(2)
さて、そんな私の目下の悩みは家庭内不和である。
ああそんなに引かないで欲しい。
平凡な人間だと初めに断ったはずである。
なにせもみあげが食べられる以外は容姿も学業も運動も目立った特徴のない、実に平々凡々な娘なのだ、私は。
重大だったり命がけだったり世界の存亡に関わったりピンチの時にヒーローが現れたりするような、そんな御都合主義な世界の住人ではないのである。
けれどまあ、その我が家の不和の原因は、普通の家とはちょっと違っていて……
簡単に言えば、私のもみあげが原因だったりする。
どっちの御先祖様の誰がどうのとか、ひいおじいちゃんが可食部位保有者だったとか、お前のせいで知子が、とかアナタの方こそ……とか、
要するに私が食べられることをお互いに責めているわけである。
正直なところ自分ではあんまり気にしていない。いやできるだけ気にしないようにしている、が正しいだろうか。
だって気にしようが気にしまいが自分のもみあげが食べられるという事実が変えられるわけではないのだから。
だったらそれが当たり前の事なんだって受け入れて生きていくのがせめてもの処世術ってものじゃない?
もちろん家族と検査した先生以外には秘密にしているけれど、ともかく自分ではなるべく考えないようにしてやり過ごしているのだ。
なのに……父と母はいっつも喧嘩ばっかり。
お互いに責めて、なじって、勝手に不機嫌になって。
こっちは努めて平静であろうとしているのに、ことあるごとに険悪な空気が漂ってきて。
これじゃあまるで私が全部悪いみたいじゃない。
私が食べられることって、そんなに悪いことなの? 家族にとって負担なの?
そんな事を考えていると段々と憂鬱になってきて、どんよりと沈んだ空気になる。
ああ、家に帰れば両親はまた喧嘩しているのだろうか。
帰りたくないなあ……
「危ないっ!」
唐突に誰かの叫び声が聞こえて、一瞬遅れて背後から肩を掴まれ、後ろに引っ張られる。
バランスを崩した私は思わずよろけて、背中から何かに倒れ込んだ。
これは……胸、だろうか。
誰かの胸に、私はもたれかかっている?
「あ……」
大きな音がしてハッと我に返る。
目の前の大きなトラックが走り抜けていった。
トラックが通り過ぎた後に残っていたのは横断歩道、そして真っ赤な信号。
どうやらぼーっとしていて赤信号のまま横断しようとしていたらしい。
もし気づくのが一瞬遅れたら危ないところだった。
「あ、あの、ありがと……きゃっ!?」
振り返った先、すぐ目の前に相手の顔があって思わず小さく悲鳴を上げる。
だって男の子の顔をこんな間近に見た事なんてなくって……
「って、あれ、青山……君?」
「ああ、確か君はえっと……クラスメイトの……ええっと、ああそうそう、西浦さんだっけ?」
「うん」
私の名前が出てくるまで少し時間がかかる。
ごめんなさいね影が薄くて。
どうせ私は目立ちませんよーだ。
彼の名前は青山明。最近転校してきたクラスメイトである。
顔立ちは普通……かな?
ちょっとだけかっこいい、かも。ちょっとだけね。
彼は……あまり男子の中に溶け込んでいないみたいだった。
別段壁を作ってるとか、みんなを拒絶しているというわけではない。
話しかければ返事をするし、冗談めかしたやりとりもするし、笑うことだってある。
ただ彼の方からみんなの輪の中に積極的に入っていこうとはしていないようで、休み時間なんかはよく窓際の席で外を見てたりする。
格別目立った成績でもなかったし、浮いた噂も聞かないし、私と同じであまり目立たない人。
クラスの女子が彼のお弁当が手作りですっごく美味しいとかなんとか、そんな事を言っていた気がするけれど、その後は特に続報もなかった。
ただ……彼が私と同類なのか、と聞かれたら、答えはきっと否である。
だって私はクラスの輪の中に自分からに飛び込んでゆく。
勇気があるとか社交的とかそんなんじゃなくって、そうしないと怖いから。
下手に無視したり愛想が悪かったりすると、女子って一斉に攻撃したり爪弾きにしようとしたりするんだもん。
誰だってそんな風になりたくないから、みんなに合わせて笑い合ってたりする。
ちょっと疲れるけど。
でも……彼はそんな事に気を廻したりはしていないように、見える。
もちろん男と女で立場が違うのもあるのかもしれないけれど、なんというか孤独であることを恐れていない感じというか……
ああいうのを孤高、って言うんだっけ? ちょっとカッコよすぎるかな。
ともかくそんな感じなので、個人的にはちょっと苦手なタイプ……だったんだけど。
「大丈夫? なんか心ここにらずって感じだったけど」
「あ、ご、ごめんっ!」
慌てて上体を起こし彼から離れる。
考えてみれば今ずっと彼に寄りかかって……というかもたれかかってて……と、とにかくクラスの誰かに見られたら絶対誤解されるような格好だった気がする!
わあ、うわあ、どうしよう。
そんな気全然無いのに顔が赤くなるのが止められない。
「え、えーっと、その、た、助けてくれてありがとう! それじゃ!」
ぶんっと大きく頭を下げてそのまま脱兎の如く逃げ出そうとする。
ともかくこの火照ったほっぺたをどこかで冷まさないことには。
「待って、西浦さん!」
「ひゃっ!?」
ぐい、と手首を掴まれて、強引に引き戻される。
え? え? 何この強引な展開。
もしかしてもしかすると、これって少女漫画みたいな……?!
「信号、また赤だから」
「あ……」
ぷしゅー、と頭から湯気が出る音が聞こえたような気がした。
けどなんとか落ち着きは取り戻せたような気がする。
「か、重ね重ねご迷惑をおかけします……」
「いや……うん、どういたしまして」
ぽりぽり、と所在なげに頭を掻く青山君。
今日、ピンチの時にヒーローが現れたりはしなかったけれど……クラスメイトが、助けてくれた。




