WorldEX-1「邂逅」
ルナサーさんの作品「現代妖奇異聞録(http://ncode.syosetu.com/n0461z/)」とのコラボ回となっております。
鮮血を滴らせながら、女は右手で顔を抑えながら呻いていた。傷は深く、一歩間違えれば失明していてもおかしくない程だ。恐らくこの傷は一生残るだろう。
若い女の顔に一生ものの傷。その傷をつけた張本人を見開いた左目で睨みつけながら、女は呻くように怨嗟の言葉を吐き出した。
「殺してやる……必ず、お前の最も苦しむ方法で殺してやる……ッ!」
憎悪を露わにする女とは対照的に、睨まれているその少女はどこ吹く風と言った様子だ。
幅の広いチョーカーを着けた、巫女装束を着込んだその少女は、闇に溶けるようなセミロングの黒髪をなびかせながら女から背を向ける。
「早く行け、殺すつもりはない」
少女の赤い瞳は、もう女をとらえようとはしない。既に興味を失ったのか、或いはこれ以上の戦いを望まなかったのか、少女はそのまま静かにその場を去って行く。
「妖の小娘……! 忘れるな、お前は人の世で生きてなどいけぬ……!」
女の言葉に、少女は答えない。あえて無視しているのか、少女は振り返りもせずに女から離れていく。
「待っていろ……殺す、必ず殺してやる……!」
まるで呪詛か何かのような女の言葉を背に受けながら、少女はただ黙って歩いて行く。もう見えなくなるくらい女と離れても、しばらくは女の言葉がまるで耳鳴りのように少女の耳の中に残り続けた。
欠片の気配を追う永久達は、上弦町と呼ばれる町を訪れていた。欠片の気配を強く感じるため、恐らくこの町のどこかに欠片があるのだろうが、やはり正確な位置までは判然としない。永久はこれまでの旅の中でもう結構な数の欠片を集めてきたため、力も戻って前より欠片の気配を察知する力が強まってはいるものの、やはり都合良く見つけることは出来ないようだった。
欠片を探して上弦町を歩き回る永久達だったが、夕暮れ時にはどういうわけか永久の姿が消えていた。
「アンタがボケっとしてるから永久のこと見失うのよ!」
「俺のせいなわけねえだろ! お前だってそこまでちゃんと永久のこと見張ってたわけでもねえ癖に!」
「はぁ!? 私はちゃんと見てました!」
「だったら何で見失うんだよ!?」
「そ、それはえっと……ちょっとよそ見、してる内によ!」
少年――――桧山英輔と幼い少女――――由愛はそんな言い合いをしながらいなくなった永久を探して歩いていた。二人は永久と共に欠片を探す仲間で、いつもこうして口喧嘩をしているものの仲が悪いわけではない。
最初こそ三人で一緒に商店街のアーケード通りを歩いていたものの、由愛と英輔が少し目を離した隙に永久一人でどこかへ行ってしまったようで、気がつけば由愛と英輔の二人きりになってしまっていた。
どちらかというとボケっとしているのは英輔でも由愛でもなく永久自身の方で、結構な確率でこういう状況に陥ってしまう。というかいつものことだった。
「ったく……つーか永久も不意に一人でどっか行くのいい加減やめてくんねーかな……」
「毎回言ってるけど特に改善は見られないわね……」
永久を探して来た道を戻りながら、由愛と英輔はやや呆れた様子でそんな会話を交わす。
どれだけ歩き回っても永久は見つからず、表通りにはもういないんじゃないかと仮定した二人は裏通りへと向かう。そうして裏通りを歩いていると、「商い中」の看板が玄関に掛けられた古い民家の前で二人は足を止めた。
「へぇ、なんかやってんのかな?」
「寄り道してる場合じゃないでしょ!」
「永久がこン中にいるかも知れねえだろ」
その可能性は否定出来ないが、かと言っているとも限らない。どう見ても英輔が好奇心で入りたがっているだけだが、正直由愛も少し興味がある。
「ま、まあちょっとくらい良いけど……? でも、永久がもしどこかの店とか建物の中にいるとしたらいよいよ探しようがないわよ」
永久は携帯を持っていないし、由愛だって持っていない。英輔は一応持っているらしいが他の二人が持っていないなら連絡を取ることは出来ない。英輔の携帯には英輔が元いた世界にいる人間のアドレスや番号しか登録されていないため(当たり前だが)、様々な世界を転々としている以上携帯による連絡は誰とも出来ない。故に携帯はあってないようなものである。
「とりあえず入ってみるか」
中に入ると、最初に視界に入ったのは沢山の本棚だった。どうやら本屋、それも古本屋のようで、どこか埃っぽい。古書特有の臭いが漂っていたが、由愛も英輔もそれほど不快には思わなかった。
カウンターには何故か店員がおらず、代わりに店の奥の方から楽しそうな話し声が聞こえてくる。由愛と英輔は互いに顔を見合わせてから頷いて、ゆっくりと奥の方へと歩いて行く。
本棚の中にあるのは古書だけではないようで、アンティークドールや市松人形、着物や掛け軸まで置いてある。一応本屋のようだが、骨董品屋のようにも見える。並んでいる品々を眺めながら奥へ行くと、本棚のない開けた場所に辿り着く。
「あっ」
そこにいたのは、由愛よりも幼そうな着物の少女と談笑する、長い黒髪の少女――――坂崎永久だった。
「おや、悪いね気づかなくて。いらっしゃい」
そこには店主と思しき人物もおり、由愛達に気づくとひらひらと手を振った。
「あ、どうしたの二人共」
「どうしたのじゃないわよ! 勝手にどっか行って……探したんだから!」
あっけらかんとのたまう永久を怒鳴りつけながらも、由愛はどこか安心した様子で嘆息する。
「永久、お友達?」
「うん、そうだよ」
着物の少女にそう答え、永久は屈託のない笑みを浮かべる。
「永久、その子は?」
「文ちゃんって言うんだって」
永久がそう紹介すると、着物の少女――――文はニコリと微笑んだ。
「へぇ珍しいな。文が見える奴なんてそうそういねえのに、三人も一度にうちにくるたぁな」
店主の話によると、この少女は文車と呼ばれる牛車が妖怪変化したものだという。正しくは文車妖妃と呼ばれる妖怪で、付喪神の一種だという。
「妖怪っつーとなんか悪さしそうに聞こえるよなぁ」
「文、悪いのじゃない……!」
ややおどけた様子で言う英輔に、文はムッとした表情を見せる。そんな文を愛らしく思ったのか、思わず永久は文の頭を撫で始める。
「そうだよね、こんなにかわいいんだから悪いわけないよねー!」
少しくすぐったそうにする文を撫で回しながら満面の笑みを浮かべる永久に、由愛も英輔も安心したように嘆息する。
「それで、永久はどうしてここに?」
「うーん、ふらふらしてたら面白そうなお店見つけてつい」
安堵の溜息が一瞬で呆れの溜息へと切り替わる。今回はすぐに見つかったから良かったものの、これからはきちんと対策しておかなければ本格的に永久を見失うことになりかねない。ポケットの中で待機しているプチ鏡子にも、よく注意するよう頼んでおいた方が良いだろう。
そうしてしばらく五人で談笑していると、不意に永久がピクリと反応を示す。今まで穏やかだった表情が険しくなったことから、欠片の気配を強く感じたのだろう。
「――欠片だ……!」
言うやいなや、永久は店主と文に別れを告げるとすぐさま店を飛び出して行く。そして同じようにして慌てて永久の後を追っていった二人の背中を見ながら、店主と文はポカンとした表情を浮かべていた。
「騒がしい奴らだな……」
「でも、楽しかった」
そう呟いて微笑む文の頭に優しく手を乗せ、店主はそうだな、と微笑んで見せた。
永久が向かったのは、少し町から外れた雑木林だった。人通りは少ないようで、あまり人気はない。そんな雑木林の中で、ガラの悪そうな三人組の男が奇怪な生き物に襲い掛かられていた。
人型をしているがソレは全身が毛に覆われており、頭には犬のような耳がついている。鋭く、長い爪の生えた右腕を振り上げ、その化け物は息を荒げながら三人組に近づいていく。三人組は完全に足が竦んでしまっているのかまともに立ち上がることさえ出来ないようで、近づいてくる化け物から後ずさることしか出来ないでいた。
「永久! もしかしてあの化け物が……!?」
「違う、欠片は持ってないけど……とにかく助けなきゃ!」
永久がそう言うと同時に、永久の手にショートソードが握られる。すぐに永久は化け物と三人組の間に割り込もうとしたが、そんな永久の横を風のような速さで走り抜ける人影があった。
「――っ!?」
その人影は少女で、巫女装束に身を包んでいた。黒いショートカットの髪をなびかせながら、少女は化け物の爪を身の丈程もある太刀で受けている。
「……お前達みたいなのを助けるのは気が進まないが、この妖怪を放っておくわけにもいかないからな。早く行け」
振り返りもしないでそう言った少女にコクコクと頷くと、三人組は足を引きずるようにして慌てて逃げて行く。その様子を確認しようともしないまま、少女は太刀で化け物の爪を弾くと少しだけ距離を置いた。
「変化して間もない山犬の類か。大方人に捨てられた恨みで変化した……と言ったところか」
口調こそ淡々としていたものの、化け物――山犬を見る少女の目はどこか悲しげだ。それに対して山犬の方は牙をむき出しにして少女を睨みつけ、どこか怯えるように威嚇している。
「なんとなく勘で来てはみたけど……やっぱり見当違いか」
呟く少女に、山犬が飛びかかる。少女は対して焦る様子もなく、山犬の爪だけを太刀で切り裂くと、右足で山犬を強く蹴飛ばした。
ふっ飛ばされて転がった山犬は、四つん這いになりながら少女から距離を取る。もう永久達から見てもわかる程に山犬は怯えており、既に勝敗は決していた。
「悪さをしないなら殺しはしない。山で大人しくしていてくれればそれで良い」
そう言って少女が逃げるように促すと、山犬はいつの間にか人型から犬の姿に戻り、全速力で文字通り「尻尾を巻いて」逃げ出していった。
「……見ない顔だな」
少女は太刀を鞘に収めると、永久達の方へ視線を向けてそう呟く。
「まあいいか、説明するのも面倒だし、今の出来事は忘れてくれ。そして二度とあの類には近づくな」
そうピシャリと言い放ち、永久達が何か反論をする間もなく少女はその場を立ち去ろうとしたが、不意に足を止めた。
「この感じ……?」
少女が呟いたのと、上空から凄まじい速度で人影が急降下してきたのはほぼ同時だった。人影は少女めがけて小太刀を振り下ろすが、すぐさま太刀で小太刀を受け止める。
「誰だっ!」
「忘れたかい? 忘れたよなァ? あたしのことなんざ……えぇ? 佐伯の姫ェっ!」
その人影は、顔の右半分を般若の面で隠した背の高い女だった。長い黒髪をなびかせながら少女から距離を取ると、細い切れ長の左目で少女を見据える。
「――――待て、どうして私を知っている……?」
「どうしてだろうねぇ。あたしゃ今じゃアンタが――佐伯未希が大好きなのさ、もしかすると愛の力かも知れないよぉ?」
おどけた様子で、かつ演技がかった口調でそう言いながら女はケタケタと笑い声を上げる。その女を見つめながら、永久はピクリと反応を示した。
「――あの人だ……欠片を持ってる……!」
「ああもう次から次へとついていけないわよ!」
矢継ぎ早に変化する状況に、由愛がやや癇癪気味に怒声を上げる。実際永久も英輔も状況はほとんど把握出来ていない。唯一わかるのは、あの女が欠片を持っていて、永久がそれを回収しなければならないということだけだ。
「おりといで、一反木綿」
女が上空へそう指示すると、白く長い、巨大な布のようなものが蠢きながら女の傍へ降りてくる。恐らく女はこれから飛び降りて少女――未希へ襲いかかったのだろう。
布――――一反木綿には人が乗っていたようで、一反木綿が地面スレスレまで降下すると上に乗っていた人物もゆっくりと地面へ降りる。その人物を見て、未希は言葉を失った。
「忘れたなら教えたげるよ。あたしは久我嶺鳳、こっちはあたしのお友達……」
「……どうして……どうしてそこにいる……っ!?」
困惑する少女を見てニタニタと笑みを浮かべながら女――嶺鳳は一反木綿から降りてきた少女の肩に馴れ馴れしく手を置いて擦り寄っていく。
「結美っ……!」
虚ろな目をした少女――結美は、未希の言葉に答えようともしなかった。