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12話

 

「うわぁ……」


 イーディスは息をのんだ。

 それまで灰色だった岩壁が透明な石に変わっていたのだ。透き通った岩壁は光を反射し、ちらちらと淡く輝いている。

 先ほどまでとは、まるで別世界だ。


「これが水晶です。このなかのどこかに、薔薇水晶があるはずですよ」


 イーディスが呆然としていると、ハンナが動き始めた。壁一面を飾る水晶の山に近づき、手で触れながら探っていく。気がつけば、ジンジャーも壁に張り付き目を凝らしていた。

 なにもしていないのは、自分だけである。


「それにしても、不思議なところ」


 魔王討伐の旅でも、不思議な光景は見てきた。

 塩でできた分厚い氷で覆われた湖、幾千年も前から世界を見守っているような大樹、朝焼けを浴びると黄金に輝く大戦時の古城――。

 それに勝るとも劣らぬ素晴らしさである。

 右を向いても、左を向いても水晶が山のように突き出ている。左側の壁際には大きな川が静々と流れていた。身体を屈めて覗き込んでみたが、光魔術の灯りはここまで届かない。水面に自分の顔は映ったが、その先はまっくらで底が見えなかった。指先で水面を触ってみたが、あまりにも冷たくて凍り付いてしまいそうだ。


「これ、落ちたらまずいかも」


 見た目に反し、川の流れはかなり急だ。落ちたら最後、凍えたまま動くことはできず、そのまま流されて死んでしまうだろう。傍に水晶が詰まったバケツが落ちているところから察するに、最近、誰かが足を踏み外して落ちたに違いない。

 ジンジャーが落ちないか、注意しておこう。


「見つからないね」

「そうね……」


 薔薇水晶は、そう簡単に見つからない。

 無理もない。ただでさえ、「見つけたら願いが叶う」なんて迷信が生まれるほどの代物だ。ほいほい見つかるようなものならば、そんな迷信は生まれないはずだ。イーディスはちらりとランプに視線を向ける。ランプの灯りは半減していた。ランプの灯りよりも、その光を浴びた水晶の輝きの方が明るい。もう少しで相手の顔を見ることすら危うくなってくるだろう。


「ここらが潮時かもね」


 イーディスはぽつりと呟いた。


「そうですね、奥様。そろそろ帰られた方が賢明かと思います」

「駄目だよ、もう少しだけ!!」


 イーディスの呟きに対し、ハンナはどこかホッとしたように、ジンジャーはちょっと頬を膨らませた。


「だって、まだ見つかってないもん!」

「でも、もうそろそろ帰らないと」

「帰らない! 見つかるまで僕は帰らないんだ!」


 そう言うと、ジンジャーはランプをもって奥へ走って行ってしまった。

 あっという間に明かりはなくなり、辺りは暗闇に満ちてしまう。イーディスは舌打ちをすると、ポケットの石を2つとり出した。


「まったく……イーディスの名のもとに、進むべき道を光を照らせ!」


 2つの石は瞬く間に明るくなり、再び洞窟を照らし出す。

 しかし、見える範囲にジンジャーの姿はなかった。


「ハンナさん、私は奥を見てくるから、ここで待っててください」


 イーディスはバケツを拾うと中身を捨てて、代わりに石を1つ投げ入れた。からん、と音を立ててバケツの底に転がる。ぼうっとした灯りはバケツの中で反射され、橙色の光を放っている。ランプほどではないが、代用品くらいにはなるだろう。


「し、しかし奥様!」

「光魔術を使えるのは私だけですし……大丈夫、まだ石の残りはあるし、魔力だってちゃんと考えながら使ってますから。遭難することはないですって」


 イーディスはハンナにもう1つの石を渡した。

 先ほどの反応を見るに、ハンナは光魔術を使えない。ジンジャーも右に同じだ。ここからであれば、光りが消えたとしても、壁伝いに進んでいけば入口まで戻ることができる。だが、この先は分からない。となると、この先に進むのは光魔術を使える自分だけ、ということになる。

 ハンナは少し悩んでいたようだったが、覚悟を決めたのか目を伏せた。


「……かしこまりました、奥様。

 しかし、この明かりが消えても戻らなかった場合は一度屋敷に戻り、捜索隊を組みたいと思います」

「ありがとう、ハンナさん」


 イーディスはそう言うと走り出した。

 がらん、がらんと、石がバケツの中で転がる音が洞窟に響き渡る。

 子どもの足で行ける範囲など限られている。ジンジャーがいくら元気のいい子どもだとしても、魔王討伐の旅で鍛え上げられた足には敵うわけがない。

 イーディスはある程度まで奥に進むと、少し声を張り上げて叫んだ。


「ジンジャー、戻ってきな」


 戻ってきな、戻ってきな、戻ってきなーー。

 イーディスの声は洞窟の奥まで反射し、遠のきながら消えていく。

 反応はない。


「……おかしいな」


 イーディスは立ち止まり、耳をすませる。

 ジンジャーが走り去ってから追いかけるまで、2分も経っていなかったはずだ。なのに、彼の足音も聞こえず、かといって、水に何かが落ちたような音も聞こえない。

 これは少し妙だ。

 少し警戒しながら辺りを見渡す。

 周囲の光景自体は、ハンナと別れた場所とさほど変わらない。

 右側にも左側にも水晶が剣山のように突き出し、左側には冷たい川が流れている。違うのは、バケツが落ちていないことくらいだ。


 隠れる場所も、隠れそうな場所もない。


「仕方ないか」


 イーディスはポケットに手を入れ、指先で石の数を確かめる。

 石はあと2つ。明かり用に1つ予備が欲しいから、実質使えるのは残り1つ。本当は温存したいところだが、背に腹は代えられない。光の隠蔽防止魔術を使おう。この魔術が成功すれば、光りが隠蔽術のかかった場所を強制的に露にする。上級魔術なので失敗する可能性も高いし、仮に隠ぺいを行った奴が自分より格上の魔術師だった場合、効果は発揮されない。


 イーディスは祈るような気持ちで、石に魔力を込めた。


「イーディスの名において! 光の素よ、隠されたものの正体を暴け!」


 詠唱を唱えながら、石を思いっきり宙に投げた。

 石は光を帯びながら宙で二転・三転し、辺りを照らし出した。光は周囲の情報を読み取り始める。


 そして――


「……見つけた」


 数十歩先に、マントを深くかぶった影が見えた。

 顔は見えない。だが、ジンジャーを抱えている。ジンジャーは意識を失っているのか、影の腕で目を閉じ、ぐったりとしていた。


「……さすがは、イーディス・ワーグナー。聖女として選ばれただけのことはある」


 影は低い声で言い放つ。男の声だ。イーディスはバケツを地面に置くと、剣に手を添えた。


「気づかず近づいてきたところを、切り殺そうと思っていたのだが……物事は、そう上手くいかないらしい」

「貴方は誰? その子を離しなさい!」

「この小僧を返して欲しいのか?……なら、その場で止まることだ」


 じりじりと近づいていく足を止めた。

 イーディスは目を細める。男の顔は相変わらず見えない。だが、マントの陰から伸びた尻尾が目に入った。蛇のように細く緑色をした尻尾は床を舐めるように這っている。


「魔族が今さら何の用? もしかして、復讐?」

「いいや、違う」


 マントの中で、舌が動く音が聞こえる。


「我が主の繁栄のため、聖女には死んでもらう。

 さあ、死に方を選べ。この小僧の命を助ける代わりに自死するか、ここで小僧もろとも我に殺されるか」


 男の腕の中で、ジンジャーがうなされるように呻いた。


「どっちを選んでも、私が死ぬことは確定してるのね」


 数日前の自分なら、前者を選んだ。

 自分の命なんかと引き換えに、助かる者があるなら――喜んでそちらを選ぼう。しかし、今は違う。クリスティーヌたちから「さすが聖女」と言ってもらえるように、少しでも認めてもらえるように努力している。その努力が実るまで、死ぬのは少し違う気がする。

 努力が結局実らず、ウォルターからも見放されてから――それからでも、死を選ぶのは遅くない。


 だが――


「私が自殺したとして、ジンジャーを解放するって保証はあるの?」

「おうとも、魔族は嘘をつかない」

「……信用できない」

「知っているだろう、魔族は嘘をつかないと」


 魔族の男は、しらじらしいことを吐く。

 イーディスは目を細めた。この度で幾人もの魔族と出会ってきた。彼らは嘘はつかない。だが、真実を言わないことがある。

 おそらく、イーディスの自殺を見届けてから一度、ジンジャーを解放し


『言伝は守った。解放したぞ』


 と、言ってから彼を殺す。

 魔族とは、そういう連中だ。


 かといって、後者を選んだ場合、真っ先にジンジャーは殺される。


「さあ、聖女――どうする?」


 どうする。

 それは、こっちが言いたい台詞だ。

 イーディスの額からは汗が湧き出てきた。

 下手に攻撃魔術を放つわけにもいかない。もしかしたら、洞窟が崩壊する恐れがある。魔族は倒すことができるかもしれないが、全員死んでしまう。


「そうね……どうしようか」


 イーディスはそう言いながら、歯を噛みしめた。


 どうする、どうすれば、ジンジャーを助けることができる。どうすれば、自分たち2人が洞窟から出ることができる。考えても、考えても良案は思い浮かばない。頭は真っ白のままだ。こんなとき、頭の回転の悪い自分が嫌になる。


「そうか、だったら我が選ばせてもらおう」


 ジンジャーを左腕に抱えたまま、右手で剣を引き抜いた。


「お前を殺してから、この小僧を殺す――ッ!!」


 奴は完全に戦闘態勢。

 長剣を構え、急激にこちらへ近づいてくる。


 イーディスが抵抗しないなら黙って殺し、こちらが反撃に転ずれば、即座にジンジャーを盾にするつもりだ。


 どうすればいい。

 どうする、どうする、どうする、どうすればいい――!?





『……ようやく、時がきたようですね』







次回、反撃のイーディス。


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