37章 零れおちた神話
イオとアイルの2人は、週刊新流潮の刊行元であるサクラメント社に来ていた。
総務省本庁からも程近い場所に設置された高層ビルの中、彼らは足を運んだ。一切のアポ無しでの突入であったが、受付嬢は用件を述べるとすぐさま編集長の元へ案内してくれる。
編集室は電話の嵐で、引っ切り無しに対応に追われている。此処でそんな2人を出迎えたのは、一番奥のデスクで威厳を持たせて佇ませていた男、ジェノヴァスであった。
彼は若頭にして新流潮の編集長の身分を任されているようで、突然にも姿を見せたイオとアイルを受け入れた。
「突然の訪問なのに、すみません」アイルが謝罪の意を述べると、ジェノヴァスは笑って見せた。
「いえいえ。此方こそ、かの総務庁長官様と貴重な現場経験者の2人に出会えて光栄です」彼は一旦2人に名刺を渡すや、話を区切った。「どうです、お茶でも」
2人はジェノヴァスによって、そのまま来賓室へと案内された。簡素なソファが一組、間に小柄な円テーブルが置かれただけの部屋であったが、ジェノヴァスが右側、イオとアイルが左側に腰かけた。
此処でアイルは、話が長くなってもアレだと思索したのか、短絡的に話を切り出した。
「…今日窺った理由は、少し話聞かせて貰えないかと思いまして。…単刀直入に言います、ヨフュエルさんは今、何処にいらっしゃるか、分かりますか?」
「…やはり、カイアスさんの告発記事関係ですか」ジェノヴァスは予定調和していたかのように、笑いを繕った。「其れはカイアスさん自身じゃないと分からない事です」
「…でしたら、今すぐ彼のファジー指数か電話番号に聞いて貰えないでしょうか」アイルは食い下がらない。
「彼のファジー指数か電話番号、ですか…。其処までして知りたい理由は何なんでしょうか」
「―――あんたは、カイアスの意図が何で告発したのか、知ってるのかい?」此処でイオが厳粛性を持たせて問うた。「完璧主義者のカイアスが、計算無しで告発する訳が無い」
「…その理由は、分かりません」彼は口籠ってしまう。「一体、何の為なのか」
「―――黎明都市のヘイトを高め、第二次蒼穹而戦争を勃発させる事ですよ」
その真実を聞いた時、ジェノヴァスは彫刻に彫りだされたレリーフのように身を固まらせた。
虚ろになった眼差しが机に投げ出され、俄かに信じがたい思いを前に、がたがた身を震わせた。意図を知らなかった男の、真実を知った瞬間を2人は目の当たりにしたのである。
どうしようもなく、行き場のない感情を鬩ぎあわせては、寒さに凍える子牛のように身を縮こまらせた。
「第二次、蒼穹而戦争…」
「ええ。彼の告発の本意はそこに在ります。ですが、彼が新流潮によって高めたヘイトを下げるには手段が在る。…ヨフュエルの証言を聞き出し、カイアスの真意を吐かせる事です。
操り人形にされた挙句、弱みを告発されたカイアスに対しても決して良いイメージは持っていない筈です」
「―――分かりました」彼がそう言ったのは、長い沈黙の後であった。「実はカイアスさんとは旧来の馴染みでして…聞き出してみます。しかし、期待はしないで下さいね」
そう言った後、彼は来賓室から席を外した。
やがて彼はスマホを取り出しては、彼らしき人物とコンタクトを取った。ああ、とジェノヴァスの漏れた声が来賓室の中にまでも届く。この後は止まぬ電話の音にかき消されてしまい、2人は天に祈った。
やがて幾分か時間を経た後、来賓室に彼は姿を見せた。この顔つきは燦然とした安堵であり、報告には期待出来そうであった。
「…もうアイツは用済みだと吐き捨てられた後に言ってくれましたよ、私にだけ。ヨフュエルさんは今、自分の犯した罪を顧みては自殺する為にあそこへ向かっているようです」
「あそこ?」イオは聞き返した。「其れは一体、何処なんじゃ…?」
「―――――黎明都市の遺構、神の高台です」
◆◆◆
神の高台と称されるからに、やはり裏付けた話は存在していた。
その昔、律城世界で行われていたような解条者の儀式が、黎明都市でも行われていたらしく、その犠牲者を弔うために設置されたモニュメントだと言う。
平原の中に佇む二本の銀の塔が、頂点で合体するように置かれている。そのうちの一本の塔の上には、見覚えのある姿が在った。塔には螺旋階段が取り付けられており、上は展望台のようになっている。
此処で若かったアイルが活躍した。老齢のイオには昇るのが厳しかったようであったが、彼は跳ねるようにして上へ昇った。展望台では、柵に寄りかかるようにして黒服の男が佇んでいる。
遠景として、黎明都市の街並みがくっきりと映っている。ビルの群像が立ち並ぶ中、無常感と厭世観に襲われては黄昏ている彼の右肩を、アイルは優しく叩いた。
叩かれた彼に、すかさずアイルに対して反応を示す。
「…なんだ、私を嗤いに来たのか?」
「…貴方がヨフュエルさんですね。ジェノヴァスさんが教えてくれましたよ」
なっ、と驚きに満ちた返事をする彼。
アイルはそんな彼の様子を見ては、何処か内心で自己の形骸性たるものの確信が生まれた事を悟った。だが、此処で食い下がる訳には行かなかった。彼の証言を貰えば、第二次蒼穹而戦争を止められる証拠となるからだ。
「…で、用件はなんだ」彼は全てに絶望したかのように言った。
「貴方の証言を貰えないでしょうか」
「証言、だと?私の証言を取って、一体何が出来るんだ」
「―――カイアスが引き起こそうとしている、第二次蒼穹而戦争を止められるかもしれないんです」
彼の言葉を聞き、ゆっくりと顔を見上げたヨフュエル。
此処で遅れながらイオが到着した。息切れしながらも、何とかして2人のもとに身を運ばせた。
ヨフュエルは、自分の聞いたことを自分が理解しうる何物かに、無意識のうちに反訳してしまうからであると言った具合に、アイルの言葉を反訳して頭の片隅に留めようとするが、どうも思考回路が上手く動かない。硬直したように固まり、アイルの顔だけをじっと凝視した。
「な、何故に」
「―――貴方はカイアスによって、元王家の人間だと告発されたんですよね。その弱みの元、私の会社であるオプティマス・エデン社を襲撃したんでしょう。そんな貴方が、論理的であれ倫理的であれ理性論を疑っていない訳がない」
「…全て、知ったんだな」彼は乏しく発言した。「その通りだ。結局はアイツに利用されただけだ」
「…久しぶりだな、ヨフュエル」此処でイオが口を開いた。「元気にしてるか?」
「…おやっさん」彼は感動の何かに襲われ、急に空しさを感じた。「どうして此処に」
「お前が自殺するって話を聞いてな。証言の話もそうじゃが、かつて育てた子を見捨てる訳には行かんだろうよ」親子愛としての恩寵が、イオの中の感情を照らし出す。「もう馬鹿な真似はよせ。お前には私たちがおる」
「おやっさん…俺、見失ってたんです、アイツに弱みを握られて。それでいて暴露されたんです、罪のないオプティマス・エデン社の社員たちの大量殺害をした俺に、もう生きる資格は無い…そう思ったんです。
何か俺にしてやれることがあったら、何でもさせて下さい。せめて最後の恩返しだけでも…って、証言書けばいいんですよね」
此処でアイルが、自前で用意した報告書とペンを渡した。
報告書には既にカイアスの意図について認める要旨と名前記入欄が付け加えられている。すぐさま受け取ったヨフュエルは、名前欄に自分の名前とサインを書いた。
此れこそが、彼の証言が加えられた完璧な報告書であり、後は此れを流せばカイアスの目論見は水の泡となって消える訳である。
「―――じゃあ、おやっさん。俺は…この辺で」
彼は拳銃を取り出した。其れを自分の頭に当てては引き金を引こうとする。
しかし、咄嗟にアイルが拳銃を奪った。動転するヨフュエルに、アイルは血眼になっては自殺を図ろうとした彼を一喝した。
「ふざけないで下さい!!」
「…なんで自殺を止める」
「お前は、確かに私の同期を奪った。友人を奪った。私は貴方が憎い、凄く憎い。でも、こういう言葉が在るんです。―――復讐する時、人間はその仇敵と同列である。しかし、許す時、彼は仇敵よりも上にある。
結局、今の私がお前を憎んだところで、お前が自殺したところで、私の同期や友人は帰ってこない。どうしようもないんだ」
「じゃあ、俺はこれから遺族にどう顔向けすればいいんだよ!?」彼はアイルに感情を爆発させた。「したくも無かった襲撃に多くの犠牲者を出した原因の俺に、生きる価値なんて無い」
「せめて生きて、そして償え」彼は訓戒させるように威厳を持たせて、言った。「お前が自殺した方が、殺された奴らは憎むだろう。自殺は逃げだ。でも、過去に対して生きて贖罪する人間を、神は悪いようにはしないと思うぞ」
「…アイルの言う通りだな」イオも続いた。「お前が自殺しても、何も変わらないじゃろ。逆に残された人たちの事を思え、もうお前は孤独じゃないんじゃぞ」
「おやっさん…」
此処でヨフュエルはとうとう泣きだした。
自分が永劫孤独だと錯覚していた男の、心の中の真意を突かれたような気がして、同時に今までイオに対しての感謝が溢れ、訳の分からない混沌が生まれた。そのカオス性は依然として濃縮されている。
やがて彼は、アイルとイオに悲泣に暮れながらも言った。其れこそが、彼の想う全てであった。
「―――すみませんでした」
◆◆◆
「結局、私たちはカイアスの思惑通りに動かされていたって訳なのね」
「愚かな話ですね。第二次蒼穹而戦争を引き起こす事が、彼の考えであったなんて…」
王城での戦闘で、怪我を負い病院送りにされたフィリキアとセト。
もう2人に敵愾心なぞ一切もなく、ぽっかりと穴が空いたかのように虚ろな表情を浮かべている。
大病院の一室、2人が隣同士で寝かされているため、会話が出来る。しかし2人の間をカーテンが遮る為、お互いの顔は見えなくなっている。
「…そういや、フィリキア様はアリスノート様のお墓に参られましたか?」
「行ったわ。あれだけ敵対してた妹だったけれど、失うと名残惜しいわね。それも、殺したのがカイアスらしくて」彼女は矛盾した感情を浮かべた。
「…私も行きました。お花が沢山献上させられていましたね。非道な人間だと謂れがあっても、最期は顧みていたらしいですよ。…私たちも、争っていたらカイアスと同じ貉の穴だと考えました」
「偶然ね。私も同じ考えよ」フィリキアは彼の意見に賛同を示した。
「カイアスやレティスギアの悪行聞いてたら、急に戦争反対の意思に勝手に傾いちゃってね。リ・レギオンも悪く無いかも知れないわね」
「そうですね。キルヴェスターもアルファオメガも、結局はカイアスの捨て駒だったんですよね」
「キルヴェスター?だっけ。あれって結局何の組織だったの?」フィリキアが純粋に聞いた。
「あれはカイアスが企画した極秘組織。私が臨時独裁官、アリスノートが暫定国王、神泉藍佳が総務省配属になるために設置された、言わばカルテルみたいなものです。結局あなたのクーデターと言い、アリスノートの転向と言い、様々な不運によって潰れましたけどね。最終的には総務省配属になった藍佳の独り勝ちですよ」
「なんで総務省なんかに藍佳が配属希望したんだろう。普通、元老院議員の方が立場が上だと聞くけど」
「ハルト・デリートのある場所だからですよ。一度でも其のお姿をお目に掛かりたかった彼女は幸いハルト・デリート係を任されるようになったようで」
彼は笑いながら、過去の失策をフィリキアに話した。
セトにとってもフィリキアにとっても、並存した過去を癒着させた所で争いが起きる事は承知の上であった。齷齪した感情を蔓延らせるより、新たな第三勢力に呉越同舟して倒す、と言う方が好みであったのだろう。両者とも、以前までの敵意は一切掃き捨てており、仲の良い主従関係のようになっている。
「しかし、今や零神主義が大頭している時代、もうこうして争う前に果たし事を果たすべきなのでしょうか…」
「私はそうだと思うわ」彼女は持論を展開する。「何時かリ・レギオンに加盟しようと思う。今はアイツらを止めないと、足元掬われそうだもの」
「其れもそうですね」続いてセトも続けた。「度重なる戦いで、頭冷えました」
◆◆◆
チルノたち3人は本拠地である財務庁の最上階に戻った。
其処には増員したリ・レギオンの加盟者が、ブリュンヒルデとアーシアを中心に談話している。此処で帰ってきた3人を見かねた皆が、お帰りの意を告げた。
此処でシレイルが反応した。彼女は、臨時刊行として先程出されたパンフレット版新流潮に、ヨフュエルの証言が入った証明書が貼られていると言うネットの情報を見たのだ。
此れは紛れも無くイオとアイルのお陰である―――そう考えた彼女は、全員にこの事実を吹聴した。
全員は此の事実を喜んだ。と言うのも、第二次蒼穹而戦争の危機を回避できたからだ。
しかしチルノは、未だセーラの言う事実が信じられなかった。と言うのも、シエルが素直に喜んでいる姿を見て、到底裏切っていると考えにくいからだ。
しかし、此処で突拍子もない幼い声がフロア中に響き渡った。全員が静かになる中、チルノたちの背後の壁に寄りかかっては、其の場に居た者達をシニカルに笑って見せる人物―――"そいつ"は近代的な財務庁の内装に合わないような草臥れた木綿を着ていて、両手を懐に突っ込んでいた。
「―――お久しぶりだね、チルノお姉ちゃん」
「あんたは……ユイト」彼女は押し黙ったと同時に不可解な思いに包まれた。「…どうして此処に」
「どうしても何も、ファジー指数を辿って行けば簡単だよ。財務庁を新しいリ・レギオンの本部にするのは良いけど、最期にお礼を告げるために来てみたら仲良く談笑中じゃないか。これじゃ、僕の計画も上手く行きそうでさ」
「計画…?」彼女は狼狽えた声で聞きただした。
「チルノお姉ちゃんへの恩返しだよ。今まで僕を守ってくれたお礼」
彼は静かに呟くや、頭の後ろで手を組み、そのまま壁に靠れ掛け直す。
其の場に居た全員の注視を集める中、彼は依然としてラフで飄々とした感覚が否めない。
昔から知っていた顔馴染みであったチルノは、防衛庁で奪った黒服を靡かせては、その真意を寡黙にも尋ねた。
「…恩返し、ってどういう意味だよ―――ユイト」
「チルノお姉ちゃんが黎明都市へ旅立つ前の夜、僕に言い残してくれたよね…」
その時、彼女はふと過去を思い出した。
霞が掛かった幻想的な夜の湖で、彼と交わした僅かな言葉。其れを脳裏に浮かべるまで幾ばかりかの時間を要したが、あの時自分は彼に対して思うがままの平和を描いた気がしてならなかった。
偏見に過ぎなくとも、ただ、『みんなが笑えば嬉しい気持ちがする』と言う言葉だけを鮮明に、はっきりと回想出来たのであった。
「…みんなが笑えば嬉しい気持ちがする」
「うん、それだよ」彼は一切の邪念を掃き捨て、彼女を思う畏敬だけを表に出した。「僕みたいな虐められっ子に、何らお返し出来る事は無くてさ、何時もチルノお姉ちゃんに迷惑かけてばかりだったんだ。だから、みんなが笑顔になれる世界―――パーフェクト・ワールドを築くことが、僕にとっても、チルノお姉ちゃんにとっても、幸せだと思うんだ」
「パーフェクト・ワールド…」彼女は静かに言った。
「そう、意訳して"完璧な世界"。みんなが笑顔になれ、争いが起きない平和な世界だよ。僕たちレティスギアは、其れを作る事が目的なんだ」彼は徐に語りだした。自分の理念たるものの仮象とも言うべきものを、その場に居た全員に言い聞かせるように。「そのために、今のイ・ゼルファーを廃止させ、新たに僕がイ・ゼルファーに取って代わった神になる。そして三世界を融合、統一させた世界で僕が監視する。信賞必罰な世界を目指してるんだ」
「…三世界を、融合」チルノはポツリと言ったが、彼女だけじゃなく、その場に居た全員が身を凍らせては彼を見た。「そんな事、出来るの」
「出来る」彼は自信満々にそう言い放った。「そもそも、僕たちが囚われていた常識と言うものが如何に適当なのか、よく分かるよね。不倫理性に思えるかも知れないけど、其れが現実だ」
「…確かに、あたいは『みんなが笑顔になれる世界』を望んでるよ。でも、其れじゃ本当の意味で"笑顔"になれる訳じゃない」
「何を言ってるの、チルノお姉ちゃん。言葉の表象にせよ仮象にせよ、そう言ったのはチルノお姉ちゃんなんだよ。僕が零神主義と言う思想を掲げたのも、レティスギアと言う団体を築いたのも、全てチルノお姉ちゃんの夢を叶えるため。まさか、違うの?」
ユイトは非常に驚いた仕草をしている。と言うのも、チルノの為に行っていた事を、当人に否定されたからだ。自己の理念の全てを拒絶された彼の意思は、瞼を何度も開閉させては唖然としている。
信じられない様相を呈す彼の前でも、チルノは真剣な眼差しを向け続けた。其れが最初から彼女の意思だ、と徹頭徹尾曲げないようにして。
やがてユイトは、吹っ切れたかのように笑い始めた。壊れた感情が、彼を乗っ取ったかのように笑わせるのだ。あまつさえ破壊された感情に、元あった意思は無い。
「……あはは、そうか、そうなんだ。チルノお姉ちゃんは、僕を否定するんだ。色んな苦難を超えてまで恩返ししようと思った僕を…見捨てるんだ。僕、てっきり喜んでくれると思ってたよ」
「ユイト、あんたは…やり方を間違えてるだけなんだ。あたいの言った言葉の本当の意義はね、あたいたちが協力し合い、平和に対して一丸となって向き合う事で実現すると考えるよ。其れを果たすには、数多くの壁があるはずだよ。でも、其れを乗り越えてこそ果たせると思うんだ」
「そうやって僕らは―――同じ轍を踏みまくってきたんだよ」
彼は重たい声で、静かにそう言った。
「高遠な理想を抱いて、結局何も出来ないまま、我儘だけは一人前。口ばっかりの傲慢者で、争いに耽溺してる。もし平和と向き合って実現できるなら、もう既に平和になってるはずなんだよ。なのに第一次蒼穹而戦争と言い、争いは一向に無くなる気配を見せない。
争いを正当化させ、啓蒙させる。別に構わないさ。誰かが死のうが、自分には関係ないんだからさ。そう言った倨傲的な理論構えが、僕たちを己惚れさせる。最も、タチが悪い事に、己惚れさせたことを自覚させなんだから。だから永遠永劫、世界は戦火の狼煙に覆われるんだ。何が平和だよ。
だから、変革を行うアバンギャルドが必要なんだ。常に、時代を変えてきたのはそう言う人物だからね。僕は其の一角に過ぎないし、また僕の後に別のアバンギャルドが出てくる。
――――理想を語るのは自由だよ。でも、口だけ達者な輩が理想を語るだけ無駄なんだよ」
彼の言葉の前に、チルノの語る言葉は無かった。
暗雲に覆われた彼の意思が、此の世界の論理と言う現実を言ってしまう事は、或る意味で理想からの脱却、現実論の許容と言う事になる。幾ら理想を言った所で現実が変わらなければ無も同然なのだ。
ユイトは静かにチルノの背後に居た人物たちを見渡し、睨みつけた。最後にチルノだけ、まだ希望を持った柔和で棘の入った眼差しを向けた。彼の特異的な感情がチルノにはあると窺える。
「…最後に一つだけ。既に律城世界、黎明都市、そしてグランドマスターは乗っ取った。最後に三世界を融合させ、パーフェクト・ワールドを完成させる。残念だったな。
―――協力してくれた藍佳、カイアス、そして其処に居るシエルには感謝してるよ…あははは。それじゃあ、さようなら。止めたければグランドマスターの元へ来な」
◆◆◆
ユイトが瞬間移動で身を晦ませた後、最後に言い残した言葉…シエルの意味を問いただすため、全員が彼の方を向いた。彼は驚いたようであったが、どうにかして猜疑の意を取り繕っている。
しかし先程にセーラから事情を聞いたチルノとゼロは諦念だけがあった。やはりそうなのか、と言う一種の呆れに近い諦念だ。
「どういうことだ、シエル」
アーシアが問いただすと、彼は懐から一枚の手紙を見せた。
其の手紙はボロボロの紙きれで、水に濡れたせいなのか文字が掠れてしまっている。
其れを彼女に渡したシエルは、一つ溜め息を吐いては静かに弁明をした。
「…そのまんまだ。私がグランドマスターを乗っ取る手伝いをした。いや、させられた」
「させられた、だと…?」アーシアが疑念を浮かべると、続いて周囲までもが益々疑い深く見るようになった。シエルは反省しているのか、足を洗っているのか、最初から予測していたようであった。
「…レヴィン、アーセ。お前らは知ってるだろ」
その時アーセは可哀想な彼への想いを浮かべた顔をしながら、口出しをした。
「…ええ、まあ。実は以前、アルトヴィレン事故について告発記事を出していたホームページを見つけたもんでして、そのページの主のIPアドレスを特定して、話を伺いに行ったんです」
アーセの言葉に続いて、レヴィンが発言した。
「その人物が現社長のロアトルさんだったのですが、彼から伺ったところ、シエルさんはユイト率いるレティスギアに操られていると。その操られていた事実こそ、カイアスの掌握していたアクシス・オーバー社との繋がりなんですよね」
この時シエルは黙って下を俯いていたが、やがて徐に顔を上げては周りを見た。
もう後残りは綺麗さっぱりに消えたようで、しかし誤解を招いてしまった事実を全員へ謝罪しなくてはならなかった。彼がレヴィンとアーセに言葉を求めたのは、ロアトルがシエルの事実を知っていたからだ。
ロアトルの元を訪れたと話を聞いた為、彼ら彼女らから証言を求めれば、自らの裏付けが判明される。現に彼は操り人形にされていた現実を露呈させた。
「…でも、罪は罪だ。謝罪する」
彼は頭を下げ、許しを乞うた。
レヴィンとアーセの言葉を聞いていた彼らは、長い沈黙の後にアーシアに続いて皆が頷きを見せた。
許された、そう思われたシエルは一生懸命に感謝の念を言ったのであった。チルノは感じた、何時からユイトが此処まで残酷な真似を考えていたのか。シエルの影が、ユイトの影と重なった気がしてならなかった。
まさか自分への思いの為だけにユイトはパーフェクト・ワールドを作ろうとは考えていないだろう、と言う一種の偏見に近い憶測を立てた彼女は、ユイトの過去が知りたくなって堪らなかった。
「…取り敢えず、あいつの野望を止めるまでだ。グランドマスターの元に行こう」
「…グランドマスターって何?」此処でリルノが口を開いた。其れに対してオズハルドが答えた。
「グランドマスターってのは、三世界のハルト・デリートを結ぶ、アバタール・ネットワーク世界に置かれた最高枢密機械。其れが此の三世界を支えてると言って過言じゃない。
―――少なからず、今はソレが危ないって事。一刻も早く奴らを止めないと、滅茶苦茶な事になってしまうから」
◆◆◆
「ちょっとばかし長話になっちゃいますけど、まあ此方とて神話研究をしてるものでして」
旧誕庁の長官、セファレーはセラームとパラメデスを旧誕庁本庁に集めていた。
セラームとパラメデスは、カイアス派の人間であり、其れは曰くして零神主義の人間であった。其れはセファレーとて同じで、余り活発な動きを見せると目を付けられるという謂れを遵守していたのである。
現に、本来旧誕庁で任されていたメテオ計画の遂行は便宜院によって移され、彼ら彼女らが長官を務める三部庁では特にこれと言った大仕事は無い。
「三世界に通じる神話の事でしょ?」3人の中で一番背丈が短いセラームが声高めに言った。
「そうですよ。通称、『遺属性神話』とも呼ばれるもので、降誕聖書に書かれても居ない前提条件の神話です。此処には三世界の誕生、イ・ゼルファーの登場などが描かれていましてね」
「前々から気になっていた。其れを知れる日が来るとは…旧誕庁の復刻技術は凄いな」
「いえいえパラメデスさん…。実は以前、第三次世界でディヴィナ-ヘルメスと思しきイ・ゼルファーが姿を見せたらしく。裏付けの証拠も出来たので引っ張りだした結果、一致したもので」
此処でセファレーは徐に、その場に居た2人に向かって話し始めた。
3人の中心には長方形型の机が置かれており、机上には分厚い本の一ページが開かれている。そのページには油性で描かれた壮大な絵画の全貌写真が収められている。絵画は神と深紅の兵器が互いに争う姿を描いており、その精密、緻密な絵画方式は現代にも通用出来る代物であった。
セファレーはその写真を2人に見せながら、ゆっくりと語った。
一人の、神が居ました。名はクロムデプスと言います。
クロムデプスは宇宙を作り、やがて地球を作りました。そして地球には生き物を授けました。
やがてクロムデプスは生き物の最後に人間を作りました。
クロムデプスは、自らが作った人間の姿を見ては、思い出しました。
クロムデプスの母なる神、クロムヴィルと、とても似ていたからです。
なのでクロムデプスは人間に、クロムデプスの持つカオスを授けました。人はそのカオスを、心と呼びました。
人間は何時しか分かれ、能力を持った妖精や妖怪、現人神などが生まれました。
クロムデプスは、か弱い人間と強い妖精たちを同じ世界に置くのはまずいとして、二世界に分け、均衡を保ちました。
しかし、人間は愚かでした。
自らが神と思いこみ、やがてクロムデプスに対抗しうる兵器、ワールドウェポンを作ったのです。
そのワールドウェポンは、1人の少年を中心として、多くの人間がクロムデプスの預けたカオスを少年に捧げて生まれた、人間が変化した兵器のようなものでした。
クロムデプスは、ワールドウェポンと戦い、そして敗れました。
この戦いによって、人間たちの世界は二つの世界に分かれ、そして人間たちの世界から妖精たちの世界に穴が沢山できました。
この穴に人間が入り込んでしまう事を、人間は神隠しと言い、怖れました。
クロムデプスは、自分が存えない事を悟ると、3人の神を作りました。
一つ目の世界には、炎の神、ルイン・オルタスを。
二つ目の世界には、地の神、タイタンを。
そして三つ目の世界には、雷の神、ヘルメスを置き、自分の代わりに世界を管理するよう言いつけました。
やがて人間は、これらの神を総称してイ・ゼルファーと呼ぶようになりました。
最期にクロムデプスは、ワールドウェポンをとある世界に閉じ込めました。
その世界は、三つの世界の中心にあるとされる世界で、少年もといワールドウェポンは、ずっと閉じ込められていました。
しかし皮肉な事に、少年に与えられた多くの人間のカオスが、少年を不老不死にさせてしまいました。
やがてクロムデプスは、何か起きたらヘルメスに起こすよう頼み、そのまま眠りに入りました。
3人の神は、クロムデプスが眠りに入ってからも、世界の均衡を保つために多くのものを作りました。
ルイン・オルタスはアバタール・ネットワークを。
タイタンはグランドマスターを。
ヘルメスはハルト・デリートを作りました。
そして、アバタール・ネットワークやグランドマスターを管理させる新たな神を、3人の神は作りました。
この神はイ・ゼルファーとされましたが、人間と同じ機能を与えられました。
最後に、3人の神は自身の化身として解条者を世界に1人ずつ置きました。
そして解条者には、世界を見通せる力を与えたのです。
この時、眠りについていたクロムデプスは誤って妖精たちの住む世界の穴に落ちてしまい、解条者と同一化しました。
記憶こそはありませんが、その者は他の解条者とは違った、『クロムデプスの子』と言われるようになりました。
「―――ざっと、こんな感じです」
長い神話を話し終えた彼は、開いていた本のページを閉じた。
その本の表紙には複雑な言語で書かれた文字が在り、読めることは無かった。
セファレーは一呼吸おいてから、改めて口を開いた。
「…この遺属性神話が、現代になって掘り返されたのには、理由があります」
「―――聞いて行くうちに、明らかにそれっぽい人物がちらほらと思い浮かんだのだが」
パラメデスが答えた時、セファレーは指を鳴らしては「そう」と頷いた。
彼は深く椅子に腰かけ、其の場に居たセラームとパラメデスの顔を順番に見渡した。
やがてセラームも、その事実に気づいては戦慄した。この神話こそ、今の状況を良く表しているそのものなのだ。
「嫌な予感がするのだが…ワールドウェポンだった少年は、まさか…」
「ご明察の通り、不老不死の少年こそ…上崎ユイト、彼なんですよ。アイツは人間の尊厳に未だに囚われていて、人間至上主義の過去に蝕まれています。
神話によればルイン・オルタスと言ったイ・ゼルファーなんかより過去を生きていますからね。ユイトの真の目的は、人間の逆襲。クロムデプスを打ち破り、神を踏み台にして人間を究極に持ち込むこと」
「そして、クロムデプスの子ってのは…」パラメデスが問うた。
「…チルノですよ。第三次世界の」セファレーが答える。
「つまり、ユイトは全人間の味方…って事?」セラームが聞いた。
「そう。あいつは神によって管理された此の三世界を、神の手から奪い、人間そのものの手で運営しようと目論んでいます。しかもアイツは増大なカオスを持っていて、イ・ゼルファーでも並大抵敵わない。
今の彼こそ、私たちの希望―――新世界への新たな希望なんですよ」
この時、3人は決心した。
神によって蔑まれて来た人間たちの復讐―――零神主義を率いる人間の真意を知った彼らは、改めて彼について行こうと思ったのである。
人間こそ、此の世界の支配者。邪魔な神は排除する、その意気で…結託したのであった。
「―――希望は我らに在り、です」




