最終章 神影の不条理
彼の言葉は、幼稚さを伴わせて、且つ裏に狂悖を秘めているものであった。
やって来た存在に、両手を広げては快く歓迎して見せる。その姿こそ、曾て何度も顔を合わせただけに、違和感さえ感じた。
ただ真っ白な世界の中、彼は彼女に対して一切の嫌な顔を見せない。寧ろ喜んでさえいる。
チルノの到来を最初から待ち望んでいたかのように、徐に彼女へ歩いて近づいた。
「…僕が派遣した奴らを全員倒したっぽいね。カイアスは強かった?」
「カイアスはあたいに協力してくれたよ。…あたいに希望を託してくれた」
「あのカイアスが…」彼は興味深そうに一息を吐いた。「希望を託すなんて、吹っ切れたのかな」
彼は踵を返すと、島に高く設置された機械の巨塔を静かに見上げた。天まで高く昇る機械の塔に、彼らに終わりが見えることは無かった。
其れにコードやチューブなどで絡まり付いたイ・ゼルファーであるオラクル・メアは何かしらのバリアに覆われ、周囲の一切が見えず聞こえずの状態であった。
ユイトは静かにほくそ笑んだ。相変わらず薄汚れた木綿を纏っており、第三次世界出身者の雰囲気を漂わせている。
やがて彼は話す事も無くなったかのように、単刀直入に話を切り出した。其処には彼の一種の感情が垣間見える。
「…最初、チルノお姉ちゃんがかのクロムデプスの子だなんて思わなかったんだ。でも、徐々に勘付かされたよ。やっぱりチルノお姉ちゃんは強いね」
彼は感心したかのように言った。
「もう、僕に心残りなんて無いよ。…寧ろ楽しい。あれだけずっと憧れていた、憧憬していたチルノお姉ちゃんが、永年の宿敵だったなんて、こんな面白い事は無い」
「―――ユイト、あたいはあんたを倒し、あんたを助ける。そして世界を元に戻す」
「うん。其れがチルノお姉ちゃんの望みなら、さ…僕を倒してよ。僕はずっと生きてきた、誰よりも」
お互い、多少程度の会話しか交えていないが、全て理解していたのであった。
チルノはルインタイプライターを抜刀し、左眼を燦然と輝かせてはアセンション・アークを起動させ、周囲にウィンドウを沢山作り上げた。
同時にユイトは橙色の多種多様な武器を自身の周りに浮かせ、右手の手のひらを前に伸ばしてはチルノに見せつけた。
両手で剣を構えるチルノは、何処か臆して且つ過去の思い出が過った所為か、辛辣な苦い顔の欠片を見せている。
だがユイトは、最初から戦いを楽しむように、口元に笑みを繕っていたのである。其処には最早、過去の感情も、懐かしさも一切が無く、虚無が展開されていた。
一切の感情を掃き捨て、どんな結末になろうが後悔しない所存で望んでいる―――其れは彼の信念―――であった。
「…さぁ、始めよう。―――最終戦争を!!」
◆◆◆
彼は眼前の彼女に向かって、時を移さず一度に全ての武器を解き放ったのであった。
残像さえ描くようなスピードで、まるでラジコンのように思うがまま橙色の武器の全てを操るユイトは、その武器先をチルノに手向けたのだ。
余りの速さにチルノも狼狽えさえ覚えたが、自前の俊敏さで補い、ルインタイプライターの剣戟で何とか弾き返していた。
彼の元へ咄嗟に駆けながら対応するチルノの腕前に憧憬しながらも、ユイトは剣と斧を自身の前に持ってきては交わらせるようにして盾を作った。
すぐさまチルノが斬りかかったが、ユイトは其の剣と斧で為した盾で攻撃を未然に防いだ。
「…僕の本気、もっと見せてあげるよ」
彼はチルノの背後から剣を操っては剣戟を放った。しかし其れさえもチルノの機敏な行動の前に敗れてしまう。
受け止められた攻撃に、ユイトはその他全ての武器をチルノに向けて飛ばすも、彼女はそのまま真上に飛びあがったのであった。
飛んだままセラフィックモードを起動させ、片翼を生やした天使に生まれ変わるや、そのまま高く飛翔した。
その高度から真下の彼に向けて、一気にルインタイプライターを差し向けたのである。
しかしユイトは見切っていたのか、一切不安的な表情を見せることは無かった。すぐさま頭上に武器の盾を築き上げては、天使の攻撃を受け止めた。金属音が辺りに鳴り響く。
だが彼は力負けしてしまい、チルノは武器の盾を突破した。まさかの事態に彼は咄嗟にバリアを展開し、何とか難を逃れた。
チルノが此処まで強かった現実を思い知らされたが、其れは辛苦心より快楽心に注がれていった。寧ろもっと面白くなるのではないか、とさえ感じていた。
一種の狂気を孕んだ彼だからこそ、なのだろう。この上ない狂悖に満ちた彼の顔が、幻像として、また仮象として現れたのだ。
彼女はそんな彼の本性を視た。彼への一縷の希望も、其れによって潰えそうになったが、必死に押しとどめた彼女の良心も、また縮こまっている。
「…ユイト、なんで笑ってるの」チルノが戦慄しながら言問うた。
「僕は楽しんでる」彼は徐に、そして世界を見下ろして言い放った。「ずっと尊敬してた人と剣を交えられる事に感激さえ覚えるよ」
「…ユイト、おかしいよ。どうして楽しめるの。あたいはあんたを必死になって取り戻そうとしてるのに」
「其処が僕とチルノお姉ちゃんの"価値観の違い"ってやつだよ。必死になって僕の事を思う良心と、世界の本質を捉えて絶望する冷徹。対極化したそれは決して交わらないベクトルそのものなんだ」
彼は演説するように、眼下の有象無象に対して、また背後のチルノに対して言った。
其れは彼が心の内奥で抱いていた信念のほかならず、平行したベクトルをありのままに語る彼の言葉の一つ一つは現実味を帯びている。
しかしチルノは其れを潔しと出来ず、また残酷とさえ思えていた。彼の論理は聊か世界の歪曲した概念性を活用しているだけあって、一見はまともなものに見えるのだ。
だが中身は陳腐化した、人間の穢れそのものであって、歪曲した概念が其れを美化させているのであり、腹立たしささえ感じさせる。
「…何がベクトルなの、あたい分かんない。あたいはあんたを守りたい、それだけなのに」
「…僕はチルノお姉ちゃんに今までずっと守られてきた。だからこそ、恩返しがしたかった。結果、こうなってしまった」
彼は下を俯いて語った。
「何が正しくて、何が悪いのか。思想の差異によって侮蔑される世界を、僕は専ら理解出来なかった。その全般的な在り方を…僕は作り直していきたい。チルノお姉ちゃんの語る正義も、論駁された終わりなき欲望も、また」
彼はそう言うや、チルノに向かっていきなり剣と槍を飛ばしたのであった。
すぐさまチルノは身を反らして回避するが、咄嗟にユイトはその他諸般の武器を操っては猛攻撃を仕掛けたのであった。
彼女はルインタイプライターを以てして対抗するが、彼も反撃を許さない。武器を操作する彼に近づこうとするチルノを武器を駆使して一切寄せ付けないのだ。
チルノは苦い顔さえ浮かべては、ただ襲い掛かる武器の群像に拮抗するしか術が無かった。
斧が飛んできた時、咄嗟に真上へ飛翔しては、再びユイト目がけて斬りかかった。だがユイトは反射的に彼女に向けて斧と槍を寄せ付けた。
斧と槍によって絶好の機会を奪われてしまったチルノであったが、一発の剣戟で何とか打ち払い、最奥に居たユイトに剣の刃を手向けたのであった。
「…終わりだ、ユイト!!」
しかし其れは過ちの終焉であったことに彼女は感づいた。
彼はすぐさま姿を空間の中に溶かし、何時の間にかチルノの真後ろに移動していたのである。
ラディカル性な彼の動きは、チルノの予測概念を大幅に遊離してしまい、憶測の域から至極外れるものであった。
ユイトは口元に純朴な笑みを、一切の蔑みを捨てたものとして体現化させていた。勝利の時に得られる至福、そのものだった。
「…僕は魔法も使えるんだ。さっきバリア使ったから、ある程度は洞察していたと思うけど」
「随分成長したね。あたいが後ろに居なくてもいいんじゃないの」チルノはぶっきらぼうに告げた。
「確かにそうなのかもしれない。でも僕は、1人の愚かな民衆として、世界を見通したかったんだ」
そのまま彼は背後から空中に浮かんでいた剣の柄を直接手で握っては、自ら斬りかかったのだ。
チルノは咄嗟にルインタイプライターで受け止めた。刀身と刀身が重なり合って、摩擦音が空間に響き渡る。
だがユイトは力強く、チルノが思った以上に頑強であった。近接戦でも油断大敵ならぬ事に気が付いた彼女は、何とか本気を振り絞って彼を追い払った。
彼の剣が空中を舞ったが、そのまま浮遊させては自身の身体の脇に持ってきては浮かせる。
チルノは再びルインタイプライターを構えたが、彼は剣のほかにも多種多少な武器全般を自身の付近に寄せ付けた。
「…でも世界は見通せなかった。うっすらと、ぼやけた暗闇が僕を覆ったんだ。世界には僕のイデオロギーが邪魔だったんだろうね、あれから何億、何兆と年を経た。其処で僕は解放されたんだ、世界によって」
彼は言葉を続けた。
「しかし、その解放の原因は君たちの煤けた概念が類推したイデオロギーだった。…僕のイズムに賛同を示す人々が増加し、世界は今のようになった。僕は世界に良い様に扱われた、哀れな子羊なんだよね…」
「…哀れな子羊?」チルノが問い質した。「あんたは、哀れなんかじゃない。孤独じゃない。―――あんたには、あたいがいる」
「…ありがとう」彼はそんな彼女に感謝の意を述べた。「ずっと、僕は其れを模索していた。真っ暗な闇の中、何も見せない不可視の中―――足掻き続けていた」
その瞬間、彼は自身の魔法力を用いた攻撃を仕掛けてきたのであった。
真上に右手を振りかざしては、白紙の世界に作り出された数多くの隕石群がチルノ目がけて降り注いだのであった。
咄嗟に自身の能力で氷の盾を作り出すも、その耐久性は降り注ぐ隕石を防ぐに不十分であった。
冷ややかな空気を作り出す諸壁は崩壊を遂げるも、チルノは造次顛沛その場を離れ、真っ先に島から飛び降りた。
忽ちグランドマスターに付随するように出来上がっていた島は崩壊を為し上げ、ユイトも真下へ飛び立った。
グランドマスターに結び付けられたイ・ゼルファーであるオラクル・メアはそのままの状態であったが、人が密集する真下に向かって崩壊する島は瓦礫の雨と為って降り注いでいく。
多くの人の視線の中、チルノは再び剣を構えた。瓦礫の山の上ではユイトがまさかの事態であったのか、負傷しており、多少よろけている。
彼女はすぐさまルインタイプライターで斬りかかった。
が、ユイトは自前の橙色の剣で攻撃を防いだ。其処には彼の捨てられぬ信念が存在していたのであった。
「―――僕は負けたくない。チルノお姉ちゃんに…勝ちたいんだ」
彼は底知れぬ力を見せつけるように、チルノのルインタイプライターを弾き飛ばしたのであった。
崩壊の際に破けた、ボロボロの木綿を纏いながら、何も武器を持たないチルノに剣先を向ける。血眼を浮かべ、虚々実々に。
「見てよ、この世界を。僕が作り上げ、築き上げた世界―――パーフェクト・ワールドだよ。僕はずっと見たかった、形式上だけじゃない世界を」
「ユイト、それは本当に望んでいたことなの…?」チルノが剣先を怯えずに言い放った。「あたい、分かんないの。あんたが本当に望んでいること」
「…僕は此の世界の存在を望んでいたんだよ。それが存在した―――其れこそ僕の願いが叶ったんだ。だから僕は満足なんだ―――僕の主体性の母体は其処にある」
すると彼は、チルノに向けていた剣を空中に放り投げてしまった。
空中で浮遊する剣を背景に、彼は瓦礫の上で尻餅をついていたチルノの元へ足を運んでは、ゆっくりと右手を差し伸ばしたのであった。
彼の目つきは優しいものとなっており、普遍的に存在する子供のような眼差しで、チルノを視たのであった。
「…チルノお姉ちゃん、最後に聞かせて。一切の状況を捨てて答えてね」
彼は、静かにチルノに向かって問いかけた。
「―――ボクと、一緒にこの世界を…守っていかない?」
「…断る!」
彼女は、きっぱりと彼の意見を断絶したのであった。差し向けられた手を払い、自分から立ち上がる。
すぐさま遠くに在ったルインタイプライターを構えては、唖然とするユイトを尻目に戦う姿勢を捨てないのだ。
其れはユイトの憶測を離れた答えであり、また、彼の意思への絶対的拒絶を意味するものであったのだ。
彼は身を震わせた。歯をがちがち言わせ、寒さに凍えるように身体を小刻みに振動させていた。恐怖が芽生え、予示していた全てが転がっていった。
束の間、無意識のうちに心身を馳せたが、次の時に築かれたのは怒りであった。右手が軋むようになって、眼の中に憎悪成分が注がれていった。次第に目つきは鋭いものとなり、疎外された感触は憤怒へと変遷していった。
「…そう、そうなんだね。飽くまでチルノお姉ちゃんは僕を許容しないんだね。…なら、僕も闘うまでだ!」
すぐさま彼は浮遊させていた武器の幾つかをチルノに対して飛ばしたのであった。
だがチルノは咄嗟にルインタイプライターを用いては襲い掛かる橙色の武器の諸般を払い、瓦礫の山の上のユイトに近づかんとする。
どうして、此処まで自分の意思を曲げないのか―――チルノと言う、1人の存在を理解出来ずにいた彼は、身を震わせながら武器を操り続けた。
一切の主義体系を理解してこそ完璧的な世界を築こうと思ったのに、これでは自分の考えも一貫されない―――そう言った思索的な自己撞着を生み出させた事も、心が許さずにいた。
「…あああああああ!!!」
彼は大声を上げて、そして叫んだ。
気づいたのだ。自分とチルノは、太陽と月のように対照的で、何もかもが絶対に交わらないものであると。
其れを取り込むことは、天地がひっくり返ってもあり得なかった。其の現実性を見落としていた彼は、自身の思想が過ちであった事を気が付いたのだ。
しかし、何かの意地が、信念が、彼の意思を肯定し続けた。全ての批評を跳ね除けられる、一種の防御的精神である。
彼は自暴自棄に陥っていては、眼前の青髪の少女に対して方向性のない怒りを放った。
暴走する武器、其れは混乱に陥った彼が見限り無く武器を操った結果であった。極めて危ない状態の中、剣や槍などが襲い掛かる中、彼女は天使の一撃として彼に斬りかかったのであった。
その瞬間、木綿の上に滲み出た深紅が、彼の表情を変えさせた。顔が真っ青になり、そのまま瓦礫の上で両膝を地面に付けたのであった。
◆◆◆
「―――僕が、負けた」
彼は茫然としながらも、空中に浮かせていた武器を全て空気に溶かした。
唖然として佇む彼の横を、チルノが剣を右手で持ったまま、途方もない水平線を視ながら口を開く。
直接的に彼を視なかったが、彼への思いの閾値が、作用性を悉く変化させる。
「…ユイト、あんたの負けだ。あたいは此の後、カイアスに教えられた通りに元の世界に戻すようグランドマスターを動かす、それでいいよね」
「…そんな訳、ないよ」彼は意地でも不屈になった。「…また、あんな世界に戻るの。僕はずっと閉鎖的な世界で閉じ込められ、君たちはのさばるんだ。なんで、そんな事が許されるの」
「許された訳じゃない」チルノは反駁して見せた。「あたいたちは、自由の刑に処されている。だからこそ、生きて償うんだ。生きて生きて、世界を守らなくちゃいけないんだ」
「…あり得ない。そんなの、あり得ない」彼は目を丸くして、チルノに言い掛かった。「―――僕たちは自由の刑に処されてなんかいない。僕らは無罪なんだ、アダムとエヴァが勝手に犯した罪を、どうして僕らが背負わなくちゃならないの」
「それでも、人間は賢明だと言うの、ユイト。…確かにあたいたちは賢明だよ、でも同時に、愚かでもあると思う。その愚かさこそ、あたいたちの生きる本質。あたいたちの罪なんだ」
「愚かさ…」
「そう。誰かが突発して優れた存在になれる訳じゃない。もし自分が優れていると思っているなら…其れは間違い。みんな、愚かなんだよ。勿論、あたいもユイトも。…だから生きるんじゃないかな」
彼は、そう言ったチルノの理論をひどく気に入らなかった。胸の内で沸き上がる感情が、其れを拒むのだ。
沸々と、意識の何処かで何かが高まり始めた。豪く気に入らない論理を、あれだけ憧憬していた人物が口にした現実を受け入れられない虚実性と共に。
何が罪だ、何が自由の刑だ。人間至上主義が、どうして此処まで非難されているのか。
自問自答を続けていくうち、徐々に自己の自己に対する感触が薄くなっていき、やがてゲシュタルト崩壊を起こしそうになったのだ。
エクスタシーさえ感じさせる此の思いに、磔刑にされたような感覚が否めない。徐に彼は、チルノの横顔を覗いては、自己への抱擁をしてみせる。
「…僕はまだしも、チルノお姉ちゃんは愚かなんかじゃない。自己超越を憚り、且つ社会的次元を客観的に正当な判断を下している。なまじ不束な理論を口にする批評家気取りの連中とはワケが違う」
「其れが愚かさの事例なんだよ、ユイト」
彼女は宥めるように言った。其処には彼女元来の優しさも滲み出ている。
「…自惚れも、自発的認識による誇張も、全てそうなんだ。誰もが抱く点は決して賢明とも愚劣とも言えない。だから、あたいは愚かなんだと思う。あたいたちの中の本質、其れを見出す目的を抱いて、生を授かった。生きるとは、そういうことなんじゃないかな」
「…そんなワケ無い、僕らは…僕たちは…愚かなんかじゃない。神にさえ対抗する術を持つ僕らが、愚かなワケない…愚かなんかじゃない…!!!」
その瞬間、傷ついた彼を取り巻く無数の瘴気が、彼を包み込み始めたのであった。
彼女は咄嗟に離れた。ユイトはやがて真っ黒の波紋のようなものに覆われ、姿を消してしまった。
怨念のようなものが彼を覆いこむや、やがて彼の中に入り込んでいく。瘴気に侵蝕されていく彼の姿を、チルノは恐ろしくて動けずに見ていた。
彼の人間としての原型が徐々に失われていき、輪郭が魔障の中で肥大化していったのが分かった。
此処でチルノは遺属性神話を思い出した。―――あの魔障は、ユイトに託された人間のカオスなのか。憶測立てて、彼女は生きた空も無い心地であった。
やがて彼女が先程まで居た島の瓦礫の山を、ユイトを中心にして空中に浮遊していく。魔障を覆った彼は、やがて其れらの瓦礫を、魔障を媒介として装甲のように纏っていったのだ。
彼の姿は見えなくなり、代わりに瓦礫と魔障で出来あがった兵器が誕生した。
其れは白の瓦礫と黒の魔障が入り混じったもので、不気味ささえ感じさせる。エンジンの音を空間に響かせて、人間の最終兵器を作り出したのだ。
人間と同じように、二本の足、二本の腕を持ち、且つ頭身は怒りし龍の姿のイミテーションを想像させる。
其処に在ったのはユイトと言う少年では無い。…人間の欲望、羨望、ありとあらゆる感情の詰まった、幻想の具現化であった。
「…ユイト?」
彼女の静かな声が、彼の耳に届くことは無かった。
魔障に蝕まれていく、瓦礫の下の彼の身体。彼の身体を核として成り立つ巨大兵器は、何億年もの前に世界に姿を見せ、神話にさえ登場し、且つ神にさえも勝利したもの。
チルノは其れを前にして、身震いさせた。しかし、彼女は戦う覚悟を持ったのであった。
「無謀」と「勇気」―――相交えないそれらの感情を一切捨て、新たなる属性的感情―――彼への「愛情」を以てして、武器を差し向けたのだ。
「…あははははは!!!あははははは!!!―――あははははははははは!!!」
狂ったように笑い声を上げる兵器。
機械音を沢山響かせ、ぎこちないながらも恐ろしさだけは存在していた。
しかしチルノは後ずさりしない。彼を守ってあげる―――そんな彼女の情念が、彼を助けてあげようと思わせたのである。
誰も勝てやしない、皆が口を揃えて異口同音に言うかもしれない―――だが、そんな欺瞞の論理など、今更信じる訳が無かった。
彼女は言う、―――喩え何万何億の人間が駄目だと言っても、自分が出来ると言えば、其れが出来るかもしれない。本当の終末は、全員が諦めた時だ。
何事も、やってみなくては分からない。実践的理性が、彼女の背中を押し、ユイトへの想いが、彼女にルインタイプライターを持たせた。
「…ワールド・ウェポン」
彼女は、静かにその単語を呟いた。目の前に存在する、最後にして最大の敵―――人間の尊厳。尊厳と愛情、クロムデプスとワールド・ウェポン。これが、最後の戦いであった。
「…あたいは負けない。だって、あたいはあんたを守らなくちゃいけないから。だから…大人しくあたいにやられなさい!…行くよユイト、あたいってば―――」
彼女は言葉を長引かせ、最後に言い放った。
「―――最強なんだから!!」
その瞬間、ワールド・ウェポンはその機械音と共に二つの沈黙した眼をチルノに差し向けた。
しかしチルノは臆する事無く、剣を構えた。これが、最終戦争だ。
「…これで終わりにするよ、ユイト!!!」
◆◆◆
瓦礫の兵器は、そのままチルノに向かって備え付けられたロケットミサイルを一気に飛ばしたのであった。
其れは白紙の世界の大空に無数、弧を描いてはチルノに追尾するものであった。
しかしチルノは咄嗟に自身の前に氷の壁を築き上げた。幾重にもなって作られる壁は、迫りくる大量のミサイルを受け止めて行く。
幾多も作られる壁に、ロケットミサイルは藻屑と為って地に去っていった。
「…あたいは負けない!」
チルノは続いてグノーシスモードを展開させ、自身の姿を分身化させた。
すぐさま剣を以て一気に斬りかかった。しかし瓦礫の鎧が硬いもので、剣の刃を一切受け付けない。
しかし此処で諦観を抱くような心が前では無く、彼女は兵器の右腕の上を駆け抜け、そのまま頭部目がけて牙を差し剥いた。
だがワールド・ウェポンはそんな彼女を跳ね除けるようにビームを断続的に放った。
チルノはそれらを簡単に避け、そのまま剣で頭部に斬りかかる。剣戟によって頭部を築き上げていた瓦礫の一部が砕け落ちていく。
増々の機械音を響かせながら、対峙するチルノに一切の間隙を見せない攻撃を行う兵器。
ロケットミサイル、熱線、マシンガン―――多種多様な武器で応戦するワールド・ウェポンであったが、チルノはそれらを簡単に回避していく。
万人の受け持つヴィジョンを呆気なく変えていく其の姿こそ、誰もが礼賛する"英雄"としての塑像であったのだろう。
彼女としての精神が、世界を揺るがす大舞台で戦っている。世界精神が剣を持っているのだ。
「―――あたいはユイトを助ける。あたいは最強なんだから!!」
様々な兵器や武器による攻撃をも容易く躱していく彼女に、人間の尊厳は潔しと出来なかった。
すぐさま拮抗する存在に人工的な雷や灼熱などを発生させるが、彼女は腕の上から飛び降りてしまう。
そのまま剣を構え、腹部―――其れはユイトの身体が核として存在する箇所―――に刃を向けるのだ。
彼女の攻撃は瓦礫が守り抜いたが、やがて瓦礫は剥がれ、ユイトの姿が見えるようになった。彼の身体は目を瞑ったまま、精神をエネルギーとして兵器に供給している。
チルノはその真実を静かに一睨した、そして徐に剣を構えたのであった。
だがワールド・ウェポンは、そうはさせまいと本気の力を見せつけたのであった。
全ての力を捻出させ、機鉱を用いた攻撃を仕掛け始めたのである。核とほぼ同じ作用性を持つ機鉱の攻撃は凄まじいものである事を、憶測の時点で理解した。
瓦礫と瓦礫の間が燦然と輝き、魔障がその恐ろしさを演出させる。追随するように瓦礫も光り輝いていく。
僅かな時間で捻出し終えた兵器は、その力の全てを出し、チルノに向けて放ったのである。
機鉱を用いた大爆発が発生し、其れは例外なくチルノにも襲い掛かった。
逃げ場のない爆発に、彼女は茫然としながらも佇み続けた―――そして彼女は至近になって目を瞑ったのだ。
―――目を開けた時、其処に在った光はかき消え、爆発は無くなっていた。
兵器を作り上げる人間のカオスの集合体が疑念を抱く中、彼女を抱擁していたのは、今まで助太刀し続けた神たちであった。
ルイン・オルタス、タイタン、ヘルメスの三神が、揃いに揃ってチルノの背後に付き、頑強なバリアで機鉱爆発を相殺させたのである。
チルノは背後を見上げ、そして歓喜した。強大な力を受け持つイ・ゼルファーが味方と為れば、こんなに心強い事は無い。
すぐさまチルノは反撃の狼煙を上げた。人間の尊厳に対する、世界の尊厳そのものであった。
「―――みんな」彼女は少し笑みを口元に浮かべて、言った。「…あたいは負けないんだから!」
そして、彼女は威勢よく言い放った。
「―――神よ、あたいたちに助けを!」
その瞬間、眼前の兵器に向かって、三神たちは全ての力を振り絞った。
ヘルメスはその雷鳴を轟かせ、タイタンはその地を揺るがし、ルイン・オルタスはその灼熱を受け持った。
ワールド・ウェポンは三神に向かって、あらゆる武器兵器を用い、撃退を試みた。しかし神は、傷を負えども一切動じなかった。
やがてパーフェクト・ワールドに襲い掛かった、言葉では言い表せないほどの天変地異。
世界を滅ぼしかねない勢いの攻撃が、集中的に放たれたのである。其れには喩えクロムデプスを討ち倒したワールド・ウェポンも、悉く敗北を機するしか無かった。
時間を経るにつれて、世界兵器を築き上げていた瓦礫と魔障が消えて行き、最終的には核となっていたユイトの身体に襲い掛かった。
無言のまま攻撃を受け続けた彼は、その猛烈な勢いに為す術も無く、静かに瓦礫と共に倒れたのであった。
ワールド・ウェポンと言う、遺属性神話に於いて重役的な使命を果たす存在を倒し、彼女は達成感に覆われたと同時に、世界を救えるかもしれないという希望を見出した。
彼女が礼を述べる為に後ろを振り向くと、三神は跡形もなく姿を消していた。
恥ずかしいのかな、と頭の片隅で思いながらも、チルノはユイトの元へ足を運んだのであった。
◆◆◆
チルノは倒れたユイトの身体を両手で運びながら、グランドマスターの根元に近づいた。
度重なる連戦で、身に纏っていた捜索機動隊の黒外套もスーツも、色々な箇所が破けてしまっている。
彼女はそのまま世界を司る機械の元にやってきては、寝たままのユイトを靠れ掛からせるようにして、静かにグランドマスターを再起動させようとする。
操作は極めて簡単で、カイアスに言われるがまま、眼前のコンピュータを操り、三世界に戻らせるよう設定した。
その瞬間、オラクル・メアを束縛していたバリアが崩れ、チルノの元に落ちたのであった。
彼女は反射的に受け止めた。お姫様抱っこの状態になったオラクル・メアは、その時になって初めて目を覚ましたのである。
「…チルノちゃん、助けてくれたの」
「…あたいはあたいとして果たすべきことを果たしただけさ」
彼女を静かに地面に降り立たせ、再びグランドマスターを弄る。
最後に彼女はこれで終わりだと思いながら、キーボード上のエンターキーを押した。だが、画面上に出たのは、パスワードの入力画面であった。
彼女は、パスワードを知らなかった。最後の最後に襲い掛かったのは、ユイトでも、ワールド・ウェポンでも無く、グランドマスターなのである。
忽ち絶望にひし暮れた。無論、オラクル・メアも知る由が無かった。どうする事も出来ず、敢無く頭を抱えてしまった。
しかし此処で、弱々しく、且つ慨嘆に近い声が、空間に響き渡ったのである。
「…パスワードは―――"希望"。漢字で希望だよ」
そう言ったのは、寄りかかっていたユイトであった。
彼は徐に目を開けては、何も言い残さないような眼差しで2人を視た。オラクル・メアはそんな彼を少し拒否してしまう。
当たり前のことか、と彼は再び天を見上げては、静かにチルノに言問うたのであった。
「…僕の世界は、チルノお姉ちゃんの今の行為によって簡単に崩れ去ってしまう。もう、平和を達成されないかもしれない。それでも、世界を平和に導こうとする勇気はあるの、お姉ちゃん」
「…ある」彼女は断言した。「…誰かが其れを"無謀"って言うかもしれない。でも、あたいは其れが"勇気"だと思う」
「…フフッ、やっぱりチルノお姉ちゃんはチルノお姉ちゃんだよ」彼は吹っ切れたように言った。「いいよ、僕は何も思い残す事は無い。世界を、平和に導いて。お姉ちゃん」
彼の言われた通り、パスワード欄に「希望」と打ち込むチルノ。
忽ちグランドマスターは再起動を始め、一時的に全体の電源が落ちた状態となった。
その瞬間、真っ白な世界は時を移さずして闇に覆われ、視界が奪われてしまう。
何も見えなくなった世界の中、グランドマスターは徐々に明かりをつけ始め、やがて膨大な機械音を靡かせながら、世界を再変革し始めたのであった。
彼女の眼前がそのまま暗闇に覆われたと同時に、朧げに視界が歪んでいった。
その闇の中、最後の最後になって見えた顔は、オラクル・メアの笑顔と、ユイトの寝顔であった。
◆◆◆
彼女が目を覚ました時、誰も居ない沈黙の中、自分の身が浮かんでいる感覚がした。
ふと起き上がると、自分の身体が濡れていた。水に浸かっており、髪の毛も透き通った水によって濡れていた。
其処は今まで自分たちが遊ぶときに使っていた霧の湖であったのだ。
周囲をうっすらとした木々が囲んでおり、陰鬱な世界の中で幻想的な色合いを見せた湖の中央で、彼女は立っていた。
周りを見渡していても、何の人の姿は無い。生気さえも感じられない。一旦、湖の外へ出て、彼女は行き当たりばったりに森の中を歩いて行った。
此処で彼女は、ユイトに対して自身の目標を告げたのだった。運命さえ感じさせるものを、彼女は悟った。
やがて森を抜けると、人間の里が見えた。
彼女の服装はユイトとの戦闘の名残が残った深淵庁の服装で、一見第三次世界には似ても似つかないものである。
そのまま里を歩くと、英雄の帰還を待ち侘びた声があった。
「―――お帰り」
第一声、彼女の耳元に入って来たのは、それであった。
やがて彼女の前に集まったのは、今まで協力し合った仲間たち―――其れはリ・レギオンのメンバーだけでなく、寺子屋の仲間たち、更には幻想郷での知り合いなど―――が揃いに揃って、姿を見せたのだ。
声を発したのは、一番先頭に居た人物―――其れは最も信頼していた親友―――大妖精であった。
彼女は、ボロボロになりながらも世界を救済した英雄を見て、帰って来たことを改めて実感した。其れは後に涙へと変換されてゆく。
チルノも、そんな彼女たちに対して口を開いた。
「―――ただいま、みんな」
「…帰るのが遅すぎるよ……!!」
その瞬間、全員が歓喜の渦に溢れたのであった。
全員が全員、敵味方関係なしに喜び合った。改めて平和を実感し、共に誓い合ったのだ。
零神主義と言う思想も、解条主義と言う考察も、その歓喜と希望に勝る方法は無かった。
たった1人の英雄が成し遂げた事は、極めて大きい事であったのだ。
◆◆◆
彼ら彼女らと共に平和を分かち合った後、チルノは黎明都市の深淵庁本庁、捜索機動隊本部へと足を踏み入れた。
此処でアクシス・オーバー社に乗り込むための準備などをしたのを、彼女は思い出した。
フロアには誰も居なく、元々カイアスが陣取っていた机には、一通の手紙が置いてあった。
彼女は徐にそれを手に取って見せた。宛先は誰にも書かれていなかったが、中には一枚の手紙が入っており、彼の文字が連ねられていた。
――私は、世界を甘く見ていたのかもしれない。
――真理は脆く、そして容易く壊れやすい。私はずっと此の言葉の真意を探っていたが、初めて分かった気がする。
――私はそれまで見落としていたものを、私は見いだせなかった。だからこそ、なのだろうか。
――論理も倫理も、この真意には逆らえることは無いだろう。私の生き様は、其処に或ると考える。
彼女はその意味を全く理解出来なかったが、本質的な何かを捉えることが出来たような気がした。
イオやアイルの紹介で、その後にジェノヴァスに聞いてみたものの、彼の行方はこれだけであった。
一体、あの復讐に駆られた男は何処に消えたのか。チルノの知る由では無かったのかもしれない。
◆◆◆
あの後、再びバルト・ゼロ同盟が結ばれ、今度は第三次世界の遣いである霊夢も招き、三世界同盟が結ばれた。
互いに平和について真面目に洞察し、推敲し、そして考えるのだろう。
世界はそうやって変わっていく。チルノの理念は、実行されようとしているのだ。
この後、世界がどうなるのか。
其れは我々とて同じ事では無いのだろうか。
ありとあらゆる論証も、デモンストレーションも、世界理念の前では関係ない。
必要なのは、彼女のような確固たる信念なのではないのだろうか。其れこそが、世界を、人を導く、勇気の澪標なのである。
勇気と無謀の違いは、正しくして其れなのではないのだろうか。
―――――その剣の先は、思い出の片隅で出会った。
―――――だからこそ、世界は常に動き、変革される。
―――――終わりなき世界に、祝福あれ。
―――――世界を、導け。
―――――LETISGEAR OVERTECHNOLOGY TOHO FANTASY




