どうやらお客さんは神様ではないらしい
「はい、オリジナルブレンドコーヒーっ!」
壁際に倒れている武は店員からも客からも無視されて伸びている。あれだけ叫んだら店内どこにいても聞こえるからな。
ガンッと音を立ててテーブルに置かれたコーヒーからは黒い液体が少し飛び散ってしまった。真っ白なテーブルに黒は目立つ上に栄えるね。綺麗だよ、さすが凶暴少女。
キッとにらみを利かせて金髪を見る。するとトテトテと厨房の方へ消え去ったと思ったら、手に青い布を抱えて戻ってきた。
「申し訳ありません……。すぐお拭きします……」
顔を伏せて僕に見えないようにしているのか、声も下に響いて反響する。
「ねえ、僕に会うのがそんなに嫌だった? それとも――――罪を擦り付けたことに対して悪いと反省の意志があるのかな?」
どうやら最近、奏太のドSぶりが僕にも反映されてきているらしい。普段だったらこんな事言わないのに、どうしても言ってしまう。相手がどう思っているのか知りたいのは山々だが、もっと他に訊き方ってものがあるだろうけど。
「うちは……、何もしてないよ」
あくまでもしらっばくれるつもりかな。それならそれでいいけど、こっちも違う手段に移させてもらおうかな。
「ここは『しゅゔぇすたーかふぇ』で僕は今お客さん、いや、お兄ちゃんだっけ? まあどっちでもいいんだけど、その権限を使わせてもらうよ。あの時のこと、どう思っているか教えてよ」
「なんでそんなこと……」
「お客さんは神様じゃないのかい?」
意地悪だなっと自分でも思ってしまう。高校一年生の女の子相手になんて大人げない戦法なのだろう。
周りの客はノートパソコンをいじってたり、読書をしていたりとあまり音は立てていないので、僕の声は遠くまで聞こえているかもしれない。
「お客さんじゃないもん。お、お兄ちゃんだもん……」
一向に顔を上げない金髪少女は声を押し殺すように小さな声で僕に反抗する。
「そうか、兄妹だったらなおさら隠し事はなしだよね? さ、教えてよ」
「…………うるさいっ!」
突然、彼女は立ち上がり、こぼれたコーヒーを拭いていた青い布を投げて来た。そしてずこずこと厨房の方へ速足で戻って行ってしまった。
「ちょっとやり過ぎたかな?」
独り言のようにつぶやいていると、右ストレートに飛び蹴りを食らったバカが帰ってきた。しっかりと足を引きずりながら俺は怪我しましたアピールをしている。しかし、周りの客は武を見ようとも助けようともしない。誰がどう見てもこのちんちくりんが悪いことは決まっているからだ。
「うおい……ナルよ……。あの子水色のしましまだったぜ……」
ここまで来てよくもそんなことが言えるものだ。もう一回殴られてくれないかな。
「僕は興味ないよ」
「じゃあ、あの子がしょんぼりしてたのにも興味ないか……?」
今にもぶっ倒れそうな奴が他の人を気遣うなんてどうかしてるよまったく。ちんちくりんは無駄なところで良い奴なんだから。
「前にも言っただろ? 僕は彼女のせいで余分に怒られているんだ。その腹いせくらいさせてくれよ。非はあっちにあるんだから」
「そうかぁ? 俺はなんだかとても悲しそうな顔をしているように見えたけど」
「…………ちょっと言い過ぎたかもしれない」
良い悪いは別として、やっぱり大人げなかったかな? 言葉で相手を追い込むようなことをしてしまったことは反省しないといけない。
半分くらいに嵩が減ったコーヒーを眺めていると、武がおもむろにカップへ手を伸ばす。
「おい、なにやってるの?」
「それはお前のをもらおうとして」
「自分で頼めよ!」
「さっきは注文出来なかったんだよ!」
「自業自得だ!」
コーヒーカップを手元に手繰り寄せ、武の手を払う。メニューに手を伸ばし、向かいに座っているバカに渡す。
「なんか追加で頼むか?」
「僕はいいよ」
「そうか、すみませーん」
武は恥じらいもなく大きな声で店員さんを呼ぶ。右手を上げ、自分が呼んでいることをアピールしている。
「ちょ、ちょっと待ってくださいねー」
奥からはなんだか聞いたことあるような声が――――
「はい、お待たせいたしました。ご注文はいかがなさいますか?」
僕達の前にフリルのスカートで登場したのは、高校では誰も名前を知っている超有名人。この店の中でも一際眩しいオーラを輝かせている人物だった。
「久世さん⁈」
パタパタと足音を立ててテーブルに向かって来るのは久世美咲。容姿端麗、学力優秀、おまけにお嬢様なんて噂も漂っている憧れの的だった。
「んえ?」
まだメニューが決まっていないのか、久世さんの顔を見ていなかった武が顔を上げる。
「マジじゃん! なんでここにいんの?」
メニューを放り投げて両手でテーブルを叩く。おかげでコーヒーは一回跳ねて着地し、また少しこぼれてしまった。
「えーっと、隣クラスの秋宮成瀬君と、…………変態さん?」
「うんっ!」
勢いよく返事をしたのは僕で、向かいの彼は頭を抱えて小さく「変態変態変態」と呪文のように繰り返している。その目には全然生気が感じられない。
「よく僕の名前知ってたね。久世さんみたいに有名人じゃないのに」
「有名ですよ。学校で迷惑トリオやってる三人のうち一番かわいそうな人ですから」
はにかんだ顔がまた可愛らしい。今日僕は死んでもいいよ、制服ですら有り余る美貌をはじき出しているのに、今の彼女は可愛いフリル付きのスカートだ。もちろんエプロンもしている。この子に声をかけない男子などどこの世界にいるのだろう。声をかけている男がいたらそいつを殴りにかかるけどね。
久世さんのたった一言で今日二回目のノックダウンを食らっている武は、連戦の疲れもあって回復に時間がかかっている。僕としてはこの空間を邪魔されたくないからいいけど。
「かわいそうな人って……。周りから見たらそうなのかな? 僕としては楽しんでやってるんだけどね」
案外緊張しないものだった。一年半ずっと憧れていた人の私服――――バイト先の制服ではあるが、学校のセーラーとはまた違った服装をしている久世さんに対して鼓動は妙に落ち着いている。
「そうなんですか。でも周りに迷惑をかけるのはダメですよ? わかりましたか?」
「う、うん……」
こんな幸せがどこにあるというのだ。甘い声が僕の脳を揺らす。言葉と表情だけで脳震盪を起こしそうだ。可愛い……。
「それで、注文はどうしますか? お兄ちゃん」
うっ……。僕には久世さんに周りに♡が見えるよ……。もちろんバック背景はピンク。強烈な破壊力を誇っている。
「お兄ちゃん?」
「ぐはっ……」
に、二回目は反則だよ……。つい声に出ちゃったじゃないか。破壊力が……。僕は幸せです。もう死んでもいいかも――――
「美咲ちゃん、そいつはほっといて良いよ。ろくでなしだから」
「えっ、でも」
「いいの、他の人の接客をお願い」
「うん、わかった。久美ちゃん」
ご褒美タイム強制終了。
くそ、金髪貧乳ツインテールめ、なんてことをしてくれるんだ!
僕は目で訴える。
「はーいお客さん方、もうお店には迷惑になるので帰ってくださいねー」
「なんだよ、それがお客さんに――――」
「帰れって言ってんだよ、このくそ兄貴!」
結局僕たちは『すゔぇすたーかふぇ』を追い出される形で退店した。料金はしっかり取られた挙句に、最後は例の飛び蹴りのサービスだ。何ともいらないサービス旺盛な店なんだろう。
『しゅゔぇすたーかふぇ』がある細い路地を抜け、大通りに出ると人がごった返していた。丁度お昼過ぎなのでみんな外出して買い物でも楽しんでいるのだろう。僕たちは身体や心に傷を負ったが。
「俺、帰る……」
「僕もそうしようかな」
二人して意気消沈した僕らはそれぞれ帰路に発つことにした。今日一日、いや、半日で脳のリミッターは外れるくらい濃密な時間を過ごした。奏太に怒られ、金髪ツインテールには店を追い出され、唯一良かったのは休日でも久世さんに会えたことだ。ああ、久世さん可愛かったな。もう一回見に行きたいくらいだよ。そんな思いを胸に秘め、僕は自室のベッドで飛び蹴りで食らったダメージを回復することに専念した。