1章 収まらない葛藤
人間の里では多くの人が行き交い、賑わいを見せる。
暖かな太陽の下、まるで江戸時代を彷彿とさせるような藁葺きの住宅に、木綿を纏った村人たちは古銭を扱い、多くの物を取引きしている。
その光景に一切の不可思議は無く、ただ平穏な空気がゆっくりと流れているだけで、人々は其れが"平和"である事に気づいていない。しかし、気づかないこと…其れこそが、何よりの平和なのかもしれない。此れが世に言う、鼓腹撃壌に類似している。
里の一角、他の家々とは多少大きな建物があった。
其処には多くの子供達が種族隔たりなしに通い、勉学に励む、言わば学び舎と言う場所である。
この世界にも勉学と言うモノは存在するが、科学無くして魔法有りと言った世界なので、生きる為の基礎を教わる場所と言って過言は無い。
此処に通う子供たちは10人程度で、今日も亦授業を受ける為に登校する子供たちが見受けられる。
その中、多くの友人に囲まれては楽しそうに話す存在、チルノは今日も嬉しそうだ。
「でねでねー、昨日大ちゃんがさ~」
「チルノちゃん、その話はやっ、やめてよっ」
彼女が何かを話そうとした時、友人の大妖精はその話を遮らんと必死であった。
どうやら話されて欲しくない恥ずかしい事なのか、赤面を隠せずにしては彼女を止めようとする。
大妖精の必死な姿に彼女も冗談だと言わんばかりに話すのを止める。
その時、彼女は遠く、麻や木綿を纏った子供たちが1人の小さな男の子を足で蹴ったり殴ったり等、素で観ていられない光景が広がっていたのを見た。其れは極めて酷く、感情の良心が痛めつけられるものであった。
「あっ、チルノちゃん!?」
友人たちを後に、彼女には守らねばなるまいと言う意思が宿ったのを、自分自身で分かっていた。
建物の陰、チルノしか見えていなかった其の凄惨たる姿を前に、彼女は勇気を出した。
その声は鮮烈に裏に響き渡る。
「お前ら、今すぐやめろ!!」
「うわっ、チルノだ!逃げろー!」
姉貴分として慕われているチルノがそう俗称されるのも、一種の運命なのかもしれない。
彼女と対して背が変わらない子供たちはそのまま舌打ちをしながら一目散に去っていく。腰抜けな奴らだ、と内心でほくそ笑んでいながらも、彼女は虐められていた小さな男の子をすぐさま介抱する。
先程まで虐めてた子たちも、虐められた子も、同じ学び舎の生徒であったため、チルノは誰なのか分かっていた。
「ユイト、大丈夫か」
「チルノお姉ちゃん……」
彼女より背丈が低いユイトは揉みくしゃにされた木綿を纏いながら、小さな涙を流していた。
そんな彼を、彼女は抱きかかえるようにして抱擁する。雀の涙が、服に小さく染みついて。
思い返せば、何時もユイトは虐められているのを彼女は潔しとしなかった。しかし、人は誰かを貶してこそ自我を立たせようとする妄執が、小さなユイトを此処まで追い詰めたのは言われも無い事実だ。
だからこそ、彼女は許せなかった。彼を苛みの極致に振る舞う彼らの暴虐たる行いから、小さな彼を守ってやろうという決心が其処にはあったのだ。
「……もうすぐ寺子屋の授業が始まるから、早く行こうな。アイツらにはガツンと言うから安心しな」
「……ありがとう、お姉ちゃん」
ユイトの暖かな掌をしっかりと握っては、彼女は寺子屋へと歩みを進めた。
もうすぐ授業が始まる。彼女は其の焦燥感にも駆られながら、ユイトの手を離さずにいた。
ゆっくり歩く彼の歩みに沿った状態で。
◆◆◆
学び舎の中は畳の上に雑多に置かれた木机を自由に使う様式で、席は決まっていない。
既に授業が始まりそうな時間であり、多くの机は埋まっていたが、大妖精の隣の2席は空いていた。急いでやって来た2人はそのまま空いていた机を用い、勉強道具を展開する。
しかしチルノは此れだけでは腹の虫がおさまらない。自己の中の正義観とやらが、彼女を奮い立たせたのだ。
「お前ら、何で何時もそうやってユイトを虐めるんだ!?」
前方に固まって陣取っていた男の子たちに向かって、勇ましくも苛立てた声を上げる。
冷や汗を掻きながらも、彼らは必死に答弁した。だが言葉はあやふやで、氷精と呼ばれる力の持ち主に多少怯えている様子も捉えられる。
人間は妖精と同格の強さだと言われているが、彼女はまた違っており、比肩ならぬほど能力が恐ろしい。
だけれども俗称では莫迦にされており、また彼女も其れを認めずに腹を立てている状態である。
「……チルノには関係ねぇだろ」
「何時もそうやって誤魔化すよね!あたい知ってるんだよ、あんたたちが殴ったり蹴ったり…。……大ちゃんやルーミアちゃんも言ってやってよ!」
隣に座っていた友人に飛び火させる彼女に、当の2人は戸惑っていた。
虐めはいけない、其れは彼女たちも承知する周知の事実だが、関わると面倒そうになると思っていたので、知らん顔であった。
だからこそ、真正面から立ち向かっていけるチルノの勇ましさ、まさしく勇猛果敢にして何を偽らん。焉んぞ、彼女を敬いの対象でなかろうか。
しかし、2人は何も言えなかった。其れを好機に、いじめっ子達はチルノとユイトを嘲笑う。
邪の極めたる非道に、彼女は両手に握り拳を作っていた。
「……ケッ、何も言ってないじゃん。やっぱりお前の味方なんて誰もいねえんだよ!」
「あんたたちねぇ…!」
「はいはい、喧嘩は此処まで」
そんな言い争いを遮るべく颯爽と現れたのは、教師である上白沢慧音であった。
彼女は静かに前方の男子の集団全員にげんこつするや、何事もなかったかのように授業を始めようとする。
この、片言だけで済まそうとする態度がどうもチルノは気に食わなかった。だが、これ以上揉めたところで面倒の履き違いにもなるだろう。
彼女の中で葛藤が生まれ、孤独のようにも感じた。しかし、右足に小さな手が触れるのを感じ、見て見ればユイトの顔があった。
彼は諦めた顔をしており、自分の行く先に何処か諦観させしていたようであった。
「……もういいよ、チルノ姉ちゃん。ありがと……」
そう言われた時、何処かやるせなさが生まれ、彼女は静かに着席した。
授業が始まった時、彼女は自分より背が低いユイトの頭を一撫でしてから、勉強に励んだ。
その光景を横から見ていた友人たちは、自分の非力さを感じていたが、決して口から其れが出ることは無かった。