表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/69

2つの報告書

※イーディスは出てきません。



 ウォルター・ピルスナーは執務室に入るなり、迷いなく椅子へと向かった。そのまま崩れ落ちるかのように腰を落とすと、大きなため息を吐き出す。


「ったく、どうなってやがるんだ」


 机に肘をつくと、机上に置かれた二種類の書類に視線を向けた。

 片方は数日前に王都から届けられた報告書、もう一方は執事が独自に調査した報告書だ。どちらも同じ事柄について書かれたものだったが、内容や色合いがかなり異なる。

 しかし――


「失礼します、旦那様」

「入れ」

 

 扉を叩く音がし、姿を現したのは執事と侍女頭のリリーだった。

 両者ともピルスナー家に長く仕え、信を置いている人物である。


「……あいつは寝たか?」

「はい、ベッドに入るなり、すぐに眠りに落ちたようです。いまは、ハンナとレベッカが護衛をしています」

「そうか」


 ハンナもレベッカも騎士家系の娘で、一通りの武芸を嗜んでいる。護衛にはもってこいの侍女だ。ウォルターは報告書をめくった。


「この報告書、嘘偽りねぇんだろうな」

「ありません」


 執事は即答する。


「魔王が消滅してなお、魔族の被害は増え続けています。

 ミッドナイトの森は既に魔の手に落ち、城塞都市のカッルカタも陥落したと」

「だがよ、王都からの報告じゃ違うみたいだ」


 ウォルターは王都からの報告書を掲げた。


「ミッドナイトの森制圧やカッルカタが敗れたことに対して、一言も書いてねぇ。

 あいつら、どうしても魔族の増大を認めたくねぇらしい。こっちには証言があるってのによ」


 ウォルターは舌打ちをした。

 数週間前――イーディスと初めて出会った日につかまえた「人さらい」。彼らは幼い子供、それも男の子を浚う命令を()()()()から受けていた。ウォルターは騎士団を率いて、その日のうちに人さらいのアジトへ乗り込み、全員の確保に成功した。

 しかし、そこで知った事実は意外なものだった。


「あの人さらいは、

『自分の幼い息子を差し出せば、魔族が侵略してきても見逃してくれると聞いた。だが、オレに息子はいない。だから、ガキをさらおうと考えたんだ』

って言ったんだぞ。魔王は消滅したってのに」

「はい。記録によれば、魔王がいなくなれば魔族の力が弱まるとなっています」

「しかし、その兆候は見られません。むしろ、一部地域では被害が悪化しています」

「だよな。そこなんだよな」


 ウォルターは自分の髪をぐしゃぐしゃに掻いた。爪先が角に当たり、かつんと乾いた音を立てる。それがまた苛立ちを誘い、ますます掻き乱した。


「ってかよ、だいたいなんで倒したはずの奴が復活するんだよ」


 ウォルターは目を瞑った。

 今日も妙なことがあった。国境警備の仕事を終え、屋敷に戻る途中、ハンナが血相を変えて走っていくのを目撃したのだ。慌てて、ハンナを呼び止めると、イーディスとジンジャーが洞窟に入ったまま戻ってこないという。ウォルターたちは急いで洞窟探索の支度を整え、向かってみれば、中央付近で二人が倒れているところを見つけたのである。

 真っ二つに切り裂かれた魔族の死体の傍で、イーディスたちは眠り続けていた。


「今回の魔族、本当にイーディスが旅の途中で倒した奴だったのか?」

「ええ、そうらしいですわ」


 リリーが口を開いた。


「奥様の話ですと、四天王のバエルという魔族らしいです。たしか、エンバス侯爵令嬢の火炎魔術で丸焼きにされ、炭になったとか」

「リリー、あいつのことを奥様と呼ぶな」


 ウォルターが短く注意すると、リリーは少しムッとした表情になった。


「正妻は単なる名目だ。オレはあいつを鍛えるために傍に置いてる」

「僭越ながら、旦那様。いつまでも独り身というのは困ります。今後の跡継ぎ問題にも発展してまいりますわ。だいたい、旦那様は悪評のせいで、せっかく奥様を迎えても逃げられてしまうではありませんか! 奥様……イーディス様は……それは、一度逃げられましたが、ちゃんと戻ってまいりました! こんな奇特な女性はいませんわ!」

「だから、あいつは強くなるために戻って来たんだよ。婚姻云々のためじゃねぇっての!」


 ウォルターは強く机を叩き、リリーから顔を背けた。そして、リリーが反論する前に、執事に問いかける。


「で、バエルって奴が四天王だって裏は取れたのか?」

「ええ、しかるべき情報筋から裏は取れました。ほぼ間違いないでしょう」


 リリーはまだ何か言いたそうな顔をしていたが、これ以上、話を脱線させるわけにはいかない。


「そもそも、魔族って復活するのかよ。そんな能力聞いたこともねぇぞ?」


 だいたい、そんな簡単に蘇ることできるのであれば、なにも、数百年後に魔王が復活するまで待たなくても良い。歴代の聖女たちが油断した隙――もしくは、年老いて衰えたときを狙って、奇襲を仕掛ければよいだけの話だ。いっそのこと、聖女が死んでから「魔王代理」に就任し、世界を滅亡へ追い込むことだって可能である。

 それをしてこなかったことは、なぜなのだろう。

 そして――


「魔王が死んだってのに、聖女を殺しに来た四天王ってのは、今回が初めてなのか?」

「いいえ、記録によれば……」


 執事は手元の資料をめくった。


「ありました。三代前の聖女様の時です。四天王を一人倒さず魔王を滅したことがあったらしく、そのときは四天王が攻めてきたそうです。もっとも、聖女様の反撃で負けたそうですが」

「そうだよな、復活ってのはありえねぇ」

「そうですよね……あ、ですが、こういうものがありました」


 執事は目を細めると、ウォルターに資料のあるページを差し出した。


「四代目聖女様の時です。魔王と戦う際、倒したはずの四天王が魔王の術で一時的に蘇り、聖女様が危機に陥ったという記録がありました」

「……復活してるじゃねぇか」


 執事の説明を聴きながら、ウォルターも資料に目を通す。

 

「魔王の力か。……まだ、魔王の力ってのは未知数だからな……ありえるっちゃありえるが、肝心の魔王は滅したんだろ? それなのに、どうして蘇る?」

「それは、私たちには分かりません。

 ……この一件、王家には報告しますか?」

「当たり前だ。早急に報告しろ!」

 

 ウォルターは苛立ちを隠さずに命令した。

 執事は静かに礼をすると、すぐに退出する。執務室には、ウォルターとリリーだけが残された。


「オレはこの仕事を片付けたら寝る。リリーもさっさと出てけ」


 リリーはまだ何か言い足りない表情をしていたが、ウォルターが真剣に書類を読み始めると、わざとらしく一礼をしてから出ていった。

 

「……ったく、なんでオレが魔王のことまで考えねぇといけないんだよ」


 ウォルターは書類を放り出すと、背もたれに寄りかかった。

 いくら数年前と比べて国境の緊張感がなくなっているとはいえ、隣国を気にしつつ、魔族のことまで気にするとなると骨が折れる。


「だいたい、なんで、あいつをオレが引き取らねぇといけなかったんだ。他にいるだろ、適任が」


 不法入国者の尋問のため、屋敷を出ている間に聖女との婚姻が決められ、こちらが準備をする間もなく嫁入りが進められた。そこに、ウォルターの意思など欠片もない。それだけでも、辺境伯に対する侮辱である。

 もともと、ウォルターは爵位のわりに王城での地位は低い。

 妾腹だということもあるだろうが、原因は明らかに魔族の特徴が強い見た目だ。悪評ばかりが流れ、妻を娶っても逃げられる。そいつらが、家まで帰れたらよいものの、どいつもこいつも途中で良家のお嬢様故、途中で力尽きたり、騙されたりで、まともに家まで帰れた奴はいない。そのせいで、悪評は高まるばかりだ。


「……ま、だから、オレの所にお払い箱にされたんだろうけどさ」


 最初にイーディスと会ったときは、聖女だと分からなかった。

 分かるわけがなかった。

 年の頃や名前が同じで「もしや?」と思ったが、聖女にしては弱弱しく、力をまるで感じられない。ただの少女だった。やることなすことすべてに臆病で、暗くて、いまにも泣き出しそうで、なにをするべきなのかも分かっていない女。

 正直、ああいう女は嫌いだ。うじうじしていて、鬱陶しい。だから、あのヘタレた性根を吹き飛ばしてやろうって思った。

 だが――

 

「あいつ、意外と根性あるんだよな」


 路地裏で、ジンジャーを守って立ち向かおうとしたときの姿が蘇る。

 それまでの怯えたような様子から一変した、凛とした立ち姿は瞼の裏に焼き付いている。イーディスはあの時、どうやれば勝てるのか考えていなかっただろう。否、分かっていなかった。だが、彼女は敵に立ち向かった。

 きっと、同じような態度で四天王と戦ったに違いない。



 どこか怯えながらも、あの紫の瞳で敵を静かに見つめて。




 


 その時、沈黙が落ちた執務室に、扉を叩く音だけが響いた。


「旦那様、伝え忘れたことがありました」

「……入れ」


 執事が再度、やや急ぎ足で近づいてくる。彼は書状を手にしていた。

 ウォルターは書状を乱雑に破り、ざっと目を通す。


「これ、マジかよ」

「ええ、マジでございます」

「……そりゃ、現状を知らせる良い機会かもしれねぇけどさ。突然すぎるだろ」


 そこには、王都の中央神殿直属の神官が視察に来る、と記載されていた。


「了承する。すぐに日程を調整して、その結果を送れ。いいな」

「かしこまりました、ウォルター様」


 ウォルターは神官の名前に目を落とす。

 なにを視察に訪れるのか書いていなかったが、この名前から察するに、十中八九、イーディスの様子を確認するために決まっている。

 それに、わざわざ彼が来るということは、王城でも報告書とは異なり、魔王の死が疑問視されているのだろうか。

 だが、どんな視察になろうとも、ありのままを見せればいいだけの話だ。

 それに、イーディスを連れ戻すためなのだとすれば好都合だ。イーディスは聖女の力を身に着けた。ならば、こちらで鍛え上げてやるよりも、王都で専門の神官から教えを乞うた方が良いかもしれない。そして、彼女をあそこまでヘタレさせた奴らを見返してやればいい。

 

 しかし、彼女を手放すことを考えると、どうも胸がもやもやする。

 ウォルターは少しばかり考えたが、面倒くさくなって頭を振った。


「……ま、なるようになるさ」


 ウォルターは神官受け入れの書類を作り始めた。


 数日後、神官が尋ねてきたとき、イーディスがするであろう反応を予想しながら。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ