5章 光に潜む影
氷精が繰り広げられた戦闘で、既往神社は沈黙の域となっていた。
氷の剣を片手に、徐に柱に寄りかかっては負傷した傷を痛めない為にも寝込んでいた彼は彼女の姿を見ては、再び笑っていた。
この時気づいたのが、背丈が周囲と比肩して小さい彼女と対して彼の背の差が無い事であった。
落ち着きの色を見せるシルクハットや、羽織っていたマントが彼の背丈を伸ばしているかのように錯覚を起こしていたのだ。
彼女は冷気を帯びた剣先を寝込む彼の首元に向けては、口を徐に開いた。
「…第二幕で此の劇は閉幕のようだね。……質問に答えて貰うよ。
さっきからぶつぶつ呟いていた、その解条者とやらを。其れに何故此処に居て、私に闘いを申し込んだのか。
―――言わないと、このあたいが許さないんだから」
「…ああ、その通りだ。私には力はもう既に無い。抗う気は無いから、安心しろ」
そう言うや、彼は彼女の剣を払い、ゆっくりと立ち上がった。
服を掃い、彼女の勇ましさに何処か押されながらも、彼は両手を懐に突っ込んだ。
先程まで持っていた剣はマントの中の鞘に抜刀したようで、彼は彼女の威勢のよさを褒め称えた。
「……私は確かに此処にいたが、先程までの私の姿を感知できる者は世界の干渉から逃避出来る存在、『解条者』だけなのだ。
解条者は、世界から独立した一個体で、もはや解条者は世界を操れる資格のある才能、とでも言っておこう。
誰が解条者なのか、私は其れを追い求め、捜していた。戦いを挑んだのは、お前が解条者かどうか見定める為だ。
この、"霊験視ベール"って言うのは、数多の世界に張り巡らせたデータ集合体『アバタール・ネットワーク』を通じて別世界へやって来た際、その世界から『存在』を認められない為に周囲から見えない事だ。
私はそのアバタール・ネットワークを介して私は此処に来た、要するに幻影だ。だから、この世界の住人は誰にも私の姿は本来見られないハズだ。
だがお前、つまり解条者は世界の干渉を受けない、あくまで独立した存在だから、観念に縛られない能力が常に備わっている。だからお前は私が見えたのだ。
今の私は霊験視ベールを解除したが、これはアバタール・ネットワークに私がハッキングして強制的に世界へ認識させたもので、喩えを挙げるなら、今の私は"居てはいけない"存在だ」
「つまり、あたいは最強…そう言う事でしょ!」
「あながち間違いでは無い…。…だが、その力をどんな風に手向け、使用するかで世界の命運は容易に傾けられるだろう」
男は解条者である彼女を何処か尊敬してるかのようにも見える。
ただ、ぶっきらぼうに両手をポケットに突っ込んだまま、彼女へ説明を行っていたが、彼女が果たして理解しているのだろうか。
彼女は興味津々に話を聞くが、右耳に入って左耳から通り抜けるように、頭には全く入って来ていなかった。
此処が彼女の莫迦と言われたる所以なのだろうか。しかし、彼女の目は燦爛と輝いており、其れは男でさえも失笑する程であった。
「―――更に加えておくと、この世界…つまり幻想郷の他に、2つの世界がある。
1つ目の世界は、まさしくスペキュレイティブ・フィクションに喩えられるファンタジー、それこそ城や長閑な街があって、科学では無く魔法が主流の第一次世界…『律城世界メタトロン』。
2つ目の世界は、現代と云われるもので、巨大な超高層ビルが建て並んで、近代化した街並みが広がっている、魔法では無く科学が主流の第二次世界…『黎明都市フィッツジェラルド』。
そして3つ目、古来日本の美しさや西洋の端麗さが入り混じった、科学でも魔法でも無く、能力が主流の第三次世界…『幻想郷』。
この3世界には1人ずつ解条者が居る訳で、律城世界メタトロンでは既に確認された。だが黎明都市フィッツジェラルドと此処ではまだ視認されていなかった。
どうやら君が其の解条者のようで、私は安堵した。因みに私は解条者を捜す機関、第二次世界にある深淵庁の捜索機動隊の一員だ。名前は言わないが」
深淵庁の捜索機動隊の一員を名乗る男は、埃塗れの黒い外套を靡かせ、其処に佇んでいた。
彼女は急に出てきた言葉に戸惑いさえも覚えながら、笑顔を浮かべては頷いて見せた。
果たして本当に理解してるのか、男は怪しく見ていたが、解条者である彼女を信じることにした。
「…だけど、どうしてあんたは此処にいたの?」
「今日の此処では多くの能力者たちが集うと耳にしたからな。…案の定、お前と言う存在が来たが。
じゃあ、私が解条者を捜していた最もな理由として、其の用件を率直に話そう。……この世界は直に平和を喪失することとなる。
以前、律城世界メタトロンが解条者を中心に黎明都市フィッツジェラルドへ、アバタール・ネットワークを通じて攻め込み、戦争が起きた事があってな。
……この戦争を俗に"蒼穹而戦争"と言い、この時停戦協定が結ばれた。この停戦協定が俗に"バルト・ゼロ協定"と言う。
だが律城世界メタトロンは蒼穹而戦争のバルト・ゼロ協定締結を破棄し、今度は黎明都市フィッツジェラルドと幻想郷に侵攻するつもりだ。
奴らの目的はただ一つ、『世界中枢機関ハルト・デリート』。ハルト・デリートは世界に一個ずつ存在し、世界にありとあらゆる恵みを齎す永久機関だ。
ハルト・デリートの動力源は死人の魂で、この世界では全く以てハルト・デリートの俤すら感じさせないが、他の2世界ではハルト・デリートを直接駆使したエネルギー抽出を行っている。
蒼穹而戦争の主な戦因は言わずもがな、何か開発を勧めている律城世界メタトロンのハルト・デリートではエネルギー不足に陥ったが為、黎明都市フィッツジェラルドのハルト・デリートを奪取しようとしたのだ。
バルト・ゼロ協定ではお互いのハルト・デリートを尊重し合うと約束されたが、どうやら其れは表面上のものだけだったようだな。
―――お前に問いたい、この世界にあるハルト・デリートは何処にある?奴らはまもなく其れを狙いに進軍するだろう、確認しておきたい」
「…はると・でりーと?……そんなのあたい、初耳だよ。何処に在るかなんて、あたい知らないもん」
「…其れは参ったな。…お前が住む世界が早く攻撃される前に先手を打つしかないようだ。第二次蒼穹而戦争の幕開けは必然だからな…。
―――明日の朝7時、再びこの場所に来い。…私がお前を深淵庁に案内する。……お前が考えもしないような、とっておきの武器を渡そう。
だからお前も、それまで戦いの腕を少しでも磨いて来い。お前自身の、本当の力を覚醒させろ」
その時、男はそのまま影に溶けるようにして、その姿を消してしまった。
彼女は男の口にした言葉―――"本当の力を覚醒させろ"、と言う言葉の音韻に惚れてしまったようで、恍惚に浸っていた。
しかし彼の言う事が本当ならば、律城世界メタトロンは幻想郷の世界中枢機関ハルト・デリートを狙ってくるのは一目瞭然だ。
自分に命運が握られたとするならば、やるしかない―――彼女はそう、決心していた。
決して自己の顕示欲が無い訳では無い。世界は力の有無で勝負が分かれ、運命が定まる。無論、彼女は幻想郷で強い者には為りたいとは願っていた。
だが、決して力は誤った使い方をしてはならず、大事な人を傷つけてはいけない、其れ位の判断は彼女は解かっていた。
「本当の力を覚醒させろ、か。…あたいが解条者なら、あたいはきっとみんなやユイトは守れる…。
―――あたいの冒険は此処からだ!見てろよ律城世界メタトロン、あたいは解条者だ―――!!」
そう言うや、居ても立っても居られなくなった彼女は暴走する勢いで神社を離れていった。
闘いで騒然としていた中、彼女はそのまま姿をかき消したのである。
薄暗い宵闇の、何一つ欠けていない幻想郷での出来事であった。