(5)
覚悟を決めて、扉を開く。
背中をそっと押してくれた青山君にひとかけらの勇気をもらって。
応接間には、いつもの如く険悪な雰囲気の両親がいた。
二人ともすごくびっくりしている。
当たり前だろう。自分たちが散々議論し罵り合ってきた当のもみあげが、こうしてカラッと揚げられた状態で私の耳元から垂れ下がっているのだから。
愕然とし、怒ったように問いつめてくる父。
背後から現れて事情を説明する青山君。
激昂した父が彼に殴りかかる。
うんまあ、こんな風になるんじゃないかって思ってた。
「青山君、だから言ったのに……!」
「……貴方が娘さんのことを大事に思っているのはわかります」
けれど、彼は殴られて血が出た口元を拭いながら、ゆっくりと立ち上がって……
そして、まるで私を護るかのように父の前に立ちはだかった。
「でも、大事に思うあまり彼女を悲しませてどうするんですか! 貴方達の不和が彼女を苦しめている! 大の大人がそれがわからないはずないでしょう!」
あまりの正論に思わず一歩後ずさり、けれど尚もその怒りの矛先を彼に向ける父。
慌てて止めに入ろうとした私を……青山君は片手で制する。
「そんなに否定したいんですか、自分の実の娘でしょう!? 彼女の身体のことなら貴方達が一番わかってやらないといけないはずなのに! なぜ最初からそこを拒絶するんです! 目を閉じるんです!」
……ぽん、と胸の奥に何かが灯った。
そうだ……彼の言葉にようやく得心がいった。理解できた。
父も、母も、互いに相手を責めていたのはただの責任のなすりつけ合いだった。
私から……そう、私のもみあげが食べられるって事実から、喧嘩をすることで目を逸らしていたかったんだ。
「逃げないでください……これが、貴方達が育てた娘さんの……知子さんのもみ揚げだっ!!」
取りだした包丁で、ゆっくりと、けれど躊躇なく私の耳元に刃を入れる。不思議と恐怖はない。
すとん、すとんと皿の上に私のもみ揚げが二つ落ちた。
ふわ、と気分が軽やかになる。
なんだろう、食欲をそそるこの香り、この熱気。
ついさっきまで私のもみあげだったもの……
だのに、今はもうそれがどこからどうみても美味しそうな食べ物にしか見えない。
「さ、食べてみてください」
父も、母も、それが食べ物だと言うことに、それも極上の逸品であると言うことに本能的に気づいたようだ。
いや、彼の腕前が気づかせた、というべきだろうか。
おそるおそる箸を付け、軽く囓る。
カリッ、という小気味よい音を立てて、私のもみあげが検査以外で初めて人の口の中へと収まった。
両親がびっくりして目を丸くしている。
そして互いに顔を見合わせ、次に同時に私の方に顔を向けた。
「美味しいでしょう。貴方達が愛情を込めて育てた娘さんだからこそ……生まれた味です」
青山君の声が応接間に響く。
それは父と母の心を大きく揺らしていたけれど……
それ以上に、私の心に響いていた。
「素材の新鮮さ、美しさ、もみの手触り……どれを取っても一級品で、御両親が彼女を、彼女のもみとても大事にしてきたことがわかります」
なんだろう。
なぜ彼の言葉に、こんなにも涙腺が緩んでしまうのだろうか。
「貴方達にもわかったはずだ。彼女のもみの質の高さが、その絶品の美味さが。そう……美味しいんです。可食部位であろうとなかろうと、食べ物が美味しいのはとても素晴らしいことだ。なら……」
彼はいったん言葉を切って、部屋にいる皆に、私たち家族全員に語りかける。
「美味しいことは……罪ですか? 彼女のもみあげが食べられることは……一体なんの罪なんですか?」
それが……限界だった。
私の涙腺は遂に決壊し、涙がとめどなく溢れてくる。
そうだ、私が聞きたかったのはその言葉だった。
食べられる人間、そんなおぞましくって身の危険に怯えなければならぬ哀れな者に、望まずなってしまった私だけれど。
それでも……そうだ、それでも、
そんな自分を認めてくれる人が……私は欲しかったのだ。
私は泣いた。
両親と抱き合って泣いた。
そんな私たちを……青山君は、なぜか我がことのように嬉しそうに見つめていた。




