26章 列聖者の堕落
2人に対して銃口を差し向けた彼女は、拳銃に火花を連続的に迸らせたのである。
漆黒の武器は冷徹にも直線状に銃弾を描かせるが、咄嗟に行動に移したチルノとセーラに当たる事は無かった。
そのまま、半分しゃがんだ形で一気にルインタイプライターを抜刀しては斬りかかるも、凛は攻撃を見極めた。
凛々しさを伴わせ、一つ一つの動きに意味を持たせ、尚且つ無駄な動きは一切行わぬ、この削られる余剰を見せない彼女の俊敏さ。其れは応戦に当たっていたチルノにとっては厳しい状況を蒙らせていた。
セーラは遠くから凛を狙って銃弾を走らせるが、其れさえも凛は敵としない。
チルノは力一杯込めて剣で縦に斬りかかったが、其れを彼女は回転回避で容易く避けてしまう。
隙を作ったチルノに対し、凛はすぐさま拳銃を構えては引き金を引き、目の前の彼女に対して狙いを定めた。その僅か数秒、チルノは再び身を反射的に反らした。
銃弾を避けたチルノに続き、遠くからセーラが凛に対して弾を放った。だが、其れは一切の間隙を与えない凛には無意味で、裕な表情を浮かべながら横に身体を動かして躱す。
睨みつけ、剣を構えるチルノ。そんな彼女に対し、拳銃の銃口を向けながらも開口する凛の様子は、何処か畏怖を顕現させていた。
「君のセオリーは…格別だね。どんな相手にも屈せず、ただがむしゃらに立ち向かおうとする態度。私は好きだよ」
「お前の主観性なんてどうでもいい。私の欲すものは、お前の襲撃理由の真相だ。あとお前の言葉の意味もな」
「君の隔靴掻痒も、私にとってはどうでもいいんでね」
すると凛はスーツの裏ポケットから折り畳み式のナイフを取り出した。
そのナイフは極めて鋭利で、燦爛と輝く鋼の刀身が灯かりを反射させ、一層鋭さの見栄えを良くする。
「悠遠の彼方に消えた存在の模索、其れは私も同じ。どっちも哀れなこった」
そのまま駆け足で速度をつけたままナイフでチルノに斬りかかろうとする凛。
動きに反応してチルノは避けるが、凛はそのまま駆け抜ける。その先に在ったのは、拳銃を構えていたセーラであったのだ。
援護射撃を行う彼女の存在を邪魔に思ったのか、いざとなって怯える彼女に対して笑みを伴わせたままナイフの刃を剥いた。
突拍子もない行動に、チルノは唖然としたが既に遅し、セーラの胸下を引き裂くように入ったナイフの痕跡は、彼女の服をも裂いて、血を滲ませたのだ。
そのまま狼狽え声を上げる彼女に、微塵の血を付着させて濁ったナイフを持つ凛はじっと睨み据えるチルノをただ見詰めては、さぞ不機嫌だろう彼女をあざ笑うかのような態度で佇んでいたのだ。
「……憎いでしょ、私のコトが。朋輩を傷つけられた事に、君は憤りを感じている」
「だから何だ!」
唐突な声を上げたのは、紛うこと無きセーラであった。チルノの方を向いていた凛は、すかさず彼女の方を向いた。そして、
「私はお前が何を言いたいのか、さっぱり分からない」
「分からないのなら、それで結構」
彼女に対して論駁する凛。何をも寄せ付けない態度は、セーラの言葉を一蹴した。
続いてルインタイプライターを震えさせながら持つチルノの方を向いては、顔を深紅に染めあげている彼女に拳銃を差し向けた。
ナイフをスーツの裏に仕舞っては、ただ淡白として立っている。
「いきなり襲撃を図った事に意味を確かめたいらしいが、知りたいのなら私を倒してみな。
私の目的はお前の捕縛。この私に抵抗する力と言うものを見せてくれ、解条者チルノ。其れが今の君に為せることだ。ご友人を助けたいならば、私を倒せ」
「言わずもがな、分かってる」
すぐさま彼女はルインタイプライターに取り付けられた装置に数字を打ち込んだ。
忽ち彼女は神々しく輝き、自らをアバタール・ネットワークに呪詛させて見せる。片方だけ生えた天使の翼が、煌びやかで端麗に佇んでいる。
セラフィックモード、と一人小さく呟くと、力が沸々と沸き上がって来る姿勢で剣を構えた。
じっと凛を睨み据えると、態勢を変化させたチルノに危惧を感じていたのか、少し怪訝そうな顔を浮かべていた。拳銃を持つ手は多少震えを見せており、何処かチルノの不透明さを懼れているようであった。
天使と為った彼女は、その手に入れた俊敏さを活かして凛に高速で斬りかかった。
しかし凛は彼女の剣戟を咄嗟に拳銃で受け止めてしまう。すぐさま剣を引いては再び斬りかかるも、凛の拳銃の扱いは至極上手で、高速化した剣戟をも全て裁いてしまう。
一切の間隙さえ生まれない剣戟を、彼女は簡単に見極めていた。右目がうっすらと紅く仄かに染まってくると、拳銃の裁き方も増々早まっていく。
予想外の強さに、一方的に剣を振るっていたチルノにも焦燥を伴わせた。
凛の拳銃の扱い方は並大抵のものでは非ず、チルノの剣戟も容易く無に回帰させてしまうからに、これまた畏怖を感じさせる。
セラフィックモードでも歯が立たない事を悟ったチルノは一旦凛から離れると、今度は凛が銃撃を行った。
片翼を備えるチルノはジャンプ力も強大化されており、通常時と比肩しては身の熟しも軽いつもりでいたが、凛の射撃は精密であった。
ほんの僅かな隙さえも見逃さない、徹頭徹尾正確な狙撃はチルノに物さえ言わせない。
しかし、此処で動いたのはセーラであった。セーラを一切視野に入れて無かったのが凛の失敗で、セーラは辛うじて手榴弾を取り出すと、凛に向けて投げたのだ。
手榴弾は完全に凛への不意打ちとなった。即時、手榴弾は大爆発を遂げ、銃声は止んだ。
「うあああああああ!!!」
凛の慟哭が城内に響き渡った時、煙が回廊に立ち込めた。
セーラとチルノが咳ばらいをしては何とか煙を払拭しようとしていた時、物騒な足音が聞こえ渡った。やがて喧噪が近づいてきたことを悟った2人は、まさかの事態に焦りを伴わせた。
胸下を凛に斬られ、未だに止血しないセーラも何とか身体に言い聞かせて立ちあがると、セラフィックモードを解除したチルノが彼女の右手首を掴んだ。
煙でうっすらと顔が隠れる中、静かに頷いて見せたチルノは其の場からセーラを連れて脱出を図った。
混乱で城内にどよめきが起こる中、手榴弾の爆発を真正面から受けて血塗れた凛は、駆け付けた兵士たちの救助を受けながらも、恬淡として言葉を静かに呟いた。
「凛様、お怪我は…!?」
「…こいつは面白い。―――流石は解条者、イ・ゼルファーが遺した最終兵器とも、よく喩えたものだ」
◆◆◆
必死に逃げたのも束の間、彼女たちは何とか騒がしくなりつつあった城内を脱出し、城下町の路地裏に身を潜めていた。
喧噪は騒ぎを更に拡大させ、街の人々は城内で何が起きたのか、疑問符を呈しながら城へと向かっていく。
間違いなく顔は気づかれてしまっている。不意に誰かに見つかれば行き詰ってしまう。様相を呈するのも、時間の問題と言ったところか。
素性を荒らされては、元も子も無い。セーラは傷を蒙ったままであるが、チルノが此処まで運んでくれたことに感謝の思いを述べたと同時に、自分の非力さを一人孤独に呪っていた。
「此処まで助けてくれて…ありがとう。私、チルノちゃんの邪魔になっちゃったみたいで」
「いいや、手榴弾の一撃が無ければ、あの凛とやらから逃げることは出来なかった。あたいも感謝してるよ、ありがとう」
その時、2人のいた裏路地に誰か人が入って来る気配がしたのであった。
城下町を取り巻く空も橙の色がうっすらと棚引いて行って、やがて絶対的な闇が覆い尽くしていく。蝕まれる空に、城下町の灯かりと喧噪が一層際立つ。
すぐさまセーラを連れて路地の中を疾走する2人。やがて夜が律城世界に訪れるも尚、2人は追われ身となっていた。
中世を感じさせる家々の森を垣間縫って行く存在は、とうとう自分の進むべき道が終点に達してしまった事を知る。
大きな土壁が2人の前に堂々と君臨しているのだ。追い込まれた焦りは、一層その壁が絶望を付しているかを誇張させる。
「此処まで…」
「いや、諦めるのはまだ早いよ。…私たちにはカイアスの行方を突き止めないといけないんだから!」
チルノはそうセーラに言い聞かせると、チルノはルインタイプライターに取り付けられた装置に数字を打ち込んだ。
すると彼女は再びセラフィックモードを展開し、漲る力を手にしたのだ。土で固められた壁に、彼女は強大なる力を込めて剣を振るう。
剣は容易く壁を貫通し、すぐさま斬り払うと忽ち壁は崩れてしまう。通路を隔てる壁は最早瓦礫になり、2人はすぐさま先を急いだ。
家々の中を走り行くと、やがて2人の前に線路が見える。家々の中を貫くように建設された線路は震えており、何か巨大なものの気配がするのを肌で感じる。
すると耳を劈くような音が聞こえる。其れは汽車の汽笛であった。チルノはふと後ろを見て見ると、既に視界に映る範囲で、武装した兵士集団が追手として来ているのを見てしまう。
「セーラちゃん、一か八かだけど……時には危険を冒す事も必要だよね」
「……汽車に乗るんだね。セーラも準備は出来てる」
やがて黒を基調とした、煙を纏う存在が高速で線路上を駆け抜けていく。
その勢いたるものに一瞬怯えるも、追手はすぐそこまで来ていた。2人に決断を迷っている暇は無かったのだ。
チルノは汽車が客車を牽引しているのを知り、客車に乗り込むことを決めた。やがて2人の前に客車が通過して見せると、チルノは設置された手すりの部分に掴まって見せる。
続いてチルノの手を掴むセーラ。2人は何とかして走行中の汽車が引く客車に乗り込むと、追手が存在していた先程の路地を見返した。
其処には、逃げられたことに憤りを感じている兵士たちの呆然と立ち尽くした姿があった。
汽車は油で淋漓となりながらも、勢い立てて家々の中を走って行く。
2人は外側から窓を通じて中の様子を確認しようとする。幸い、2人分のスペースがしっかりと収まる陰が連結部分に存在しており、格好の餌として食いつかんがばかりに移動する。
中を覗き込むと、2人は驚愕して見せた。其処には豪華に宝飾の為された椅子に座している少女の姿と、メイド服を纏っている召使の姿1人だけであった。
チルノはパッと見、何も感じなかったが、セーラは眼を見開いたようにしては、沸々と怒りを湧かせていたのだ。
「…セーラちゃん、どうしたの?」
「アイツは…律城世界の解条者、そして第一次蒼穹而戦争の黒幕―――アリスノートだよ」
セーラは押し黙ると、やがて物騒な音が聞こえ始める。
2人が隠れていた連結部とは反対側、奥から兵士たちが客車内に雪崩れ込むと、突拍子もない顔をアリスノートは浮かべていた。
すぐさま隠れながらも耳を近くに充てて、中の声を澄ます。
―――な、なんだお前ら!此の私に逆らおうってのか!
―――どうも、貴方の存在を私も快く思えないんでね。潔く過去に戻ってください。
―――お前か…。…お前なのか、ミリエル!
殺伐且つ騒然とした展開に、2人は眼を離せないでいた。
泣き喚くに等しいアリスノートを押さえる兵士たちに、先程まで仕えていたメイドは不敵な笑みを見せつけている。これが裏切りであろうか。
とは言ったものの、アリスノートは解条主義の頂点であるが、実際は只の子供でしかない。
片手に持っていたショットガンも押収され、今や泣きっ面だ。
―――いいや、私はただの協力者です。さあ、こちらに……フィリキア様。
―――お久しぶりね、アリスノート。随分色んなことをやってくれたじゃない。私の罠に容易く引っかかる貴方の姿、とっても美しいわよ。
元来、城内でも貴方の横暴ぶりに看過できない人も多く居たのに、お父様とお母様は其れを看過してくれた。しかし、貴方は―――そんな2人を裏切った。
―――何を言うの、フィリキアお姉さま。私は何もしていない。
―――惚けるのもいい加減にして欲しいわ。お父様とお母様の穿たれた銃痕が貴方のショットガンと一致したのよ。
更に死亡推定時刻の検査結果、その時間帯に面会したのは貴方しかいなかった。残念ね、運命は貴方に味方してくれなかったのよ。無様ね。さあ、連れて行きなさい。
―――やめて、やめてよ…!……もう悪い事はしないから!お願い、私を見逃して…!!
―――へぇ。性格悪いあんたも、最期には乞いをするんだぁ。結局、あんたも皮を剥がせば生身なのね、致し方ないけど。じゃあ、地獄に行ってらっしゃい。
そう罰悪そうにフィリキアたる人物が右手で制すると、兵士たちはそのままアリスノートを連れ去ってしまった。
まさかの事態を目撃した2人は終始戸惑っていたが、今のアリスノートは謀反を起こされた事に腹を立てているに違いないだろう。
此れを何かに利用できないかと悟ったセーラは、チルノに提言する。
「チルノちゃん、今からアリスノートの行方を追おう。きっと何かが在るはずだよ。
それにしても、今回の事件の闇は深そうだよ。だって、あのフィリキアたる人物が言うのが正しければ、耳に聞いた皇と皇妃殺害はアリスノートがやった事となる。
私たちは糾弾しなくちゃいけない。第二次蒼穹而戦争が起ころうとしている今、真実を突き止める―――それが私たちの仕事だよ。行こう」




