14章 燻製ニシンの虚偽
メアの笑顔を背に、チルノはそのまま真っ暗闇の通路を駆け抜けた。
やがて通路の先に光が視え、ねじ曲がった空間の終焉を肌身で感じた彼女は、剣を構えたまま通路を出た。
其処は会社の最上階たるもの、真下に豪華な深紅の毛のカーペットが敷かれ、ガラス張りの向こうは細々した街並みであった。
そのままチルノは辺りを見渡すが、壁の陰に何やら見覚えのある容姿を捉えた。
其れは黒洞々とした外套を羽織る、男の姿そのものであったのだ。
誰にも気づかれないように気配を消しながら、その壁の陰に移動する。
移動した先には、案の定深淵庁で命令を下していた、あの男が身を潜めて隠れていた。
解条者と合流出来たことに男は喜びの色を示し、次なる作戦を執行する為に説明した。
「…此処までよく来てくれた。…それで、今から激闘になるかもしれないが、覚悟して欲しい。
この先はコントロールセンターと言って、アクシス・オーバー社の中枢たる部分だ。
無論、敵は大勢いるだろう。しかし、その中に此の会社のトップ、言わば経営者である男、ジ・オランディオと言う奴がいる。
奴は偉そうに椅子にでも座ってるだろうし、服装も目立つものだからお前もすぐに察せるだろう。
……私は他の奴を相手するから、お前はジ・オランディオをやっつけて欲しい。
…奴は通称、"神の代理人"と呼ばれている、実力派だ。…解条者と言えど、油断せずに立ち向かってほしい」
「……そのオランディオって奴を倒せばいいの?」
「そうだ。…後は私が全てやる。何せ今回は深淵庁の家宅捜索だ。
メタトロンの元老院などと関係ある資料を発見することが第一目標なんだからな。
―――あと、オランディオは相当強い奴だ。…だけども、絶対やっつけろよ」
「…分かった」
彼女が承諾の意を示した時、男はぼうっと天井を見上げていたのであった。
何処か考えに更けて、周りとは多少浮いているようにも見える。
壁の陰に隠れていた男は、漆黒の外套をただ其処に佇ませながらも、不意にポツリと言葉を呟いたのであった。
「……この戦争が終わったら、この世界はどうなるんだろうな」
「……えっ?」
「いや、何でもない。…行くぞ、チルノ。少し派手なやり方だが、その方がお前には向いてるからな」
その時、男は咄嗟に立ちあがっては壁際から飛び出した。
唐突過ぎたが、すぐさま彼女も男の後をついていく。やがて最上階で最も多く面積を占める、コントロールセンターへとやって来た。
鋼鉄の扉が立ち塞がっていたが、男は扉の横のロック解除装置に慣れた手つきでパスワードを打ち込んだのである。
扉は開いた。中に居た社員たちは急に扉が開いたことに違和感を覚えたのも束の間、男が銃を乱射した。
銃弾を蒙る社員、隠れる社員。反撃としてマシンガンを構えて銃撃を行う社員もおり、辺りは騒然とした。
その中、椅子に深々と座っては豪そうな佇まいを見せる、金髪の男を見つけた。服装も亦、至極豪華なもので見切るのには容易かった。
「……貴様は…"神の代理人"№XV……裏切り者がァッ!!」
銃を構える男に、ジ・オランディオたる人物は大声を上げた。だが黒の外套は冷酷無慙であった。
その間隙、銃撃戦の中、彼女は駆け抜けた。
剣を構えたまま、コントロールセンターに設置された机などに上りながら、一気に斬りかかったのだ。
その瞬間、銃声の最中に異端たる剣戟の摩擦が部屋内に響き渡ったのである。
「…あんたの相手は私だ!!・・・ジ・オランディオ!」
「…お前も居たのか、第三次世界の解条者…面倒な事になったものだな!」
ジ・オランディオは椅子から立ちあがっては、彼女と対峙して見せた。
薄暗く、多くのモニターを背に剣を構えてはチルノに抗いの色を見せる。
彼女も亦、男に言われた事を胸に刻んでおり、彼が至極強い人物である事を理解しているつもりでいた。
が、いざとなると緊張が止まらない。銃声は依然として響いており、銃弾が飛んでこないかと言う心配もあった。
しかし、彼女はルインタイプライターのグリップをしっかりと右手で握っては、目の前の彼を睨み据えた。
「……深淵庁の家宅捜索には、絶対的な執行権が無い。…拒否権があるんだよ。
我々はこの尊主たる技術を流出させない為にも、改めて防御姿勢を取っているんだがね、此処まで横暴極められると困る。
幾ら解条者だろうと、この会社を守るためにも、改めて剣を振るわせて貰おうか!
―――我が名は"神の代理人"№III、「黒の仮面」ジ・オランディオだ!丁重に御手合わせ願おうか!!」
◆◆◆
「…ユイト、どうしたの……それ」
チルノが旅立った代わりに、小さなユイトを見守っていたのは大妖精であった。
彼は時々フラフラと何処かへ消えてしまうのであり、彼女は其れを苦労とした。
だが、彼が見つかる場所は何時もおかしな場所であり、洞窟の中であったり、霧の湖の傍に在る廃屋だったりと、レパートリーは様々だ。
しかし、見つかる時のデモンストレーションたるもの、其れは彼が何かを持っている時であった。
此の日、彼は妖怪が沢山生息する山の麓に在る、曾て村人が住んでいた痕跡がある廃屋に居た。
改めて彼の右手を見て見ると、其処には古煤けた本であったのだ。
彼女は彼が持っていた本のタイトルを見るため、彼から本を受け取っては近づけて物を見た。
何せ、古煤けてあり、文字が見づらいからである。だが、彼女は本のタイトルの解読に成功した。
―――旧約聖書。
此の世界には無いはずであり、其れは大妖精もまた初めてお目にかかる本であった。
彼は彼女から奪い取るように本を持つと、あるページを開いて言葉を口にした。
何かを深々と思考しており、其れは彼女にとって全く予想できない位置に存在していた。
「……チルノ姉ちゃんは、『みんなが笑えば嬉しい気持ちになる』って言ってたんだ。
だから、僕はチルノ姉ちゃんの言う"嬉しい気持ち"を叶えたいんだ。…そのために、僕は勉強するんだ」
「……そ、そうなんだ」
しかし、この時のユイトの声は何処か不気味さを漂わせていた。
音韻に彼の純粋無垢な意思なのか、それとも不穏で邪悪な意思なのか、吐き気のするような考えが其処には密かに眠っていた。
隠しスパイスのように、彼がただ隠してるだけなのか、それとも全く別の意味なのか―――。
大妖精は何処か彼の霊怪な行動に、懐疑を持つようになっていた。
◆◆◆
「……ジ・オランディオと第三次世界の解条者が交戦状態に突入したようだ。
―――メテオ計画の動きはどうだ?順調か?」
「…ゼロ長官か。只今、"神の代理人"№IVがアバタール・ネットワークのファジー指数システムにアクセス、ハッキング中だ。
そして旧誕庁では総出でアバタール・ネットワークの第三次世界へ集中アクセスしてて、計画ももう少しだな」
「……№IVが居るとは心強いな。…アクシス・オーバー社が家宅捜索を受けてる間に何としてでも終わらせろ」
「了解。…お前も早くアリスノート様とハルベルト様にリュノン思案書の承諾を得ろよ」
その時、スマホの中での電話は途切れてしまったのであった。
椅子に深く腰掛けては、豪華な装飾が目立つ王宮内に存在する彼の部屋で静かに佇んでいた。
スーツ服を纏っていながらも、広々として美しくある庭園を見下ろすように、足を組んではスマホを机上に置いた。
彼の後ろでは何人ものメイドが立っており、高級感を否めない。
ああ、と声を小さく上げると、彼は静かに呟いたのであった。
「……燻製ニシンは海に還った。…世界間で行われる舞台劇と言う物を、じっくり楽しませてくれよ、、、」
◆◆◆
「……バルト・ゼロ協定?…あんなの、上辺だけの飾りに過ぎなかったってことさ。
見ての通り、このザマだ。深淵庁が勝手な動きをしてアクシス・オーバー社を襲撃、経済の大混乱も寸前だ。
かのアクシス・オーバー電磁開発の株価が急降下、続けざまに幾つかの銀行が破綻しつつある。
―――見てろ、直に第二次蒼穹而戦争は始まるんだよ……」
此の世界の状況に悲嘆した彼は、下を俯きながらそう話したのであった。
庁内で多くの人が利用するトイレ前の通路の壁に靠掛かるようにしてスマホを耳に充てる彼。
昔、メタトロン側の外務省長官であるゼロ長官との間に結んだ、第一次蒼穹而戦争の仮定的終結を見せたバルト・ゼロ協定の日は目に見えて早い。
簡単に過去を振り返れるほど、今の状況が彼に辛く当たるのである。
「…お前は仕事をしただけだ、問題は全てエネルギー不足に陥った奴らの自業自得じゃないか。
―――バルトロメイ、俺とお前は刎頸の交わり、俺にも何か出来ることがあったら手伝うからさ」
「……いいのか。お前は律城世界メタトロン側の人間じゃ、、、」
「…お前の世界で既にゼロが深淵庁の職員として偽ってたそうじゃないか。
―――お前を裏切った、あのクズ野郎をギャフンと言わせたくなったんだよ。…人が裏切っちゃいけないなんて理由は無いんだよ」
「…後悔しないのか」
「―――後悔?…ハハハ、俺を笑わせようってかい?…残念だが、俺は後ろを見ない性分だ。ごめんな」
「……お前を誇りに思うよ、"神の代理人"№VII、「理性のアーティファクト」ウル・レヴィン……」