11章 悍ましき気配
「…深淵庁の捜索機動隊が、アクシス・オーバー社の家宅捜索に動いたって」
「一体奴らは何をやってるんだか。セーラを置いてけぼりにしてな」
負傷したセーラは一時安静の状態に置くため、病室のベットで寝かされていた。
意識があった彼女は、お見舞いとして来てくれた2人の来客を心底喜んでいた。
カーテンで隔てて空間を作った中、台に置かれたテレビは深淵庁がアクシス・オーバー社への家宅捜索を行うことの報道が為されていた。
そのテレビを痴呆ぼけたように溜息をつき、セーラが寝るベットに腰かけるのは、猫耳を小刻みに震わせている女性であった。
彼女もまた、セーラと同じ身長で、同い年のようにも見える。
「…きっと、何か考えがあると私は思う!…あの彼が、早々行動を共にするなんて考えられないよ」
「…アールシュヴァルツの言う通り、あのアイツが大々的な行動を起こすとはな。…アクシス・オーバー社に何かあるのか」
此処で寝ていたセーラは、ゼロから話された事実を口にすると、2人は驚きの顔を浮かべたのであった。
此処で彼女たちの元へ新たに足音が響き、カーテンが捲られた。其処にあったのは、巷で話題の顔であった。
心配そうな表情を浮かべては、重たそうな顔を浮かべて。
「…き、君は」
「……あたい、チルノ。…今はセーラちゃんのお見舞いに来たんだ。これ、お見舞いの品だよ」
何処かで買ったのであろう、彼女は花束を棚の上に徐に置く。
セーラは彼女が来てくれた事を嬉しく思い、そして心から喜んでいる。
チルノは既にセーラの元にお見舞いの客が居た事に驚いたが、それも自分と背丈が大差ない、顔つきが似た2人である事に多少興味を持った。
猫耳に音を言わせては跳ねるようにチルノの前へ立って、笑顔を浮かべる少女に、チルノは驚いた。
「…君がチルノちゃんだね?私はアールシュヴァルツ!あっちがシレイル姉ちゃんだよ!」
「…ああ、宜しく頼む。強引な紹介になって済まないが、解条者の話は既に聞いていた。
―――それにしても、アールシュヴァルツやセーラと対して背が変わらない女の子が解条者なんてな」
セーラやチルノ、アールシュヴァルツと比べて背が高いイメージのあるシレイルは、チルノの事に感銘を受けていた。
そして今先程にセーラから聞いた、ゼロの喋った事実をチルノに問い質すや、彼女も亦頷くのであった。
4人の前のテレビでは淡々とリポーターが家宅捜索の事について喋っている。
チルノは深淵庁の捜索機動隊として加わっていたが、何故家宅捜索について行かなかったのか聞かれたが、彼女はすぐに答えた。
「…あたいは解条者、今回のアクシス・オーバー社家宅捜索で深淵庁に隙が生まれるから、今回は待機。
今は職員に任せてるけど、あたいも一応何時でも行く準備は出来てるよ、スマホ渡されたから」
「…第三次世界の解条者が、私たちに此処まで協力的なんてな。力強いもんだ。
―――まぁ、何せ、律城世界メタトロンと関係が悪化し、一種の冷戦状態に陥った今、私たちは静かにしている事しか出来ない…」
シレイルは何処か投げやりにそう発言するや、ベット横に置かれた椅子に再び腰掛けた。
セーラはずっとテレビの方を向いたまま寝そべっている。アールシュヴァルツは極めて暇そうに、ベットに座ったまま手遊びをしていた。
1人じゃんけんと言う、物侘しい1人遊びを行っていた彼女の横に座っては、気になっていた猫耳を人差し指で突いてみる。
すると彼女は急に頬を赤らめては、小さく、とても華奢にも仰ぎ声を上げた。其れはまるで恥ずかしがる子猫のようにでもあった。
「…本物の猫?」
「アールシュヴァルツはどうしてなのか、猫の遺伝子が上手い具合に入っててな。
…人面猫と言った方が正しいかもしれない。事実、私たちは孤児で、親なんて居なかった。
親が不明だから、この不思議な現実にも受け止めるしかない。だが、周囲から評判は良さげらしい。猫耳好きは多いと聞いた」
「…特殊な性癖、ペドフィルなんか幾らでもいる。アールシュヴァルツちゃんには気を付けて欲しいよ」
セーラは彼女の身をもって心配していたが、其れは何処か過保護な気もした。
チルノはアールシュヴァルツに猫の尻尾もあることに気が付いた。
チェック柄の短めな、際どいミニスカートから生えている、三毛猫柄の柔らかい尻尾。
チルノは其れを右手で掴んでみると、猫耳に触った時のように可愛い声で仰ぎ声を再び出すのであった。
「こら、チルノ。悪戯はやめろ」
「…なんか可愛いね。私たちの世界にも、こんな人たち沢山いたから、なんか全然抵抗が無いんだよね」
そう言うや、恥ずかしい声を上げてしまったアールシュヴァルツは再び顔を赤らめさせた。
そして恥ずかしい思いをする原因を作った、横に座る解条者をポカポカと優しく叩いた。
其れは何処か馴れ合いの意が強く、じゃれあっているようにも見える。
ベットで寝ていたセーラは、2人の微笑ましい光景に笑みを浮かべていた。
「…ああ見えても、アールシュヴァルツは孤児院の創設者なのさ。
自分と同じ目に遭った子供たちを助けたい、って純粋な気持ちを持つ女の子なんだよな。
私はあの事件をきっかけに、こんなにまで捻くれた哀れな人間なのに、アールシュヴァルツは正反対でさ」
「…孤児院の創設者?」
どうやら其れはセーラも知らなかったようで、ベットから軽く起き上がってはシレイルに聞きなおした。
彼女は黙って頷き、遠目でじゃれ合う2人を傍観しながら、保護者の眼差しを浮かべて語り始めた。
其れは姉として思う、妹が歩んだ波瀾万丈な人生を何よりも一番知っているからであろうか。
「…ああ見えても、アールシュヴァルツは15歳。セーラよりも3歳年上のお姉ちゃんなのよ?
…まぁ、嗚呼見えても深淵庁の主任で、今回の捜索機動隊の家宅捜索で何よりも心配していたからね。
…お人よしでさ。誰にでもニコッって笑顔を浮かべるんだ。凄惨な過去なぞ全く忘れたかのように。
誰にでも優しく、そして深い思いやりを持つアールシュヴァルツに、一生離れない"傷"を遺した奴…ソイツだけは、絶対に許さない」
「…一生離れない傷?」
「…喋りすぎたようだね。その件はまた何時か、会った時にお話しするよ」
シレイルは喋りすぎた事を後悔し、頭の後ろに手を組む。
ベットの端では気が通じ合ったアールシュヴァルツとチルノが相変わらず遊んでいる。
まるで幼い女の子同士の御飯事にも捉えられるが、深淵庁職員主任と解条者と言う、これまた稀有な組み合わせである。
テレビでは延々と家宅捜索の実況を空中から行っている。ヘリコプターのプロペラ音が大きく、リポーターの声が余り聞こえない。
「…にゃ~」
「にゃ!にゃにゃにゃ!!」
猫のような声を上げては、ポカポカと叩き合う2人。
その様子を遠くから見ていたセーラとシレイルは何処か空洞が出来ていた心が埋められる気がした。
癒しと言うものであろうか、不思議と胸が生暖かくなっていくのを、胸に手を当ててみると分かる。
刹那、チルノが渡されていたスマホが音を上げて震えたのである。
すぐさま取り出すや否や、耳を充てると剣戟や銃撃の音ばかり聞こえる中、息切れした相手は応答した。
「チルノ!すぐさま来い!アクシス・オーバーの連中は徹底抗戦するつもりだ!!
―――既に深淵庁職員を病院に手配した、白色のワゴンが玄関前に泊まっているから、早く!!」
相手から一方的に切れた通話に、彼女は恐ろしさを感じた。
電話口の向こうで、一体何が行われているのか。…しかし、其れは簡単に予測出来た。
すぐさまルインタイプライターを構えては、病室の3人に別れを告げようとする。
「…時間が来たみたい。セーラちゃんは早く傷、治ってね。
―――アールシュヴァルツちゃんにシレイルさん、また何時か、何処かで会えたら…」
言い切る前に彼女は走り去ってしまった。
慌ただしく駆け抜けた彼女が去った後、アールシュヴァルツはじゃれ合う相手が居なくなった事で淋しそうな面構えをしている。
撫でて貰った猫耳や尻尾を自分の手でもう一回優しく撫でる彼女。
セーラはチルノに言われた言葉を胸に受けて、一刻も早く戻れることを願ったのであった。
◆◆◆
「……アバタール・ネットワークの現状は良好、だね。…凄い人が戦いに加わっちゃった」
紋章が刻まれた大鎌に乗っては、データの中を彷徨う1人の少女。
背中には機械化された天使の翼を片方だけ生やしては、ぎこちない機械音を言わせて。
可愛いフリルが付いた白いドレスを風に靡かせては、遥か遠くの水平線を眺めている。
「…何時か、私も"トモダチ"になりたいなぁ…」
そう、右手の人差し指を口で咥えながら、羨望する彼女。
何処となく寂しげで、そして悲愴な重たさを背負った彼女の苦しみは、誰にも理解されずにいた。
其れは至極悲しく、誰にも分からない闇がただ空しく広がっていただけなのであった。
◆◆◆
「……ブリュンヒルデ長官。たった今、深淵庁がアクシス・オーバー社へ家宅捜索に入ったとの事ですが」
「…証券取引でも最大手のアクシス・オーバー社の信用が減り、証券取引が減退する原因になるだろう。
尤も、アクシス・オーバー社に多額の融資を行っていた銀行は信用破滅に際して破綻する場所も少なくない。
…フィッツジェラルド証券取引所の現在状況はどうだ?」
「証券取引所には今、多くの取引者がアクシス・オーバー社の株価変動を見ています。
徐々にグラフが下がっていってますので、まだ本流ではありませんが、本流が来た時は……」
「…経済壊滅、か。…アクシス・オーバー社に融資を行っていた銀行の国債を買え。
今はアクシス・オーバー社の崩壊を阻止することでは無く、崩壊の規模を抑える事だ!!」
「―――了解!!」
彼女の元にやってきていた職員は、颯爽と部屋から立ち去った。
経済庁の長官でありながら、セーラー服を着ているという異端な恰好の彼女は椅子に深く座っては、遠い景色を眺めていた。
深淵庁が取った行動は決して素晴らしいとは言えるものでは無く、彼女は後先の事について頭を悩ませていた。
何処か朧げに太陽が照るも、其れは曇天の中の虚空に染められていた。
彼女の感情もまた、そのようなものであった。