第七章 速の四天王アルダーク
決して降り止むことのない黒い雨。それは封印された魔神バルバトスの呪いの涙だとされ、その雨に当たった土には、2度と緑の植物が生えることはありません。生えていた草木もすぐに根こそぎ腐り落ちてしまう有様でした。
ガラガ山道はそんな荒れ果てた土地。岩や石コロだらけの禿げ山でした。降りしきる雨だけでなく、急な勾配もノアたちにとっては厄介な障害です。ツルツルと滑るだけでなく、水たまりに隠れている窪地によく足を取られるのです。
容赦ない雨に加え、油断を許さぬ不安定な足場に、皆の体力は確実に奪われていきます。
さらに最悪なことは、出現する魔物がかなり強いのです。真っ黒なシーツのお化けの『魔神の使い』。トカゲの頭と人の体をもつ、進化の道を誤った異形の戦士『リザードマン』。怨念によって動く亡霊、『骸骨騎士スケルトンマン』。そのいずれもが強敵であり、ましてや集団で出没します。ノアやレイでも1撃、2撃したぐらいでは倒せません。2人がかりでようやく1体を動けなくし、メルが魔法の連発で倒すというパターンが繰り返されました。反撃を防ぐのや、傷ついたり弱った仲間を助けるのはボーズ太郎です。常に全力を強いられる戦いは、想像以上に過酷なものであります。
ついにはメルもボーズ太郎も精神力を使い果たし、ノアもレイもヘロヘロの状態でした。
「…どこか休める場所を探さないと」
レイはそう言って、傷ついた自分の腕に包帯を巻きます。ボーズ太郎にはもう治療魔法を使う力も残っていないのです。
「救いの小屋はいったいどこなんだボー? 早く救ってもらいたいボー」
ゲッソリやつれた顔でそう言うボーズ太郎。みんなは返事をする気力もなく頷きます。
「…あ!? あった!! あれじゃない? ほら、あの茶色い屋根!」
ノアが遠くに何かを見つけて走り出します。レイにもメルにもその場では解りませんでしたが、ノアについてしばらく歩くと…本当に小屋の屋根が姿を現します。
降りしきる黒い雨のせいで、ところどころ黒ずんでしまった三角屋根。小屋というには、普通の家一軒ぐらいはありそうなずいぶんと大きな建物です。ただ造りが簡素なので、そう呼ばれているのかもしれませんね。
柵に囲まれた庭らしき部分には、ちょっと大きな規模の菜園がありました。雨の被害から守るため、半透明なシートで作ったカバーがかかっています。日光がなくても育つ作物なのでしょうか。弱々しくはありましたが、それでも緑の葉を精一杯につけています。
魔物が徘徊する中、どうしてこの小屋だけは無事なのだろう…そんな疑問をふと抱きましたが、誰も歩みを止めません。早く雨の当たらない場所に行きたいというその一心でした。それだけ疲労がピークに達していたのであります。
扉の前に立ち、ノアは警戒することもなく、ドンドンと乱暴にノックしました。
しばらくして、トトトという小さな足音が中から聞こえてきます。ガチャリと内鍵を操作する音がし、扉が開かれました。
出てきたのは、小さなメリンの男の子です。ノアの顔を見ると、「あっ!」と驚いた顔をしました。扉を開きっぱなしで、慌てて引き返して行ってしまいます。
「…ど、どうする?」
「どうするもこうするもないでしょ」
こんなところで突っ立っていても仕方がありません。盗賊なんで、無断侵入は得意中の得意です。レイとメルが躊躇う中、ノアはズカズカと中に入って行きました。
仕方ないと言わんばかりに、3人も後に続きます。
「まて! さきには行かせないぞ! シーラ母さんに悪さするヤツはゆるさない!」
さっきのメリンの男の子が…両手ナベを頭にかぶり、麺棒を武器に、鍋のフタを盾に…といった武装で構えます。引き返したのは、これを取りに戻ったためだったのでした。
「なんだよ。ボウズ、アタシらはちょいと休ませてほしいだけさ。悪さなんてしないよ」
ノアが笑います。「盗賊だけどね」と付け加えましたが、男の子には声が小さすぎて聞こえていません。
「ほ、ほんとうか!?」
「ええ。大丈夫。私たちは旅の途中でここに来ただけ。怖がらせてしまったならごめんなさい」
メルが優しく微笑むと、男の子は素直に麺棒を下げます。相手が女の子であり、また同じ種族だったということもあって安心したのでしょう。
「ならいい。もしウソついていたら、矢よりも早いドラゴンの王。アルダークの炎に焼かれるんだからな!」
男の子はフンと鼻息を吹いて、かぶっていたナベを降ろします。
「アルダークだって? あの、四天王のアルダークか?」
大きく目を開いたレイの剣幕に、男の子がギョッとした顔をします。
「う、うん。アルダークだよ…。アルダークは…オイラたちを守ってくれてるんだ」
男の子の言葉に、4人は顔を見合わせて複雑な顔をします。
「アルダークについて知りたいのかい? なら、シーラ母さんに聞くといいぞい」
男の子の後ろから何者かがでてきます。その姿を見た瞬間、ノアはダガーを構え、レイは剣を抜きました。
「あぶない!!」
「なんで魔物が!?」
それはガラガ山道に出現する『ゾンビもどき』です。
青白い肌に、腐って落ちた目と削げた鼻。隙間だらけの茶色い歯。いくら斬っても、突いても攻撃をやめることのないしつこさナンバー1の敵です!
「こっちに!」
「え?」
メルが男の子の手を取って抱き寄せます。
「ナイスだよ! メル!」
「よし! 来い!」
ノアたちが構える武器を近づけられ、ゾンビもどきは襲いかかってくるどころか、「あわわ」と腰を抜かしてしまいました。
「ゾンビのおじちゃん! まって! 悪さするなら許さないって言っただろ!!」
メルを振りほどき、男の子がゾンビもどきをかばいます。その姿に、ノアもレイも眉を寄せました。
「この救いの小屋では争いごとは厳禁ミョー」
「凶器はいかんなぁ。凶器は」
奥の通路から、プニョプニョした緑色の液体生命体の『グリーン・スライム』。そしてスケルトンの上官にあたり、頑丈な鎧と羽根飾りが特徴の『デス・コマンダー』が現れます。
これもまた強敵です。何度も危ない目に遭わされましたし、実際にレイの腕の傷は、このデス・コマンダーにつけられたものでありました。無意識に、レイは自分の腕をかばってしまいます。
「ど、どういうことなんでしょう…」
メルが口元に手を当てて魔物たちを見やります。
デス・コマンダーがカパカパと口を開け閉めして笑いました。
「魔物全員に敵意があるってわけじゃないってことさね。とりあえず、その物騒なモンは下ろしとくれ。見ろ。こっちも丸腰だろ?」
両手を開いたデス・コマンダーの言う通り、その手には錆び欠けたサーベルは持っていないのでした。
グリーン・スライムは、腰の抜けたゾンビもどきを器用に下から押し上げて、立たせてやります。
敵意のなさを見て、ノアとレイは恐る恐る武器をしまいました。
「何がどうなってるんだよ?」
「ここに来たら、まずはシーラ母さんに会いなさい」
「シーラ母さんっていうのは? それも魔物なのか?」
「ここの責任者さ。会えば解るさ。リッケル。案内してやんなさい」
デス・コマンダーが、リッケルと呼ばれた男の子の頭をポンと撫でます。
あのサーベルを獰猛に振るっていた骨の指が、なんと子供の頭を優しく撫でたのです! ノアたちはとても奇妙な感じでありました。
「よし! オイラがシーラ母さんのとこまで連れていってやる! ついてこい!!」
リッケルは人差し指を立てて、奥へと歩き出しましす。魔物たちの横を通り過ぎ、ノアたちはそれに黙ってついて行きました…。
リッケルやデス・コマンダーたちだけでなく、子供や魔物は他にもいました。でも、いずれもが平和そうで、ファルやメリンの子供らと談笑していたり、遊んでいたりするのです。
強くてたくましい魔物は、子供らを背中に乗せます。賢くて言葉が喋れる魔物は、子供らにお話を聞かせます。小さくて可愛い魔物は、子供らに抱っこされていました。
人の大人はいません。色んな魔物が、それぞれ己が特技を活かし、子供らの面倒をみているのでありました。
「なんだよ…。これ」
ノアはポツリと言いました。
魔物というのは魔神バルバトスが生み出した邪悪な生物です。それは人に害を為す者たちであるというのが定説でした。
「…やはり魔物にも心があったんですね」
メルは嬉しそうに、そして感動したように言います。朴念仁とかの魔物にも優しかった彼女らしい言葉でした。
「魔物との共存…。それが、この救いの小屋の実態か」
そんなことを言いつつも、レイは剣の柄に手をかけたままです。もしかしたら油断させておいて、襲いかかってくるかも知れないと思ったからでした。
ですが、見ていると、魔物たちはノアを見るや手を上げて挨拶したり、会釈したりしてくるので、なんだか調子が狂ってしまいます。なんとも警戒しているこちらが、おかしいみたいじゃありませんか。
「なにをボヤボヤしているの!? 早く行くよ!」
リッケルは、大股で「いっち、にい、いっち、にい」と行進しています。ノアたちがちょっとでも遅れると、プーッとむくれて怒るのです。辺りの観察はそこそこに、ノアたちはリッケルの後を追いました。
そこはレストランの厨房かと思うほどに、大きく広い台所でした。あれだけの子供や魔物たちが食事をするんですからこれだけないと足りないんですね。
流し場から、タンタンという手慣れた包丁さばきの音が聞こえてきます。コトコトという音で煮えるナベからは、食欲をそそる良い香りが漂ってきました。
台所にいたのは1人だけです。ノアたちに背を向け、流し台の上で調理しているメリンの女性がいました。
「シーラ母さん! あやしいヤツを連れてきました!!」
リッケルが敬礼して言います。きっとこれもデス・コマンダーが教えたものなのかも知れません。
料理に専念しているシーラは振り返りもしませんでしたが、ただ気配でニコッと笑ったのが解りました。
「…まあ、ご苦労様。これで今月は何人目かしらね。リッケル」
それは心から安心する優しい声でした。リッケルは満足そうに笑います。
「居間にホットケーキができているから、食べてきなさい。後は母さんに任せて」
「ホットケーキ!! はーい!」
ホットケーキにつられ、自分が連行したはずのノアたちのことなどすぐに忘れ、クルリと回ったかと思うとリッケルは駆けて行ってしまいました。
実に子供の扱いを心得たものです。シーラは「フフフ」と笑っていました。
「さてと。これでよし!」
ナベの火を消し、手をふきながらシーラが振り返ります。
短くソバージュにしたピンクの髪。年相応に、目尻や口元には細いシワがありましたが、予想を裏切らない優しい表情になぜか心安らぎます。まさに理想のお母さんといった感じでした。
「救いの小屋にようこそ。きっとリッケルが失礼をしたことでしょう。ごめんなさいね」
「子供のしたことだから赦してあげてね」と、シーラが付け加えます。
しかし、ノアたちを見やっていたその優しい表情が突然に消えました。みるみるうちに驚愕にと変わります。その目はメルだけを捉えていました。
「め、メルメル…。まさか。メルメルなの!?」
「え?」
名前を呼ばれ、メルが驚いたような顔をします。
「ああ、ああ…。無事だったのね。良かった。本当に良かった。お父さんを追いかけてジャスト城に行ってしまうから。母さんは…どんなに心配したことか」
「お、おかあ…さん?」
メルの焦点が揺らぎます。ズキリと頭が痛みました。
目の前の女性を、必死で記憶の底から引き出そうとします…。
「お父さんには会えたの? この1年間どうしていたの?」
とても心配そうにシーラが言います。進み出て、メルの手を取りました。
よく見れば、二人は似ているような気がします。親子と言われれば納得できるほどです。
「おとうさん…? おとうさん…って?」
メルはうわ言のように尋ね返します。
まだシーラをどういう風に認識して良いか解らないのです。そんな娘の姿に、シーラは怪訝そうな顔をしました。
「何を言っているの、メルメル? ジャスト城の大臣に選ばれた自慢のお父さんじゃない。それを心配して、あなたは家を飛び出して行ったのよ?」
メルもノアもレイもボーズ太郎も…一瞬にして凍り付きます。
「ジャスト城の…大臣?」
「それって…もしかして、オ・パイ…ボー?」
シーラはコクリと頷きます。
「ええ。オ・パイはうちの主人ですが…。
あなたたちは? …デムの方々に…ボーズ星人?」
普段から魔物に見慣れているせいなのか、ボーズ太郎を見てもシーラの驚きはそれほどではありませんでした。
「メルメルったら、やはりお父さんに似て、色んな種族の…」
「ウソよ!!!!!」
メルは頭を抑えて叫びます! ここまでの感情をあらわにするメルを誰もが初めてみました。憎しみを込め、怒りを込め、否定し、目の前のシーラをギロッと睨み付けます。
娘にそんな目で見られ、シーラはたじろぎました。
「メルメル?」
「ウソよ! ウソウソ!! デタラメもいいとこ!! オ・パイなんかがお父さんってことも! あなたがお母さんってことも!! みんなウソ!! ウソなのよ!!!」
メルはひとしきり叫ぶと、踵を返して駆け出しました!
「メルッ!!!」
「メルメルボーッ!!」
ノアもボーズ太郎も手を捕まえようとしますが、スルリと抜けて、メルはそのまま台所から出て行ってしまいました。
リッケルがホットケーキをかじりながら何事かと顔だけをのぞかせましたが、勢いよく走ってくるメルに驚いてすぐに引っ込みます。
「……ああ、メルメル。いったいどうしたというの」
「だ、大丈夫ですか?」
よろめくシーラに、レイが手を差し伸べますが、「大丈夫よ」と首を横に振ります。
「…皆さん。どうか居間の方に。タオルを用意しますから、雨に濡れた体を拭って下さい。詳しいお話はそれから…」
居間。リッケルや魔物たちに移動してもらい、シーラと向かい合わせにソファーに座ります。
脇の暖炉の火がチカチカと燃え、雨に冷えた身体を芯から温めてくれました。
テーブルの上にシーラが入れた温かいココアが置かれました。一口飲むと、ほんのりとした甘さに、それだけで疲れが消えていきます。
「どうだった、ボーズ太郎?」
メルを捜しに行ったボーズ太郎が戻ってきます。ボーズ太郎は悲し気な顔でうつむきました。
「…遠くには行っていないで、すぐ外にいるボー。でも、ちょっと一人にして欲しいらしいボー」
ノアは小さくため息をつき、レイは拳をパンと手の平で打ち鳴らします。
「…記憶喪失ですか。でも、親としては生きていてくれただけでも充分です」
娘の状態を聞いて心から喜べずとも、それはシーラの本心でした。
「ここまでメルメルを守って下さった皆さんにはなんとお礼を言っていいものか…」
「いや、お礼だなんて…。アタシたちこそメルに助けられっぱなしだったし」
「ああ。クラレ村からここに来れたのも、メルの力のお陰です」
ノアとレイがそう言うと、シーラは力なく笑ってコクリと頷きました。
湯気のたつココアに視線を一度落としてから、シーラは軽く頭を振って顔を上げます。
「さて。何からお話しましょうか」
シーラが気丈に振る舞おうとしているのが解って、ノアもレイも複雑な気分でした。
そういうところは、本当にメルにそっくりだとノアは思います。
「…オ・パイが。その、メルの父親だというのは…本当なのですか?」
レイが尋ねるのに、シーラは少し目を閉じて考えるような素振りをみせます。それからゆっくり目を開いて、コクリと静かに頷きました。
「ええ。間違いありません」
そう断言されてしまったことで、ノアは鉄の重りを頭に載せられたような気がしました。何かの間違いであってほしいという小さな願いすら打ち砕かれたのであります。
「…私には、皆さんが言われている主人のイメージのほうが信じられません」
ノアたちは、オ・パイがいかに残虐非道なことをやったかをシーラに伝えたのでした。しかし、話の最中にも首を横に振ったり、「ありえない」とシーラは何度も呟いたのです。
「私の知る主人、オ・パイは心優しい人です。この救いの小屋を始めたのも…あの人なんですから」
子供と魔物が一緒に共存するこの小屋と、あの無慈悲なオ・パイがどうしても繋がりません。
ノアはバリバリと頭をかきむしります。
「うーん。この小屋は…なんなの? なんで、魔物が一緒にいるわけ?」
ぶっきらぼうな問いかけでしたが、特にシーラは気にした様子はありませんでした。
「すべての魔物が争いを望んでいるわけではありません。ここは、そういった平和主義の魔物を保護する施設でした」
「…“でした”? 今は違うと?」
「はい。やがて、魔神バルバトスのせいで…人々が多く死に、たくさんの孤児が生まれました。
いまでも、この辺りは国が滅びたせいで、保護を受けられず、捨てられてしまった子供なども多くいます。そういった子供を面倒みるために、私とオ・パイはこの救いの小屋を作ったのです。
娘のメルメルも賛同してくれて、とてもよく手伝ってくれました」
「ボー。メルメルは…退化した我らにもとても優しかったボー」
「ええ。記憶を失っていても…そのなんと言うか、“心”というものは残っていたんではないでしょうか。親が言うのもなんなのですが、とても気持ちの優しい娘です」
シーラが嬉しそうに頷きます。朴念仁やメルシーに優しく接していたメルの姿をノアは思い出していました。
「…デムとメリンのハーフだったのか。だから、クラレ村の村長はメルを“メリンではない”と言ったわけか」
「ええ。メリンもファルも、自ら種の優越性を信じています。そして、デムやボーズ星人などは…何と言うか、下等な存在であると見なしていました」
シーラは、申し訳なさそうにしながら続けます。別に彼女が悪いわけではないので、3人は問題ないと首を横に振りました。
「…そんなわけもあって、私とオ・パイとの結婚もかなり非難されました。嫌がらせにあったのも1度や2度などではありません。
実際に、ミルミ城が崩壊した後…ほとんどのメリンがクラレ村に移ったのに、私たちは迫害や差別を恐れてこの呪われた地に留まり続けたのです。
私たちに付き合わされ、メルメルもさぞかし辛い思いをしたことでしょう。でも、それでも…あの娘は泣き言ひとつとして言いませんでした」
エプロンの裾で、シーラは零れる涙を拭きます。
思わずノアは拳を握りしめ、レイが唇をかみしめます。
「でも、どうしてオ・パイは…ジャスト城に?」
「自分たちが差別の対象として…デムが劣等種であるとされたのは、ジャスト国の腐敗と怠慢が原因であると主人が考えたためです」
レイがなんとも苦い顔をします。
「国家にこそ働きかけなければ、この救いの小屋の…子供たちや魔物たちも本当には助けられないと思ったのです」
「確かにそれは国が真っ先にしなければならない仕事だ。本当に耳が痛いよ…。
魔神バルバトスが暴れていた時にファルとメリンは国をあげ、率先して戦ったそうだ。でも、ジャスト国王は怯えて戦うことを放棄したと聞く。
戦いが終わった後、デムは臆病な卑怯者だと批判された。ますますデムへの偏見が強まったのはそれが大きな原因だったんだ」
自分の生まれる前の話とはいえ、王族に生まれた者としてレイは強く責任を感じます。
「でも…。アタシらの知っているオ・パイはそんなヤツじゃない。誰かに情けをかけるなんて微塵も見せたことがない。なんで、そうなったんだろう?」
ノアが言うのに、シーラはうつむきます。
「……それは。私にもまったく見当がつきません」
「あ! でも、オ・パイは暗殺拳の達人でしょ!? そこはどーなのさ!」
身をもって体感しているからこそ、ノアは少し怒りながら言います。優しい人が暗殺拳を扱うなんて変だと言いたかったのです。
「はい。主人はある拳法を極めた武人です。
ガラガ山道からクラレ村まで、霊希碑を使わねば通れぬ道を、自ら脚力だけで登り切るような並はずれた体力を持つ人ですね」
「ま、マジか…。本当に人かよ」
ほぼ垂直の崖を駆け登って行くオ・パイの姿が、ノアの頭に容易に浮かびます。あの常識外れの男ならそれぐらいやってのけてもおかしくはありませんが…。
「でも、だからこそなんです。そんな自分の恐ろしい力を知っているからこそ…簡単に人は傷つけたりはしませんでした」
ボコボコにされたノアには受け入れにくい話でした。あの時の痛みや恐ろしさは決してニセモノじゃなかったからです。
「オ・パイは誰よりも優しい人でした。きっと、何か理由があるに違いありません…」
シーラがそうキッパリと言うのに、ノアもレイも顔を見合わせてうなります。
「そういえば…リッケルが言っていた、アルダークって…なんだボー?」
ボーズ太郎が思い出したかのように尋ねます。シーラは「まあ」と言って目を細めました。
「今では廃墟となったミルミ城を根城としている悪魔のことです」
ノアとボーズ太郎はオルガノッソのことを思い出します。アルダークとやらは、あれと同じ悪魔だったのです。
「アルダークは主人と最も親交が深かった人でしたから。今でもその記憶の断片がわずかに残っていて、きっと私を守っているつもりでいるのでしょう。
ときおり、周囲の魔物に警告を与えるために空を飛び回っていますから。…義理堅いあの人らしいです」
「へ!? ちょ、ちょっと待って…シーラさんはその悪魔に守られているって!?」
「オ・パイの仲間でもあったボー!?」
ノアとボーズ太郎がパニックを起こします。その二人を見て、シーラは少し驚いたようでした。
「この救いの小屋が魔物に襲われないのは…まあ、ここに強力な魔物が住んでいるおかげでもあるのですが、それ以上に、この周囲を縄張りにしている悪魔アルダークが目を光らせているからなのです」
ノアとボーズ太郎はあんぐりと口を開きます。
魔物がいるだけでもすごいことなのに、悪魔にまで守られているというのですからとんでもない話じゃありませんか。
「え? 意味が…ちょっと。だって、オルガノッソは牛の化け物で、アルダークは…ドラゴンだっけ?? 魔物よりも強い悪魔なんでしょう?」
「そうですね。今は悪魔ですが、かつては魔神バルバトスと戦った英雄なんですよ」
「魔神バルバトスと戦った? それっておかしくない? 悪魔は魔神の手下なわけでしょ??」
ノアの頭はオーバーヒート寸前でした。シュシューと蒸気がもれだしています。
さっきから考え込んでいたレイが手を上げて口を開きました。
「ちょっと待ってくれ。俺にもそこがよくわからないんだ…。
そのアルダークもオルガノッソも四天王の名だ。彼らこそが魔神バルバトスと戦った英雄だろう? 魔神バルバトスに敗れた後に、各地の守護者となったと聞く」
「守護者だって? そんなんじゃないよ! 誰がどう見てもアレは悪魔そのものだったって!」
ボーズ聖人を食べようとしたオルガノッソは、とても何かを守るようなタイプには見えません。
「城で聞いた時から、ずいぶんと話がおかしいと思っていたんだ。
オルガノッソは退化神殿。アルダークはミルミ城。ビシュエルはラグナロク遺跡に守護者として封印されていると伝承にはあったが…。
どうにもアルダークのことといい、俺が知っている事実と違うみたいだ」
「わ、わけわかめボー???」
混乱しているノアたちの様子を見て、シーラは「なるほど」と小さく頷きます。
「皆さんは…魔物と悪魔の成り立ちをご存じではないのですか?」
シーラの問いに、3人は揃って首を横に振ります。
「ノアさんが言っていることも、レイさんが言っていることもどちらも正しいのです。
魔物も悪魔も、魔神バルバトスが生み出しました。それはご存じですね?」
「うん。それと魔物よりも悪魔の方が強いっていうのは知ってる。戦ったことあるし」
「戦った…? コホン。では、どうやって生み出すのかは?」
「た、タマゴ…ボー」
ボーズ太郎はニワトリがコロンとタマゴを生み出す様を思い浮かべましたが、シーラは首を横に振ります。
「魔物や悪魔は、魔神バルバトスに“敗れた者”が変わった姿なのです。彼らは元は“人”なのですよ」
「ええ!?」
「そ、そんな!!」
ノアもレイもひどく驚きます。
「例外として、メルシーのような原生種の魔物もいますけどね。それはごくわずかなものです。
ほとんどの魔物が、20年前にこの世界で普通に暮らしていた人々なのですよ。
そして、その中でも力の強い者が、魔物よりもランクが上の悪魔にと変えさせられるのです。
つまり、その強かった四天王こそが、魔神バルバトスに敗れた後に悪魔に変えられたというわけなのです」
あのオルガノッソが元が人だったというのが、ノアにはとても信じられませんでした。
「そしてそんな悪魔を、英雄スタッドが封じ、その地から移動できぬようにしたのです。それこそが封印の真実です」
レイも驚きを隠せないでいました。デムを、ジャスト城を護る存在だと聞かされていた四天王が、実は悪魔となって封印されていたなんて、仮に冗談だとしても笑える話ではありません。
「そんな…アタシたち、人を倒していただなんて」
オルガノッソのことは驚きでしたが、それ以上に魔物が人だと知ったことの方がショックです。
ノアは自分の手を見つめます。いくら盗賊だからといって、義賊バッカレス盗賊団では殺しは御法度なのでした。
「……瀕死の状態から変えられた者は、この小屋にいる魔物たちのように心を持っている場合があります。
しかしながら、彼らのほとんどは殺された後、その肉体を死してなお利用されているに過ぎません。そこにもう人としての心が芽生えることは2度とないのです。
彼らを救う方法はただ1つだけ。倒すことこそが…唯一の救済になるでしょう。
悲しいことですが、これこそが魔神の呪いなのです。皆さんが気に病むことはありません」
シーラは達観したように言いますが、ノアもレイもボーズ太郎もなんだか釈然とはしません。簡単にそう割り切れるものではなかったのです。
「四天王で、魔神の呪いを受けながら…まだ自身の姿と意思を保っているのはうちの主人ぐらいでしょうね」
そこまで言って、シーラは何か怖ろしいことに気づいたようで震えます。
「そう…。そうね。ああ。皆さんの話をお聞きする限りでは、もう主人も魔神の呪いの渦中にいるのかも知れませんが…」
「オ・パイも…四天王?」
「そうだ! 思い出したぞ。オルガノッソ、アルダーク、ビシュエル…そして、オ・パイ! どこかで聞いたことがあると思ったら、そうだ! なんで誰も気づかなかったんだ!」
レイが勢いよく立ち上がって言います。
ノアもボーズ太郎も、なまじオルガノッソの姿を見ているだけに余計に信じられませんでした。しかし、同じ四天王ならば…オルガノッソがオ・パイの名前を出したことにも理解できます。
「最近は地震も多く、噂では魔神バルバトスの封印が弱まっているとかいう噂もあります…」
「あ! 長老も同じことを言っていたボー!」
「もし、それが本当ならば、アルダークと共に封印されている魔神の本体に何か異変でも起きているのやも…」
シーラは、ミルミ城のある方角をチラッと見やります。
「魔神の本体? 魔神バルバトスは…ミルミ城に封印されているの?」
「ええ。聖結界エミトンは…ミルミ城そのものを結界の一部として用いたのだと聞きます。
あの中に魔神バルバトスがいます。そして、それを守るかのようにして、速の四天王アルダークが住まうのです」
ノアは腕を組んで「うーん」と考えます。しきりに、左右に頭を揺らします。
「うーん。じゃあさ、その封印が解ける前に、バルバトスをやっつけちゃうてのはどうかな?」
「…へ?」
「もし、オ・パイが魔神バルバトスの呪いでおかしくなっているだとしたらさ。そうすれば助けられるんじゃない?」
ノアの何気ない言葉に、レイもシーラも唖然とします。
封印されている者を倒す。そんな考えを誰一人として抱かなかったのです。封印しているだけでも充分だと思ってしまっていたのです。
「なんていうか。ノアらしいというか…。だが、そうだな。それは、ありかもな」
レイが笑って頷きました。実に短絡的な考えですが、それが一番手っ取り早い解決法だと考えたのです。
「本気で…すか? そういえば、悪魔と戦ったとか…」
「うん。アタシが悪魔オルガノッソを倒したんだ」
「せ、正確には我らだボー!」
シーラの目が驚きに開かれます。
「あの、力の四天王オルガノッソを…。ノアさん。あなたは一体…」
「だからさ、アタシたちに任せてよ! バルバトスさえなんとかすれば、きっとオ・パイも元に戻るんじゃない? よく解かんないけどさ!」
笑うノアを、シーラはジッと真剣に見やります。
「ああ。メルメルのお友達は…なんて、頼もしいのかしら」
頼もしいと言われて、ノアは「へへへ」と笑います。
「こんな危険なことを頼むのは良くないことかも知れません。でも、今は頼れる人はノアさんやレイさん、ボーズ太郎さんしかいません。
どうか、主人と…メルメルを…どうか、どうか、よろしくお願いします」
シーラはそう言って深く、深く頭を下げたのでした……。
黒い雨に打たれるままにし、メルは道ばたで足下に萎びた花を見つけました。誰かに踏みつけられたせいで、花も葉もひしゃげてしまっています。まるで今の自分のようだと、虚ろな瞳で見て思います。
冷たい雨は、今の彼女には心地よく、感情的になりがちだった思考を鈍らせ、また零れ続ける涙の跡をも消し去ってくれていました。
本当は何も考えたくないのです。しかし、そんな気持ちを無視するかのように、自然にさっきの出来事が何度も思い出されます。シーラのあの悲しそうな顔が脳裏に焼き付いてしまったようで、消そうとすればするほどハッキリと現れてくるのです。
そう。もう頭では理解していました。シーラが母親であり、またオ・パイが父親であることも真実なのでしょう。それを偽りとする証拠をメルは持ち合わせていませんでした。
そしてボーズ長老が施した記憶の封印も徐々に解け、メルは記憶を取り戻しつつあったのです。その過去の記憶は走馬灯のように流れ、そこに後から感情が伴って湧いて出てくるのでありました。それは激流に巻き込まれているようで、メルは必死に流されまいと耐えるしか無かったのです。
「…バーボンさんを傷つけたのが、ボーズ星人さんたちにヒドイことをしたのが、私のお父さんだったなんて」
メルはギュッと目をつぶりました。
血が繋がっているというだけで、こんなにも責任を感じてしまうのです。
オ・パイの非道の行為が、まるで自分が行ってしまったかのようです。やるせない気持ち、後悔、どうしようもない哀しみ。それらに押し潰されてしまいそうになります。
「……風邪ひくよ」
「……レイ」
いつの間にか側に立っていたレイが、サッと傘を開いて雨からメルを守ります。
「私は…父を追って、ジャスト城に行きました。そこで、私は…」
メルは自分の両肘を抑えてブルッと震えました。
そうです。デムの若者から受けた陵辱を思い出したのです。
恥ずかしめ、痛み、苦しみ、恐怖…フラッシュバックするそれらが、メルの心を深く抉ります。
「私は…もう誰も信じられません! デムも! 父も! …そして、なによりこんな記憶を忘れていた私自身を!」
そっと肩に触れようとしたレイの手をはねのけ、メルは自分の頭を抑えてしゃがみ込みました。
「……ちょっと昔にオ・パイに言われた言葉がある」
レイがいきなり語り出します。メルの隣でしゃがみ込み、さっきの萎えた花をジッと見やります。
その悲し気な横顔に、メルは思わず惹きつけられました。
「…『発言する力がありながら、どうして黙っているのですか?』と、ね。パイにそう言われたんだ」
レイの青い瞳は、ただ花にだけ注がれています。
「俺も民のことを考えなかったわけじゃない…。だけど、自分は王じゃないから。そう自分に言い訳して、父上の悪政を見て見ぬ振りをしてきた。
だけどそれは違う。そこだけはパイの言う事が正しい。父王の責任は俺にもある。俺はもう子供じゃない」
親の責任…それを感じている気持ちは、メルは自分と近しい感じがしました。
メルとは違った形で、レイにも大きなプレッシャーがかかっていたのです。
「……レイは強いんですね。そうして、レイは自分の意思でお城を出たんですから…。
でも、私は違う。私は…ただ流されるだけ。ノアやボーズ太郎…そしてレイがいなければ、私はここにはいない。ここまで来ることすらできなかった」
「そんなことないさ。それは逆だよ。メルがいたからこそ、ここまで来れたんだ。メルこそが一番強いんだよ」
メルの首元についているメルシーの人形を指さします。
霊希碑に認められたとき、クラレ村の少年にもらった大切なお守りです。穴が空いていたので、紐を通してペンダントのように首にぶら下げていたのでした。
メルはギュッとそれを握りしめました。
「辛いなら、俺たちが側にいる。絶対に。だから、俺たちのことは信じてくれ」
「……レイ」
ここまで共に戦いやってきたのです。その言葉には説得力がありました。
「…納得いかないなら、納得いくまで、オ・パイと話してみたらいいよ」
「…え?」
「確信があるわけじゃない。けど、俺には、奴は奴なりの信念を持って動いているように見えるんだ。敵ではあるけど、ただの悪人とも思えない」
「ありがとう。レイ…」
メルはレイの優しさに感謝しました。礼を言われて、レイの顔が紅くなります。
レイはこれがチャンスだと思いました。メルに気取られないよう、そろそろと、その柔らかそうな背中にレイの手が伸びて行きます。
「私、大丈夫です!」
急にメルが立ち上がり、レイの目をしっかり見て言います。
あわよくば抱き締めてしまおうというような下心を抱いていたレイは、びっくりして手を引っ込めてしまいました。
「私、お母さんと、ちゃんと話してきます!」
そう言って、メルは小屋に駆けて行きました。
ポツンと取り残されたレイは、メルを抱き止めるはずだった手をジッと見つめ、ガックリと肩を落とします。傘が落ち、ちょうどタイミングよく勢いを増した雨がザーッとレイの頭に降りかかりました。まるで頭を冷やせと言わんばかりです。
「…せーっかく、メルを慰める役を譲ったのになぁ」
菜園の柵に隠れて様子をうかがっていたノアが顔を出します。
レイは大きく、それは大きくため息を吐き出しました。
「メルは…強い。本当に強いさ。だから、好きになったんだ。
見た目は、純情可憐な一輪の華の如く。
でも、あのオ・パイにも物怖じしないで発言する勇気をもっている!
つけくわえて、海のように深く雄大で、全てを包み込むような優しさ!
ああ、まさに天使! まさに天女! 俺の一目惚れなんだぁッ!!
…………はぁ」
ノアはニヤッと笑って茶化そうと思いましたが、レイがあまりに落ち込んでいたので、不用意な発言をしようとした自分の唇を人差し指で抑えつけます。
「…メルが好きだから、仲良くなりたくてアタシたちの仲間になったの?」
ノアの問いに、レイは皮肉めいた顔を上げます。
「…見損なうなよ。国や民や、パイに対する言葉に嘘偽りはないさ」
混同はしていないと、レイは言い切ります。
「へー。なかなか男じゃん。ただのナンパ野郎かと思ってたけどさ、アタシはアンタのそういうとこはキライじゃないね」
それはノアにとっては励ましの言葉でしたが、レイには通じなかったようで怪訝そうにしています。
「安心しなよ。頑張っていれば、いつか報われる日がくるさ。…相手がメルかは知らんけど」
メルはバーボンのことが好きだから…と、それをレイに教えたいのを必死でこらえるノアでした。
ノアが親指を立ててみせると、レイは心底から嫌そうな顔をします。
「悪いが…ノアは好みじゃない」
ノアの額にピキピキと青筋が立ちます。
「ふざけんじゃないよ! そんな意味じゃない!! 誰がアンタなんかと!!」
レイの顎に、ノアの強烈な膝蹴りがお見舞いされたのでありました。
呼吸を整え、震える指を握りしめます。
メルの記憶はほぼ戻っていました。ボーズ長老が行った記憶の封印は、メルへのショックを少しでもやわらげるため、一つの想起を起点に、ゆっくり連鎖的にほどけていくものだったのです。
玄関に入ると、さっきとはまったく違う風景に見えました。懐かしさが込み上げてきます。
毎年、母に背丈比べをしてもらった大きな柱。優しい父が果物を積んで持ってきてくれたバスケット。メルがいつも座っていたお気に入りの椅子。
何もかもが、ここで1年前にずっと過ごしていた場所なんだとの実感があります。ここは紛れもなく自分の家なのです。
脱衣場で、リッケルを風呂に入れようとシーラが手伝ってやっています。
メルがおずおずと近づくと、リッケルが先に気づきました。しかし、シーラはメルを見ることなく、穏やかな表情のままでリッケルの上着のボタンを外してやっています。
「あ、あの…」
「このリッケルはね。あなたが1年前にいなくなった直後にここに来たのよ」
メルが喋るのをさえぎるように、シーラが静かにそう言います。
「近年、魔物が凶暴化してきて、親を失った子供が増えてきている…お父さんもそれを憂いていたわ」
父であるオ・パイと、非情な大臣としてのオ・パイがどうしても重ならず、メルは唇を噛みます。
「……この小屋を作ったとき、私はメルメルだけの母さんじゃなくなった。
この救いの小屋を必要としている子供たち、そして望んで助けてくれる魔物たちの全てのお母さんになったの」
シーラはリッケルの頭をなで、お風呂の方へと促します。
リッケルが行ってしまうと、シーラは立ち上がり、急にキッと強い目をしてメルを見やりました。
「……メルメル。あなたがジャスト城でお父さんの何を見たかは解らないわ。
でも、あなたが一緒に過ごした15年間のお父さんは間違いなく本物よ。それだけは信じて」
「はい」
メルは震える声で返事をします。
先ほどまで何も感じなかったのに、母の辛い気持ちが、今では痛いほどまでに伝わってくるのです。
「お母さんは、お母さんの。お父さんは、お父さんの。メルメルは、メルメルの。…それぞれ果たすべき役割があるのだと思う」
シーラは、メルの両手をしっかと握りしめます。
「だから、私はメルメルの道を否定しません。例え、それがお父さんと戦うことになったとしても…」
彼女はとうに覚悟ができていました。もしかしたら、オ・パイがもはや自分の知る夫でなくなってしまっていることを。そして、それをメルが止めようと心に決めているのだろうということを。
それは母娘だからこそ、話さなくとも解ってしまったのでしょう。
「だから、仲間たちと…行ってらっしゃい。メルメル。…あなたの果たすべきことを果たしなさい」
シーラの声も震えていました。ですが、シーラは決してメルから目をそらしません。向き合います。母として、シーラはすでにメルが何を選びとるか知っていました。だからこそ、娘の背を押してやったのです。
メルもまた母をジッと見返します。間違いありません。この人が自分のお母さんなんです。そうでなければ、こうまで自分を真剣に見てはくれないでしょう。こうも力強く送り出してはくれなかったでしょう。
「…行ってきます。お母さん」
シーラはお母さんと呼ばれたことに、少しだけホッとした顔をみせます。
「きっと…お父さんと戻ってくる。だから、もう少し待っていて」
メルの心を込めた言葉に、シーラは目尻に涙をためて強く、強く頷いたのでした……。
☆☆☆
ミルミ城。かつてはメリンの中心であり、魔法大国として栄えた場所でもあります。
しかし、栄華を極めたのも今は昔。魔神バルバトスの破壊の爪痕は深く、城壁も屋根も門も、いたるところが無惨に押し潰され、崩されており、要所に描かれている守護の魔法陣も光が消えて効力をまったく失っていました。
終日降りしきる黒い雨により、淡い桃色であった壁や床石も薄黒く汚れてしまっています。
今では、そこは魔物たちが我が物顔で闊歩する魔窟と化していました。
魔神の本体が封印されている場所とあってか、かなり出てくる敵も凶悪であります。
デス・コマンダーなどを筆頭にしたアンデッド系や、『変態の帝王』などのバンパイア系、『隣の人に恋しちゃった』…なんていう気持ちの悪いマッチョな魔物もでてきます(一緒に出現した魔物に強化魔法をかけまくり、挙げ句、仲間が倒れた時には怒り狂いパワーアップして襲いかかってくるという、まさに恋は盲目というのを体現した厄介な魔物です)。
ガラガ山道よりも遥かに強い魔物群の中には、まさかのファイヤーストームなどの魔法を使うような知能のある輩もいました。ボーズ太郎が炎のダメージを軽減するコールドバリアを習得していなければ、この苦難を乗りきるのは難しかったことでしょう。
「魔神バルバドスはひどいヤツだな。この城もう使いものにならないじゃないか…ゲホゲホ」
崩れ落ちたシャンデリアに触れ、長年のホコリが舞い、ノアが苦しそうに咳き込みます。
「魔神バルバドスが怖れたのは、ファルの物理的な剣技ではなく、遠方からも攻撃できるメリンの魔法力だったようです。だからこそ、真っ先にメリンの国が狙われたと言われていますね」
流暢に解説してみせるメルを見て、ノアがパチパチと目を瞬きます。
「メル。アンタ…。そうか記憶が戻ったんだっけ」
ノアが少し気まずそうな顔をしましたが、メルはニッコリと笑います。
「記憶が戻っても、私は私です。メルメルですから。ノアの友達であるのに変わりないですよ」
「そうだよね。ゴメン。なんかアタシが気をつかうなんて…らしくなかったよね」
ボーズ長老の言葉を意識しすぎていたのかも知れません。メルはノアが思っている以上に気丈だったのです。
「すごいボー。二人とも早くこっちに来てみるボー!!」
先に進んでいたボーズ太郎がノアたちを呼びます。
「なんだ…これ」
近づいたノアは、ポカンと口を開きました。
「ここが王の間への入り口だろう。ジャスト城とは比べものにもならないな」
見上げていたレイが、苦笑しながら言います。
背丈の5倍はあろうかという鉄扉。メリンの肖像や、不思議な魔法文字が表面に掘られ、それらでびっちり埋め尽くされている荘厳な大扉でございました。
比較的、メリンの建築物は、耳の長さを考慮して大きく扉を設けているのですが…それにしても、これは大きすぎますね。
「全員で力を合わせないと開かないボー!」
ボーズ太郎が、腕をまくる仕草をします。
本当に針金みたいな細い腕なので、ぜんぜん頼りなさそうなのですけれどもね…。
「いえ、待って…。この扉は、私一人で開けられます」
メルが手を挙げます。3人とも驚いた顔をしました。
だって女の子です。可憐な美少女です。そんなメルが、とてもこんな大きな扉を開けられるとは思わなかったからです。
それを見てとったメルは、クスリと笑いました。
「力じゃ無理なんです。これは、魔法の力で閉じてありますから…」
メルが両手を合わせて呪文を詠唱しだしました。
それに呼応するかのように、鉄扉が光り輝きます。ギギギイという重厚な響きをたてて徐々に開かれていきました。
やはりここでも舞うホコリにむせ返ります。ああ、マスクか掃除機が欲しくなるほどの有様です。
舞うホコリが落ち着き、ようやく目を開いたとき、4人の顔が冷たく凍り付きました。
扉の向こうは大広間かというぐらいに広かったのですが、そこは間違いなく王の間でした。ビロードの絨毯が敷き詰められ、何本もの太い柱が平行に並び立ちます。
その部屋の奥に、あの魔神バルバトスがいました!
姿形は人に近いですが、何よりもその体長はおよそ30メートルほどあります。ノアがつま先立ちしても、足首にまですら届きそうにありません。それこそ立ったとしたら、この城よりも大きいのではないかという巨大さなのです。さっきの鉄扉などがまるで玩具のように小さく見えます。
無骨な銀色の鉄仮面。巨大な2本の角が両脇から雄鹿の角のように飛び出しています。
庇の下は真っ暗闇で、まったく生きている気配はしません。
指は3本。いずれも、鉄仮面と同じような無骨な銀色をしています。爪先はまるで大型クレーン車のアームで、どんな猛禽類よりも凶悪であり、こんなのに掴まれたら、人なんてすぐにバラバラになってしまうことでしょう。
玉座を潰し、そのまま魔神バルバトスは片膝を立てて、しゃがみ込むようにしていました。立ち上がってしまったら、きっと天井にあたって壊れてしまうことでしょうね。
身体の周囲には黄金色に輝く魔法が展開しています。このミルミ城で唯一発動している魔法陣です。これがスタッドの魔法、聖結界エミトンでした。
「…死んでいるみたいに見えるボー」
「死んでなんていない。ただ、いまは眠っているだけさ」
レイが忌々しげに言って、ツラリと剣を抜きます。
「これが邪悪の元凶…。世界を恐怖に陥れた、魔神バルバトスか」
ノアは眉を寄せました。こんなのが本当に暴れていたのです。これに比べれば、オルガノッソやこの城で出てきた魔物なんてまだまだ可愛いものだと思いました。
ピクリとも動く気配のない魔神。ですが、とてつもない力を秘めているのは見ただけで解ります。できれば近寄るのだって勘弁したいぐらいです。
「でかいけれど…一斉攻撃したらやっつけられるでしょ?」
ノアがそう言ってダガーを抜きます。残りの3人も頷き、最大限の攻撃を放とうと構えました。
「……とても、お勧めはできぬな」
上から声が響いてきました。
「魔神バルバトス様の肉体は無敵だ。傷つきはせん。むしろ下手な攻撃でもしようものならば、その衝撃で目覚める可能性もあるぞ」
その声は天井の端から聞こえてきます。どうやら一部が割れて壊れているようで、大きな穴があいています。そこから雨が遠慮なしに吹き込んでいました。
「誰だ! 姿を見せろ!」
ノアがそう言うと、何か大きな物が柱の1本から飛び立ちます!
そして魔法陣を辿るように、バッサバッサと何か大きなものが大きく部屋の中を旋回します。
旋回していたものは、ゆっくりと降下してきます。それはコウモリのような羽をはばたかせ、トカゲのような頭頂を持つ深緑色のドラゴンです。瞳がサファイアのようにギラギラと輝いていました。
「…四天王アルダーク」
ノアがポツリと言いました。
それを正解だと言うように、アルダークはバサッと大きく羽を動かしたかと思いきや、魔神バルバトスの前でホバリングします。
ノアたちの髪が風圧で乱れました。
「フフフ。わざわざ、そのメリンが張った鉄扉の結界を解いてくれるとはな…これで、あの狭い天井裏を抜けなくとも外に行ける。貴様らに礼を言わねばならぬな」
アルダークは開ききった鉄扉を見ながらそう言います。
どうやら、この部屋は封じられていたようです。まあ、魔神がいるぐらいなんですから封印してなきゃそれはそれで困りますが…。
「礼って言うぐらいならさ! アタシたちにいったい何をくれるのさ!?」
ノアが皮肉に笑いながら問います。冗談を冗談で切り返してきたのを見て、アルダークは少しだけ嬉しそうに笑ったようにみえました。
「礼…。そうだな、苦しまずに殺してやるという礼はどうだ? 人よ」
「はぁ!? そんなのゴメンこうむるね!」
ノアがターゲットを、魔神バルバトスからアルダークに切り替えます。
「誇り高き四天王アルダークよ! もう、人の心は残っていないのか!? 戦いは回避できないのか?」
レイが尋ねます。アルダークは鎌首を横に振りました。
「…はて、人の心? 何を言っている? 私は魔神様の臣下が一人。速の四天王アルダーク。魔神様に仇なす敵は全て粉々に破壊するだけだ!」
アルダークが高く上昇します!
そして、まずは先制攻撃! 口から炎の球を吐き出しました!
「あ、危ないボー! 『コールドバリアー!!』」
ボーズ太郎が急いで氷の盾を張ります。四角い氷壁が中空に出現して、ジュジュッと炎の球が溶け散ります。
「ほう。魔法か…やるな。ならば、私も見せよう。
『轟き叫ぶ大気、我呼ばわるは聖なる雷光。……ライトニング!!』」
雷の柱が後方にいたメルとボーズ太郎を目掛けて落ちます! なんと、魔法を使ったのです!!
「そ、そんな…しかも、私の使う魔法よりも…強い!?」
メルが唖然としているのに、レイが走ってきて、メルを横抱きにして雷の柱から助けます!
「ボーッ! 雷を防ぐ魔法はまだ手に入れてないボーーーッ!?」
「ボーズ太郎!! でぇいいいい!!」
ノアがボーズ太郎にタックルをかまし、持っていたダガーを放りました!
雷の柱は、金属であるダガーに命中します。辛うじて、ノアもボーズ太郎も魔法を避けました。
「クハハハ! 息をつく暇はないぞ!!
『連なる霜。我が言霊に従い、立ち塞がる凍てつきし飛礫となれ…ブリザード!!』」
氷塊が降り注ぎます!
それだけでなく、アルダークが連続して炎の球を吐き出しました。氷の飛礫に、炎の球の連続攻撃です!
ボーズ太郎が、ヒートバリアかコールドバリアのどちらを使えば良いか迷ってオロオロします。
「よけろ! 1発でも受けたらお終いだぞ!! 防御は考えるな!!」
レイがメルをかばいながら叫びます。
ノアは素早い足で逃げ、ボーズ太郎はヨロヨロしながらも、なんとか攻撃をかわします。
「ちょこまかと…」
アルダークが少し降下してきました。直接に止めをさそうとの魂胆です。
もちろん、そんな機会を、ノアとレイが見逃すはずもありませんでした。
「『レッド・スティール!!』」
「見せてやる! ジャスト王国に代々伝わる剣技! 猛る獅子の牙『レイジングファン!!』」
ノアが紅い閃光となって、アルダークの周囲を駆け巡ります!
レイの剣が黄金色に輝いたかと思うと、獅子のような鬣のオーラを放ちながら敵に突進します!
「うぐッ!」
ノアは背中を斬りつけ、レイのレイジングファンがアルダークの足に見事に一文字傷を与えました!青白い鮮血が飛び散ります。
アルダークは怯んで、再び上昇しました。
「フフフ。この私の身体に傷を付けるとは…ただ者ではないようだな」
「くっそー! 固い! アイツは固すぎる!!」
「俺のレイジングファンで…ヤツの足すら斬り落とせないなんて!?」
ノアもレイも手がジンジンと痺れていました。
アルダークの鱗はそれだけ固いのです。必殺の一撃だったはずなのに、アルダークはこんなものは負傷の内に入らないといった様子なのでありました。
「退きましょう! このままでは勝てません!!」
メルがいきなりそんなことを言い出します。
ノアもレイも驚いて振り返りました。
「で、でも!」
「このまま魔神バルバトスを放置していくわけには!」
ノアもレイも口々に言いますが、メルの目が、何も言わせまいという真剣さを含んでいます。
「父…いえ、オ・パイが昔に言っていたことを思い出しました。アルダークは、ファルの優秀な剣士であったと!
いくら悪魔になったとはいえ、魔法が使えるとは思えません。何か裏があるはずです!!」
「なに? オ・パイだと? 小娘…貴様は?」
メルの言葉に、アルダークは少し動揺したようでした。
その隙に、ノアとレイは頷きあって駆け出しました。
「ま、待て! 誰が逃がすと言ったか!!?」
「それでも逃げるから盗賊なんだよッ! ほれ、これをやるよ!」
ノアが懐から取り出した丸い玉をポイッと投げます。
「ム? なんだこれは?」
「へへ! アタシの特製! 名付けて『バイバイ煙幕トビチルくん!』だよ!」
それはヤグルにもらったヤツの改良版です。玉にはノアの似顔絵が描かれていました。
転がり落ちると、ブシュシュシュッ! と、玉がものすごい勢いで回転して煙を吹き出します!!
「…ングッ! グホオオアッ!」
大きな鼻でそれを吸い込んでしまったアルダークはもだえ苦しみます!
このヒドイ臭いの正体は…そうです! ノアにとって忘れられないあの臭いであります! それはあのメルシーの乳を利用したものなのでした! 煙と共に異臭を放つようにしたのが、このノアバージョンなんですね!
たまらず、アルダークはバッサバッサと天井の隅へと、新鮮な空気を求めて逃れます。
とりあえず、この間に、4人はなんとか無事に王の間から撤退したのでありました…………