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宮本栞の日常

 冷たい北風が高層マンションの屋上に吹く。

 煉瓦模様のタイルが埋め込まれ、四方をフェンスで囲んだこの場所に、一人の女が立っている。

 白いワイシャツの上に黒いスーツを羽織った女の髪型は茶髪のショートカット。

 二重瞼の低身長な女は、屋上から真下に通過する道路を覗き込む。

 新年を迎えてから数日が経過した道路は、渋滞していない。おそらく人々は寝正月を過ごしているのだろう。

 マンションの前を子連れの親たちが通り過ぎる様子も、彼女の目に映った。

 その楽しそうに歩く家族の姿を見た女はスーツのポケットから一枚の写真を取り出す。

 黒色の長髪をポニーテールに結った女子中学生が映る写真が、風に揺れる。


「ごめんなさい。母親らしいことができなくて……」

 その女、桜井真は娘の写真を握り、フェンスを乗り越え屋上から飛び降りた。

 彼女の体は風を切り、急速なスピードで落下する。

 それから数秒後、マンションに入ろうとする家族たちは、何かが落ちてくる音を聞き、目を大きく見開く。

 父親は子供の目を塞ぎ、母親が悲鳴を上げる。


 その悲鳴を聞きつけ、マンションの住民たちが野次馬のように、エントランスホールの前に集まった。

 彼らの視線の先にあるのは、写真のような物を握り、血塗れで横たわるショートカットの女。

 住民たちは慌てて救急車を要請する。

 それから数十分後、救急車が駆け付け、虫の息の女を搬送した。だがその女は、救急車の中で絶命してしまう。

 この事件は自殺として処理された。


 彼女の自殺から数日後、東京都内の小さな葬式会場で桜井真の葬儀が行われた。

 彼女の葬式には喪服を着た数人の親族しか集まらない。


 その中で肩の高さまで伸びた長い髪をポニーテールに結った少女が遺影の前で大粒の涙を流した。 

 黒いセーラー服を着た少女、宮本栞は、遺影の前で泣き崩れる。

「どうしてこんなことに……」


 その少女の肩を、パンチパーマの男、宮本一輝が優しく叩く。

「栞さん。こんなところで話すべきではないかもしれないが、君のお母さんは君が成人するまで裕福に暮らしてほしいと思って、大金を残しているんだ」

「一輝叔父さん。だったらどうして私を一人にしたの? 大金なんていらない。私はお母さんがいればそれだけで良かったのに……」


 少女の言葉に彼女の叔父は言葉を失う。すると葬式の参列者たちのヒソヒソ話が聞こえて来た。

最初に茶髪のショートカットに太った体型の女、宮本恵美が話を切り出す。

「大工健一郎衆議院議員との不倫と脱税に疑惑を苦に自殺するなんて馬鹿よ」

 その言葉を聞き大柄な体型に坊主頭の男、宮本勇が食いつく。

「馬鹿なのはこんなことをいう姉ちゃんの方だろうが。それだけ追い詰められていたということだろうぜ」


「結局、大工健一郎は葬式に参列しなかったね。秘書が自殺したっていうのに何をやっているんだい」

 痩せ型の体型に、首に銀色の十字架のネックレスをかけた、お河童頭の女、宮本良子が右手を挙げながら二人に尋ねる。

「そんなことより一人娘の栞ちゃん、誰が引き取るのよ。さすがに一人暮らしはマズイよ」


 栞はヒソヒソ話が聞こえたのか、暗い顔になる。徐々に暗くなっていく少女の横顔を見ながら、パンチパーマの男が咳払いする。

「そのことだが、俺が引き取るよ。だから、何も心配する必要はない」

 親族たちが一斉に男の顔を見る。

「お前が引き取るのか。こんな若造に何ができる。あいつが残した大金が目当てに違いない」

「それはあなたたちのことだ。宮本家は真を養子として教会から引き取った。当然宮本家は遺産を相続する権利がある。もちろん唯一の血縁者の栞ちゃんにも遺産が入る。その遺産だけでは満足できない奴がいるのも事実だ。勇兄さんは親父の推薦で宮本オフィスの2代目社長になったけど、会社経営は火の車。恵美姉さんは競馬に負けて大損。良子は趣味のアクセサリー収集に熱中していて、お金がいくらあっても足りない。お金を横領しようとしている奴らに栞ちゃんの未来は託せない」

「横領か。よくお前が俺たちを奴ら呼ばわりできたものだ。出世したな」

 宮本勇が腕を組む。

「なぜ桜井真が宮本姓を名乗らなかったのか。その答えを知っているか? 養子として引き取られてから今まで心を開かなかったからだ。俺が知る限りでは、あいつが心を開いたのは俺と栞ちゃんだけだ。だから信用されている俺が栞ちゃんを引き取れば、天国であいつも安心して暮らすことができるだろうが」

 宮本一輝が従弟である宮本勇を睨みつける。

 すると宮本勇は舌打ちして彼の元から立ち去った。


 それから桜井真の葬式が終わり、宮本栞は宮本一輝が運転する軽自動車の助手席に座った。

「一輝叔父さん。私を引き取るって本当ですか?」

 車内で栞が叔父の目を見て尋ねる。

「もちろん。君のお母さんが自殺してから今日まで、栞ちゃんは俺が暮らすマンションに身を寄せていた。葬式の手配や死亡届とかの手続きは俺が率先してやってきた。喪主も俺が務めた。だから、何の心配もいらない。俺が暮らすマンションは栞ちゃんが通う中学校校区内だから、転校の心配もない」

「叔父さん。そうやって不安要素を一つずつ潰してくれて、ありがとうございます。多分その癖は、お母さんが心を開いた理由なのかもしれません」

 宮本栞は叔父の顔を見て微笑む。だが宮本一輝は栞の考えを否定するため、首を横に振った。

「嫌。それは違うな。昔あいつに聞いてみたんだよ。どうして俺にだけ心を開いたのか。そしたら何って言ったと思う?」

 宮本栞は何と言ったのか分からず、首を傾げる。少し意地悪過ぎたかと思った宮本一輝は答えを少女に伝えた。

「雰囲気が幼馴染に似ているから。それだけの理由らしい」

 中々母親の自殺から立ち直ることができない宮本栞は、小さく縦に頷く。

 それから宮本一輝は自動車のエンジンキーを回し、アクセルを踏んだ。

 


 三か月後。近所の桜の樹が咲こうとしている頃、宮本栞はマンションの一室の洗面台の前で、黒色のセーラー服に袖を通した。

 それから彼女は、鏡の前で前髪を整え、リビングへと向かう。

 リビングでは叔父の宮本一輝がノートパソコンの画面を覗き込んでいる。

「おはようございます。叔父さん」

 宮本栞が挨拶すると、宮本一輝は彼女と視線を合わせることなく、挨拶を交わす。

「おはよう」

 宮本一輝は頭を掻き、ノートパソコンのエンターキーを押す。

「これで終わった」

「何が終わったんです?」

 栞が首を傾げ聞き返す。

「株の取引だ。株式会社オンリー・ナウの株は、一週間以内に暴落するから、この辺で株を売って大儲けしようと思った」

「叔父さん。よくそんなことが分かりますね」

「投資家兼会社員という生活を始めてから、十年くらい経つからな。大体の金の流れは分かる」


 一輝の言葉を聞き、栞が物珍しそうにノートパソコンを覗き込む。

「何だ。栞ちゃん。株の取引に興味があるのか。だったら今から色々とレクチャーしてやろうか」

「叔父さん。今日は中学校の始業式です」

 栞が事実を伝え、一輝が何かを思い出したかのように手を叩く。

「そうだったな。中学三年生か。そういえば進路はどうするつもりだ? 私立の高校に通う程の教育費ならちゃんと準備しているが……」

「……普通科がある高校に行こうと考えています」

「そうか」

 宮本一輝が一言呟く。それから栞は壁時計で時間を確認した。午前七時四十分を指した時計の針を見つめ、彼女は一輝に背を向ける。


「叔父さん。学校に行ってきます」

 宮本栞は叔父に伝え、マンションから中学校に向かい歩き始めた。

 玄関のドアが閉まる直後、リビングに設置された電話が鳴り響く。


 宮本一輝は慌てて受話器を耳に当てる。その電話の相手は、宮本一輝にとって想定外な人物であった。

「今更何の用だ。言っただろう。栞ちゃんの日常を壊すようなことをしたら、許さないって。だから俺はお前に手を貸さない!」

 不機嫌になった一輝は、力を込め受話器の通話ボタンを押す。それにより電話が切れ、彼は机に飾られた写真盾を見つめた。


 桜の樹の下で、中学校の制服姿の宮本栞が笑顔を見せ、立っている様子が写真として収められている。

 あの人物からの電話は毎日のようにかかってくる。その事実を宮本栞本人は知らない。

 全ては宮本栞という少女から不安因子を取り除くため。そのためなら、真実を隠蔽してもいいと一輝は考えていた。



 この日の中学校は平凡だったと宮本栞は思う。

 今日は始業式。クラス替えに新しい担任教師に一喜一憂するクラスメイトたちを他所に、無表情の彼女は机の上で頬杖を付き、窓から桜の樹を見つめる。

 宮本栞にとってクラス替えや担任教師の変更などは、特な気にするような出来事ではなかった。


 学校は何も変わっていない。彼女の母親が自殺した直後に始まった三学期と、それまでの学校生活に違いはない。

 当初は母親の自殺と聞き、クラスメイトたちは心配して宮本栞に声を掛けて来た。


 だが、時が経つたびに、まるで母親の自殺が嘘だったかのように、話しかけるクラスメイトたちは減っていく。


 そして現在、中学三年生の一学期初日、新しいクラスで、あの話題を切り出す同級生は、一人しかいない。

「栞さん。新しいクラスだぜ。胸が躍るじゃないか。そんな退屈そうな顔するなよ。絶対クラスに馴染む気がないだろう」

 一人の男子が宮本栞の机の前に立ち、彼女の顔を覗き込む。天然パーマが特徴的の同級生、新田隆宏の顔から宮本栞が視線を反らす。

「新田君。別にいいでしょう。このクラスで学校生活を送るのは一年だけ。高校はバラバラになるから」

「そんな冷たいこと言うなよ。一生で一度の学園生活じゃないか。絶対人生を損するって。まさか、まだお母さんのことを引きずっているのか?」


 新田隆宏は平気で地雷を踏み続ける。その言動に宮本栞は怒り、彼の顔を睨み付けた。

「新田君。あなたに何が分かるのですか? 唯一の肉親を失った悲しみを、あなたは知らない」

 宮本栞の頬から涙が落ちる。また彼女を泣かせてしまったと新田隆宏は後悔した。

 宮本栞の周りを、何事かと思ったクラスメイトたちが囲む。

「分かった。俺が悪かったから泣くのをやめてくれ。何でもするから」

 新田隆宏がクラスメイトたちの前で頭を下げ謝る。すると、涙を浮かべた顔から一変して、表情を微かに明るくさせた栞は、彼の顔に視線を合わせた。

「何でもする? だったら放課後、一緒に西木野神社へ行きましょう」


 突然の宮本栞の申し出に、クラスメイトたちが驚く。まさか始業式初日に、デートの申し出が飛び出すとは、想定外だと思ったのだろう。

「西木野神社って地味じゃないか。デートスポットとしてどうなんだ?」

 新田隆宏がクラスメイトたちの声を代弁するかのように呟く。

 すると、宮本栞の顔が赤く染まった。

「勘違いしないでください。デートじゃないから」

 そうして、宮本栞は同級生の新田隆宏と共に、近所の西木野神社へと向かうことになった。

 


 始業式の日の授業は午前中で終わる。午後からは放課後になり、生徒たちは部活動に励む。

 一方の宮本栞と新田隆宏は帰宅部のため、学校が終わると、すぐに西木野神社へと向かうことができた。


 その道中、新田隆宏は隣を歩く宮本栞の顔を見ながら尋ねる。

「ところで、なんで西木野神社に行くんだ?」

 新田からの質問を聞き、宮本栞が立ち止まり、ぽつりと呟く。

「お小遣いが厳しいから」

 意外な答えに新田隆宏は目を点にする。それから栞は言葉を続ける。

「私って呪われているから。あの神社のお守りはご利益があるっていう噂を聞いたんです。それであの神社のお守りを買おうと思ったら、お小遣いが足りないことに気が付いて……」

「俺にお守りを買わせるつもりか」

 新田隆宏の言葉に、栞は首を縦に振った。

「正解です」

「やっぱり。お前とは幼稚園から一緒に育ってきた仲だ。お前の考えていることは大体分かる」

 新田隆宏はジッと宮本栞の顔を見る。だが、宮本栞は顔色一つ変えない。

「何ですか?」

 彼女が冷たい口調で尋ねる。

「何だよ。学校では赤面したくせに。二人きりになると冷たい態度をとりやがって」

「仕方ないでしょう。あの空気はクラス公認カップルになりそうだったから。あからさまに冷たい行動を取ったら、面倒なことになりそう」

「赤面した方が面倒なことになりそうだが」

「何も分かっていないようですね」

 宮本栞はこれ以上のことは語らない。新田隆宏は彼女の言動の意味が分からず、首を傾げた。


 それから五分後、二人は赤色の鳥居の前に立った。その先には石の階段が続いている。

 宮本栞が階段を昇ろうと一歩を踏み出す。だが次の瞬間、彼女は違和感を覚えた。

 前方の踊場の辺りに、多くの人々が野次馬のように集まっている。この状況は明らかにおかしい。

 二人は何が起きたのか理解できず、野次馬たちの元へ合流する。

 その野次馬たちの中心にあったのは、頭から血を流している肥満な体型の女性。

「えっ」

 宮本栞は目を大きく見開き、思わず声を出した。その視線の先で倒れているのは、見覚えのある女性。宮本恵美だったのだから。


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