15話
「それでは昼食のご用意ができるまで、どうぞあちらでお待ちください。
イーディス様は支度がありますので、こちらに」
執事の一言で、凍りついた時が動き出した。
さすがに客人と昼食をとるのに、泥だらけの訓練着では貴族の恥ということなのだろう。
イーディスはリリーに連れられ、あっという間に部屋へ戻される。あれよあれよという間に風呂に放り込まれ、身体を洗われ、ハンナが見繕った淡い黄色のワンピースを着させられる。ここまで、まるで着せ替え人形の様だった。
「なんか……落ち着かない」
イーディスはスカートの裾をつかむと、苦笑いを浮かべた。
足元がすうすうする。ここしばらく、ずっと訓練服だったので落ち着かなかった。無論、スカートは孤児院の時によく着ていたが、それよりも遥かに質が良く、ごわごわしていないし、ほとんど重みを感じない。
それも、落ち着かない原因の一つだったかもしれない。
「奥様が来られてから、初のお客様ですからね」
リリーは相変わらず、どこか冷淡な声で話しかけてきた。
「相手とは旧知の間柄かもしれませんが、辺境伯婦人としてふさわしい行動をおとりくださいませ」
「ふさわしい行動ですか……」
貴族社会に疎いせいで、どのような行動をとればいいのか分からない。
唯一、接点があったのはクリスティーヌだが、彼女を参考にするというのも、またどこか違っている気がする。ならば、貴族らしく高圧的に接すればいいのだろうか。否、そのようなことをしたら最後、神官からの報復が怖い。イーディスがあれこれ悩んでいると、ハンナが耐えきれなくなったかのように、微笑みながら口を開いた。
「いつも通りでいいですよ、奥様。リリーさんは何か小言を口にしないといられない性分なのです」
「ハンナ、あとで私の部屋に来なさい」
「申し訳ありませんでした」
リリーが氷の視線を送ると、ハンナはすぐに謝った。
「……奥様、今日は普段通りでかまいませんわ。
奥様がなにか粗相をされても、私どもがフォローしますのでご安心を」
リリーはそのまま同じ視線をこちらに向けてくる。
まるで「いつまでも修行なんかしてるんじゃねぇよ。さっさと奥様らしくなるため、貴族子女の教育を受けやがれ」とでも言っているかのようで、少し背筋が震えた。
イーディス的には机に張り付いての勉強より、身体を動かす方が性に合っている――気がする。
「さて、こちらでございますわ」
リリーが食堂の扉を開けると、そこにはすでにウォルターと神官の姿があった。
テーブルで向かい合うように腰を下ろしている、が、その間に流れる空気は異常なまでに険悪だ。ウォルターはいまにも足をテーブルに乗せそうな勢いが感じられ、神官も食事をとるというのに杖を握りしめていた。
「えっと……なにか、ありましたか?」
「……なんでもねぇよ」
「ええ、なにもありません」
2人ともそう口では言っているが、目では火花を散らしている。
なにを話していたのか、非常に気になる。気まずい雰囲気に愛想笑いを浮かべながら、イーディスはウォルターの隣の席に着いた。ちょうど、斜め前に神官が座っている。
「……あれ?」
ふと、神官に黒い靄の様なものがまとわりついているのが見える。
ちょうど首筋から浮かび上がる煙のように、ちろちろと靄がうごめいていた。
「どうしましたか?」
しかし、当の本人は気づいていないらしい。
イーディスも瞬きをすると、靄は消えてしまっていた。
「いいえ、見間違えたみたいです」
「そうですか? まるで、なにかが見えたかのような反応をされていましたが」
「黒い靄が見えた気がしただけです。もう消えましたし、私の気のせいです」
「黒い靄? なんです、それは?」
「お待たせしました」
そこから先、追求の言葉が来る前に前菜が運ばれてくる。
昼だというのに、客人がいるからだろう。簡素とはいえ、前菜に始まりスープ、肉料理と夕食に近い形式的な料理が順番に運ばれてきた。
イーディスは緊張気味に、ウォルターはやや豪快に、神官は静かに食事を口に運ぶ。食器の音だけが、広い食堂に響く。誰も、一言も話さなかった。訓練後の空きっ腹だというのに、あまり食べた気がしない。イーディスは次第に針の上に座っているような感じがしてきた。ここしばらく、食事は一人でとっていた。ただ、こうして複数人いるのに誰もおしゃべりをしないというのは異様に思える。
だから、つい――
「あの!」
と口火を切ってしまう。
言ってから、しまった!と口を塞ぎたくなった。しかし、もう後の祭りだ。2人の視線がイーディスに集まってしまっている。ここで何かを話さなければ、ただでさえ重い空気がますます悪化してしまう。
「えっと……クリスティーヌ様たちはお元気に過ごされていますでしょうか?」
「彼女は、元気に過ごしていますよ」
神官は肉を切り分けながら答えた。
「王太子の仕事を補佐しつつ、貴族間を団結させるため社交に励んでいます」
「社交ですか」
社交と聞いても、イーディスにはいまいちピンとこなかった。敵対する貴族を懐柔したり、仲間の団結に努めたりしているのだろうか。そんなことを考えながら、フォークで肉を刺した。
「クリスティーヌは、それはもう王妃として素晴らしい責務を果たしていますよ」
「へっ、笑わせやがる」
ウォルターは肉を頬張りながら、小ばかにするように鼻で笑った。
「旅の仲間が四天王に襲われたってのに、社交界に励んでいるとは……王妃様は、ずいぶんと仕事熱心だ」
「四天王が蘇るなど、ありえませんよ」
神官は断言する。
「バエルでしたっけ? あれは四天王の中でも最弱です。クリスティーヌが呼吸するかのように殺しました。本当に見事で、惚れ惚れするような火炎魔術でした。ええ、目の前で見ましたからよく覚えています。
そうですよね、聖女」
「はい。でも……」
「魔族が意志をもって復活するなどありえません。死者は蘇らないのですから」
「……そうかもしれませんが」
「だいたい、あなたが四天王を1人で倒せるわけがないじゃないですか」
最後の言葉を聞いた瞬間、イーディスの胃は鉛のように重くなった。
自分の見たこと、やったこと、そのすべてが全否定された。少なくとも、彼は信じていない。この一年、ずっと旅を共にしてきたからこそ「勝てるわけがない」と感じるのかもしれない。しかし、だとしても、小匙一杯分くらいは信じてくれても良いのに……と、思ってしまう。
「聞き捨てならねぇな、神官様」
ウォルターが口を挟んできた。微かに放ち始めた殺気のせいで、髪の毛が逆立っているように見える。まるで、獰猛な獣の様だ。
「こいつが弱いままだと、本気で思ってるのかよ?」
「先程、あなたから聞きましたよ。イーディスが聖女の力に目覚めた、でしたっけ? 魔王が死んでから力に目覚めても遅いですよ。その力も、どこまで本当なのか分かったものではありません」
神官は平然と言い切ると、グラスに口をつけた。
「クリスティーヌこそ、本当の聖女なのですから」
「てめぇ……! 本気でそう思ってるのか、エドワード・バドワイザー!!」
神官に対し、ウォルターは今にも立ち上がり、彼の胸ぐらをつかみそうな勢いだった。怒りのあまり、手にした食器を曲げてしまっている。
「だったら、その首飾りはどう説明するんだ!?」
「その首飾りが反応してしまったのは偶然でしょう。クリスティーヌがつけても、同じ結果になったはずです。さあ、クリスティーヌにその首飾りを返すのです」
「だれが――」
「お断りします」
気がつくと、イーディスは呟いていた。
小さな声だった。消え失せてしまいそうなくらい、小さな小さな声だった。自分でも、どうしてこの険悪極まるこの状況で口を挟んでしまったのか、まったく理解できない。だが――
「この首飾りは、そもそもあなたが『持っていなさい』と言ったものです。『万が一の時に身を護る術になる』とも言っていました」
震える唇から、言葉が次々と放たれる。
「私だって、聖女なんて嫌です。こんな首飾り、いらないです。でも――」
イーディスは一瞬だけ、隣に座る彼に視線を向けた。
彼は自分とはあまり関係ないことなのに、まるで自分のことのように怒りを発露してくれた。本来、神官に怒るのは自分である。それがなぜなのか理解できなかったが、その怒りのおかげで本当に少しだけ――自分の考えていることが分かった気がした。
「でも――私は、これ以上!!」
イーディスはまっすぐ神官を睨みつけた。
「あんたに運命を決められてたまるか!」
一年前、孤児院から拉致されるときに言いたかった言葉を叫んだ。
あのとき、全力で逃げることだってできたはずだ。
もし、この神官が「クリスティーヌこそ聖女」だと思っているのなら、そこで自分を見逃していたはずだ。それに、イーディスがいなくても、クリスティーヌがいたから、魔王を倒すことだってできた。イーディスがいなくても結果は変わらない。
だから、神官の手を振り払い、アキレスと共に逃げることだってできたかもしれないのだ。
「……いいでしょう」
神官はナプキンで口を拭くと、静かに立ち上がった。
ハシバミ色の目の奥に、黒い色がうごめいているように見える。
「一騎打ちの勝負をしましょう。
貴方が負けたら首飾りを返してもらいます。いいですね?」
「望むところです! 私が勝ったときは、1つだけ願いを聞いてもらいます」
「貴方が勝つなんて、ありえないじゃないですか! ですが、いいでしょう。」
神官はイーディスの提案を一蹴する。
だが、一応は受け入れてくれる。願いの内容を聞かないことから考えるに、本当に負けるとは想像していないのだろう。
「そこの使用人、どこか戦える場所はありませんか?」
「それでしたら、騎士の訓練場が最適かと。案内します。こちらへどうぞ」
神官は離席すると、執事に連れられ意気揚々と訓練場へ進んでいった。
イーディスも立ち上がる。それと同時に、ウォルターも立ち上がった。
「イーディス」
ウォルターは彼女の肩に手を置いた。
いつになく凶悪な顔をしている。眼光は普段以上に鋭く、牙は剥き出しで、眉間にしわが寄っている。おまけに髪の毛まで逆立っていた。凶悪過ぎて、感情が読み取れない。だが、置かれた手は、どこか優しい温かさを感じられた。
「必ず勝てよ」
「……ありがとうございます」
イーディスは微笑み返すと、食堂を退出した。




