神官の疑念
※イーディスを拉致った神官視点です。
いつも読んでくださり、ありがとうございます。
次回から本編に戻ります。
魔王が死に、世界は平和になった。
貴族たちは魔王の脅威と、半年前の王の崩御に伴い、どこか暗い雰囲気に包まれていたが、魔王を倒した聖女一行が帰っていてからは、少しずつ活気が少しずつ戻り始めていた。
むしろ、活気に溢れているといっても過言ではない。本来であれば、王の喪を弔うため、死後1年は夜会など開催されないのだが、「魔王の死を祝うため」「聖女一行をねぎらうため」、そして、「王の遺言に『喪に服すのは半年で構わない』と記してあった」――以上3点の理由で、社交のシーズンではないのに、夜会が開かれ、貴族たちは踊り狂っている。
その中心で、もっとも華やぐ女性は、クリスティーヌ・エンバス侯爵令嬢だ。
見目麗しく、魔王を倒す試練を乗り越えた仲間たちと共に、踊り、談笑する。
なんて、平和なのだろう。
ところが、魔王を倒した仲間たちのなかで、いない者が2人いた。
1人は、お払い箱になった聖女。
もう1人は、神官――エドワード・バドワイザーだ。
※
その夜も、エドワードは書庫にこもっていた。
どうせ、誰も自分が夜会にいなくても不審に思わない。
そもそも、神官である自分に華やかな社交場などふさわしくない。優しいクリスティーヌが「エドもどう? みんなもいるわ」と誘いに来たが、それは年齢を理由に断った。
神官 エドワード・バドワイザー。
今年で、やっと11歳。14歳以上にならなければ、そもそも夜会に参加できないのだ。
幼い頃から、エドワードは神童だった。
自分の周りに、不思議な光が見えていたのだ。
森や神殿など、神聖な場所でふわふわ浮いている。話しかければ答えてくれるし、ちょっと冗談を言えば笑ってくれる。「この先に悪い奴らがいるよ」と教えてくれるし、喉が渇けば水辺に案内してくれる――とても優しい光だ。
それが、自分にしか見えない特別な存在――精霊だと気づくまで、そう時間はかからなかった。
「精霊が見えるなんて! 上位の神官様でも、修行しないと見えないのよ!」
「我が家から将来の大神官が出たぞ!! 誇りだ、息子よ!!」
さっそく神殿に連れて行かれ、その日のうちに神官見習いになった。
わずか、5歳の時だった。
最初は地元の神殿で、次に「もっと専門の教育を受けるため」と、もっと大きな町の神殿に、そこで1年経つ頃には、「もう教えることはない」と、見習いから神官に昇格された。
周囲からは「神童だ」と謳われ、もてはやされ、ちやほやされたが、それと同じくらい先輩からの妬みや嫉妬の視線も激しかった。そりゃそうだ、と思う。なにせ、だいたい神官として認められるのは、10年以上修行してからだ。それなのに、修行や見習の期間をすっ飛ばして、いきなり自分たちの上司になったのだから、それは面白いはずがない。
だからといって、それに怯えたり慢心したりすることなく、神官としての経験を積み、神聖術(一般の魔術と異なり、精霊の力を借りて行う特殊な術のこと。主に治療系の術を意味する)の実力もめきめきとつき、3年も経てば「十年後には、本神殿の神官になっているだろう」と呼ばれるほどになっていた。
……当然だ。
だいたい、この神殿は腐りきっている。
上司の大半は外見上「清廉潔白」を謳っているが、裏ではあくどいことに手を染めたり、貴族連中に媚びを売ったりと、出世に大忙しだ。神聖術もレベルも自分より随分と劣っている。本当、どうしようもない世界だ。
そんな、自分が初めて「自分よりすごい」と思った人がいる。
クリスティーヌ・エンバス侯爵令嬢だ。
一部では「誰にでも媚びを売る悪女」と呼ばれているし、実際に会うまで自分もそうだと考えていた。
だが、実際には違った。
エドワードの務める神殿に、視察で訪れた彼女は凛と輝く令嬢だった。
すぐに神殿にはびこる不正を指摘した。上司連中は賄賂やらなにやらで、令嬢の気を変えようとしていたが、がんとして考えを変えず、
「本神殿から監査官を派遣しますので、神官として清く正しくありなさい」
と、言ったのである。
実際、視察の数日後には監査官が送られ、不正はことごとく解消された。
その監査官に「君はぜひ、王都の本神殿に来るべきだ。そして、王家の方々やクリスティーヌ様に仕えて欲しい」と言われ、本神殿に移動した。以来、こうして本神殿で働いている。
だから、クリスティーヌには感謝しきれない。
もし、彼女がいなければ、本神殿に入る時期が遅れるか、入れなかったかもしれない。なにせ、あの不正上司は、媚びを売らず、賄賂もしない自分を疎んでいたはずだから。
クリスティーヌは努力家で、必死に「未来の王妃」になろうと努力していた。
容姿端麗で礼儀正しいのはもちろんのこと、騎士団長に剣で戦いを挑めるほど力があり、上級魔術も呼吸をするように発動させることができる。かといって、頭が悪いわけでもなく、むしろ、大臣と対等に政治について話すほどの知識がある。時折、王都の貧民街に出向き、炊き出しをするほど慈愛に満ちている。
まさに、完全無欠、王妃になるために生まれた完璧な女性であった。……正直、未来の王妃として剣術や魔術の腕が必要なのか?とも思うが、本人曰く「備えあれば憂いなし」ということらしい。
本当、なぜ彼女が聖女ではないのか。
いつもいつも疑問に思う。
クリスティーヌほど才能に溢れ、慈愛に満ちた女性はいない。
それなのに、実際に聖女の神託を受けたのは、貧民街の孤児だった。
イーディス・ワーグナー。
剣術もできず、体力もなく、魔力も最低値。頭が良いわけでもなければ、孤児院の資料によるとパンの窃盗の常習犯で、信仰心もそこまでない。
誰もが思うが、自分も「なぜ?」と思った。
旅に出ればまた違ってくるかもと思ったが、そこまで変化はなかった。王太子や騎士は露骨に
「神託は間違っていた」
「あの孤児は聖女じゃない。ただの足手まといだ」
なんて言っていた。
さすがに、それは言い過ぎだと思う。
彼女の実力はアレだが、聖女であることには変わらない。
初めて「聖女の首飾り」をかけたときの神々しさ。あれを見た瞬間、それまでの疑念が吹っ飛び、「彼女こそが聖女なのだ」と直感した。「なぜ?」と思い続けるような実力であっても、クリスティーヌではなく、彼女が魔王を倒し、国を救う聖女なのだと。
「だから、妙なんですよね」
エドワードは腕を組んだ。
魔王を倒したのは、クリスティーヌだ。
彼女の得意とする爆裂魔術で、一撃で滅した。魔王は塵と化し、消え失せた。魔王の消失反応は、その場で確認したし、自分の周りを漂う精霊たちも「魔王は消えたよ」と口をそろえて言っていたので間違いない。
だが、聖女は何もしていない。
クリスティーヌの圧勝する姿を、ただ見ていただけだ。
ここが、妙に引っかかる。
聖女は、その場にいればよかったのか。
城に帰って来てから、普段の業務の合間に書庫へ出向き、聖女や魔王に関する資料を片っ端から探した。すると、聖女によって異なるが、全員が魔王の前でなにか行動を起こしている。「聖なる力を宿した剣で封印する」「神聖術で消失させる」などなど――なにもせずに、見ていただけの聖女はいなかった。
「彼女が持っていたのは、聖女の傍にいるだけで、仲間の能力が向上する力でしょうか? それでしたら、あの場にいただけで効果を発揮したことに……いや、そんなことはありませんでした。あれは、クリスティーヌの実力ですし、旅の途中もそのようなことは、一度も……」
ぱたん、と聖女にまつわる書籍を閉じ、息を吐いた。
精霊たちは、「魔王は消えた」としか言わなかった。だが「倒された」とは、口にしていない。
そのことを問いただしても、精霊たちは「魔王は消えるの」「消えたの」としか言わなくなるのだ。
「やっぱり、魔王は倒されていないのでしょうか……?」
考えたくない話だが、ありえてしまう。
万が一、魔王が生きていたなら、聖女を殺しに行くにちがいない。なにせ、クリスティーヌが倒せなかった以上、魔王を倒せるのは神託通り――聖女だけなのだ。魔王が聖女を殺せば、こちらには対抗する手段がなくなってしまう。
だから、念のため、聖女から「聖女の首飾り」を回収せず、こっそり持たせておいた。伝承通りなら、あれを身に着けた聖女は「聖女の力」を十二分に発揮できるはずだ。……身に着けていても、聖女は旅で役立たずだったが、ないよりはマシだろう。
「早々に、彼女の様子を見に行く必要がありそうですね」
彼女の嫁ぎ先は、色狂いのピルスナー。
もう少しマシな家に嫁がせても良かったのだが、クリスティーヌが早々に決めてしまった。仕方あるまい。一応、聖女なので、あまり乱暴な扱いは受けていないだろうが、もし、命の危険にかかわるような境遇であれば、すぐに引き取り、無理やりにでも神殿に入れよう。
もちろん、魔王を倒し損ねたなど、ただの杞憂で終わればいいが。
「まったく、なぜ彼女が聖女なのでしょうか」
クリスティーヌだったら、こんなことにはならなかったのに。
神童と呼ばれる神官であっても、神の御心はまったく分からない。
エドワードは一人、書庫を後にした。
去りゆく彼を凝視する影に、気づかないまま。