22章 教条主義者の鎮魂歌
闘いが終わり、彼女は自身の正気を取り戻した時には既に手は紅く染まり、残酷たる光景を生み出していた。
しかし黒外套の男は凄惨ながらも息を存えており、ただ笑みを浮かべるだけであった。
また、炎の拳をまともに受けた彼女の顔は焼け爛れ、熱せられた鉄に打たれたかのようであった。
占拠された議事場は騒然としていたが、男は自分とチルノに何やら魔法を唱えると簡単に傷は治療され、斬られた腕も元通りに戻り、爛れた顔も元に復元されたのだ。
その詠唱された魔法にカイアスは相当な力を使っていたらしく、息切れを露呈させている。
「……やはりお前は面白い、かの"アセンション・アーク"を使用出来るとは…」
「……あたいはそんなのには興味ないね」
「……強気だな。まぁ、其れ相応の実力を伴わせている点で、お前は只者ではないと充分に思い知らされたからな。
―――我々深淵庁は、絶対的な主権…其れが大統領の意思であろう、諮問機関責任者の意思であろう、私は私なりのやり方で此の世界を守る。
お前たちの運命に付き合っていられる程の暇は無いんでね……。
―――もし、我々を止めたいのならば、今度は第三次世界にでも来てみたらどうだ?…残念だが、シュノファス鐵工所から計画の全貌は全て聞いた。
―――第三次世界を直々に赴かせて貰うよ…」
「勝手な真似は止めろ!…お前が今、何をしようとしてるのか、其れを理解しているのか!?……カイアス!」
「だからその名を呼ぶなと言ってるだろうが!!」
大統領の声に対し、彼は更に大声で罵声を響かせ、議事場を圧倒した。
彼はマシンガンを向けられて動けない大統領の元に近づいては、彼の胸倉を右手で掴んでは圧力を掛け始めたのだ。
妹であるセーラが止めるよう呼びかけるも、マシンガンを更に近づけられてしまい、声帯を切られたかのような状況だ。
胸倉を掴まれた大統領に顔を近づけ、囁き声ながらも重々しい、威圧の掛かった声が彼の口から放たれるも、大統領は決して屈しなかった。
「……お前如きに何が出来る?所詮は庶民派大統領、第二次蒼穹而戦争の恐怖さえも知らない奴が…」
「……私の両親は…戦争の犠牲になった。…その犠牲を増やさない、その志で今私は此処に居て、平和に尽力している!
―――お前のような身勝手なやり方で、私は此の世界のモラルに傷をつけるような事は…」
「モラル?……最初から此の世界に秩序などあるか?
―――私は厭離穢土した自分の名を嫌っている。理由は何故か?此の世界に秩序が無かったが故に起こった悲劇からだ!
お前みたいな支配者層が鼻を高くし、管理された戦争を起こす!…私はそんな肩身狭い生活はもう御免だ。
―――大統領。今の貴方が留まる座は相応しくない。…其の座、退いてもらおうか」
其の瞬間、彼は胸倉を掴んでいる大統領の身体に拳銃を突きつけたのである。
背中にはマシンガン、腹部には拳銃と銃器に挟まれる大統領は苦い顔を浮かべていたのだ。
憎悪に燃えていた彼は、チルノに今まで決して見せたことのない憤怒の表情を露わにし、彼がどんなに残酷な過去を抱いているか、想像に容易かった。
外は議事場に入ろうとする警備兵たちと深淵庁の捜索機動隊が衝突し、戦闘が繰り広げられているものの、決して入れずにいた。
「……死ね」
拳銃の引き金が引かれそうになった瞬間、チルノは反射的にルインタイプライターを投げていた。
直線状に描かれた弧はそのまま引きつって、剣は黒外套の男を突き刺した。
咄嗟に血が溢れ、拳銃を落としてしまう。連続的に彼女は高速たる動きで剣を拾いに行っては、大統領にマシンガンを向ける兵士を貫いた。
同時に拳銃をも拾ってはセーラとブリュンヒルデを拘束する兵士たちを撃ち倒し、新たな流れを形成した。
議事場を占拠する捜索機動隊は一斉にマシンガンを放つも、対抗して議員やセーラ、ブリュンヒルデ等が相手したのだ。
チルノはそのまま大統領を陰に隠し、一時的に場を凌がせる。
其の瞬間、警備兵が遂に捜索機動隊の壁を破り、多くの警備兵が議事場に雪崩れ込んだのである。
警備兵は中に居た捜索機動隊の兵士たちを一掃し、辺りは悲鳴と罵声の海となる。
拮抗していたセーラとブリュンヒルデは戦いを警備兵たちに任せるも、傷を蒙ったカイアスは幾人かの捜索機動隊と共に議事場から逃走した。
追いかけようとするチルノに対し、其の場に居た大統領は彼女を説得させる。何せ銃弾が雨あられのように飛び交い、まともに行ける状況では無かったからだ。
彼の説得を受け、陰に隠れていたチルノたちを出迎えた戦場に、黎明都市はパニック状態であった。
◆◆◆
「……酷いな、こりゃあ」
戦闘が終わり、駆け付けたバルトロメイたちはその凄惨な光景を前に息を呑んだ。
元あった広々とした議事場は銃痕で埋まり、何人もの議員や兵士たちが血を流して倒れている。
陰に隠れていた人々は咄嗟に国会議事堂から出て、その場に残っていたのは後処理をする警備兵とチルノたちであった。
セーラとブリュンヒルデ、そしてチルノと大統領は無事であり、セーラは兄である大統領の元へ走っては喜びを分かち合った。
「…お兄ちゃん!」
「……セーラ、こうやって話せる日が来るとはな…」
バルトロメイたちは咄嗟にチルノとブリュンヒルデの元へ駆け寄った。
幸い、怪我は無いようで元気そうに2人は振る舞った。彼らはゼロアでは無く車で来たようであったが、何せ外の状況が騒がしいので無暗に出れないのであった。
チルノはカイアスが何故此処までして強硬策を取ったのか、何かしら深い意味があると捉えていた。
セーラやブリュンヒルデには兵士にマシンガンを差し向けたのに、自分には向け無かった、その理由―――。
彼がどんなに屈強な状況にでも笑みを忘れず―――既に腐朽しつつある此の世界を守ると言う偽善の意思―――其れを厭う彼の信念。
黒い外套を羽織る、謎に包まれし男の考えは決して同情出来るものでは無かったが、彼女は何かを感じ取っていた。
「……大統領」
「……ああ、分かっている。あの男が今の深淵庁を導いているのだろう。…一応、深淵庁の捜索機動隊の権限の一切を無くす。
しかし、奴の賦稟たる"何か"が、捜索機動隊を導いてるのだろうか、私には一切の見解の余地が無い。
―――今、律城世界の動きはどうだ?」
「……只今、律城世界側の大きな動きはありません。レヴィンの助けにより、黎明都市に存在していた極秘研究所を制圧しました。
―――しかし、奴らの言うメテオ計画等、我々も油断を一切許さない状況です」
「……了解した。大統領として、少しの流血も防ぐことを努力する。
祖先の名に懸けて、意地でも第二次蒼穹而戦争は防がなければなるまい…。……健闘を祈る」
◆◆◆
―――こちら黎明都市自衛隊第一部、極秘研究所の制圧を完了しました!
テレビでは律城世界側の極秘研究所の制圧の瞬間をドキュメンタリー番組として編集し、放映していた。
リ・レギオン本部に戻ったチルノたちはテレビに流れる自衛隊と律城世界との緊迫した中での衝突を淡々と描いていた。
同時に先程発生した国会議事堂占拠未遂事件の速報を上に字幕表示しており、予断を許さない。
本部には引っ切り無しに電話が掛かって来る。と言うのも、防衛庁が襲撃されて機能を失った今、代理機関としてリ・レギオンが選出されたのだ。
普段、武力行使機関は深淵庁の捜索機動隊、防衛庁の自衛隊の2つに分かれており、捜索機動隊が警察の役目も熟していたのだが、その深淵庁が乗っ取られたため、黎明都市は一種の混乱に陥りつつある。
未だにアクシス・パラダイムの余波が残っているのにも関わらず、更に混沌へ導かれる状況に誰も笑えなくなっていた。
チルノは電話に応対するバルトロメイたちを他所に、壁際に座り込んでいた。
そんな彼女の隣には、ゼロアのパイロットであるアーセが座っていた。他のセーラたちは職務があるが、2人に絶対的な職務は無い。
暇そうにする彼女に、アーセは微笑みながら缶ジュース―――キンキンに冷えたジュースを手渡した。
既に開栓はされており、飲めるようになっている。
「……はい」
「……あ、ありがとうございます」
おぼつかないけれども、丁重にお礼を述べるチルノに、アーセは何処か照れくさそうにした。
アーセもまた、同じ銘柄の缶ジュースを持っており、2人は多忙を極めるリ・レギオンの端で一緒に飲んでいた。
同じ水を飲む、と言う訳では無いが、チルノがアーセに対する感情は更に厚くなっていくのが、自身自己でも分かっていた。
「……私ね、最初は…極秘研究所に居たんだよね。元々は律城世界在住の人間でさ。
でも、今こうやってリ・レギオンに居ると、自分はなんてことをしたのか、偶に後悔しちゃうことがあるんだよね。
だけど、もしかしたら私たちの出会いは必然的だったのかもしれない、なんて最近は考えちゃうようになってさ……」
「……もし、みんなが笑えば、それは"平和"って言うのかな」
彼女はふと、何時か言われた懐かしい言葉を口にした。
其れは哀愁さえ―――郷愁や旅情―――儚き無常感や厭世主観を持たせるに十分な音韻であった。
アーセはそんな彼女の問いに自分なりの意見を展開させる。其れはチルノが想像していた答えとは少し違ったものであった。
「―――平和ってのは、そんな生易しい方法で生まれるものじゃない。
みんなが以心伝心して、世界をより良いものにしょうと努力する、その経過状態が平和って言うんじゃないかな。
より良い世界に完成、パーフェクトなんて無い。だから世界は無限に成長する。同時に人もまた、成長するって信じてる」
その時、彼女は何処か違う答えに心を打たれた。
先程、自分がした質問は紛うこと無きユイトの問い―――あの時、自分が展開した自論に誤謬があったのではないか、と今更ながらに後悔した。
「虚しさ、この究極の永遠な裏書と確証とのほかにはもはや何ものをも欲しないためには、どれほど自己自身と人生を愛惜しなければならないだろうか?」
人生観は此処で異なるのはまた事実だ、しかし答えを裏付ける確証、デモンストレーションの為に、自分へどれだけ恩寵を受けなければならないのか。
彼女はこう思った。―――然り、と。絶対的なプロセスなぞ不要だ、我が人生に於いて必要なのは―――自身への愛、自信であると。
この虚空の果て、何処までも続くであろう水平線に終わりは見えない。人生が虚空だとするのならば、自信は自分を導く澪標なのだ、と。
ユイトの問いにそう間接に応えたアーセの話を聞き、彼女は静かに思考していた。
「……全員、聞いてくれ!」
此処で大声を出し、リ・レギオンに居た全員に注目を向けさせたのはバルトロメイであった。
スマホで誰かと通話していたようで、彼は一つ咳払いしてから、再び響き渡るような声で話し始めた。
アーセと共に隅に居たチルノにも充分に届く声であり、全員は一旦作業から離れ、彼の話に耳を傾けた。
「……只今、シュノファス鐵工所の代表取締役、ロアトル氏に話を伺った。
どうやら奴らは律城世界や黎明都市の味方では無いようで、あくまで第三者機関を自称しているに過ぎないらしい。
それで、深淵庁の捜索機動隊は律城世界側に赴き、何か活動を起こすようだ。―――此処で、奴らの後を追って貰うべく、第一次世界に行く人材を募りたい」
「……じゃあ、あたいが行く!」
「…わ、私も…」
彼女は迷わず手を上げ、自ら立候補した。
バルトロメイが頷いて見せると、他にセーラが挙手した。彼女は少し不安に怯えていたが、勇気を以てしての立候補であった。
解条者であるチルノが居ることは極めて大きく、彼は2人に第一次世界へ派遣させることを決意した。
しかしセーラが何故立候補したのか、とチルノが彼女に問うと、其れは両親の敵討ちの意思が強かったからだと判明した。
事実、彼女の親は第一次蒼穹而戦争の影響を受けて失っている。彼女が第一次世界に恨みを抱くに必然な話だろう。
「……セーラとチルノ、か。…私たちはリ・レギオンに居るが、アバタール・ネットワークを通じて情報伝達を行う。
そちらも何か分かったらこっちに教えてくれ。…くれぐれも死ぬような真似はするなよ」
「……何かあったらあたいがどうにかするもんね!」
チルノは元気そうに、そう発言して見せた。
其れは不安と恐怖に塗れるセーラに自信を持たせるに充分で、彼女は静かに笑顔を浮かべて見せた。
リ・レギオン本部は相も変わらず多忙を極めており、アーシアやブリュンヒルデに関しては休む暇すら与えられない。
そんな彼らを借景し、2人は静かに旅立つのであった。
捜索機動隊の追っ手として、何かを見出すべく、彼女たちは静かにアバタール・ネットワークにハッキングを行い、徐々に姿を消していった。
◆◆◆
その時、幻想郷は太陽が絢爛として輝く下の美しき世界であった。
人間の里、多くの家々が甍を並べ、賑やかな声々が響き渡っている。
喧噪たる情景の中、質素な麻の服を身に纏う青年は、片手に旧約聖書たる書物を持ちながら、人々が行き来する里の中に1人、佇んでいた。
種族の隔たりなく、様々な存在が彼の横を通り抜ける。無常溢れる此の世界、少年は寂しくも空を見上げていた。
するとどうだろう、不思議と笑みが零れてくる。彼は静かに口元に弧を描いていたのである。
考えて見れば、今日も寺子屋での授業があった。
しかし彼は最近、寺子屋には顔を見せていない。寺子屋に行くよりもやるべき事、其れが彼の中で渦巻いているからだ。
髣髴とさせるチルノの笑顔―――自分に優しく接してくれた人の為に。
「……この世界は夢と希望に満ち溢れている、か。…言われてみれば、そうなのかもしれない」
彼はそう独り事を呟くや、再び人の波の中に紛れて消えてしまった。
彼の影は棚引くように、ただその場に存在していたが、哀れ無常なる世界は其れをも喪失させてしまう。
青年の後ろ姿は決まって孤独で―――そして何処か懐かしみのある―――腐朽の燐光そのものであった。
◆◆◆
セーラがアバタール・ネットワークにハッキングを行い、彼女たちは無事にネットワーク世界への侵入に成功した。
黎明都市のネットワーク世界では盛んに機鉱発掘が行われており、多くの作業員がセンサー型キーボードを傍らに採取している。
スーツ服姿の人々が淡々と行う作業に何処か異端さを感じるも、気にすること無く2人は歩いて行く。
多くの数字の羅列が仄かに垣間見える世界、彼女らは淡々と歩んでいく。
黎明都市と律城世界を結ぶ、今2人が歩く世界は大層賑やかさを見せており、多くの人が行き来している。
しかし実際は冷戦状態であり、世界間を駆ける険悪さは滲み出てはいないものの、既成事実であるに変わりはない。
彼女らが進んでいくと、やがて巨大な広場に出た。
其処に人は誰も居なく、ただ作業用道具が置かれた、データ上の建物が置かれていた。
白豆腐ような簡素な建物で、中には機鉱採掘用のものと思われる、未知たる道具がバリエーション豊富に並んでいる。
セーラについてきていた彼女は、セーラが何やら不穏な空気を醸していることに気が付いた。
「……チルノちゃん、付き合って貰ってもいい?」
「え、あ、うん。いいけど…何するの?」
「……私用。ごめんね」
そう言うや、彼女は颯爽と中に入っていってしまう。
その後をチルノもついて行く。建物内は散乱としており、道具が散りばめられている。
埃が溜まっているが、セーラは躊躇い無く足を踏み入れていく。彼女の何かたる信念、其れが彼女を固執させているのだ、と。
しかしチルノは教条主義では無い、何に執着している訳でも無し、しかし影のような漠然とした機械論は決して信じない。
蒙昧たる思想に突っ込まない、一種の安全主義を取っていた彼女は、セーラの霊怪たる行動を懐疑視していた。
さぞ古臭さが残る物置以外、彼女に思い当たる節は無い。
彼女も亦、奥へと進んで見せた。
中には蜘蛛が堂々と巣を張っており、埃が隅々まで行き渡っている。
薄暗く、データの世界に設置された淋しい小屋の中に光は差し込まない。なにもかも空虚で、真っ黒で、ひっそりしていて、虚無が宇宙全体を占めるようだ。
絶対的な虚無なぞ信じてたまるかと思うチルノも、何処か不安を募らせてしまう。
倉庫の中は思った以上に深く、とっくのうちに暗闇に消え失せたセーラを追いかけにチルノも向かった。
しかしセーラは彼女が予測するに相応しくない姿で視界に映る事となる。尻餅を付き、何かに怖気る様相は決して普通とは言えない。
すぐに介抱するや、セーラは怯えるように指を差したのである。
「あ、あれ……」
彼女たちの前にあった暗闇の中に光る、一筋の閃光。
やがて鈍い音が響き渡り、2人の前に喧噪な音と共に現れた機械―――其れは彼女らを怯えさせるに相応しい。
漆黒の棚寝床に敷かれた、絶対的な快苦感を顕わにする、画一的な機器―――。
この、恐ろしく悍ましい、穿顱錐のような恐怖は魂の底にまで染みこみ、血が顳顬から心臓へどきどきと流れる。
―――其の先に居たのは、紛うこと無き―――誰かが乗った、静かに佇む巨大なショベルカーであった。




