまもその数は増え続けているかもしれない。そんな軍を正面から相手していたのでは、身体がいくらあっても足りない。だから、聖女と数名の少数精鋭部隊が魔族領に乗り込み、敵首領である魔王を殺害する――という策を立てた。

 ある意味、平原で血で血を洗うような大規模な戦をする前に勝利した――という形である。

 もっとも、実際には魔王は死んでいなかったわけだが。


「ま、まずは腹ごしらえだ。腹が減ってはなんとやら、って言うからな。とっとと食い終われ」

「分かりました。すぐに食べ終わります」


 イーディスはパンを受け取ると、急いで口の中に詰め込んだ。

 自慢ではないが、早食いは得意である。孤児院時代、盗んだパンは早く食べなければ、力の強い奴に横取りされてしまう。今は早食いをする必要がないからやらないだけだが、いざとなれば食べることができる。しかし――


「……上品にお願いしますね」

「う、うぐ」


 背後に控えるリリーから、絶対零度の視線が飛んできた。ウォルターの目つきも怖いが、この侍女長の方が恐ろしい。睨まれると、背筋がぞわりと逆立ってしまう。


「すみません……」


 イーディスは少しだけ食べる速度を落とした。ウォルターはひどく驚いたようにこちらを見ていたが、一泊置いた後、おなかを抱えて笑い出した。


「っぷ、はははは! いや、悪い悪い。そんな顔で固まるもんだから、おかしくて。いや、悪かった」


 必死に笑いをこらえようとしているが、まだ笑いは止まらない。ウォルターはお腹を抱えながら退出した。イーディスは空っぽの皿に目を落とした。銀の皿には、イーディスの頬がいっぱいに膨らんだ顔が映し出されている。淑女としてふさわしくない顔であることには違いないが、それ以外は別段おかしい点はない。

 一体、何がそこまでツボに入ったのだろうか。

 イーディスには結局分からなかった。




 リリー監視のもと、なんとか食事をすべて終えると、急ぎ足で支度をする。

 口うるさい侍女長は「辺境伯婦人としてふさわしい服装を!」と言いながら髪を梳かしたり、黒い簡易的なドレスを押し付けてきた。フリルがつき、パニエで膨らませたスカートは、少しばかり気恥ずかしい。

 孤児院時代の知り合いとすれ違っても――特徴的な白髪頭であることを考慮しても、イーディスだと気づかれないはずだ。


「お待たせしました」


 イーディスは小走りで玄関へ急いだ。

 すでに、ウォルターは待っていた。旅装ではなく、普通の外出着だった。騎士団用のコートを羽織っている。表情は分からない。なぜなら不自然なことに、すっぽりベールのようなものを被り、頭を隠しているからだ。

 イーディスはまじまじと彼を見上げた。


「えっと、それは?」

「見りゃ分かるだろ。妙な詮索を避けるためだ」


 正直、このベールを被っている方が怪しさ満点である。


「別に大丈夫だと……」


 もちろん、彼は凶悪顔だ。だが、それだけだ。ただ、目つきが悪かったり、禍々しい角が生えていたり、口元から牙が見え隠れしていたりするだけである。そこまで考えてから、ああっと納得がいった。


「たしかに、そうかもしれませんね」


 彼のことをよく知っている町なら、特に問題は起きず、大丈夫かもしれない。 

 すくなくとも、オークバレーの住人は、ウォルターのことをよく知っている。だから、素顔で歩いても誰も気にしない。しかし、王都はどうだろう。ピルスナー辺境伯の容姿まで熟知している民はいない。第一、イーディスでさえ初対面で魔族と見間違えたほどだ。彼が素顔で王都を歩いたとき、周囲一帯にパニックが起こること必然である。


 そういえば、まだ角やら牙のことについて何も聞いていなかったことを思い出す。


「あの、その角ですけど……」

「オレの容姿はともかく、だ。時間がない、行くぞ」


 しかし、イーディスがそのことを尋ねる前に、ウォルターは玄関を出てしまった。

 イーディスも慌てて外に出ると、エントランスに馬車が横付けされていた。扉のところに辺境伯の家紋が入っている。


「どこに行くんですか?」


 馬車が動き始めてから、イーディスは尋ねた。



「決まってるだろ。

 まずは、アーネスト孤児院だ」





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