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10話


 数時間後――、イーディスは鍛錬場の端で座り込んでいた。

 すでに太陽は頂点を通り過ぎ、傾き始めている。その間、ほぼ飲まず食わずで剣を振るい、ありったけの魔術を酷使し尽くした。新品だったはずの練習着は、切り傷やら泥やらでとっくにボロボロだ。


「いやー……悪い、ちょっとやり過ぎた」


 さすがに、ウォルターもばつが悪いのか、頬を掻きながらそっぽを向いている。

 同じ環境下で、しかも、こちらは本気で戦っていたというのに、彼は肩で息をしているものの、まだまだ余裕を感じられた。

 その体力、見た目通りの化け物か?と思ってしまう。

 対して、こちらは最後にくらった蹴りが、相当堪えたのか、いまだに鈍い痛みで立ち上がることができない。こうして、木に寄りかかり、座るのがやっとである。


「しかしな、お前、強いじゃねぇか。オレとここまで戦える相手って、そうそういないぜ?

 聖女として選ばれたのが、去年なんだろ? それまで、なにしてたんだ?」

「……王都の孤児院で、家事手伝い、を」

「つまり、その年まで剣を握ったことがなかったのか? なら、ますます凄いじゃねぇか!」


 涼しい顔をして言われても、皮肉にしか聞こえない。素直に称賛の言葉を受け止められない自分も、腹立たしかった。イーディスは痛みで顔をしかめながら、形だけの礼をする。


「だが、たしかに王都の――しかも、魔王討伐なんて大層な旅に付き添う天才どもからしたら、物足りなく感じるんだろうな」


 ウォルターは腕を組みながら答える。


「ついていったのは、たしか……騎士団長のランス、傭兵のロット、魔術師のペンドラゴン、それから、神官のバドワイザーだったか?」

「王太子とエンバス侯爵令嬢もです」

「なら、全員、お前の気持ちなんざ分からないだろうな」


 ウォルターは肩で息を吐いた。

 全員、心当たりがあるのか、どこか視線が遠いところを向いている。


「あいつらは、本当の天才だ。努力しなくても強い奴が、さらに努力している。そりゃ、その分野ごとに『最上』と謳われるわけだ」


 それには同意する。イーディスはゆっくり頷いた。

 魔王討伐の旅に出た仲間たちは、全員が全員、目を剥くほど強かったが、それぞれが他の仲間より勝る得意な分野があった。

 剣を取らせれば、騎士団長のランスより右に出る者はいない。

 剣ではランスに劣るが、魔族の知識や実践的な戦闘では、傭兵のロットに勝る者はいなかった。

 魔術師のペンドラゴンは呼吸するかのように上級魔術を連発し、バドワイザーは神聖魔術を使い、負傷したものを瞬く間に治療した。

 国境を渡るときの交渉が、通常よりも素早くすませることができたのは、王太子の手腕によるものだった。

 そんな個性豊かな仲間たちとほぼ互角に戦い、彼らをまとめ上げる統率力があるのは、クリスティーヌ・エンバス。


 ……彼らより遥かに劣り、お荷物だったのが、自分である。


「奴らは本当の天才だ。だから、できねぇ奴の気持ちが分からねぇ。

たとえ、他の奴より上達が早かったり、上手にできていたとしても、『オレはこの程度、簡単にこなせた。何故できないんだ?』ってなるわけだ」


 天才が指導者として優秀とは限らない。

 それは、市井でもよくある話だ。イーディスにも、なんとなく理解できた。


「ま、お前は聖女だ。だからなおさら、『どうしてできない?』になるんだろうな」


 ウォルターは、イーディスの肩を軽く叩いた。


「心配するな。得意分野で勝負しても勝ち目がないなら、他の分野で見返せばいい」

「でも……他の分野っていったい?」


 イーディスは顔を歪ませる。

 裁縫とか料理か? それは無謀である。なにしろ、十数年間、それらはすでに孤児院で学んできた。そして、ほとんど目が出なかった。たとえ、今から才能に目覚めてぐんぐん上達したとしても、むしろ、「さすが、孤児出身の聖女。俗世的な家事労働なら天下一だ」なんて言われかねない気がする。

 そのことを控えめに伝えると、ウォルターは豪胆な笑みを浮かべた。


「そんなこと分かり切ってるっての!

 いいか、お前がすることは、まず聖女の力の源を探ることだ」


 ウォルターはまっすぐイーディスの胸を指した。

 イーディスの胸には、相変わらず「聖女の首飾り」が輝いている。こうも激しい戦闘をしているというのに、まったく壊れる兆しがない。魔王討伐の旅の途中でも、服や身体は傷つき、どんどん汚れていくのに、この首飾りだけは最後まで無傷で紫色に輝いていた。


「そいつに選ばれたってことは、本人も自覚してねぇってだけで、どこかに聖女としての力が眠ってるはずだ」

「聖女としての力ですか」


 イーディスは首飾りをぎゅっと握りしめた。冷たい感触が掌に伝わってくる。


「見たところ、剣や魔術の才能じゃねぇ。いや、その才能もないってことはないんだが、聖女にしては伸び率が悪い。

 思い出せ。なにか、人より誇れることはあったか?」

 

 イーディスはしばし考えた後、ゆっくり首を横に振った。

 自分が人より誇れることなど、なにもない。唯一、あるとするならば、アキレスへの家族愛である。家族愛に関してだけ言えば、誰にも負ける気はしない。だが、それが聖女と何の関係があるのだろうか。イーディスはまったく思いつかなかった。


「……ま、ぽんぽん得意なことがあるようなら、悩まないよな……どうしたもんか」

「ピルスナー様!!」


 そのとき、誰かが会話に割り込んできた。

 騎士の服を着ているから騎士なのだろうが、それにしては、見た目が軽薄な男だった。狐のように目が細く、髪の端を結いあげ、羽飾りなんてつけている。


「なんか、聖女様に礼を言いたいって小僧が来てるんですけど……って、それが噂の聖女様?」


 男はひょいっとウォルターの巨躯の脇を通り抜けると、こちらに近づいてきた。


「うわー、聖女様を……しかも、奥様をこんなにボロボロにするなんて、酷い旦那様だ」

「旦那じゃねぇよ。婚姻って名目で、こいつを引き取らされただけだ。いまは師弟だよ、師弟」

「どっちにしろ、女の子を痛い目にあわせるなんて、最低ですって。ほら、顔にも痣ができちゃって……」

「ネザーランド、いい加減にしろ」


 ウォルターがあからさまに嫌そうな顔をしている。全身から不機嫌な空気が出ているのに、ネザーランドは怯えることもなく平然としていた。


「へいへい、了解しました。んで、どうします?」


 ネザーランドの問いかけを受け、ウォルターは黙ってこちらに視線を向ける。『決めるのはお前だ』と言っている。イーディスは少し悩んだ後、静かに応えた。


「……彼には悪いですけど、明日、こちらから向かう、というのはどうでしょう?」


 正直、身体が痛い。歩くのもやっとだ。しかも、顔にも痣ができているとなれば、先方の男の子も心配することだろう。昨日の今日でこの有様なら、下手すれば「僕を守ったときにできた傷だったのかも」と思ってしまうかもしれない。そんな無用な罪悪感を抱かせないためにも、ここは明日に先延ばしにした方が良いだろう。

 ウォルターも納得のいく答えだったのか、満足そうに頷いた。


「よし、それでいい。ネザーランド、そう伝えて来てくれ」

「了解しましたよ、ピルスナー様。っと、その前に……聖女様、どうぞっと!」


 ネザーランドは去り際、ほいっと何かを投げてよこした。

 空で受け止めようとしたが、一発でうまく取れず、空で二転・三転したあと、なんとか手の中に納める。


(ポーション)ですよ。ささやかな婚姻祝いってことで」

「ネザーランド!!」


 ウォルターの叱責が飛ぶが、それも素知らぬ顔で走り去っていった。


「あの野郎、からかいやがって……あとで、書類を三倍押し付けてやる」


 ウォルターは拳を震わせながら、彼が去った方向を睨み付けていた。


「えっと……」

「ああ、気にするな。奴は、ここの副団長だ。で、どんな薬を貰ったんだ?」

「これです」


 イーディスはネザーランドから貰った瓶を空にかざした。細く透明な容器に、鮮やかな緑色の液体が詰まっている。太陽の日差しを受け、ちらちらと星のような銀砂が舞っているところから考えるに、上級魔術薬(ハイ・ポーション)だ。それに気づいたとき、イーディスはぎょっと目を剥いた。

 薬は大変高額だ。

 孤児時代、アキレスの病を治すために薬屋を回ったときに、値の高さを身にしみて感じた。なにしろ、下級魔術薬でさえ、1瓶買うだけで1週間分の食費がとんでしまう。上級魔術薬ともなれば、1瓶で3か月は楽に暮らせるだろう。

 それを、ぽいっとくれるなんて、どのような神経をしているのか。

 イーディスの物差しでは、まったくもって考えられない事態である。


「こんなに高いものを……貰ってしまって、いいんですか?」

「気にするな。もらえるものは病気と借金以外、もらっておけ」


 ウォルターは面倒くさそうに言うが、イーディスは戸惑いながら薬を見つめた。


「これ、飲めばいいんですか?」

「薬ったら飲むものだろ。旅では飲まなかったのか?」

「……神官様が、すべて神聖魔術で治していましたから」


 自分を拉致したあの童顔神官は、薬を一切使わなかった。 

 仲間の負傷は、すべて自分の神聖魔術で治療してた。一度、傭兵から


『薬を予備に買っておくか?』


 と勧められたときも、彼だけは断固反対し、倒れる寸前まで神聖魔術を使い続けていた。もっとも、クリスティーヌたちは、ほとんど怪我を負わない。主に、神官の世話になっていたのは自分である。本当に――わずかながら、彼に申し訳ない、という気持ちがあったのは事実だ。もし、自分がいなければ、もっと楽に旅は進んだだろうし、神官が足元がふらつくほど神聖魔術を酷使することもなかっただろう。


 イーディスは瓶を抱きしめた。

 改めて、自分の駄目っぷりを再確認する。

 

「落ち込むなよ。

 これから、いろんなことを試していけばいいって。そうだな……手始めに、薬でも調合してみるか? 案外、いいとこまでいくかもしれないぜ?」 

「そうでしょうか?」


 正直、微妙である。

 なにしろ、薬作りは根気と繊細さが求められるのだ。

 自分には、どちらの素質もかけている。


「ま、とりあえず試してみようぜ。なにごとも、やってみなけりゃ分からねぇからな」


 ウォルターは笑顔を浮かべた。

 やはり、笑うとますます凶悪な顔になる。なにか、良からぬことを企んでいるのでは?と思いたくなるが、たぶん、彼は純粋に自分を応援してくれているのだろう。


「……」

 

 イーディスは冷たい瓶に目を落とすと、黙ってしまった。


 ウォルターのことは、正直、好きか嫌いかと問われれば、少し迷ってから「好き」と答える。

 それは、男女の好きや恋愛的な意味はなく、ただ純粋に好感を持てた。

 なにしろ、彼は家族以外で、はじめて自分を認めてくれた人だ。彼からしたら何気ない一言だったかもしれないが、唯一の家族を亡くした自分にとって特別で、暗かった世界に明かりを灯してくれた。アキレスほどではないが、大切な人である。


 けれど――結局、なにをやっても芽が出なかったら?

 いつか、見放されて「やっぱりお前は駄目だ。聖女なんかじゃなかったんだ」と、放り出されたら?




 イーディスは、なんだか無性に泣きたくなった。




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