宮本栞の決断
突然栞と黄色ネクタイの男がいるカラオケボックスの一室を誰かがノックした。ドリンクを注文した覚えがない二人は、息を飲む。黄色ネクタイの男が咄嗟にスーツのポケットの中に隠されている拳銃を取り出そうとする。
しかしドアを開け現れたのは、赤いネクタイを着用する黒スーツの男だった。
「盛り上がっていないな」
サングラスの下で笑みを見せた赤ネクタイは、白い歯を見せながら静かなカラオケボックスを見渡す。
「遊びにきたわけじゃないっす。ところでどうしてこの場所が分かったんすか」
黄色ネクタイは頬を膨らませ抗議する。
「簡単なことだ。そのお嬢ちゃんが所持しているスタンガンの中に発信機が仕掛けられているのは知っているな。それとこのカラオケボックスの見取り図を照らし合わせて、お前らに呼ばれたって言ったら、そうですかって通してくれたよ」
「警察の潜入捜査はどうしたんすか?」
「偶然事件捜査を担当する捜査員の中に内通者がいたから、そいつに任せてきた。危険な潜入捜査するより効率的だろう」
そう言いながら赤ネクタイはソファーに座り足を組んだ。
「その内通者からの伝言だ。どうやら死んだのはザドキエルじゃない。容疑者と思われる宮本勇だろう。その根拠は遺体の身長。ザドキエルの身長は170センチ。一方遺体の身長は180センチ。5センチ前後の誤差はあるだろう。宮本勇の身長は180センチ。このことから警視庁は宮本勇が爆発に巻き込まれたとみて捜査している」
「どうしてそんな大切なことを黙っていたんすか」
「警察に潜入捜査なんて一言も言ってねえよ。ただの新聞記者として現場に乗り込んだだけで、遺体に近づこうとしたら通報を受けた警官によって現場から締め出されたんだ。遺体は一瞬しか見えなかったから、内通者の報告があるまで自分の記憶が信じられなかったってことだな」
赤ネクタイが頭を掻きながら弁明する。
「よくこんなにも早く被害者の身元が分かりましたね」
栞が頬杖を付きながら指摘すると、赤ネクタイの表情は真剣になる。
「捜査二課がマークしていたそうだ。宮本オフィスが裏金を指定暴力団流星会に流しているという疑惑があって、その取引に宮本勇社長が関与しているとみて調べていたらしい。ここまでは警察が突き止めている事実だが、真実は違う。指定暴力団流星会を経由してテロ組織の活動資金が支払われるという風にお金は流れているんだ。宮本オフィスは裏金を支払う見返りに、テロ組織に融資されていた」
「そのテロ組織というのは?」
栞が尋ねると赤色ネクタイの男は、淡々とした口調で答えた。
「俺たちが所属している組織だ」
「えっ」
栞は驚きの余り両手で口を覆った。
「その反応。知らなかったんすか?」
「はい。極道絡みの組織だと思っていたのですが、まさかテロ組織だったなんて。悪徳組織にしては、幹部のコードネームが天使の名前なんて洒落ていると思ったのですが……」
「どこでそれを?」
赤ネクタイが栞の声を遮り尋ねる。
「少し気になったので、図書館で調べたんです。藤岡さんのコードネーム、ザドキエルは神の正義っていう肩書きがありますし、私のお父さんのコードネームはウリエル。ウリエルは四大天使の一つとされ、神の光っていう肩書きがあります。だから組織の幹部のコードネームには天使の名前という共通点があると思いました」
「推理で俺たちの組織幹部コードネームの法則を突き止めるとは、中々の推理力だな。正解。それよりもテロ組織の末端構成員だということを知らなかったことには驚きだ。組織の正式名称は、退屈な天使たち。覚えておけ。今後のために」
「退屈な天使たち」
栞は組織名を復唱し、考え込んだ。犯罪行為が日常的に行われている世界ということは分かっていたが、まさか栞が所属している組織がテロリスト集団だったとは。これは栞にとって想定外なことだった。
栞の母親は娘がテロリストになることを望んでいない。だけど栞には暗部の住人としてやりたいことがあった。
悩んでも仕方ないことだった。あの時から答えは決まっているのだから。
今はそれどころではないと思い、栞は被りを振る。
「本題に戻しましょう。どうして勇伯父さんは、藤岡探偵事務所に侵入しようとしたのか。分かりますか?」
「侵入って。どうしてそんなことが分かる」
赤ネクタイと黄色ネクタイは、訳が分からず首を傾げた、それに対し栞は人差し指を立てる。
「初歩的な推理です。現場で曲がった針金と外側から抉じ開けたような痕が残るドアが発見されたんですよね。この遺留品に宮本オフィスの裏金問題。爆破直前事務所ビル内の防犯カメラに映った勇伯父さん。この事実を繋ぎ合わせたら真実が見えてくるでしょう。勇伯父さんは、探偵事務所内に隠された裏金の証拠を持ち去ろうと、ドアを抉じ開け侵入しようとした。ところが室内には爆弾が仕掛けられていて、伯父さんは呆気なく爆発に巻き込まれて亡くなった。これが真実だとしたら辻褄が合うと思います」
「裏金の証拠が探偵事務所に隠されているっていう証拠はあるんすか?」
「あくまで仮説なので、不確定要素は強いでしょう。独断と偏見が含まれる迷推理かもしれませんが、現在分かっていることを元に推理したらこうなります」
「犯人は誰だ?」
「藤岡さんを殺そうとした暗部の人間。もしくは藤岡さんが勇伯父さんを口封じで殺そうとしたのか。いずれにしても、早めに藤岡さんを探した方がいいかもしれませんね。どうやら彼は、探偵事務所近辺にはいないようです。他に彼が立ち寄りそうな場所は分かりますか?」
「丸投げか」
赤ネクタイが勢いよくツッコミを入れる。だが黄色ネクタイの男は、的外れなツッコミを笑う。
「小早川さんは、あの探偵事務所でしかザドキエルに会ってないっすから」
「小早川さんって誰だ!」
「彼女の偽名っすよ。仲間には知らせたんすけど、知らなかったっすか?」
黄色ネクタイはそう言いながら、栞の方向へ右手を向ける。
「知らないよ」
「知りませんか?」
栞は赤ネクタイの反応に肩を落とす。男達は彼女が勘違いしているのではないかと感じ、同時に咳払いする。
「知らなかったのは、小早川っていう偽名でザドキエルが立ち寄りそうな場所だったら心当たりがある。ロゼッタハウスっていうカフェだ。仕事が終わったらそのカフェでお茶を飲んでいることが多い」
「ロゼッタハウス」
そのカフェに宮本栞は心当たりがあった。十五年前栞の母親と一輝が約束を交わした場所。その約束を破ろうとしている娘が、その場所を訪れることになるのは皮肉だと栞は思った。
「行くっすか?」
黄色ネクタイの男の問いかけの答えは決まっている。栞は首を可愛らしく縦に振り、席から立ちあがった。
「もちろん」
カラオケボックスのルーム料を黄色のネクタイの男に支払わせ、栞たちはカフェに向かい歩き始める。
問題のロゼッタハウスは、駅の西口にある商店街の中にある。その商店街は初めて藤岡と出会った因縁の場所でもあった。
その時のことを思い出しながら、栞は周囲を見渡しながら歩く。すると栞の携帯電話がポケットの中で振動を始めた。
立ち止まり携帯電話を開くと、藤岡から電話が掛かっていることが分かった。
「もしもし」
栞は携帯電話を耳に当て、挨拶する。
『真実は分かったのかな?』
「探偵事務所を爆破したのは、あなたですね」
「正解。近日中に公安が探偵事務所に乗り込んでくるっていう情報を得ていたからね、その前に証拠を消せっていう命令を受けた。それと宮本勇が裏金の証拠を持ち去ろうとしているっていう情報も知ったから、彼を利用してお前たちの協力関係を試そうと思った。理不尽だけど、これが真実。まさかこんな理不尽な理由で伯父さんを殺されて、許せないなんて考えていないよね?」
藤岡からの思いがけない問いかけに対しても、栞は動揺しない。
「私も伯父さんには心を開いていませんから」
『そうかい。暗部で暮らしていたら、理不尽な理由で身内や仲間が殺されることなんて、ありふれている。覚えておけ。ところでお前はどこにいる。俺はこれからロゼッタハウスでお茶をしようと思って、カフェに向かっている』
「私もロゼッタハウスに向かっていますよ。あなたがそこにいるかもしれないって鴉さんが言っていたから」
そう言いながら栞は近くに立つ二人組の黒スーツの男達に視線を向ける。
『都合がいいな。ロゼッタハウスで一緒にお茶しようか。丁度話したいこともある』
「分かりました」
宮本栞は電話を切り、二つ折りの携帯電話を折りたたむ。そのやり取りの後、しばらく商店街を歩くと、彼女の瞳にロゼッタハウスという看板が映った。その直後ドアを開けベージュのスーツを着た男が店内に入っていく姿が見えた。
看板の前に立ち止まった栞は、後ろを振り向きながら二人組の黒服の男達に伝える。
「鴉さんは、この周辺を警戒してください。カフェは私だけが乗り込みます。カフェで黒服の男二人がお茶をしていたら目立ちますし」
「分かった。この周辺の見回りをやる」
男達は互いの顔を見合わせ、栞から離れていく。その後で栞は瞳を閉じ、ドアノブを握ってドアを開けた。来客を知らせる金の音が聞こえ、遅れて「いらっしゃいませ」という店員の声が耳に届く。
店内では数人の紅茶通な人々がお茶を楽しんでいる。その中でベージュ色のスーツを着た初老の男性がテーブル席に座っているのを見つけた栞は、頬を緩め男の正面の席に座った。
「結構早かったな」
藤岡が栞を向き合い、メニュー表を広げる。
「鴉さんがいなかったら、ここまで辿り着けませんでした」
「有能な仲間を持って幸せだな。ここは俺が奢る。何でも頼んでいいから」
「それではアールグレイでお願いします。十五年前、このカフェでお母さんがその紅茶を飲んだって知ったから、同じ味を味わいたくなって」
「分かった」
藤岡は了承し、店員を呼んで注文する。静かなクラシック音楽が店内に流れる中で、栞は笑みを浮かべた。
「どうした?」
藤岡は笑みの理由が分からず困惑して、彼女に尋ねてくる。
「十五年前、この店でお母さんと叔父さんが約束を交わした。その席がここと同じだったら面白いと思っただけですよ。このカフェに来るんだったら、叔父さんに席がどこだったのかも聞いておくんだった」
「十五年前のことなんて、繊細に覚えていないはずだろう。この店で一緒にお茶を飲んだっていう記憶はあっても、その席がどこだったかなんて一々覚えていない。だから無駄な質問だな」
「そうですよね」
間もなくして二人が座る席に紅茶が運ばれる。栞は自分の前に置かれたティーカップを持ち上げ、唇に近づけ一口飲む。
「美味しい。これが、お母さんが飲んだ紅茶なんですね」
見ているだけで嬉しいという感情が伝わってくる表情を栞は藤岡に見せた。藤岡は若干引き気味になり、咳払いする。
「そろそろ本題に入ろう。君のお父さんに関することだ。実は君には腹違いの姉がいる」
突然の告白に栞の思考回路は停止する。
「どういうことですか?」
「この際ハッキリ言うと、君のお父さんは浮気をしていた。その浮気相手の正体は君のお母さんなのだよ。お父さんは別の女性と結婚して娘も産んでいた。しかしお父さんは浮気のことがバレて、十三年前に離婚。君の一歳年上の腹違いの姉は、現在東都高校に通う一年生として平穏な暮らしを送っている」
藤岡は机の上に一枚の写真を置く。それは艶のある黒色の髪を腰の高さまで伸ばしたストレートヘアの女子高生が、東都高校から出てくる姿を隠し撮りした写真だった。その女子高生は東都高校の制服である水色のセーラー服を着ている。
「彼女の名前は?」
「佐藤真実。離婚して母親の苗字に戻したらしい。進路が決まっていないなら、東都高校に通って腹違いの姉と高校生活を送るのも悪くないかもな」
腹違いの姉。その存在は栞ですら顔を知らない父親の手がかりになるかもしれない。だがそれは時に諸刃の剣になるのではないかと栞は思ってしまう。
「東都高校。成績は大丈夫だから多分合格できると思う。だけど彼女とは素性を隠して、小早川せつなとして接したいですね」
「なぜだ?」
「私はお父さんの浮気相手の娘なんでしょう。その浮気が原因で、真実さんの家族はバラバラになったから、彼女が私のことを恨んでもおかしくない。逆恨みで殺されるのは嫌だから」
素性を隠す理由を知った藤岡は、腹を抱え笑ってみせた。
「優しいな。協力させてもらうよ」
藤岡は右手を差し出し、栞は彼と握手を交わす。
涼しい秋風が高層マンションの屋上に吹く。
煉瓦模様のタイルが埋め込まれ、四方をフェンスで囲んだこの場所に、一人の少女が立っている。
この場所で母親が投身自殺を図った。その少女、宮本栞は母親が自殺した因縁の場所に行きたがらなかった。そんな彼女は、母親の自殺という過去と決別しようとしている。
中学校の制服を着ている栞は静かに瞳を閉じた。秋風が彼女のポニーテールに結った後ろ髪を揺らす。
「ごめんなさい。お母さんとの約束を破る娘で。でも私はお父さんのことが許せないから」
母親の最期の場所で決意を固めた彼女は、静かな足取りで、その場所から立ち去った。




