19話
「こちらでございます」
リリーが客間の扉を開ける。
神官のエドワードは、窓から一番離れたベッドに横たわっていた。退屈なのか、本を読んでいる。黒い靄はもうどこからも感じられない。あの魔族は、完全に払われたのだろう。
「こんな姿勢ですみません。まだ、足に力が入らないので」
エドワードはイーディスたちの姿に気づくと、静かに本を閉じた。
「それでは、私はこれで」
リリーはイーディスとウォルターが入室すると、外側から扉を閉めた。客間には3人のほか誰もいない。しん、と静まり返った空間には、異様なまでに時計の音が木霊した。
イーディスは神官が話し始めるのを待っていた。彼が最初になにを言うのか、気になったのだ。しかし、息苦しいまでの沈黙には勝てない。イーディスは耐え切れず、唇を動かした。
「神官様……」
「イーディス、別に感謝するつもりはありません」
神官はイーディスの言葉を遮ると、口を尖らせた。
本の表紙に目を落としたまま、こちらに目を向けようともしない。
「まさか、城で襲われるとは思っていませんでしたからね。油断しました。これは、僕の気のゆるみが招いたことです。貴方には関係ありません。ですが……貴方がいなければ、被害は増すばかりだったでしょう」
エドワードはゆっくりと顔を上げた。そして、イーディス――ではなく、その隣のウォルターに視線を向ける。
「貴方が聖女を適切に保護してくれて助かりました」
「おい、てめぇ。礼を言う相手が違うだろ」
「……」
エドワードは何も答えない。再び本に目を落としたまま、固まってしまった。
イーディスも何も言わなかった。彼らが自分を格下に見ているということは百も承知だ。彼は格下に助けられた、という事実自体を認めたくないのかもしれない。そもそも、エドワードは尊大かつ自己中心な塊である。彼がクリスティーヌ以外に「ありがとう」と礼をするところなど見たことがなかった。
「イーディス、貴方に話があります。少し――酷な話かもしれないので、話すつもりはなかったのですが……」
だから、これから語られる「孤児院の話」というのは、彼なりの礼なのだ。おそらく「本来、お前程度に語る話ではないが、今回の礼代わりに話してやろう」ということなのだろう。まったくもって、面倒くさい奴である。
「かまいません、話してください」
それに、イーディスも孤児院の話が気になった。
生まれた場所こそ違えぞ、人生の大半を過ごしてきた場所だ。そこに「酷なこと」だと言うほど隠された秘密があるとするなら、顔を背けることなどできるわけがない。
「わかりました。
……そもそもの発端は、僕が魔王復活について調査していたときのことでした」
どうやら、エドワードは魔王復活を疑っていたらしい。
聖女が魔王にとどめを刺さなかったこと、魔族の活性化が止まらないこと、そして、辺境伯領で目撃された四天王の復活の報告を受け、独自に調査を開始していたそうだ。もっとも、本格的な調査が始まる前に魔族に憑かれてしまったらしく、作成中の報告書はすべて処分、関連資料もほぼすべて破棄されてしまったらしい。
「ですが、調査についての記憶の中にすべて残っています。その断片に、イーディス……貴方の出身、アーネスト孤児院が登場するのです」
エドワードはまだ顔を上げようとしない。ただただ本の一点だけを見下している。
「アーネスト孤児院の焼失は、半年前――四ノ月の3日でした」
「四ノ月の3日?」
イーディスは口の中で呟いた。どこかで聞いたことのある日付である。だが、何の日か思い出せない。イーディスが悩んでいる間にも、エドワードは静かに語り続けた。
「ええ。そして、王は孤児院が焼失したとの知らせを受け、すぐに調査団を結成していました」
「調査団?」
「アーネスト孤児院は聖女の出身地――いわば聖地になる場所です。実際、今代の聖女が育った場所ということで、寄付金も増加しましたし、併設する神殿に参拝する観光客も出始めていました。生活に困窮するどころか、少し余裕が持てるくらい潤い始めていたのです。
だから、当初、王は他の孤児院の怨恨を疑ったのですよ」
王都には他にも孤児院が点在する。
どこもアーネスト孤児院と似たり寄ったりか、少し上程度だった。それなのに、アーネスト孤児院は聖女を輩出したため、急に豊かになってしまった。だいたい、イーディスたち自身はたまたまアーネスト孤児院に拾われたというだけで、他の孤児院に入る可能性もあったわけだ。
たんなる運で急上昇した底辺孤児院を見て、良い感情を抱くわけがない。
怨恨説は、十分ありえる。
「ですが、調査は頓挫しました。――翌日、王が崩御したからです」
王の崩御で調査は頓挫した。
調査団の大半が、王の死の究明に駆り出されたからだ。わずか数名残っていた調査員も数日以内に突然の発熱で死去している。政務を臨時で引き継いだ大臣たちは、孤児院内部で1番燃えていた場所が台所だったこともあり、「孤児院の火事は火の不始末が原因だ」と断定し、調査を打ち切った。
「……あやしすぎるだろ、それ」
ウォルターが呟いた。イーディスも頷いて同意する。たんなる偶然かもしれないが、調査団が発足から数日で全員いなくなるなど、呪いでも働いているのかと訝しんでしまう。
「ええ。
王都の孤児院が、怨恨程度で王を崩御させるとは思えません。
僕はなにか隠された秘密があるのではないか?と考えました。そして、焼け跡に赴き、聞き込み調査を続けた結果、コゼットという女性から有力な証言を聞いたのです」
「コゼット!」
イーディスは驚いた。
コゼットは元・孤児仲間だ。気配りが利く優しい子で、王都のパン屋に養女として引き取られていった。しかも、ときどき売れ残りのパンや商品にならない失敗作を持ってきてくれる。飢えかけの孤児院にとって大変ありがたい存在であり、「アーネスト孤児院の救世主」と呼ばれたこともあった。
正直、自分よりもずっと聖女している。
「コゼットは夜分遅くに、売れ残りのパンを寄付するため孤児院を訪れたそうです。
この時点では、一人熱を出した子がいただけで、他はいつも通りだったらしく、パンを配った後はそのまま帰宅したそうです。しかし、途中でショールを忘れたことに気づき、引き返すところで、奇妙な一団を目にしました。派手な化粧を施した道化と数名が、孤児院の方からやって来たそうなのです」
「道化?」
「道化の印象が強く、他の人物の人相は覚えていなかったらしいですが……それもなにかの策かもしれませんね」
一人でも印象の強い人がいて、目を奪われたとしよう。
残りの人物には目がいかず、彼らがなにか悪事を働いていても気づかない。王都の窃盗団がよくやる手段だ。道化役が周囲の注目をひいている間に盗みを働く。王都の子なら誰でも知っている手口で、イーディスもパンを盗むときにやろうとしたことがある。すぐに見破られて、逮捕されかけたが。
「コゼットは『こんな夜更けに怪しい』と睨んだらしく、早足で孤児院に戻ったそうなのですが、そのときには、すでに孤児院は火に包まれていたそうなのです」
「つまり、その道化一団の仕業ってことか?」
「可能性としてはありえます。しかも、コゼットの証言によると、道化たちは王城の方へ去って行ったそうなのです。実際、この日の城門の記録には『夜明けの流星』と名乗る一座が『ぜひ、王に我らの軽業をお見せしたい』と現れたと残っています。もちろん、追い返したそうですが」
「……それで、その一座の足取りは?」
「まったくありません。王都まで来たのに巡業記録はもちろん、目撃情報もないのですよ。王の崩御に伴い自重したとしても、宿の記録にすら該当する一座が見当たりませんでした」
アーネスト孤児院から現れ、王城を訪れた「夜明けの流星」は、夜が明ける前に消えてしまった。
「そこに――僕らがもともと持っていた情報を重ねます。イーディスはご存知ですね、四ノ月の3日は何が起きた日なのか」
「……いや、聞き覚えはあるのですが……」
「僕もその日、同じ光景を目撃したはずです」
エドワードと自分が共有している情報は、さほど多くない。孤児院で拉致されてから、魔王討伐の旅を終えて帰ってくるまでの1年間分だ。イーディスは四ノ月に何があったのか、考えを巡らせ始めた途端、すぐに顔から血の気が引いていくのが分かった。
「クリスティーヌ様が、魔王を倒した日?」
「ええそうです。クリスティーヌが魔王を滅した日です」
「おいおい待てよ、じゃああれか? 魔王を倒したってされる日とイーディスの孤児院が焼けた日が同じで、次の日に王が死んでると?」
ウォルターが指を1本1本立てながら確認する。イーディスはその動作を呆気に取られて見つめていた。同じ半年前だとぼんやり認識していたが、そこまで一致しているとは考えてもみなかった。偶然にしては出来過ぎている。エドワードも同じ感想らしく、ゆっくりと頷いた。
「おそらく、無関係ではないでしょう。
しかし――そこから先を調べようとしたとき、僕は魔族に襲われ、力及ばず、憑りつかれてしまったのです」
エドワードの声色が若干、沈んでいるように感じた。
「もともと、魔王の復活がありえるのか?と始めた調査でした。歴史上、聖女以外の者が魔王を倒したことはありませんでしたので、少し不安になったのです。
まさか……魔王を倒したとされる日と王の崩御が、ほぼ重なるとは思っていませんでした。
もしかしたら……ここから先は、僕の推測なのですが」
エドワードは躊躇うように顔を上げた。ここで初めて、神官の目とイーディスの目が合った。
「……クリスティーヌが破壊したのは、魔王の肉体だけなのではないか、と。
つまり、本体はどこかで生きていて、配下を使って手薄になった王城を乗っ取り、王を殺したのではないか、と思うのです。それから――」
彼の顔は今までにないほど自信がなく、頼りなさげに感じる。だが、ほぼ確信はしているのだろう。目はしっかり定まっている。まったく泳いでいない。
「孤児院の焼け跡から数名の遺体が消えていることも確認が取れています。ええ、遺体自身は全員分目撃されているのですが、盗掘あとがあるのです」
「遺体が消えた!?」
その言葉を聞いた瞬間、イーディスの身体に雷が奔った。そこから先は考える前に身体が動く。イーディスはエドワードに駆け寄ると、自分でも考えられないほどの強さで彼の肩をつかんでいた。
「アキレスは……アキレス・ワーグナーは!?」
「落ち着いてください、イーディス。その名前は、遺体紛失のリストにありませんでした」
「……そう、ですか」
イーディスはその場に崩れ落ちた。
アキレスは孤児院の墓で、誰にも邪魔されることなく眠っている。その遺体を盗まれたり、汚されたりしてない。それが知れただけで安心した。
「よかった……」
「ただ、もしかすると……今後、貴方を躊躇させる策かなにかで、孤児院から消えた遺体を使用する可能性があります」
「……」
そこは別に気にしていない。
無論、アキレスがそこに交じっていたら話は変わってきていたかもしれない。だが、アキレスを除いた孤児院の友だちが屍化して襲ってきたとしても、哀しいと思うかもしれないが、要するに屍だ。もうすでに死んでいる。こちらがいくら嘆き悲しんだところで、屍は悲しまないのだ。むしろ、倒した方が彼らのためだろう。
だから、そこまで罪悪感はない。むしろ、下策だ。気にすることはないだろう。
「魔族の進行は思ったより進んでいます。……僕以外にも、憑かれている人物がいるかもしれません。ですが、それを見破ることができるのは、イーディス……聖女である貴方だけです」
エドワードはイーディスの手をつかんだ。
握りしめられた手は微かに震えていた。エドワードは何か言おうと口を開けたり閉めたりさせていたが、意を決したのか、絞り出すように言葉を発した。
「……お願いします、聖女 イーディス。
王城に来て、魔族のあぶり出しに協力してください!!」
「……神官様、私は貴方に協力したくありません」
正直、この神官は嫌いだった。
常に上から目線で、いまもイーディスをどこか見下している。だから、感謝の言葉を口にしないし、依頼すら躊躇っていた。都合の良い時だけ利用して、また礼もされずに、お払い箱にされるかもしれない。
だが――
「そこをなんとか、お願いします」
尊大なエドワードが自分に頭を下げている。
少なくとも、彼はイーディスの実力を見込んで依頼してきた。1年前、孤児院から拉致されたとき違う。多少は聖女として認められたのだ。
それだけで、十分だった。
「……孤児院の焼け跡を訪れてもいいのでしたら……それから、弟の、アキレスの遺体を盗人の手から守ってくださるのでしたら、協力します」
「もちろんです、約束は守ります」
「本当にお願いしますよ」
「ええ、神聖なる精霊に誓って」
ここに契約はなった。
エドワードは嬉しそうに破顔させている。王城は大っ嫌いだ。だが、今度は孤児院の焼け跡を訪れることができる。アキレスの墓参りもできる。ついでに、墓の周辺に「祝福の加護」をかけてこよう。そうすれば、今後、彼の墓が盗掘にあうことはなくなる。
そのためだけにでも、王都に行く価値はあった。
「それでは、近日中に夜会の招待状を送りますね」
「ありがとうございます。……夜会?」
イーディスは聞きなれない言葉を耳にし、ついつい首を傾けた。
「ええ、夜会です。1人1人確かめるよりも、夜会を開いて貴族を一堂に集めた方が発見しやすいでしょう」
「それはそうかもしれませんが……私、夜会のマナーなんて知りませんよ? それに、聖女とはいえ孤児ですし、貴族の方も不審に思うのでは?」
「貴方は聖女でありますが、そこの辺境伯の正妻でもありますよね? 彼と一緒に参加すれば問題ありません。早速手配しますね」
エドワードは、嬉しそうに爆弾を投下した。
これには、ウォルターも驚いたのだろう。床に座り込んだままのイーディスの前に割り込み、彼に詰め寄った。
「お、おい! オレも行くのかよ! オレにはオレの仕事ってもんが……!」
「すべては国を救うためです。なんとかしてください」
「冗談じゃねぇ! てめぇがやれよ! だいたい、オレはーー!!」
「王都の学舎にも通っていたんですよね、なら問題ないですよ。なんとかならなくても、なんとかしてください」
エドワードは断言する。
そこには先ほどまでの戸惑いも震えは、みじんも存在しなかった。
「この国を救うために、二人とも頑張ってくださいね」
やはり、この神官、自己中の塊である。
イーディスは遠のく意識のなかで、そんなことを感じたのであった。
これで第2章終了です。
次回から第3章が始まります。
たくさんの方が読んでくださり、とても嬉しいです!これからも楽しく執筆していきますので、よろしくお願いします!
 




