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宮本栞の遭逢

「私たちの世界で暮らす?」

 無垢な少女、宮本栞は大粒の涙を流しながら、初老の男性の話に耳を傾けた。

「何だ。お嬢ちゃん。そんなにこっちの世界に興味があるのかい。それと、俺たちの世界と聞いて、猥褻な行為が終日行われるような世界を想像したのなら、大間違いだ」

「そんなこと、想像していません!」

 栞の顔が一瞬赤くなり、男の言葉を否定する。

「本当に面白い奴だ。何かに絶望しているのかと思いきや、そうやって冗談を否定する。それなら俺たちの世界で、人気者になれる」

「だから、あなたたちの世界って何なのですか?」

 宮本栞からの問いを聞き、初老の男は右手の人差し指を立てた。

「生半可な気持ちで、俺たちの世界に来られても困るからな。詳しいことは言えない。一つだけ言えるとしたら、こっちの世界なら、その絶望感によって大きく開けられた心の穴を埋めることができる」


 初老の男性の話を聞き、彼女はアスファルトの上に手を置き、その場で泣き崩れた。

「絶対に許せない。大工健一郎がお母さんとの不倫を認めたら、それが真実になる。そんな真実なんて必要ない」

 大粒の涙が地面に落ちる。その宮本栞の声には、怒りが込められていた。

「大体事情は察したよ。やっぱりお嬢ちゃんには、別の世界の住人として暮らす資格がありそうだ。俺と一緒に来い」

 男は優しく栞の右肩に触れた。その時彼女は常識を思い出した。

「そういえば知らない大人の人についていったら、いけないってお母さんが言っていました」

 彼女は絶望感から冷静を取り戻し、男から離れた。しかし男は頬を緩め、スーツのポケットに手を突っ込む。

「良い子ちゃんだということは分かった。だったらこうしようか」

 初老の男が静かに少女に歩み寄る。その次の瞬間、宮本栞の体に電流が走った。

 数秒後前へ倒れようとする彼女の体を、初老の男が受け止める。

「悪いな。お嬢ちゃん」

 男が栞の耳元で囁き、彼女は彼の胸の中で静かに瞳を閉じた。



 数時間後、彼女は見知らぬ部屋で目を覚ました。指を動かすと、クッションのような物に触れる。仰向けに寝かされた栞の瞳には、白い天井が映った。

「気が付いたかい。お嬢ちゃん」

 初老の男の声を聞き、栞はソファーの上から起き上がった。栞は体が縛られていないためか、スムーズに体を起こすことができた。

「誘拐ですか?」

 栞の第一声を聞き、男は腹を抱えて笑う。

「やっぱり凄いな。普通はここがどこなのかを聞くはずだが。一般という認識では、誘拐と考えて構わない。俺はカムフラージュのつもりでお嬢ちゃんを誘拐したんだ。その首筋にスタンガンを当てたことを示す痕が残っているだろう。それを警察に見せれば、見知らぬ男に誘拐されたという根拠になり、警察に誘拐事件を信じ込ませることも可能だろう」


 栞は自分の首に触れながら、疑問を口にする。

「どうしてそんなことを説明するのですか? そんなことを言ったら、警察に捕まるのに」

「カムフラージュだって言っただろう。別の言い方をするなら、アリバイ作りだな。こっちの世界の話を、一般人に盗み聞きされてしまっては困るからね。お嬢ちゃんには狂言誘拐をしてもらう。こっちの世界では犯罪行為なんて日常茶飯事だから……」


 一瞬窓の外で何かが光る。その異変に気が付いた彼は、口を瞑り、スーツのポケットから携帯電話を取り出した。そうして彼は誰かに電話する。

「俺だ。邪魔者を排除しろ。探偵事務所の向かい、四百ヤード先のビルの屋上。方法は任せる」

 男が強く携帯電話のボタンを押し、栞へと視線を移した。

「お嬢ちゃん。俺の考えは間違っていなかった。今日の失敗を妬んだ連中が、君を暗殺しようとしている」

 突拍子のない男の言葉を聞き、栞の体は小刻みに震えた。その少女の背中に男は優しく触れる。

「やっぱり普通のお嬢ちゃんだ。先手を打っていなかったら、危なかったよ」

「突然女子中学生の体に触れるなんて変態です」


 宮本栞は頬を膨らませて抗議する。その反応にベージュのスーツの男は笑う。

「やっぱりお嬢ちゃんはこっちの世界だと人気者になれる」

 その直後男の携帯電話が着信した。

「そうか。やったか。遺体の処理はお前らに任せる。証拠が残らないようにしろよ」

 男は電話の相手に念を押し、電話を切る。それから男は宮本栞と向き合った。


「さて、邪魔者もいなくなったところで話しを進めようか。こっちの世界は暗部と呼ばれている。簡単に言えば暴力団員やテロリストたちで構成された世界だな。当たり前のように犯罪行為が繰り返されるため治安が悪い。暗部の人間として暮らすなら、気を付けた方がいい。ただの女子中学生が暗部に迷い込んだら確実に殺されるからな。だから、暗部の人間になりたかったら、俺と行動を共にしろ」

 栞は男の話を茫然と聞いていた。そんな彼女に一つの疑問が浮かぶ。


「今日の失敗を妬んだ連中っていうのも暗部の人間ですか?」

「そういうことになるな」

「今日の失敗というのは何ですか?」

「そもそもなぜ大工健一郎衆議院議員はあのタイミングで辞任を発表したと思う?」

 疑問を疑問で返され、栞は思わず首を傾げた。

「分かりません」

「正直だな。実はあの辞任劇の舞台裏では暗殺未遂や殺人、誘拐などの幾つもの事件が関与していたんだ。辞任劇に関わった一連の事件は報道されないと思うがな。その一連の事件の首謀者とその相棒は、俺の仲間だ。だから、報道されない情報を知っている。俺は首謀者に頼まれたんだよ。一連の事件が失敗すれば、何も知らないお嬢ちゃんが狙われるから保護してほしいって」


「事件の首謀者はなぜ私を守ろうとしたのですか?」

「察しが悪いな。お嬢ちゃんのことは色々と調べさせてもらったよ。宮本栞。十五歳。五月三日生まれ。因みに好きな食べ物はハンバーグ。今から半年前に女手一つで育ててくれた母親が自殺。父親は所在不明。現在は親戚の叔父さんのところに身を寄せている。因みに、あの事件の黒幕はお嬢ちゃんの父親だ」

「えっ」

 宮本栞の思考は突拍子もない事実によって固まった。


「動機は半年前自殺したお嬢ちゃんの母親絡みの復讐。まあ、仲間の一人がやらかした殺人事件の後始末を見られたから、無関係の女子中学生を誘拐したけどな。兎に角、お父さんは大工議員を辞任させるために劇場型犯罪を企てた。それから、逃亡中の強盗犯も殺害。あの日、強盗事件が起きなかったら、救急車が間に合って、お嬢ちゃんのお母さんが助かったかもしれないっていう逆恨みだったがな。でも、一連の復讐劇は、ある警視庁の刑事に暴かれてしまい、計画は失敗。大工議員辞職という成果しか残せなかった。だから、それを知った連中が冷やかしのつもりでお嬢ちゃんを殺そうとしているってわけだ」


 ペラペラと話された真実を宮本栞は信じることができない。彼女はジド目で男と顔を合わせる。

「嘘ですよね?探偵さん」

「信じなくてもいいが知ってもらいたかった。ってなぜ俺が探偵だった分かったんだ?」

 スーツの男が驚きを露わにすると、栞は人差し指を立てる。


「さっき電話で探偵事務所の向いにスナイパーがって話していたから」

「だがこっちの世界では犯罪行為が日常的に行われているんだ。だから空き巣で探偵事務所に忍び込んだだけかもしれないだろう」

「見たところ鍵を抉じ開けたような痕跡はドアに残されていません。そして一番の証拠はあなたの情報収集能力の高さです。あなたは私について色々と調べていますね。好きな食べ物まで当てている。だから分かったんですよ。あなたが探偵だって」


「かなり粗がある推理だが、正解だ。そうだな。自己紹介がまだだった。俺のことはザドキエルって呼んでくれ。もしくは藤岡さんと呼んでも構わない。本名は明かさないから、ザドキエルか藤岡さんって呼んでほしい」

「本名を明かさないって随分とアンフェアではありませんか?」

「暗部では本名を明かす習慣がないからな。普通はコードネームか通り名で呼び合う。BPOに合わせて一般人に成りすますために、本名で呼び合うこともあるけどな。とりあえずお嬢ちゃんの携帯電話に俺の連絡先を登録しておいた。何か結構な数の不在着信が入っていたが、勝手に家を飛び出したって感じかな」


 藤岡の声を聞き、栞はあたふたと慌てる。

「勝手に人の携帯を見るなんて。プライバシー侵害です」

「気絶している間に携帯電話を拝借させてもらったよ。不在着信とメールが数十軒届いていた。メール自体は開封していないが、宮本一輝と新田隆宏って奴がお嬢ちゃんの携帯電話に電話かメールを入れている。宮本一輝はお嬢ちゃんと一緒に暮らしている叔父さんでいいとして、問題は新田隆宏だ。彼はお嬢ちゃんの彼氏か何かかい?」

 その質問に宮本栞は赤面して両手で顔を隠した。

「ただの幼馴染です」

「その言い分は怪しいな。新田がお前の彼氏かなんて本当はどうでもいい。ただこれだけは覚えてくれ。俺と行動を共にするってことは、テロリストになるってことと同義だ。俺が所属しているのはテロ組織だからな」


「その組織に入ったら、私のお父さんに会わせてくれますか?」

 藤岡の話を遮るように、栞が尋ねる。

「組織に入るって言っても最初は末端構成員から。末端構成員はコードネーム持ちの構成員に会うことはできない。実績を積みボスから認められれば会えるかもしれないな」

「そう」

 栞が短く答えると、藤岡は心配そうに彼女の顔を覗き込んだ。

「まさか自分を捨てた父親を恨んでいるのか」


「お父さんがお母さんのことを思って大工議員に対する復讐に手を染めたのなら、私を捨てたお父さんを許すことができます。だから、今はお父さんを恨んでいません」


 宮本栞は咄嗟に嘘を吐いてしまった。あの記者会見の裏側で彼女の父親が暗躍していたとしたら。

 

 その意味は栞をさらに追い詰めた。


 一方藤岡は栞の心情を気にせず、机を二回程叩く。

「そうか。組織のメンバー同士の殺し合いは禁止されているからな。それが事実なら組織に入る資格は十分にある。本気でテロリストになって大工健一郎衆議院議員に復讐したいのなら、また連絡をくれ。今日は帰っても構わないよ。何なら車で送っても構わない」

「大丈夫ですよ。歩いて帰ります」

 宮本栞はソファーから立ちあがり、探偵事務所のドアを開ける。そうして彼女は藤岡の前から立ち去った。


 鳴り止まない不在着信の音を聞きながら、彼女は橋に佇み、夜空に輝く三日月を見つめた。雲一つない夜空には星が瞬く。

 この場所に来るまでの道中、宮本栞の頭に藤岡の言葉が何度もリピートされた。


 宮本栞の父親は、暗部という世界の住人で今日大工健一郎衆議院議員を殺害しようと暗躍した。

 全ては妻の無念を晴らすため。


「やっと見つけた」

 宮本栞の背後から聞き覚えのある男の声が聞こえ、彼女は背後を振り返る。その先にいたのは新田隆宏だった。

「新田君」

 栞の声には元気がない。彼女の瞳から大粒の涙が落ちていく。

「こんなところで泣いていても、何も変わらないだろう。だから、家に帰ろう。叔父さんが心配している」

「どうして私は家を飛び出したのか。その理由が分かりますか?」

 唐突に栞は新田に尋ねた。その問いに新田は自信を持ち答えてみせる。


「事情は叔父さんから聞いているからな。大工健一郎衆議院議員が辞職を表明した記者会見の中で、不倫を認めたからだろう。不倫していたという真実が許せなかった。だから家を飛び出したんだ」

「そうだけど、もう一つ許せないことがあります。それに関しては、何も言いたくありません」

「あれか。二時間ドラマあるあるネタか。二時間ドラマで許せない奴がもう一人っていうセリフが出てきたら、犯人は最終的に自殺する。まさかその流れでこの橋から飛び降りて自殺するつもりじゃないよな? だったらダメだ。俺が二時間ドラマの主人公よろしく、お前を説得する」


 新田の真剣な表情を見て、宮本栞が笑う。

「ありがとう。これで少し元気を取り戻すことができました。でも自殺なんて微塵も考えていませんよ。私がここに来たのは少し考え事があったから」

「考え事?」

 新田は何のことか分からず首を傾げる。

「新田君。この世界についてどう思います?」

 突然の宮本栞からの問いかけに新田は途惑う。


「どうって言われても、よく分からない。哲学的な難しい話だったら聞きたくない」

「あなたらしい。この世界って理不尽ですよね。大工健一郎衆議院議員と私のお母さんが不倫していたことが既成事実になったら、また叩かれる。お母さんが自殺した時も結構マスコミに叩かれたから、二度とあんな経験はしたくない」

「つまり栞さんは、この世界のことが嫌いってことか」

「そうですよ」


 宮本栞が断言すると、新田は彼女の前へ一歩踏み出した。

「やっぱり自殺しようとしているのか?」

「だから、自殺しようなんて少しも考えていません。心配してくれて、ありがとうございます」

 新田隆宏は、宮本栞の悲しそうな笑顔を忘れることができない。


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