WorldEX-2「佐伯家」
結美、と呼ばれた少女を前にして、未希は立ち竦んだまま動きを止める。まるで現実逃避するかのように結美から目を背け、未希はじりじりと後ずさる。
未希と結美がどれ程の関係なのか永久達は知る由もなかったが、アレほどクールだった未希がここまで動揺してしまう程この状況が異常だということだけは理解出来る。
激しく動揺する未希に対して、結美の方は虚ろな目をしたまま少しも動かない。まるで魂が抜け落ちているかのようだった。
「結美に……結美に何をした……!?」
「お友達になっただけさぁ? 今じゃ無二の親友だよあたしらは」
そう言ってケラケラ笑う嶺鳳に対して、未希は激情を露わにして太刀を握りしめる。
「やる気になったかい?」
嶺鳳がそう言い終わるか言い終わらない内に、未希は太刀を振り上げて嶺鳳へ斬りかかる。しかし、その太刀は間に突如割って入った結美の槍によって受け止められてしまう。
「――結美っ!?」
瞬間、太刀を握る未希の手が緩む。その隙に太刀は結美によって弾かれ、大きく宙を待って地面へ突き刺さった後姿を消した。
そうして怯んだ未希を容赦なく蹴り飛ばし、尻餅をついたところへ容赦なく槍を振り上げる。
「ゆ、結美……っ?」
未希の声に、結美は答えない。ただ冷えた瞳で未希を見据えたまま、槍を振り上げるだけだった。
「どうしたぃ? もう虚勢を張る元気もなさそうだねぇ」
未希はもう、嶺鳳の言葉に何か応える余裕すら持ち合わせていない。ただ、結美が自分に対して刃を向けているという事実に絶望し頭が真っ白になっているかのようだった。
そんな未希に、結美の槍は容赦なく振り下ろされる。
「危ないっ!」
呆然とする未希に勢い良く飛びつき、そのまま転がるようにして未希を助けたのは、今まで事態を静観していた永久だ。
永久はすぐに立ち上がって態勢を立て直すと、ショートソードを出現させて構えながら嶺鳳を睨みつける。
「誰だぃ」
ギロリと、嶺鳳の左目が永久を捉える。
「折角人が楽しんでンのにさぁ? 部外者はすっこんでろってのよ!」
次の瞬間、嶺鳳は三枚の札を取り出すとその全てに一気に息を吹きかける。すると、嶺鳳の傍には三体の異形が出現し、その全てが一斉に永久達を睨みつけた。
大型の蜘蛛や、蟹のような特徴を持つ人型の怪物、そして大柄な体躯の鬼。一体一体はそれ程強そうでもなかったが、嶺鳳が時間を稼ぐには十分だった。
「興も冷めたし、またにするさ。おいで、一反木綿」
嶺鳳は呼び出した妖怪達の後ろに隠れるように退くと、一反木綿の上に結美と共に乗っていく。
「ま、待って!」
永久の言葉には答えようともせず、嶺鳳はそのまま結美と共に一反木綿に乗ってどこかへと飛び去ってしまう。その場には嶺鳳の呼び出した妖怪達と、未だに状況を飲み込めない永久達三人、そして茫然自失と言った様子でその場にへたり込む未希だけが残された。
「とにかく今は……こいつらを何とかしないと……!」
襲いかかってくる妖怪達にショートソードで応戦する永久だったが、三体一では分が悪い。未希の加勢があればそれ程手こずる相手とは思えなかったが、未希は呆然としたままその場から動かなかった。
「ボケッとしてる場合じゃねえ……俺達も行くぞ、由愛!」
「わかってるわよ!」
由愛と英輔の加勢によって、それから数分後には妖怪達を撃破することが出来たものの、結局久我嶺鳳と名乗る仮面の女には完全に逃げ切られてしまうのだった。
場所は変わって佐伯家。嶺鳳の呼び出した妖怪(式神と呼ばれるものらしい)を撃破した永久達は、その場に駆けつけた未希の兄、佐伯貴仁に連れられて未希の家へと招かれた。
佐伯家は神社で、永久にとってはかなり馴染みのある風景が広がっていた。家の中は和風なのかとも思ったが、通されたリビングは意外と洋風で、永久達は一つの机を囲んで椅子に座って互いに自己紹介してから事情を話すことになった。
貴仁の話によるとこの世界には妖と呼ばれる非日常が存在し、未希や貴仁はそれらを討つことを生業とする陰陽師という役割を担っているらしかった。
「……あまりにも突飛だが、その『欠片』というのを探して異世界を旅して回っている、ということで合ってるか?」
「あ、うん、大体そんな感じ……」
永久達の話をひと通り聞いたものの、明らかに半信半疑な貴仁に対して永久は苦笑いでそう答える。もう流石に慣れてはきたが、やはりいきなり異世界がどうこうと言われても信じられないだろう。未希や貴仁のように普段から非日常に身を置いているような人間だとしても、いきなり言われてはいそうですかと飲み込めるような話ではない。
「まあいい。それよりも未希、例の女は『久我嶺鳳』と名乗ったんだな?」
貴仁の言葉に、未希はうつむいたまま小さく頷いて見せる。結美という少女に刃を向けられて以来、未希はずっとこの調子だ。ずっと沈んだ表情のまま、永久達とは話そうともしないし貴仁に対しても聞かれれば最低限答えるだけで、自分からは何も話そうとはしなかった。
「佐伯さん……だったよね? あの時の女の子って……」
永久がそう話しかけても、未希は少しも答えようとしない。ただうつむいたまま黙り込むだけで、永久の方を見ようともしない。
「ちょっとアンタ、少しは答えたらどうなのよ! 大体最初っから無愛想で――」
「……うるさい」
怒声を上げる由愛に対して、小さく一言だけそう言った後、未希は静かに席を立つとそのまま自室へと去って行く。そんな未希の態度にムッとして追いかけようとする由愛だったが、永久に諌められて渋々席についた。
「友達だよ。大切な、ね」
悲しげな口調で、未希の代わりに永久へ答えたのは貴仁だ。
「それよりも問題なのは、結美ちゃんを連れていたという陰陽師――久我嶺鳳だ」
「……そんなにやばいのか?」
重々しい口調で言う貴仁に、英輔はそう問うたが貴仁は首を左右に振る。
「いや、それ程脅威になる存在じゃないハズなんだよ。久我は元々有名な陰陽師でね、一時期はテレビにも出ていた……だが、決して強くはない」
そう言って考え込むような仕草を見せた後、貴仁は言葉を続ける。
「インチキ霊能者みたいなものだよ。俺や未希からすればどうってことのない霊能者だけど、一般大衆から見れば強力な霊能者だ。久我は自分の能力をひけらかして富と名声を得ていた……。陰陽師としては最低の部類だけど、敵対されて特に困るような相手じゃない」
貴仁の口ぶりからして、嶺鳳の能力はそれ程高いわけではないらしい。しかし永久の前に現れた嶺鳳は結美を操りながら何体もの式神を使役しており、素人目に見ても強力な部類の陰陽師のように見えていた。
「久我程度の陰陽師が、低級の式神とは言えそう何体も同時に扱えるとは思えない。それに何より、久我自身よりも遥かに優秀な結美ちゃんを操れていること自体おかしな話なんだ」
貴仁が言うには、結美は陰陽師の中でもかなり優秀な部類で、嶺鳳程度の陰陽師の術で惑わされることはあり得ないとのことだった。
恐らく欠片の力が嶺鳳の能力を増幅させ、結美を操るに至らせたのだろう。
「その久我って人、佐伯さんと昔何かあったの?」
――――忘れたかい? 忘れたよなァ? あたしのことなんざ……えぇ? 佐伯の姫ェっ!
嶺鳳のあの様子から考えて、ただの知り合いということはないだろう。未希の方は嶺鳳のことをあまりよく覚えていないようだったが、ただならぬ因縁があるのであろうことは部外者である永久にもある程度察することが出来る。
「……久我と未希は前に仕事中に衝突してな。害のない妖を滅しようとした久我と揉めて、未希が圧勝した。顔の半分を仮面で隠していたらしいけど、多分未希につけられた傷を隠してるんじゃないかな」
未希は態度こそ無愛想だったものの、決して冷たい人間ではない。あの時雑木林で犬の妖怪と戦った時も、なるべく傷つけないで逃がそうとしていたことからもわかるように優しい少女なのだろう。だからこそ、害のない妖を自分の都合で滅しようとした久我が許せなかったのかも知れない。
「話は変わるけど、今日はこの後どうするつもりなんだ? どこかの民宿にでも泊まるのか?」
「あ、いや、それが全然……」
決まっていない。こちらにきてからバタバタしていたせいで、宿のことなどあまり考えていなかったのだ。
「だったらうちに泊まっていくと良い。幸い部屋なら余ってるしな」
ただし条件がある、そう付け足して貴仁は微笑んだ。
泊めてもらっている間は家の手伝いや神社の手伝いをする、という約束で永久達は客間に泊めてもらえることになった。この世界にどのくらい滞在することになるのかはわからないが、これでひとまず宿については安心出来る。今日はあまり手伝うことはなかったが、明日はしっかり神社で手伝いをやってもらうとのことだった。
未希はあれから一度も姿を見せておらず、恐らくずっと自室にこもっているのだろう。永久は気になって未希に声をかけようとしたが、とりあえず今日はそっとしておいてやってくれ、と貴仁に止められていた。
「佐伯さん、心配だな」
由愛も英輔も眠りについてしまった後、永久は枕元に座っているプチ鏡子にそう呟いた。
「気持ちはわかるけど、あの貴仁って人の言う通り、今はそっとしておいてあげた方が良いかも知れないわね」
「それもそうなんだけど……」
貴仁から聞いたところ、結美は数日前から行方不明になっており、未希は今日まで必死になって結美を探し回っていたというのだ。そんな彼女が、ずっと探していた友人に刃を向けられたのだから、ああして放心状態になってしまうのもわかる。しかしわかると言っても表面的で、永久には未希がどんな思いでいるのかうまく想像出来ない。
「とりあえず今晩は素直に寝なさい。明日また、あの陰陽師と戦うことになるのかも知れないのだし」
「……そだね」
プチ鏡子の言葉に素直に頷き、永久は部屋の電気を消すと静かに眠りについた。