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9話

 


 カーテンの隙間から差し込む光が、瞼越しに眩しく感じた。

 イーディスはうめきながら、毛布を口元まで持ち上げる。眩しい。まだあと少しだけ、眠っていたい。身体は怠く、鉛のように重かった。


「――様、奥様、朝でございます」

「……あと少しだけ」


 なにやら耳慣れない言葉が霞の向こうから聞こえてきたが、きっと気のせいだ。温かな毛布と柔らかい寝具に包まっていると、もう嫌なことをすべて忘れてしまいそうだ。そんな幸福感に浸り、ぬくぬくと惰眠を貪る。


「朝食の準備ができています。奥様、お支度を」

「……だから、あと少し……奥様?」


 うっすらと目を開ける。

 そこには、前髪を含めたすべての髪の毛を後頭部できつく縛り上げた女性が2人、控えていた。2人とも年齢の差異はあったが紺色の使用人服を身に纏い、静かにこちらを見つめている。イーディスは寝ぼけ眼をこすりながら、女性を見上げた。


「奥様って、だれ?」

「イーディス様のことでございます」

「はぁ……そうですか……っ、て、奥様っ!?」


 イーディスの顔は茹でたかのように真っ赤に染まった。

 途端、昨夜の出来事が蘇る。 

 初夜に起きた出来事――ウォルターが首根っこつかんできて、「奴らを見返してやるまで鍛え上げてくれる」と言ってきた。それだけである。そこに、男女の交わり的なものは一切なく、結局、婚姻だとか結婚だとか、そういう話題もまったくもって出なかった。

 だから、彼とは師弟的な関係になったのであり、夫婦ではないと思っていた。事実、彼は途中で自分を逃がそうとしてくれた。先方も結婚する気がない以上、自分が「奥様」なんて呼称で呼ばれるのは歯がゆい。背中がムズムズしてきた。


「わ、私は、その、イーディスでいいです。ただのイーディスですから!」

「かしこまりました、奥様」

「いや、そういうことではなくって」

「私、当家の侍女頭をつとめています、リリーと申します。こちらは奥様付きのハンナ。以後、よろしくお願いします」


 こちらの言い分を全く気も止めず、リリーは淡々と話した。表情一つ変えない。しかし、イーディスもつられて「こちらこそ、よろしくお願いします」と頭を下げると、リリーの眉がくいっと上がった。


「我らは使用人でございます。使用人にそのような態度はお控えください」

「あ……すみません」

「すぐにお支度に移らせていただきます」


 リリーとハンナはてきぱきと動き始める。用意された服は、騎士団の練習着だった。王城の鍛錬場で見かけたものと同じである。これから、鍛えるのであれば、下手なスカートより、こちらの方がずっと動きやすい。

 練習着はイーディスに合わせて随分と小さなサイズだったが、それでも、袖口や足元をまくることになる。少しダボっとしていて、服に着せられている感が半端なかった。


「……まぁ、これでよしとしましょう」


 リリーは少し悩んでいるようだったが、時間がないのだろう。小さく息を吐くと、そのまま朝食の場所まで案内された。廊下は城のものより狭かったが、孤児院に比べると格段に広く、ここにあの悪ガキ共がいたら「おい、向こうの壁まで競争しようぜ!」とか言い出すことだろう。

 そんなことを考えていると、ふと――そういえば、昨日は壁にもたれかかるように寝てしまったことを思い出す。それなのに、朝はぐっすりベッドの中だった。はてさて、これはどういうことなのか。


 ……もしかして、瞬間移動の力に目覚めた、とかではないだろうか。

 イーディスは若干色めき立っていると、リリーが静かに口を開いた。


「旦那様が退出された後、私どもの紹介を含めて挨拶に伺ったのですが、奥様は熟睡なさっていたのです。

 僭越ながら、あの場で寝ていたらお身体に障ると考え、ベッドの方へ移させていただきました」

「ありがとうございます」

「礼には及びません、仕事ですから」


 リリーは無表情のまま答える。随分と冷たい感じの女性だ。そんなことを想っていると、それまでずっと口を閉ざしていたハンナがくすっと笑った。


「安心してください、奥様。リリーさんは、奥様を歓迎されているのですよ。奥様が来られると聞いて、それはもう――」

「ハンナ、口を慎みなさい。勤務中ですよ」

「はーい、申し訳ありませんでした」


 ハンナはどこか間延びした返事をする。それを受けて、リリーは疲れたように眉間を抑えた。


「まったく、旦那様がしっかりなされないから、このような侍女が増えるばかり……奥様も気を引き締めて行動なさいませ。貴方様は、この屋敷の女主人様になられる方なのですから」

「……はぁ」


 イーディスは、どっちつかずの笑みを浮かべて話を流した。

 この女性に反論したところで、十や二十の反撃が待っていそうだ。それに勝てる自信はない。


「こちらでございます」


 扉を開けると、美味しそうな香りが鼻孔をくすぐった。

 こんがり焼けたパン、みずみずしい野菜で彩られたサラダ、野菜や肉がじっくり煮込まれたスープ……。見ているだけで、腹がぐうっと鳴った。はやく食わせろーと、おなかが訴えかけてきている。

 そういえば、昨日、サンドイッチを口にしただけで、あとはほとんど何も食べていないのだ。

 おなかがすくのも当然のことであった。

 この「何人掛けですか?」と聞きたくなるくらい長い長いテーブル全部を覆いつくすくらいの料理が並んでいても、いまならしっかり食べきる自信がある。

 イーディスは椅子に座ると、さっそくパンから口に運んだ。


「――ッん、おいしい!!」


 どれも身体がよじれるくらい美味い。柔らかなパンも新鮮で虫喰いあとのない野菜も、肉が浮かんだスープもすべてがすべて贅沢品だ。

 ……城でも食べた気もするが、それはそれ。これはこれ。

 だいたい、城ではパン一つ食べるのにも、「マナーがなっていない! もう、クリスティーヌ様でしたら――」という注意の言葉が飛んだ。最後までマナーとやらには慣れず、緊張して食べたので味なんてしなかった。まだ、やっと手に入れたパンの欠片をアキレスと一緒に食べていたときの方が美味しく感じたものだ。


 ようは、食べるときの気持ちの持ちよう、ということなのだろう。


 好きなものを好きな順番でゆっくり食べる。

 なんて、素晴らしい! 食事に関しては、旅に出ていたときや城はもちろん、孤児院にいたときよりずっとマシである。


「……これは、食事マナーのレッスンが必要ですね」



 幸福の時間は、リリーの悪魔のような一言を聞くまでだったが。



 ※



「奥様、鍛錬場にて旦那様がおまちでございます」


 やや緊張気味に食事を終えると、リリーが鍛錬場なる場所に案内してくれる。

 屋敷の裏手には、グランドが広がっていた。そこで、領主軍と思われる騎士たちが、おのおのの武器を振るっている。

 その中心には、すでにウォルターの姿があった。身の丈ほどの両手剣をやすやすと振り回し、自分と互角、それ以上の体躯の騎士たちを払い飛ばしている。


「お、イーディス。やっと起きたのか」


 ウォルターはイーディスに気づくと鍛錬をやめ、こちらに近づいてきた。


「んじゃ、これからはじめるか」


 鍛錬用に置いてある模造剣を無造作に投げる。

 イーディスは空で受け取ると、深呼吸をした。朝食の良い香りはなく、そこは汗と泥の臭いで満ちている。だが、そっちの方がイーディスにとって慣れた空気だ。少しだけ、緊張が和らいだ気がする。


「よし、どっからでもかかってこい!」

「は、はい!!」


 イーディスは声を張り上げて返事をすると、ウォルターめがけて走り出した。





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