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8話


「ねぇ、お姉ちゃんは結婚するの?」 


 いつか、アキレスが尋ねてきたことがある。

 たしか、自分が10歳で、アキレスは5歳の冬――暖炉の前でうとうとしていたときだ。あの日は、自分たち姉弟が暖炉で火の番をする係で、眠い目をこすりながら、ぱちぱちと薪が爆ぜる様子を眺めていた。


「うーん、まあ、いつかは」

「どんな人と?」

「そうね、アキレスを大事にしてくれる人かな」

「僕って、そんなに頼りない?」


 アキレスはイーディスの膝に頭をのせる。ちょっと拗ねているのか、頬を膨らませていた。イーディスは彼をなだめるように、くしゃくしゃの髪を撫でた。すると、甘えるように腹に顔をすりつけてくる。まるで、子猫みたいだ。本当、弟は可愛い。


「だって、私たちの家族になる人だもの。アキレスのことを自分の弟のように思ってくれる人じゃないと。

 ちなみに、アキレスは、どんな人と結婚したいの?」

「えっとね、お姉ちゃんがいい!」

「あはは、ありがとう!! 可愛いなー、アキレスは!」

「むー、本気だよ! 馬鹿にしないでよ、お姉ちゃん!」


 将来、アキレスに自分みたいな嫁が来たら、どんな反応をするのだろうか。

 きっと、自分みたいにいい加減な女は「嫁として認めん!!」と、突き放しそうな気がする。


「もう、アキレスったら」


 イーディスはくすくす笑った。

 アキレスの嫁になるのは、どんな女性だろう。料理が上手? 裁縫が得意? 優しい人? いや、どんな嫁でも許せそうにない。自分以上に彼のことを想い、彼のためにすべてを捧げる覚悟がなければ、どれほど素晴らしく完璧な女性であったとしても、嫁として絶対に認めない。


 それは、自分の夫に求める条件も同じである。アキレスのことを最優先で考え、彼のために一生を捧げる。……もちろん、そんな男性、いるわけがない。

 だから、一生――自分は結婚しないし、アキレス夫婦の小姑になるのだ。

 きっと、小うるさくて嫁と対立し、影でこそこそ悪口を言われるに違いない。アキレスも自分のことを嫌いになるかもしれない。誰からも愛されないまま、ひとりぼっちで死んでいく。

 それでも、自分はかまわない。


 たった一人の家族が、幸せならば。


「あったかいね、アキレス」


 こうして、頭に手を置いていると、彼のぬくもりが伝わってくる。

 アキレスが結婚するのは、まだまだ遠い未来の話。はやく彼が結婚する未来を視たい気もするが、それはその時の楽しみに取っておくとしよう。いまは、こうして、自分が彼の好意を独占している。それが、何よりも幸せだ。


「ねぇ、お姉ちゃん」


 赤みを帯びた薪が次第に黒ずみ、火が弱くなっていく。

 そろそろ薪を足そうか、と思い始めたとき、アキレスが静かに口を開いた。


「僕の夢、叶わなかったね」


 黒い薪が、ばきっと2つに折れた。

 そして、アキレスの身体も、燃えカスのように黒ずみ始める。そして、自分の手の中で、ぱきっと2つに――





「――ッ、アキレス!!」

「うわぁっと!!」


 飛び起きた瞬間、なにか硬いものにぶつかった。

 頭がじんじん痛む。いったい、何が起きたのだろうか。額を抑えながら薄目を開けると、そこには同じように顔を抑える影があった。


「ウォルター、さん?」

「いきなり起き上がるなよ、石頭!」


 よほど痛かったのか、目元に涙をにじませている。

 彼の顔を見た途端、いままでのことが電光のように脳内に蘇る。人さらいに壁まで追い込まれ、絶体絶命の時、彼が駆けつけてくれて、人さらいを倒して、そしたら、ピルスナー辺境伯の執事がやってきて、この男が辺境伯だと告げて、そして――


「ったく、いきなり気絶したかと思ったら、唐突に起きる。反射的に生きてるのか、お前は!!」


 ウォルターは頭を押さえながら、腹立たしそうに言い放った。


「あれからどれだけ経ったと思ってるんだ? 丸半日だぞ! 様子を見に来てみれば、うなされ始めるし……まったく、心配して損したぜ」

「心配?」

「……そりゃ、『聖女が輿入れ当日に、意識不明になりました』って、王家に報告できるわけねぇだろ」

「たしかに……そうですね」


 ここで、ようやく、最初に通された寝室にいることに気づいた。

 結局、脱走は失敗。

 辺境伯の屋敷スタート地点に戻されてしまったことに落胆する。

 しかも、目の前にいるのは、凶悪極まりない辺境伯。

 窓を見るが、頑丈そうな鍵が二重にかかっている。ヘアピン程度で開けられそうな代物ではない。

 助けてくれそうな人物もおらず、拳一振りで大の男を3人倒した男に腕力で勝てるわけがない。この至近距離では、魔術の詠唱を唱えている間に、手と口を抑えつけられてしまうだろう。



 ああ、ここで終了だ。

 イーディスは、胃の奥が冷えるのを感じた。

 視界が黒い靄に覆われるように、暗くなっていく。

 アキレスの夢も自分の願望も叶わぬまま、ここで自分は死ぬ。女を切り刻んで、痛めつけることに興奮を覚える変態によって、殺されるのだ。

 指先からつま先まで、氷のように冷たい。背中から冷汗が出ている。身体が小刻みに震える。歯がカチカチなる。

 だが、不思議なことに、怖がっているのは身体だけらしく、心は冬の湖面のように静かだった。


 そうだ。死ねばいい。

 死ねば、アキレスの所へ行ける。きっと、あの世で彼は寂しがっている。自分はできるだけ早く、彼のお姉ちゃんとして傍に逝ってやらなければならないのだ。


「……お前、本当に聖女なのか?」

「よく言われます」


 どうせ殺されるなら、痛みは長引かない方がいい。

 長々と殺され続けるより、一回でさくっと殺してほしい。きっと、この人も孤児上がりの貧相な聖女なんて厄介者を養い続けるのは嫌だろう。

 そのことを伝えようと口を開きかけたとき、ウォルターは静かに話しかけてきた。


「なぁ、アキレスって誰だ? お前の恋人か?」

「……弟です」

「だったら、その弟に会いに行け」


 ウォルターは近くの木椅子に腰を下ろした。太い腕を組み、若干前のめりな体勢になると、おもむろに目を閉じる。


「オレは、うっかり寝る。なにがあっても気づかない」


 ウォルターは、目を瞑ったまま話し続ける。


「これは、寝言だ。

 侍女の中に『聖女様の役に立ちたい』とか言う奴がいてな、玄関の所で旅支度をして待っている。そいつに、弟のところまで案内してもらえ。んで、一緒に国外に脱出しろ。そこまですれば、王家の奴らも追ってこないさ」

「ずいぶんと長い寝言ですね」

「……」

「ご安心を。弟は、半年前の火災で死んでますから」


 ウォルターは目を瞑ったままだ。口を固く結んだまま、ぴくりとも動かない。

 イーディスは口元に微笑を浮かべた。笑える状況じゃないのに、なぜか笑いが込み上げてくる。


「最初に言いましたよね、私。

 行く場所もない。戻る場所もないって」


 ああ、そうだ。

 イーディスは自分の失態を悟った。

 どうして、屋敷から逃げ出したあの時に死ななかったんだろう。

 いや、もっと前に――王太子から訃報を聞いた時に、命を絶つべきだったのだ。自分で方法を選べるときに死ねば、痛い思いをしないで済んだはずなのに。


「どうせ、私はお払い箱にされたんです。生きていても、役立たずです。だから、私、ここで死んでもいい。死にたいんですよ」

「それは嘘だ」


 ウォルターの片目が開いた。鷹のように鋭い瞳が、まっすぐこちらを見据えている。


「死にたくないから、この屋敷を逃げ出した。そうじゃないのか?」

「それは……」

「だったら、オレも言ってやる」


 ウォルターは乱雑に立ち上がると、こちらに近づいてくる。そして、武骨な手をイーディスの首に伸ばしてきた。反射的に身体を逸らして避けようとするが、間に合わない。引っ張られた服のせいで、気道が絞まる。目の前には銀砂が散り、頭がくらくらする。抵抗ができない。イーディスは彼に首根をつかまれたまま、無理やり立たされた。


「ああ、確かにオレは聞いたさ。行く場所もねぇ、戻る場所もねぇってな。

 だがよ……そんでもって、オレはこう言ったはずだ」


 気がつけば、そのまま背中を壁に叩きつけられていた。


「家出だか死に場所を求めだか事情は知らねぇが、面白いもんを見て、美味いものを食べれば妙な気は収まる、ってな」


 ウォルターは歪みきった冷ややかな笑みを浮かべていた。赤い瞳の奥が、さらに赤く――まるで、燃えるように光っている。


「だいたい、お前はぬるすぎるんだよ。お払い箱にされて、悔しくないのか! 奴らを見返してやりたいって思ってないのかよ!?」

「――ッ!」


 激情をぶつけられ、どくんと心臓の鼓動を感じた。


 悔しくない、といったら嘘になる。

 あれだけ頑張ったのに、ねぎらいの言葉もなかった。結果が出せなかったのだから仕方ない、かもしれないが、お疲れ様の一言くらい欲しかった。しかも、唯一の家族を失った悲しみを――言葉だけでもいいのに悔いることもせず、「孤児の少女が貴族と結婚できるんだから、泣いて喜ぶべきだ」みたいな態度で厄介払いなんて、こんなの酷すぎる。

 もし、アキレスが自分と同じ境遇になってしまっていたら――奴らを百回呪っても、まだ足りないくらいだ。

 冷え切った心臓が、音を立てながら激しく脈を打ち始めた。


「だいたい、死にたいなんて口にするんじゃねぇっての! お前がいなけりゃ、あの坊主は売り飛ばされてた。お前がいて、助かった命があるんだ。お前は、頑張ってるし、役立たずなんかじゃない!」


 聖女になってから、聞きたかった言葉が初めて聞こえた。

 暗かったはずの世界が、ゆっくりと靄が晴れ、色づき始める。

 首を絞められているはずなのに、人を噛み殺してしまいそうな凶悪な顔が目の前にあるはずなのに、どうして、こんなに心が温かくなっていくのだろう。


「わ、私――は、」


 イーディスは、震える唇を開いた。


「悔しい」


 やっとの思いで言葉を絞り出す。


「私だって――、できるんだ――ってことを、証明したい」


 泣いては駄目だ、と思うのに。

 アキレスの死を知った時も涙が出なかったのに、嗚咽が漏れる。泣きたくないのに、自分の意志とは反して、涙が溢れてくる。


「ああ、いいぜ」


 彼の目が一層物騒な光を放った。


「オレが、お前を強くしてやる。鍛え上げてやる。奴らを見返せるように、な」


 彼は歪んだ笑みを浮かべたまま、身体を離した。拘束を解かれた身体は、そのまま床に崩れ落ちる。気道が急に開放され、肺が空気を求めて思いっきり息を吸い込んだものだから、咳き込んでしまった。


「今日は休め。明日から、びしばしやってやる」


 先ほどまでの激情が嘘のように、あっさりと背を向けて去って行った。

 広すぎる寝室には、イーディスだけが残された。

 いつの間にか、窓から月光が差し込み、殺風景な部屋を静かに照らしている。


「アキレス、ごめんね」


 誰もいない空間に、ぽつりと呟いた。


 痛む喉を擦りながら、空を見上げる。

 深い藍色の空には、半分かけた月が登っていた。


「お姉ちゃんは、もう少し――逝くのが遅くなりそうなんだ」


 まるで、半身を失った自分に言い聞かせるように、静かな決意を口にする。

 再度、決意を言葉にすれば、無意識に張り詰めていた緊張が解かれ、そのまま床に寝転がってしまった。激情をぶつけられ、思いの丈を話し、すっかり身体的にも精神的にも疲れ切ってしまっていたのだ。イーディスの意識は、すぅっと幕を引くように遠くなっていった。

 そして、そのまま眠りに落ちる。




 今度は、なにも夢を見なかった。





第一章は、これで終了です。

次回からは第二章に入ります。


 本当、たくさんの方が読んでくださっているようで嬉しいです。

 感想がなかなか返信できませんが、全部読んでいます!ありがとうございます!

 これからも、本作をよろしくお願いします。

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