16話
再び着替えてから訓練場を訪れると、決闘場に様変わりしていた。
普段は騎士たちがいたるところに散らばり、それぞれ鍛錬に明け暮れているが、このときばかりは訓練を休憩して、端へ下がっている。だからだろうか。いつもは手狭に感じる訓練場が、どこか寂しいくらい広く感じた。
「準備は整いましたか、イーディス」
訓練場の中央で、神官は杖で手を軽く叩いていた。
余裕たっぷりの表情は、まるでこちらを完全に舐めているかのように見える。否、まるで、ではなく、本当に舐めているのだ。
本当、最悪だ。
イーディスは拳を強く握りしめた。しかし――
「頑張れ、イーディス!!」
「そんな神官、叩き潰してやれ!!」
「負けるんじゃねーぞ!!」
騎士たちの中から、予想外の声援が飛んできた。
顔を向ければ、普段から一緒に剣や魔術の修業をしている騎士たちだった。観客の中には、ハンナが心配そうに指を組む姿やリリーの姿も見える。ウォルターは険しい表情のまま腕を組んでいた。
彼らを見ると、少しだけ怒りが収まってきた。自分が勝つと信じている人たちがいる。そう思うだけで、波が引くように頭が冷静になってきた。
「なにを笑っているのですか?」
いつのまにか、自然と微笑んでいたらしい。口は真一文字に結ばれていたはずなのに、口角が上がっていた。
「私が勝つからです。神官様こそ、負ける準備は出来ましたか」
「なにを戯言を言っているのでしょう。降参するなら今のうちですよ」
「……そろそろ、よろしいですかな?」
執事がこほんと咳払いをした。
「これより、聖女 イーディス様と神官 エドワード様の決闘をはじめる!
勝負はトドメをさす寸前まで追い詰めるか、どちらかが負けを認めるまでとする」
両者とも異論はない。
執事は右手を高く掲げた。イーディスは腰を落とし、剣の柄に手を置いた。神官は杖を馴らすように揺らしている。
「勝負――開始!!」
執事が腕を振り下ろした合図とともに、戦いの火ぶたが切って落とされた。
それと同時に、イーディスは剣を抜きはなった。鉄の刃が太陽の光を反射して輝いているように見える。神官は様子見なのか動くどころか、杖を構えようともしない。しばらく、両者にらみ合いが続く。
「――口だけですか、イーディス?」
「まさか!」
イーディスは剣を構えたまま、神官を睨みつけた。彼への接近は危険がともなうからだ。
彼の得意分野は神聖術。
治療に特化した術は、正直戦闘向きとはいえなかった。だが、彼が戦えないわけではない。それに、傷を自己修復してしまうのは厄介だ。
倒すとするなら、相手が油断しているすきに連続攻撃を仕掛ける。それも、なるべく遠方からが好ましい。
なぜならーー
「こないなら、こっちから行きますよ!」
神官が地面を蹴り飛ばした。放たれた矢のような速度で急激に迫ってくる。
「まずいっ!」
詠唱を唱える余裕はない。神官は杖を振り上げている。イーディスは慌てて足に魔力を集めると、横に跳ね飛んだ。次の瞬間、先ほどまで自分が立っていた場所に、神官の杖が振り下ろされた。轟音と共に砂埃が周囲を埋め尽くす。イーディスは砂埃に手を向けた。
「イーディスの名のもとに、風の素よ、眼前の砂埃を吹き飛ばせ!」
集った風がイーディスの後方から砂埃めがけて吹きつける。突風を受け、砂埃は四散する。神官は砂埃の中心にいた。
「残念です。目を潰されている隙に二撃目を出そうと考えていたのですが」
イーディスが立っていた場所には、大きな穴ができた。そこを中心に地面がひび割れ、めくれている。まるで、巨大な爆発が起きたあとのように。だが、これは爆発魔術なんかではない。純粋な腕力がなしたことだ。
神官は、基本的に神聖術しか使うことができない。
だから、戦うときは腕力に頼るしかない――が、その腕力が彼は飛びぬけている。純粋な力だけなら、魔王討伐の旅に出た者のなかで、もっとも強いかもしれない。
だが、それにしても――と、イーディスは冷や汗をかいた。
「な、なんか、旅の時より力が上がっていません?」
「修行したのは、貴方だけではないということですよ」
神官は不敵な笑みを浮かべた。
あんな力をまともに受けたら、骨が何本折れるか分からない。
「イーディスの名のもとにーー」
「遅い!」
遠距離魔術攻撃を繰り出そうとしたが、あっという間に距離を詰められてしまう。イーディスは詠唱をやめて避けるしか手段はなかった。転がるように避けると、耳元で地面を破壊する音が響いた。今度は砂埃のなかに巻き込まれてしまう。
いそいで砂埃から脱出して、風魔術で吹き飛ばさなければ……と考えながら後ろに跳ね飛ぼうとした。
しかし、足が動かない。視界が悪いので全貌は把握できないが、足首に紐のような何かが巻きついている。足を引っ張っても、相当強い力で地面に縫いつけられているのか、まったくビクともしない。
「ーーッ、イーディスの名のもとに! 風の素よ、すべての攻撃から守りたまえ!!」
どうせ、声で場所がばれる。ならば、脱出よりも守りにすべてのちからを使う。足元から風が巻き起こり、イーディスの周りに防御壁を構築する。風のおかげで砂ぼこりは消え失せた。しかし――
「拙い!!」
神官の杖は風の壁をも割る。そして、そのままイーディスの腹に命中する。腹が掻き乱されたような痛みを感じる間もなく、そのまま身体が空をとび、イーディスの身体は地面に叩きつけられた。風のおかげで衝撃が多少緩和されたのだろう。想像していたよりも痛みは少なく、横になってもだえたいほどの苦しみだが、耐えきれないほどではない。
「――ッ、いまの、は?」
「恐怖で身体が動かなかったのでは?」
神官は鼻で笑うが、それは嘘だ。
イーディスは困惑した。
風の壁を構築し、視界が晴れた瞬間、足元を縛っていたものの正体が見えた。それは、黒い紐だった。触手のように地面を突き破ってうごめき、イーディスの動きを拘束していた。杖で飛ばされた瞬間、それは地面に戻っていったのか、いまはもうどこにも見当たらない。
「本当に神官様?」
あれは気のせいなんかではない。
「なにをいまさら。一緒に旅をしたではありませんか」
神官は不敵な笑みを浮かべたままだ。肩辺りから黒い靄のようなものが浮きあがっては消えていく。あの靄は確か以前にも見たことがある。四天王バエルと戦うときに目撃したものと同じだ。
もしかしたら――、と、イーディスはよろめきながら立ち上がった。
「イーディスの、名のもとに!」
「させません!!」
神官が三撃目を繰り出そうとしてくる。砂ぼこりを巻き上げながら近づいてくる姿を見て、イーディスは怯むことなく剣に微量な魔力を流し込んだ。
「祝福の加護よ!剣に宿りて、魔を打ち払え!!」
イーディスはそう叫ぶと、全力で地面を蹴り上げた。そのまま一気に跳躍をする。もし、相手が本物の神官なら効果はない。あの三撃目をまともにくらい、そのまま倒れてしまうだろう。だが、もし、四天王バエルと同類なのであれば、効果抜群のはずだ。
「無駄なことを!」
神官の顔が、ここで初めて歪んだ。彼の速度が、わずかに緩む。まるで、接近を躊躇うかのように。
「ついに、イーディスは乱心しましたか!?」
「あいにくと、大真面目だっての!!」
剣は紫の色彩を帯び、怪しく光り輝いた。身体から力が抜けていく。代わりに怠さが全身を覆っていく。だが、ここで立ち止まるわけにはいかない。
「イーディスの名のもとに、風の素よ! 我を加速させよ!!」
最低限の詠唱で風が巻き起こる。足が地面についた瞬間、勢いよく踏み込み、そのまま蹴り飛ばす。密集した突風がイーディスを押し出し、跳躍を加速させた。イーディスの速度が神官の速度を追い抜く。神官の驚く表情が目の前にあった。こうして近くまで接近して見れば、黒い靄が薄らと全身を覆っているのが分かる。
「や、やめ――」
「はあっ!!」
イーディスは神官の脳天めがけて、力の限り剣を振り下ろした。