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6章 マイペースの自惚れ屋

彼女はそのまま神社から湖へと向かった。

其の湖は何時も霞み掛かっており、夜なのに美しい月が所々にしか水に映えていない。

誰もいないため、冷え切った宵闇の下は静まり返っていたが、そこに彼女は姿を現した。

氷で作られた、非常に冷めきった刀身を携える剣を片手に、彼女は振る練習を行っていた。其れは正しく、男に言われた事であった。

彼女は自分自身を強い存在だとは豪語していたが、男と闘ったうえで彼の強さを再認識し、如何に其の言葉が重たいものか理解出来ていたのだ。

無人でただ静寂さだけが誇大化する中、空気を斬る音だけが空しくも響き渡った。


幾分か経過した後、彼女は誰もいないはずの湖畔で目線を感じた。

しかし湖はただ沈黙しているかのように其処に在るだけで、周囲を見渡しても木々が生い茂っているだけであった。

不意に目線を感じた彼女は、その目線が背中に集中していると察すると振り返り、後ろにある木々に向かって問いかけた。


「誰?…其処に誰かいるの?いるなら返事してよ」


すると、不意に叢が寄れ動いて木々が喚いた。小風と同時に、徐に陰が動いたのを彼女は気づいた。

やがて其の陰はゆっくりと彼女の方へ歩む動きをし始め、遂に正体が明らかとなった。

其れは紛うこと無き上崎ユイト、彼女が可哀想に思っていた虐められっ子であったのだ。

円らな眼差しを姉貴分である彼女に向けては、霞が掛かる湖畔で何とも言えない空気が流れていた。


「―――チルノお姉ちゃん、其処に居たんだねって思ってさ。隠れて見ていたんだ」


「フン、なんだ、ユイトか。…別にあんたが隠れる必要なんて無いでしょ?隠れるなら、私の背中にしてね」


少し恰好つけてみた彼女は、ユイトが何処か淀んだ眼をしていることに気が付いた。

彼は失望したかのように溜息を吐いては、今日傷つけられた頬や膝を心配し、痣を手で押さえていたのだ。

ユイトは自分が蒙っている虐めが至極残虐な行為である事を知っている。其れは彼女も同じであった。

だが、彼らは一行に止めてくれない。其の、止めろと言う勇気も彼には持ち合わせていないのかも知れない。

しびれたような不安。鈍い苦痛の無感覚の持続。なんの懸念もなく、なんの未来もない。


「ねぇ、チルノお姉ちゃん」


ユイトは口を開いた。目は変わらずして霞んだままで、哀しさが溢れている。

彼女は何処か重々しく話す彼の口調に胸が痛い覚えを感じ、そして悲しくなった。

彼を守ってやりたくとも、自分は守れなかった。しかし彼は、其の傷みに只耐えることしか出来ないであったのだ。


「……もし、みんなが笑えば、それは"平和"って言うのかな」


「……あたいにも分からない。…だけど、みんなが笑えば嬉しい気持ちがする」


そう彼女が答えると、彼は心の蟠りが溶けたかのように溜飲が下がったのであった。

彼は彼自身の解を導き、みんなを笑わせると言う事―――其れがみんな仲良くなれる手段なのだ、と考えたのだ。

もっと前向きに生きていく、其れが今の彼に出来る事なのかもしれない。

しかし其の途は極めて苦難と傷を伴うものであると言う事、そしてもっとも強烈な「快苦感」に戦慄する事を、彼は理解していた。

だが、彼女が何時か笑ってくれる―――何時もお世話になっているチルノに、恩返しが出来たら、と言う思いであった。


「…ありがとう、チルノお姉ちゃん」


そう言うや、彼は再び木々の中に姿を隠してしまった。

彼女は手を差し伸ばしかけたが、既にその時にユイトは跡形も無く、姿を暗闇に消してしまっていた。


◆◆◆


「号外、号外でーす!!」


―――謎の男、襲来!そして"あの"チルノが撃退!


今日も声高々に天狗は声を上げながら新聞を配っていた。

昨日の飲み会での、黒いマントを羽織った男がチルノに襲い掛かったが返り討ちにしたと言う、如何にも英雄譚に仕上げたものであった。

新聞の購読者は昨日に何があったのか、そして男の正体が全く以て理解出来なかった。

飲み会の現場にいた当事者たちは口を揃えて証言するが、幻想郷は不可解に悩まされた。

だが、この時は誰も第二次蒼穹而戦争の幕開けがすぐそこである事を知らないでいたのだ。


そして、午前7時。約束の時間に、彼女は姿を現した。

行く前に友人たちに別れを告げた後、大急ぎで博麗神社の境内へと足を踏み入れた。

其処には竹箒で掃除を行っていた巫女がいたが、賽銭箱の上に座る形であの男が存在していた。

しかし巫女は全く気づいていないようであったが為に、霊験視ベール状態なのだろうか。


「―――来たよ」


男は透かさず反応した。

口元で不気味な空気を醸し出す笑みを浮かべては、シルクハットを被り直して。

彼は依然として黒洞々とした外套を羽織り、風に自身を靡かせていた。

彼女の声が聞こえたや否や、霊験視ベール状態をボタンで解除し、其の存在を巫女に可視させた。


「…随分と賑やかになってたわよ、今朝の新聞で」


「―――これからもっと凄い事になる。…悪い意味でな」


男は両手をポケットに突っ込みながら、下を俯いてそう話した。

チルノは元気そうに彼の元へ駆けて行くと、男は其の存在を視て確かめた。

昨日、自分を倒した彼女である事に間違いないと確認すると、アバタール・ネットワークへ接続する為にとある"合言葉"を口にした。

其れは旧約聖書にも書かれている、とある一節の文であった。


「…正義のいさおは平和、正義のむずぶ果はとこしえの平穏とやすきなり」


すると彼の前にあった空中にセンサー型のパソコン画面が起動し、キーボードが出てきたのである。

その光景を前に、其の場に居た2人は絶句した。非日常的な現象が今、目の前で起こっているのだ。

幾多ものウィンドウを自身の周囲に展開しながら、彼は第二次世界である黎明都市フィッツジェラルドとのコンタクトを取っていた。

やがて安全な経路を確認した後、茫然と見ていたチルノの右手を掴み、センサーに読み込ませたのである。

2人の身体を、キーボードの画面から放たれたセンサーレーザーで読み込ませるや、徐々に世界での存在が薄くなってきたのである。

巫女は訳が分からないように、ただ口をだだっ広く開けては茫然としている。

やがて2人の身体はそのまま姿を消し、遂にネットワークの中へと、入りこんだのである。


「…此処がアバタール・ネットワークだ。凄いだろう?」


「…あたい、凄すぎて良く分かんないよ…」


2人はネットワーク世界へと足を踏み入れた。

ネットワーク世界は情報の海にデータの島々が浮かんでおり、幻想郷とは光景を全く以てして異なるものであった。

彼女は自分の身体を見て見ると、所々に数字が浮かび上がっては水の泡のように消えていく。

泡沫の流れを形成している数字は2人をデータに置き換え、実体を築き上げていたのである。

男は興味津々そうな眼差しを向けていた彼女に、まるで其の場気取りのガイドのように案内して見せた。


「…へぇ~。何でも知ってるんだね」


「…お前みたいな奴が、ほんとに解条者フォノンなのか疑いたくなるレベルだ」


「な、何を~!あたい、あんたを倒せるほど強いんだからね!えっへん!」


「マイペースで自惚れ屋さんらしいが、寧ろそう言う性分の方がお似合いなのかもしれないな」


そう言うや、2人はそのまま島々を渡って歩いて行った。

情報の海の上に掛けられている、データの島々への渡しは頑強な作りで、手すりは少し熱い。

だが氷の妖精である彼女は寧ろ其れを暖かく感じた。此れも環境変化によるものだろうか。

徐々に汗が流れ始める。比較的涼しい幻想郷とは異なり、この世界は少しばかり暑いようだ。


「…なんだか、暑いよぉ……」


解条者フォノンが環境如きでくたばって貰ったら、こっちが困る。行くぞ」


徐々に疲弊を伴い、足の速度を遅める彼女の手を無理やり引っ張っていく形で、2人は前へと進んだ。

やがて第二次世界入口の巨大なゲートっぽいものが、2人の前に姿を現した。

ゲートは巨大なデータの壁で構成されており、まるでコンクリートのようにも捉えられる。

何もかも初めてみる物ばかりで、彼女は驚きの連続であったが、ゲートに至っては何処か感銘さえ受けていた。


「あたい、こんなでっかいの見た事ないや」


「さて、今から霊験視ベール状態を事前に剥ぐためのハッキングを行う。…何せ、完全な独立を与えられたお前はいいが、私は違うんでね」


彼は再び例の合言葉を口にするや、空中でウィンドウとキーボードを展開した。

センサーで構成された入力装置で、高速と称出来るほどの速さで手を動かし、ハッキングを行っていた。

やがて彼は真剣な顔つきから柔和させ、口元に笑みを浮かべると2人の身体は徐々に消えていったのである。

此処で彼は少女の顔をしっかりと見ては、シルクハットを浅く被り直しては口を開いた。…豪く重々しく。


「間もなく、深淵庁に到着する。…だが、お前にもう一度、予め言っておきたい。

―――お前は解条者フォノン、律城世界側から見れば…"邪魔者"だ。…何時死ぬかも分からないんだぞ」


「あたい妖精だから死なないも~ん」


「莫迦野郎、お前は幻想郷から離れたんだ。世界の理を破った以上、お前に普遍の常識は通用しない。

お前が幻想郷から一度離れた以上、お前は能力が使えるだけの人間も同然だ」


「そ、そうなの…!?」


「だから、何度も言おう。…戦え、そして世界を救え」


そう彼が言った時、2人の視界が開けた。

間もなく、彼の言う深淵庁へ到着する。これから歩むであろう波瀾の展開に、彼女は静かに固唾を飲んだが、決意を再び決めたのであった。


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