13話
一部、残酷描写があります。
次の瞬間、世界が暗転する。
「え?」
イーディスが瞬きした瞬間、全ての明かりが消えるかのように、ぱっと視界が黒くなった。
目の前から敵が消え、ジンジャーも消え、水晶の壁も消え、川の流れる音もすべてが消え失せる。かといって、気を失ったというわけでもなく、自分の息の音は聞こえる。自分の姿も視認できる。
まるで、暗い空間にぽっかりと自分だけが浮いているようだ。
「ここは……?」
『ようこそ、イーディス・ワーグナー』
ふいに、その声が黒い空間に響いた。驚いて顔を上げてみれば、上から覗くようにして、一人の少女がこちらを見ている。
「あなたは誰? さっきの魔族の術?」
『魔族と一緒にされたら心外です!』
ふんっと少女は鼻を鳴らすと、イーディスと同じ位置まで下りてきた。
『本当は一度会ってるんですけど……まぁ、赤子のときですし、無理もないですね』
少女は悲しそうに微笑んだ。
少女は不思議な服を着ていた。一枚の布を滑らかな身体に巻き付けていた。ゆったりとした着こなしで、落ち着いて見える。
顔の方も金髪に波打つ長髪、青く澄んだ瞳、通った鼻筋、薔薇色の頬に透き通った林檎色の唇――胸さえあれば、クリスティーヌ二号にふさわしい少女だ。
イーディスは息を整えると剣に手を添えたまま、少女を静かに見据えた。
「あなたは、誰?」
『わたしは――そうですね、あなたたちの言葉だと神に当たります』
「神? それって、神殿で習う神のこと?」
イーディスは、二の句が継げなかった。
幼い時から神殿で神について嫌というほど学んできた。その存在が突如、このタイミングで目の前に現れたことについても信じられなかった。
『その通りです、イーディス。いえ、六代目の聖女』
神、と名乗る存在は、ステップを踏むような足取りで自分の背後に回り込む。
『与える時が来ました、あなたに聖なる力を』
「いままでは駄目だったの?」
『首飾りに認められてから初めて、誰かを強く助けたいと願った瞬間――力を与えるという決まりになっているのです』
神はそう言いながら、後ろからイーディスの胸元――にかかる、聖女の首飾りに手をかざす。その途端、紫色の首飾りが、光を受けていないのに輝きを放ちだした。
『さあ、受け取るのです。貴方の――真の力を――』
神はイーディスの肩に手を当て、静かに唱えた。
手を置かれた肩から全身に、淡い紫の粒子が広がり、イーディスを包み込んでいく。
「……あ」
暗闇が溶け始め、視界に現実の光景が重なった。
魔族がジンジャーを抱えたまま、こちらに駆けてくる。
ついこの瞬間まで、時が止まっていたかのようだった。イーディスが黒い空間で神と名乗る人物と会っていたことなど、まったく気づいていないらしい。
魔族は先程同様、ジンジャーを抱え、剣を構えている。唯一違うのは、魔族がなにやら黒い霧のような塊を纏っていることだけだ。あれは、どういうことなのだろう。なにかの特殊な術なのだろうか。
「死ね、聖女!!」
だが、考えている余裕はない。
魔族はもう目と鼻の先まで迫ってきている。しかも、剣でイーディスの首を薙ぎ払うように振る寸前だった。避けなければ死ぬ。イーディスは慌てて屈み、剣をすんでのところで避けた。髪の毛が数本、持っていかれた気がする。
「どうすればいいの?」
イーディスは叫んだ。神はまだ背中に寄り添うように佇んでいる。ところが、あいかわらず魔族には見えていないらしい。彼は高笑いをしながら、
「どうすることもできまい! ただ、聖女、お前は死を選ぶことしかできないのだ!」
と、聖女の独り言だと馬鹿にしてきた。
『死にたくなければ、剣を取りなさい。
救いたければ、戦いなさい』
神はイーディスの問いに対し、歌うように答えた。
イーディスは神の言葉に突き動かされるまま、愛用の剣を抜き払う。
『唱えるのです、神に捧ぐ祝詞を』
「『イーディス・ワーグナーの名において、六代目聖女が命ずる!』」
神の声と自分の声が重なる。
自分の周囲に突風が巻き起こり、魔族は一歩引くのが見えた。マントが外れ、顔があらわになる。額には魔族特有の刺青が刻まれ、緑色の肌が見えた。
それは、どこかで見たことのある顔だったが、今は知ったことではない。
今自分がすること、それは目の前の敵を排除することだ。
「聖女、なにをする気だ!?」
「『祝福の加護よ、剣に宿りて魔を打ち払え!』」
瞬間、先程同様――いや、それ以上に紫の光が多く剣に降り注ぐ。
鉄の刃は紫の光に包まれ、淡く輝いていた。その紫の幕越しに、魔族がうろたえている様子がよく見えた。
「な、なんだ、その詠唱は!?」
「知らない、私も初めて知ったっての!!」
イーディスは噛みしめるように言い放つと、そのまま地面を蹴った。
怯える魔族など怖くはない。躊躇うことなく紫の剣を振り上げる。
「よせ! そのまま切れば、この小僧の命は――」
その先の言葉が口にすることはできなかった。
紫の剣は脳天から股にかけて振り下ろされる。当然、ジンジャーにも当たっているはずだが、ジンジャーの身体を通過する際は刃が透き通り、彼の身体には傷一つついていなかった。
「はぁ……はぁ……」
魔族の身体から黒い塊が消えていく。
イーディスは「この魔族を倒せたんだ」と直感した。
「これが……私の、力」
紫の剣を見つめ、感慨にふける。
いままで、魔族を一人で倒したことはなかった。自分が前に出る前に、クリスティーヌたちが軽く倒してしまうのだ。時折、強い魔族に襲われたこともあったが、そのときはいつも誰かに助けてもらっていた。
正真正銘、聖女になってから初めて――魔族を倒した瞬間である。
「やった……私も、できるんだ」
しかし、もう限界だ。
血の気が引いていくように、剣を握りしめる力が――体力が身体から抜けていく。イーディスは剣を地面に突き刺すと、それに寄りかかる。
『まぁ、初めてですし、無理もありませんね。
明日には体力が戻るでしょうし、次からは調節して使えるようになるでしょう』
神の声が遠くで聞こえる。
イーディスは足の力も抜け、へなへなと冷たい地面に座り込んでしまった。いつの間にか、剣に宿った紫の粒子は消え、元の鉄の刃になってしまっている。
「駄目……ジンジャーを連れて、外に出ないと」
『ゆっくりお休みなさい、六代目』
前に進もうとしたが、押し寄せる睡魔には勝てない。
「ほんの少しだけ、ちょっと目を瞑ったら……すぐに、出よう」
イーディスはジンジャーに向けて小さく呟くと、重くなる瞼に身を委ねた。
※
「――、イーディス、しっかりしろ!!」
意識の覚醒と同時に、激しい光が視界いっぱいに照らされる。
イーディスは思わず目を細めた。
「おい、少し光を弱めろ! イーディスが起きた!」
「……ウォルター、さん?」
目の前に、ウォルターの顔があった。
怒っているのか、眉間に酷いしわが刻まれている。
「私……たしか……あれ?」
頭に固い感触があった。
固いのに、どこか温かい感じがする。
いったいこの枕は何なのだろうか。ゆっくりと顔を横に動かすと、それがウォルターの腕だった。そのことに気づいたとき、慌てて離れようとしたが、肝心の身体が動かない。聖女の力とやらを使った反動なのだろうか。
「動くな、体力の消耗が激しい。しばらく、じっとしてろ」
「ありがとう、ございます。
……ジンジャーは?」
「ジンジャーはもう外に連れ出した。無事だ。
つーか、これはどういうことだ!? ハンナから事情を聞いて駆けつけて見りゃ、この有様だ!」
ジンジャーは無事。
その言葉だけで、心がホッとした。安心してまた眠り込んでしまいそうになる、が、ウォルターがそれを許さない。
「この魔族、倒したのはお前か?」
ウォルターはそう言いながら、顔を別の方向へ向ける。彼の視線を追ってみると、数歩向こうに先ほどの魔族が転がっていることに気づいた。
否、転がっているというのは間違いだ。
正確に言えば、真っ二つに分かれた魔族の屍、というのが正しい。
「この魔族は、ジンジャーを人質に取って……」
イーディスは、ことの顛末を話した。
ジンジャーを人質に取ったことに始まり、神とやらが現れ、聖女の力を与えられたこと。そして、自分が魔族を倒したこと――そのすべてを語る。
そして最後に――
「あと、この魔族ですが……」
イーディスは魔族の――残された半分の顔を一瞥する。
どうしようかと躊躇したが、やはり答えることにした。
「この魔族、魔王の四天王です」




