21話
更新が遅くなってしまい、すみません!
「――まずいっ!」
イーディスは、剣を振り払う。
間一髪、剣は鋭い何かを払い飛ばした。乾いた音と共に、床に細い針が転がる。だが、それに気を取られている隙はない。天井の板が外れ、人影が迫って来ていた。手にはナイフを構えていた。その視線は、まっすぐイーディスの首元に向けられている。
「このっ!」
詠唱を唱える暇はない。
剣でナイフを受け止めると、そのまま押し出すように突き返した。そのまま相手の体勢が崩れたところを組み倒そうとしたが、そのまえに後方へ跳ね跳んだ。
「……」
そして無言のまま、ゆるやかに着地する。全身黒い装束で身を包んでいた。顔まで布で隠されているせいで、男女の区別すらつかない。
「あんたは誰?」
「……」
相変わらず、黙ったまま何も答えない。ただただナイフを構えている。殺気は先ほどに比べると収まってはいたが、わずかに隙を見せた瞬間、すぐにでも殺しにかかってきそうな勢いを感じた。イーディスは剣に浮かび上がった地図に目を落とした。部屋の周辺には、他に誰もいない。ハンナがこちらに向かっているようだったが、彼女が到着するまで数分はかかる。
それまで、どうにかしなければならない。
「魔族……いや、違う。人間ね」
目を上げると、まっすぐ睨み付けた。
魔族特有の黒い靄は見えない。相手は人間だ。どこかの貴族か、はたまた魔族に操られた人間の手先か、いずれにしろ、自分を殺すつもりで潜んでいたことは間違いないだろう。
「どうして監視していたの?」
「……」
「誰かの命令? 王太子? 大臣? 神官? それとも、クリスティーヌ?」
最後の名を口にしたとき、本当にわずかに身体が動いた。
黒ずくめは床を蹴る。放たれた矢のように急速に迫ってくる。イーディスは剣を前に突き出した。
「イーディスの名のもとに! 風の素よ、我が足に宿りて、加速せよ!」
素早く詠唱を唱える。
足に加速を限定したからだろう。足元に高密度の風の塊が集まった。イーディスは思いっきり踏み込み、床を蹴り飛ばす。足に密集した突風は絨毯に穴を開かせた。轟音と共にイーディスを発射する。
「……ッ!」
黒ずくめはナイフで防ごうとしたが、土台無理な話だった。
両手持ちの長剣を小さなナイフごときで耐えられるわけがない。
しかも、それが限りなく加速していたなら威力が上乗せされ、女の筋力でも強引に押し通せる。イーディスの剣を受けた瞬間、ナイフは宙を舞った。黒ずくめは威力に押され、足元がよろめく。イーディスはそのまま被さるように押し倒した。馬乗りになり、首元に剣を突きつける。
「――あんた、何者? 殺されたくなければ、あらいざらい吐きなさい!」
「……」
まだ、何も答えない。
なにも話せないのではないか、と疑ってしまう。イーディスは、ひとまず顔の覆いを外した。そこに現れたのは中性的な顔だった。男らしいといえば男らしく、女らしいといわれれば女らしい。綺麗過ぎず、醜過ぎず、王都の群衆に紛れたら、もうどこにいるのか分からなくなってしまう。特徴のない顔だった。
「あんたは……」
イーディスがそこまで言いかけたとき、そいつの口元が動いた。口がすぼめられたと思った途端、何かを噴出する。イーディスは顔を背けて避ける。顔正面への直撃はしなかったが、至近距離なせいで避けきれない。頬に細い切り傷ができてしまった。イーディスは何が飛ばされたのか、目で追った。少し離れた場所の床に、銀色に光る鋭い何かが刺さっている。
「あれは……針?」
針だ。もとより、口内に針を仕込んでいたのだ。
そこに一瞬でも気を取られたことが間違いだった。馬乗りが多少緩んだすきを見て、黒ずくめは起き上がろうとしてくる。まるで、関節を外したかのような動きで腕を抜くと、そのままイーディスの胸ぐらをつかんできた。
「うわぁっと!」
イーディスは逆に押し倒されてしまった。完全に立場が逆転した。黒ずくめに全体重をのせられ、息が苦しい。袖に隠し持っていた予備のナイフを取り出し、首に突きつけてくる。ひんやりと冷たい感触だ。一歩判断を間違えれば、すぐさま切り落とされてしまう。
「……」
ところが、黒ずくめは次の一手を打ってこない。なにか躊躇するように止まっている。かといって、こちらを逃がすつもりはないらしく、四肢は依然としてがっちり拘束されたままだった。やがて、黒ずくめは何かを言おうと口を開いた。
「……逃げろ、早く」
かすれた声だった。まるで、何年も声を出していなかったかのような印象を受ける。
イーディスは困惑した。拘束されているのに、逃げることなどできるわけがない。黒ずくめは言葉を選んでいるのか、なにか考えながら、ゆっくりと口を開いた。
「これ以上、お嬢様に近寄ると――」
「――ッ奥様! ご無事ですか!!」
黒ずくめが何か言いかけた瞬間、扉が勢いよく放たれ、鋭い声が室内に飛来する。ハンナだ。彼女はイーディスが拘束されている姿が目に入った途端、手にした箒を投げ捨てた。代わりに袖口から細身の片手剣をとり出し、黒ずくめに濃厚な殺意を向ける。
「なにをしている! どこの者かしらないが、これ以上、ピルスナー辺境伯の屋敷で……いえ、奥様への狼藉は奥様付き侍女 ハンナ・チェンバースが許さない!」
「……2対1……か」
黒ずくめはハンナの殺気に怯む素振りは見せず、ただ、少しばかり考えるように呟くと、あっさりイーディスの身体から飛び退いた。あまりにも素っ気ない解放に、イーディスは呆気に取られてしまう。黒ずくめはまっすぐ窓に駆け寄った。
黒ずくめは窓に軽く突きを出しただけで窓が四散し、そのまま外へと身を躍らせる。
「逃がすか!」
「ちょっ、ここ3階!」
ハンナが後を追った。侍女のスカートが風に翻り、窓の向こうへと消えていく。イーディスも慌てて立ち上がろうとしたが、拘束を解かれたばかりで足に力が入らない。ふらつきながらも、窓の桟に手をかけたときには、すべて終わっていた。どこを見渡しても貴族街の大きな屋根ばかりが広がっている。そこに黒ずくめやハンナの姿は見当たらなかった。
「……まあ、風の魔術を使えば無事だろうけど」
イーディスは肩を落とした。
ハンナは武術の訓練を積んでいるし、黒ずくめも天井裏に潜むような強者だ。彼女たちにとって、この程度の高さはどうってことないのだ。
「それにしても、どういうことだろう」
イーディスは、黒ずくめが最後に言いかけた言葉に思いを馳せた。
黒ずくめの言う「お嬢様」とは十中八九、クリスティーヌのことだろう。だが、クリスティーヌがイーディスの命を狙う理由がまったく思いつかない。
イーディスからすれば、少し恋愛ごとに鈍感なことをのぞけば、容姿端麗、文武両道で完全無欠の彼女は嫉妬の対象だ。なんでもできてずるい、羨ましい。
それに対して、イーディスが彼女より勝っている点など1つもない。
何度か話したことはあったが、それらは「イーディスは、誰それに好意を持っているか?」といった類の内容で、ほぼすべて的外れな問答だった。彼女自身は恋愛に鈍感なのに、どうしてこのような問いかけばかりしてきたのか、今思い返しても謎である。
「あの問いかけをはぐらかしたくらいで、殺そうとするかな? どちらかといえば、あのクリスティーヌ至上主義者たちの暴走? それにしては、時期が遅い気もするけど……」
クリスティーヌ至上主義者たちは、いまだに「クリスティーヌこそ聖女であり、孤児の小娘など間違いに決まっている」と思い込んでいるのだろうか。
「私が聖女の力を一応覚醒したってことが伝わっている? それを取り巻きたちが妬んでいる? いやいや、それはありえない」
イーディスは呆れるように、長い息を吐いた。
いまも胸で揺れている首飾りを力づくで奪おうと考える奴もいるかもしれないが、そもそも、冷静に考えて、聖女を殺害しようなんて正気の沙汰ではない。あまり考えたくはないが、おそらく、魔王は生きているのだ。クリスティーヌの爆発魔術で倒せなかった以上、聖女であるイーディス自身が倒さなければ、魔王の脅威は消えない。
それなのに、聖女を殺してどうするつもりなのか。
魔王を二度と倒せないようにするためなのか。
それとも――たんに「完璧なクリスティーヌが、魔王を倒し損ねた」という汚点を認めたくないだけなのか。
「……ま、今はそれよりも……」
イーディスは部屋の様子に視線を戻した。
加速魔術でめくれあがった絨毯、ところどころに散らばる針や血痕、そして、あちらこちらに飛散した窓ガラスの破片――。到着した当日だというのに、部屋の中はめちゃくちゃだった。
「これ、私が片付けるのかな」
黒ずくめの忠告はありがたいが、どうせなら片付けも手伝って欲しかった。
イーディスはハンナが投げ捨てた箒を手にしながら、大きく息を吐くのだった。




