宮本栞の疑念
間もなくして黒いスーツを着た数人の警察官と鑑識が、現場へと駆け付けた。
一人の刑事が神社の階段の下に足を突き、女性の遺体を観察する。
先に到着していた警察官は、手帳を広げ、報告する。
「目撃者の証言によると、黒いトレントコートに野球帽を深く被った人物が、被害者を突き飛ばしたようです。犯人と思われる人物は被害者を放置して逃走しました」
「その人物が犯人とみて間違いなさそうだな」
その刑事、麻生陽一が、警察官と顔を合わせる。
現場周辺に集まった野次馬の中にいた宮本栞は、動揺して一歩も動くことができなかった。そんな彼女に隣に立つ新田隆宏が心配して、顔を覗き込む。
「大丈夫か」
宮本栞は小さく首を縦に振る。
「うん。まさかこんなところで恵美叔母さんの遺体を見ることになるなんて、予想していなかったから」
その少女の声を聞き、一人の刑事が彼女の元へ歩み寄る。その男の髪型は黒色のベリーショートで黒いスーツを着ている。
男は一応、宮本栞に対して警察手帳を見せた。
「警視庁捜査一課の麻生だが、今、恵美伯母さんの遺体を見ることになるなんてって言わなかったか?」
「はい。言いましたよ」
「お嬢ちゃんは被害者の知り合いということか?」
「そうですよ。親戚の伯母さんです」
「久保田。被害者の身元は恵美だったよな」
麻生が振り向きながら、遺体の近くで立っている久保田刑事に声をかけた。
久保田の手には免許証が握られている。
「はい。被害者は宮本恵美さん。三十八歳。遺体の状況から階段から……」
「これ以上のことは言うな!」
麻生が大きな声で叫び、久保田の声を静止させる。
「すみませんでした」
久保田が頭を下げ、麻生は再び少女の顔を見る。
「お嬢ちゃん。詳しい話を聞かせてほしい。被害者を恨んでいる人に心当たりはないか」
「それだったら、金銭のトラブルが犯行動機かもしれませんよ。恵美伯母さんもお金に困っていたみたいですし」
「叔母さんもと言ったのはどういうことだ?」
麻生が右手を挙げ聞き返す。
「恵美伯母さん以外にも、お金に困っているのは勇伯父さんと良子叔母さん、一輝叔父さんの三人もお金に困っているんです」
「おい。栞さん。同居している叔父さんも容疑者だと思っているのか?」
新田隆宏が驚いたような声を上げ、栞に聞き返す。
「はい。警察の人に隠し事はできないでしょう?」
「だからと言って、身内を売るようなことは……」
二人の中学生の話を聞き、麻生が咳払いする。
「栞ちゃん。だったら私たちを一輝叔父さんのところへ案内してくれないか。パトカーで送るから」
「分かりました」
宮本栞が首を縦に振ると、別の警察官が丸坊主の大男と共に、現場へ現れた。
「麻生刑事。現場付近で怪しい動きをしている男を発見しました。彼はこの神社の鳥居の前を怪しげにうろついていたんです」
刑事は後ろに立つ不審者の顔を見る。その男に宮本栞は見覚えがあった。
「勇伯父さん。こんなところで何をやっているんですか?」
栞の声を聞き、勇は両手を合わせる。
「栞ちゃん。助けてくれ。俺は何もやっていない。信じてくれ!」
そんな勇の目に姉の遺体が映り、彼は驚いたような声を上げる。
「恵美姉ちゃん。どうしたんだ?」
勇は思わず遺体へ駆け寄ろうとする。だが警察官は彼を羽追い責めにして、遺体に近づけさせない。
「勇さん。一体、神社の前で何をしていた?」
麻生が尋ねると、勇は顎に手を置く。
「恵美姉ちゃんを待っていたんだ。この西木野神社の前で会わないかってメールが来た」
勇は刑事に自分の携帯電話を見せた。その携帯電話に映し出されたメールの差出人の欄には、宮本恵美の名前が表示されていた。
『午前十一時三十分。西木野神社で待っている』
「だがこのメールを送ったのは、本当に宮本恵美なのか?」
麻生が首を傾げると、突然宮本栞が、勇の携帯電話を刑事の手から取った。
「このメールアドレスは、間違いなく恵美伯母さんの物ですよ」
宮本栞は勝手に勇の携帯電話を操作して、アドレスを確認した。その行動に麻生が怒る。
「勝手に証拠品を奪うな!」
「ごめんなさい。ところで、どうして勇伯父さんにメールが送られたことを把握していなかったのですか? 普通最初に携帯電話を調べますよね。被害者がこの神社に呼び出されたのではないかということを想定して」
宮本栞からの質問を聞き、麻生は握り拳を作った。
「だから、どうしてそんなことをお前に言わなければならない」
麻生が強い口調で聞く。
「気になるからですよ」
「ただの女子中学生が、気にすることではない」
麻生は栞から勇へと視線を移す。
「勇さん。今日の午前十一時頃、どこで何をやっていたのかを教えてほしい」
「それだったら会社の商談に行っていましたよ。証人もいます。株式会社マスタード・アイスって会社に商談に行ってきたので」
勇は刑事にアリバイを伝え、スーツのポケットに仕舞われた手帳を刑事に見せた。
広げられた手帳のページには株式会社マスタード・アイスへの商談の予定が書きこまれている。
「警察が把握していないメール。午前十一時頃のアリバイ。階段から……」
宮本栞は気になった言葉を小声で呟く。そして彼女は、何かを思いつき、右手を大きく挙げ、刑事に尋ねた。
「とりあえず事件の概要をまとめてみると、恵美伯母さんは午前十一時頃、この神社の階段から突き飛ばされた。そしてその犯人は、恵美伯母さんの携帯電話を盗みだした。ということですか?」
麻生は栞の推理を聞き両手を叩く。
「まさかこんな少ない情報から推理できるとは。やるな。お嬢ちゃん。だが事件を解くのは、警察の仕事だ。だから一般人の中学生は黙っていろ!」
「お言葉ですが、私は事件の容疑者の人間関係を把握しています。だから、一般人というわけではありませんよ」
宮本栞の発言に、麻生は不満を抱く。
「だったら、早く一輝叔父さんの所へ案内しろ。あの三人の内の誰かが殺したとみて捜査しているんだ。それくらいのことをしてもらわなければ困る」
「分かりました。それでは行きましょうか」
宮本栞は新田隆宏に背を向け、声を掛けた。
「ということでパトカーに乗って帰ります。後でお守りを自宅に届けてください」
「こんな時にお守りを買わせるのか」
「こんな時だからこそです。私は呪われていますから」
「呪われているってさっきから言っているけど、本当にそうなのか? 俺にはそんな風には見えないが」
新田隆宏の発言を聞き、宮本栞が暗い表情になる。
「世界から嫌われているって言った方が適切かもしれません。私の身近にいる人間は大抵不幸な目に遭うから」
宮本栞は今にも泣き出しそうっていうくらい瞼に涙を溜める。
「そんなの、偶然に決まっている。身近にいる人間が不幸な目に遭うんなら、今頃俺は死んでいるぜ。だから、そんなネガティブな発想を捨てろ」
宮本栞は新田に励まされ、首を小さく縦に振った。
その二人の会話を聞いていた勇は、顎に手を置き、刑事の肩を掴んだ。
「嫌われているといえば、良子は酷く恵美姉ちゃんのことを嫌っていたな。事あるごとにあの二人は喧嘩していたよ。この前なんか、恵美姉ちゃんは、株で大損したって良子に八つ当たりしていたな。株を進めたのは一輝の奴だったのに」
勇の証言を聞き、麻生は両手を一回叩いた。
「なるほど。あの二人にも十分な動機があるということか。そういえば、宮本恵美は銀色の羽をモチーフにしたキーホルダーを握っていたんだが、それに心当たりはないか」
麻生はそう言いながら、勇に一枚の写真を見せる。
「さあ、知らないな」
勇は首を傾げ、写真を刑事に渡す。だが、宮本栞は、写真が刑事の手に渡るよりも早く、その写真を覗き見た。
「遺留品のキーホルダー。鎖が千切れているように見えますよ?」
「ああ、多分犯人と揉み合った時に千切れたんだろうって、一々話しかけるな。それくらいのことは、分かっている。もちろんそのキーホルダーの入手経路も調べさせている」
麻生は怒り、写真を宮本栞から奪い、スーツのポケットに仕舞った。
「勇さん。しばらく警察官と共に行動していただいてもよろしいか?」
「ああ、構わないよ」
それから、宮本栞は、麻生を含む警察官たちと共に自宅マンションへと戻った。
麻生は最初に、宮本栞が暮らす部屋のインターフォンを鳴らす。
すると間もなくして、宮本一輝が玄関のドアを開けた。
「警視庁捜査一課の麻生陽一です。少しお話を伺いたいのですが」
「麻生陽一……」
宮本一輝は思わず呟き、目を大きく見開く。
その表情がおかしいと宮本栞は思った。警察の到着に驚いているのか。それとも麻生陽一という名前を聞いて驚いているのか。
その答えは、宮本栞には分からなかった。
「立ち話は何ですから、中でお話をお聞かせいただきます」
宮本一輝は、首を縦に振り、玄関のドアを全開にする。
そうして数人の警察官と宮本栞は、麺ションの一室へと足を踏み入れる。
その集団の中に宮本栞がいたことに気が付いた、一輝は咄嗟に宮本栞の肩を一回叩いた。
「栞ちゃん。これは一体どういうことだ。何であの……警察が来た」
「詳しいことは警察の人が話すと思いますけど、恵美伯母さんの遺体が発見されたんです。その現場に偶然居合わせて、ここまで送っていただきました」
宮本栞は事情を説明しながら、一輝の言動に違和感を覚えた。彼は何かを言いかけ、咄嗟になぜ警察が来たのかという疑問へと軌道修正した。
一輝は警察官たちをリビングへと案内する。
彼がドアを開けると、室内の椅子に座っていた宮本良子がドアへと視線を向けた。
「良子叔母さん。いらっしゃっていたんですすね」
宮本栞が頭を下げる。
「ちょっとこっちに用があってね」
良子と聞き麻生は警察手帳を彼女に見せた。
「警視庁捜査一課の麻生です。宮本良子さんですね。丁度良かった。お二人さんにお話したいことがあります」
宮本良子と宮本一輝は、リビングの椅子に座った。彼らと向かい合うように、麻生が座る。
「数時間前、神社で宮本恵美さんの遺体が発見されました」
その事実を聞き、二人は大きく目を見開き、驚く。
一輝の隣に座っている宮本良子は事実を知り、涙を浮かべた。
「本当ですか?」
良子が泣きながら刑事に尋ねる。
「はい。ところで良子さんは、なぜ一輝さんのところへ来た? 急用があったと言っていたが」
「西木野神社には行っていないですよ。私はただアクセサリーショップに行った帰りに、一輝兄さんを尋ねようと思っただけです。栞ちゃんが元気に生活しているかが気になったから」
「元気に生活しているかが気になったかというのは」
「大きな口では言えませんが、栞ちゃんのお母さんは三か月ほど前に自殺しているんです。父親も行方不明で引き取り手がいないから、一輝兄さんのところに居候しているんですよ」
「三か月程前に自殺した……」
麻生は良子の口から聞かされた事実を知り、表情が青ざめる。
「麻生刑事。どうしたのですか。そんなことは今回のヤマとは関係ないでしょう」
部下の刑事の声を聞き、我に返った麻生は良子に質問する。
「良子さん。午前十一時頃どこで何をやっていましたか」
「その時間だったら、アクセサリーショップから一輝兄さんが暮らす自宅マンションへと向かって歩いていました。生憎一人で歩いていたので、証人はいませんが。」
「そういえば、良子叔母さん。今日は首からネックレスをぶら提げていませんね。毎回会うたびに銀色のネックレスを身に着けていたので、気になりました」
宮本栞が良子と顔を合わせ微笑む。
「ああ、今日はちょっと忘れたんです。ドタバタしていたから」
「つまりアクセサリーショップに行ったけど、欲しいネックレスがなかったということですか」
「そうですよ。刑事さん。早く恵美姉さんを階段から突き飛ばした犯人を捕まえてください」
麻生は良子の話を聞き、一瞬驚いたような表情を浮かべる。
その後で麻生陽一は、宮本一輝と顔を合わせた。
「一輝さんは午前十一時頃どこで何をやっていたのですか」
「この部屋で株の取引をしていた。一人だったから証人もいないよ。その時間帯には、始業式から帰ってくるはずだった栞ちゃんもいなかったからな。これがアリバイになるのかは分からないが、通信記録を調べても構わないよ。その時間に、この家のパソコンからネットにアクセスしていたと分かったら、アリバイ成立だろう?」
宮本栞は一輝の話を聞きながら、キッチンに設置された冷蔵庫を開けた。
「卵が買ってありますね。朝食の時にはなかったはずなのに」
宮本栞は冷蔵庫の中身を確認しながら、一輝に尋ねる。
「ああ、少し近所のコンビニに用事があったからな。序でに買ってきたよ」
「あれだけ隣町のスーパーの方が安いって言ったのに」
「その話が本当なら、答えろ。いつコンビニに行ったのか?」
麻生が栞と一輝の会話に割って入る。
「午前十時四十分頃だったよ。それからすぐに家に戻ったから、犯行なんてする暇は残されていない」
「分かった。そのアリバイの裏付け捜査をする」
宮本栞は冷蔵庫のドアを閉め、考え込んだ。
犯人が携帯電話を盗んだ理由。
現場に残された遺留品。
ネックレス。
お金の困っている兄弟姉妹。
不審な人物の行方。
様々な言葉が宮本栞の頭を過る