悪役令嬢、未来を視る
「嘘でしょ? 私が、殺されるだなんて!!」
クリスティーヌ・エンバスは小さな悲鳴を上げた。
目を閉じた瞬間、不思議な光景を視てしまったのである。
罵詈雑言を口にする民衆たちの面前で……自分が断罪される瞬間を。
「未来を視たいと願ったのは私ですが、この結末ってありですか!?」
か細い白い指で顔を覆いながら、床に跪いてしまった。
未来視の力が欲しかったのは、こんな結末を視るためではない。
ただ、婚約の不安を解消したかっただけだった。
そう、婚約。
貴族の娘――それも、侯爵家の娘ともなれば、恋愛結婚ができないのは当然のこと。
覚悟を決めていたとはいえ、それでも、二歳年上の王太子との婚約には不安しかなかった。
もちろん、始めこそ、天使のような容姿の王太子に惚れこみ
「こんな素敵な人が私の旦那様になるなんて!」
と舞い上がっていた。
その事実は否定しない。だがしかし、その喜びはぬか喜びに過ぎなかった。舞い上がった気持ちは、数秒後には地の底まで落とされることになる。
それは、忘れもしない数時間前のことだ。
メイクもドレスもばっちり整え、見合いの席についたのだが、いくら待っても肝心の王太子が来ない。見合いの部屋には、クリスティーヌと父親と未来の義父――つまり、国王陛下だけ。国王陛下は何度も何度も部下に目配せをし、早くつれてこい!と命令していたが、いつまで経っても効果は見当たらず、結局、王太子がやって来たのは、西日が窓から差し込む時間になってからだった。
ようやく部屋に到着した王太子は「遅くなって悪かった」なんて謝罪もなしに、むっつりとクリスティーヌの正面に腰を下ろした。
そして、あからさまな嫌悪の表情を剥き出しにすると
『父上に言われなければ、お前と婚約なんかするもんか! この悪女!』
と叫んだのである。
当然、彼は隣にいた彼の父――国王からの叱責と拳骨をくらい、謝罪の言葉を受けた。しかし、クリスティーヌの心に刻まれた傷は消えない。なにせ、彼女は生まれて8年、屋敷や領地から一歩も出たことがなく、同年代の男の子との交流もない。悪女と呼ばれるような行動は一切していないのだから。
ここで、王太子も考えを改めてくれたら良かったのだが、帰り際
『私の婚約者になったのだから、今後は行動を改めろ』
なんて言い捨てていったのである。
……哀しいかな。彼が自分のことをよく思っていないことは明白だった。
だから、自分が王家に嫁ぐことで、自分は幸せになれるのか、未来も華やかで優雅な暮らしをしているのか、ちょっぴり確かめたくなっただけだ。
エンバス家には代々「未来視」の力が伝わっている。
もちろん、許可のない未来視は、王家から禁じられていた。定められた未来を変えるのは許されない、と。けれど、少しくらい確かめるだけなら――と、クリスティーヌは軽い気持ちで未来視に挑んでしまったのである。
その結果がこれだ。
「家も取り潰しなんて、いったいどうして?」
クリスティーヌはしくしく嘆くしかなかった。
断言するが、エンバス一族は建国以来有数の優良貴族筆頭だ。
本来であれば嫌われる要素もなく、むしろ好かれる侯爵家であるべきだろう。
だがしかし。悲しきかな、一族そろって自他ともに認める悪人顔であった。
一族代々「悪事があれば、その背後にエンバスがいる」なんて、まことしやかに囁かれてきた。だが、実際には悪事に手を染めることもなく、誠心誠意王家に仕え、国のために働いている。エンバスの献身ぶりは国王夫妻も重々承知していることで、噂は心無い貴族や民たちが流しているだけのことに過ぎない。
噂は噂のレベルにとどまり、エンバスは侯爵家としての地位を守り続けている。
しかし、この未来はどういうことなのだろうか。
「お願い、もう少しだけ未来を視せて」
駄目もとで目に指をあて、ゆっくり瞼を下ろした。
呪文を唱えながら、暗い視界に全神経を集中させる。魔力が目に集まり、眉間の辺りが熱を帯び始めた。熱に我慢していると、やがて瞼の奥に広がる暗い空間に一筋の明かりが見えた。その灯りに縋りつくように辿っていくと――
血の色で彩られた広場。
罵詈雑言の叫びを上げる群衆。
足元には、すでに処刑されたと思われる一族の死体が転がっている。
そう、そして次は自分の番だ。
クリスティーヌは絞首台に上がらされ、よろよろと辺りを見渡していた。
その正面に……一人の女がいた。
こざっぱりした身なりの少女が、静かな目でこちらを見つめている。
いまから断罪されるという自分を見つめる眼差しの奥には、おぞましい憎悪の炎が燃えていた。彼女の傍らに佇むのは、今よりも十年は成長した王太子だった。氷のような無表情で、少女を護るように寄り添っている。表情はともかく、腰に手を回すその仕草、まさに愛する者を守護する伴侶そのものだった。
少女の周りには王太子の他に、年若い神官や魔術師、騎士の姿もあった。
誰も彼も美形ばかりで、まるで少女が彼らを侍らせているかのようである。
「これよ、この子のせいで、私は死ぬのね」
この少女だ。
この少女が、自分を死に追いやっている。
未来の光景が遠ざかり、世界がかすんでいく。
「駄目、もう少しだけ」
体中が軋むくらい魔力を視神経に回しこむ。
眉間の熱は頂点を超え、今からでも氷で冷やしたいくらいだった。
だが、ここでやめてしまっては次、いつ未来を視ることができるのだろうか。なにせ、未来を視ることは一族の禁止事項の一つで、家族はもちろん、侍女も誰もいない状況でなければ実行することができない。寝る時も傍に護衛の侍女がいる生活では、次――いつ未来を視る機会が訪れるのか、分かったものではなかった。
「お願い……ッ!」
少女の身体つきは、お世辞にも良いと言えない。
月灯りを集めたような神々しい銀髪だったが、まるで浮浪児の少年のように短く切ってしまっている。ドレスの袖から覗く細い腕は小麦色で、赤い傷が目立った。どこからどうみても貴族の箱入り娘ではない。では、誰なのだろうか。
「――ッ、だめ!」
少しでも思考に気を割くと、一気に光景が薄れていく。
自分の魔力も限界が近い。きりきりと身体が痛み始める。視界も揺らぎ、いまにも未来の光景は消えそうだ。だが、必死にしがみつく。
その貧相な胸で、なにかが揺れていた。
紫水晶の首飾りだ。
紫水晶の周りを彩るのは、鷲を象った金細工。この首飾りつけることが許される人物は、クリスティーヌが記憶する限り一人しかいなかった。
「……そう、そういうことね」
目から指を外し、そっと息を吐いた。
頬は赤く照り、額からは汗が滝のように流れ落ちている。
身体中が暑くて、辛くてたまらない。心なしか、吐き気もした。だが、成果は得た。
金の鈴を身に着けていい人物は、神の神託を受けた聖女ただ一人だ。
聖女が絡んでいるのであれば、少し納得がいく。
「彼女、聖女だわ」
聖女。
神託を受けた少女が任命され、王国を救うために働く存在だ。
神託は「魔王を倒せ」から「王女を救え」「異国の脅威から守れ」など、そのときによって異なる。聖女は国を救うために動き、実際、聖女のおかげで窮地を脱した国も多い。
だが、窮地を脱した国の数と同じくらい、聖女のせいで滅びの道をたどった国も多いのだ。
「文献に書いてあったわ。聖女は人を惑わし、運命を狂わせる力があると。
あの王太子なら、簡単に惑わされそうね」
あの貧相極まりない少女のどこに、王太子が惚れたのか分からない。
きっと、聖女の力を使って、王太子の心を操ったのだろう。それか、貴族とは思えない少女の容姿に興味を抱いたのか。
「ともかく! 私、早急に聖女対策を立てなくては!」
それからというもの、クリスティーヌ・エンバスは忙しなく知恵を求めた。
文献という文献をあさり、聖女のせいで起こった悲劇を調べ上げる。
そのだいたいが、聖女に惚れこんだ首脳陣が国政を疎かにし、起きてしまった悲劇だった。無論、それを止めようとした忠臣はいたらしいが、ことごとく――例えば「聖女を貶めるような発言をした」なんてくだらない理由で絞首刑にされてしまっている。
「おそらく、私はこれね」
とんとんっと理由の書かれた場所を指で叩き、小さく息を吐いた。
おそらく、未来の自分は聖女に惚れこみ、政治を疎かにする王太子を諫める。しかし、それが王太子の気に障り、処刑された。
「いやだわ、そんな理由で殺されるなんて」
この日を境に、対策への思いは一段と強くなった。
なんとしてでも対策を立てなくてはならない。
十七かそこから死ぬなんて、冗談じゃない。
クリスティーヌはすぐさま行動に移した。
王太子との婚約を破棄――するのは現状、困難なので、彼が聖女に惚れこんだ瞬間、すぐに見限り、別の男性と婚約することができるように、有力貴族男性との人脈作りを始めた。
それから、下手に処刑されないよう「有能な女」であることも見せつけなければならない。ここでいう「有能な女」とは決して王太子の忠臣という意味ではなく、王太子が政治を疎かにしても文句を言わず、自分たちで国を動かせる準備を整える、ということである。なにせ、王太子に「もっと政治を真面目にしてください」なんて言いに行っても処刑されるのがオチだ。だったら、自分で国を動かした方が手っ取り早い。
「政治を勉強して、経済も魔族の生態とかも勉強して、あーもう! 勉強嫌いなのに―――!!」
それでもなお、「処刑する」なんて言ってきたときのことを考えないといけない。
まず、あの王太子のことだから、いきなり衛兵を引き連れて部屋に入って来て「この悪女を捕らえろ!」みたいなことをするはずだ。
ならば、衛兵を倒せるだけの剣術と魔法を習得する必要がある。
「剣と魔法さえ習得していれば、国外に出ても生きていけるし、うん、問題ない!!」
クリスティーヌ・エンバス侯爵令嬢(8歳)は行動方針を決めた。
政治経済、魔族に関する知識まですべて完璧、重宝される女になる。
万が一のときも生きていけるように、剣と魔法も衛兵以上のランクまで上げる。
王太子が聖女に惚れても、すぐに婚約を破棄し、他の有力貴族男性をすぐ確保できるよう人脈作りに勤しむ。
「それから、必要以上に聖女とかかわらない! いや、聖女に優しくすればいいのよ! 聖女と仲が良かったら、王太子も無下に私を処刑できないでしょうし!」
自分の未来を変えるため、クリスティーヌは動き始めた。
すべては、自分が処刑される未来を変えるために――。
【書籍化!】2024年2月8日よりミーティアノベルス様より電子書籍化決定しました!
Web版と展開と結末が異なりますので、お楽しみに!