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第六章 メリンの霊希碑

 緑、緑、緑…見渡す限り緑一色の森。

 なんの変哲もない風景に、ノアもメルもボーズ太郎も辟易へきえきとしてきます。

 緑は嫌いな色ではありませんが、こうまで緑ばかりだと逆に気持ちが悪くなってきます。

 スタッドと出会うため、雄々しく胸を張って歩みを進めていた3人でしたが、もう半日以上歩き続けたせいで、今はちょっと前屈みになっています。顔には、疲れとも失望ともとれる雰囲気がにじみ出ています。


「あーーー! クラレ村ってのはまだなのかよぉ!!」


 ノアが叫びます。ですが、この中の誰一人としてクラレ村に行ったことがないのです(メルも記憶喪失なのでしたね)。ですから、はたして盗賊の森からどれだけ離れているのかも解らないのです。そんなんで、ただひたすら歩き続けるのは辛いものがありました。


「ああ、大丈夫? ボーズ太郎」


 メルがよろけるボーズ太郎を支えます。ボーズ太郎は青い顔をしてヘロヘロと座り込んでしまいました。

 ノアもメルも、休憩しようかと頷きあってその場に座ります。メルが小さく氷の魔法を使ってハンカチを冷やし、ボーズ太郎の額に当てました。ボーズ太郎の表情が少しやわらぎます。


「メリンの住むクラレ村…。オ・パイは、私の存在を確認できなかったと言っていました。でも、私はメリンです。私はそこから来たんでしょうか?」


 メルが不安そうに言います。ノアは苦虫をかみつぶしたかのような顔で頭をバリバリとかきました。


「なんともいえないなー。オ・パイのヤツが嘘ついている可能性もあるし」

「嘘? そんなことをして、どんな得があるんですか?」

「そ、そりゃ…うーん」


 適当に言い出した手前、頭をひねって考えますが、良い理由は出てきません。


「まあ、クラレ村に着けば解ることじゃないか…。たまたまオ・パイが聞いた相手が、メルを知らなかっただけかもしれないじゃない」


 そんなことはないと思いつつも、ノアはそう言いました。「そうですね」とだけ言って、メルもそれ以上のことは言いません。


 メルは物憂(ものう)げな表情で、倒れているボーズ太郎をあおいでやっています。

 しばらく、沈黙の時が流れました。ノアは大きく息を吐いて、天を見上げます。高い、高い晴天です…。あんな恐ろしい出来事が起きてから1日として経っていません。それなのに、こんな平和を満喫しているのが、ノアにとっても不思議でした。そして同時にすごく申し訳ないような気持ちも感じます。


「…ノア。一つ、聞いてもいい?」


 静かにメルが口を開きました。


「うん?」


 空を飛ぶ鳥を見ていたノアは、ぼんやりとした表情でメルの顔を見やります。メルはさっきと変わらぬ物憂げな表情のままでした。


「…バーボンさんは…その…」

「バーボンおじさん?」

「…ど、どんな人なんですか?」


 消え入りそうな声で、メルはそう言いました。耳を澄ましていなければわからないような小さな声です。

 よく見ると、メルはほっぺたを仄かにピンク色に染めていました。

 ノアだって女の子です。そこはピーンときた顔をします。顎に手を当てて、「ははーん」の仕草です。


「なんでバーボンおじさん? どんな人ってぇ~?」


 ノアはズイッとメルに近づき、ちょっと意地悪してみたくなって聞き返します。今度はボッと火がついたかのように顔が紅くなりました。


「い、いえ! べ、別に深い意味は…その…」

「深い意味ぃ~?」


 ノアがしたり顔で、さらにズズイッとメルに近づきます。メルの耳がピンと立ちました。三ツ口がモゴモゴと恥ずかしそうに動きます。



 そんな風に紅くなっていたメルですが、なぜか急にシュンとした顔となりました。


「きっと…バーボンさんは無事ですよね。もちろん、バッカレスさんたちも…」


 メルがギュッと胸に手を当てて言います。ボーズ星人たちの死を悲しみ、バーボンやバッカレスたちの無事を心から願っているのです。


「大丈夫。大丈夫だって! バーボンおじさんはそう簡単にはくたばらないよ! それに、バッカレス親分だって強い! もし、オ・パイに勝てなくても、あの場から逃げるぐらいのことはやってのけるさ!」


 まるで自分に言い聞かせるかのように、ノアは言います。メルもようやく小さく微笑みました。ええ。そうです。2人ともずっと不安だったのです。

 ノアもニコッと笑い返します。そして、「うーん」ともったいぶりながら、わざとらしく腕組みをしました。


「そう。バーボンおじさんねぇー。そうだね。いつもはいい加減だけど、決めるところは決める…」


 バーボンの話をしようとした瞬間、ガサガサと付近の茂みが揺れました。

 ノアがバッと立ち上がってダガーを構え、メルが身体をすくめます。ボーズ太郎はハッと飛び起きてキョロキョロしました。


「誰だ!? 出てこい!!」


 オ・パイの追っ手かもしれません。ノアは喉をゴクリと鳴らしました。


「あ、ああ。解った。だからいきなり魔法とかはやめてくれ」


 観念したかのように、茂みから出てきたのは、青いマントの旅装束に、金の装飾の施された高価な剣を腰に下げ、王族の証である獅子の紋章ペンダントをした、あのレイ王子でした。

 ノアもメルも目を丸くして驚いています。ボーズ太郎は、レイ王子の顔を忘れてしまったようでキョトンとしていましたが…。


「安心してくれ。敵意はない。なかなか出るタイミングがつかめなくて…その、驚かせてすまない」


 レイ王子は両手をあげて、無害であることを主張します。

 ノアは周りに兵士がいるかもと警戒しますが、他に気配は感じられません。どうやら本当に一人だけのようです。


「なんでジャスト城の王子の…アンタがこんなとこにいんのさ?」


 ノアの問いはもっともです。仮にも王族が、お供もつけずにこんな国境の森にいるなんて偶然にしても不自然ではありませんか。

 それは王子も承知しているようで、金色の乱れた前髪を払いながら軽く頷きます。


「…オ・パイのことだ。ヤツのことで君たちに謝罪しなければと思ったんだ」

「謝罪だって?」

 

 謝られてすむ問題じゃないとノアは思わず口にしそうになりましたが、メルが「最後まで聞きましょう」とやんわり止めます。


「今回の事は、国を代表して、王子の俺が謝らなければならない…。大臣一人の好きにさせ、あんな横暴を許してしまっているのは俺や王に力も人望もないせいだ」


 ノアとメルは顔を見合わせます。


「盗賊の森への侵攻も止めることができなかった…本当にすまない」


 レイ王子は辛そうな顔をして頭を下げました。そんなことを素直に謝られてしまい、逆にノアの方が戸惑います。


「…別にアンタに恨みがあるわけじゃないし、アンタに謝ってもらってもね」


 ノアがそう言うと、メルは固かった表情をやわらげます。


「…アンタはずっとアタシたちを擁護してくれていたみたいだし」


 王の間でレイが何とか死刑を食い止めようとしていたことをノアは思い出します。今の謝罪に嘘があるようには思えませんでした。


「アンタや王様にも責任はあるかもだけど、結局のところ全部はオ・パイが悪いわけだしさ」


 ノアはバツが悪そうに頬をかきながら言いました。メルもボーズ太郎も同じ気持ちで頷きました。王族を恨む気持ちはなかったのです。


「ああ。ありがとう。そう言ってもらえると助かる。

 …そして、このままにしてはおけない」


 レイ王子はグッと剣の柄を握りしめます。


「確かにオ・パイが来る前から、国の浪費がひどく、その対策に民に重税を科すような悪政を強いていたのは本当のことだ。

 ヤツが大臣になってからは、浪費そのものは止められ、国家自体は貯蓄できる余裕ができたが…それでも民に還元されるなんてことなんてない。

 むしろ、それどころか税の種類まで増やし、昔よりももっと状況は悪くなっているように思えるんだ」


 そういえば、シュタイナがそんなことを言っていたな…と、ノアは思い出します。

 圧政に耐えかねた年寄りなどが盗賊の森に逃げ込み、それを仕方なく盗賊たちが面倒をみたり、無事に町に送り帰してやってるのです。そういった人たちから、国の極悪非道ぶりはノアもある程度は聞いていたのでした。


「…で、アンタもオ・パイのやり方が気に入らないってのは解ってけど、そんな王子様が、なんでまたアタシたちを追ってきたわけ? ただ謝りたいだけなんて…そんなことだけで、フツーここまで来ないよね」


 ノアが結論を急ぎました。レイはギクリとした顔をします。


「あ、ああ。お前たちはオ・パイを倒すつもりなんだろう? 決して、盗み聞きするつもりはなかったんだが…スタッドの名を出していたよな」


 ノアは腕を組んで、口をヘの字にします。


「俺一人の力じゃオ・パイを倒せない。だから、お前たちの旅に同行させてくれないか?」


 レイの目は真っ直ぐでした。なまじか美形なので、余計に真摯しんしな感じがしました。

 再度、ノアとメルが顔を見合わせます。メルはノアに任せるという目配せをしました。

 首をゴキゴキと鳴らし、ノアはフーッと大きくため息を吐き出します。


「アタシは盗賊だよ」

「承知の上だ。今の王位に興味はない。権力は捨てたつもりで出てきた」


 考える間もなく、気持ち良いほどの即答でした。それを聞いて、ノアの表情が少し柔らかくなります。ここまでの覚悟があるわけですから、レイ王子のことを信用しても良いと思ったのです。


「まあ、アタシは仲間にして問題ないと思う。アンタらはどう思う? メル? ボーズ太郎?」

「良いと思います。いまは同じ気持ちを持つ仲間がひとりでも多い方が心強いですし」 

「賛成だボー」


 二人ともコクコクと頷きます。


「私はメルメルと言います。よろしくお願いしますね。レイ王子」

 

 メルがニッコリ笑うのに、王子は飛び上がらんばかりの過剰な反応をしました。


「あ、ああ! メルメルっていうのか…そうか! こちらこそヨロシク!

 それと俺のことはレイでいい。王子だなんてつけないでくれ!」

「そうですか? それなら、レイと呼ばせてもらいますね。私のこともメルって呼んで下さい」

「あ、ああ! め、メルだね! 解ったよ!」


 メルの手を無理矢理つかんでブンブンと握手するレイでありました。


「なんか、他の目的のが大きそうだけどな」 

「ボー。なんか我のことは忘れられているような…」


 ノアとボーズ太郎はジト目で、はしゃいでいるレイを見やります。


 こうしてわけで、ジャスト城の王子レイが仲間に入ったのでございました……。

 

 さて、レイはよくありがちな、身分だけが高いだけの無能なボンボンというわけではなく、腰にぶらさげた大層な剣も単なるお飾りなどではありませんでした。

 この森でも数多あまたの魔物、朴念仁やメルシーなどが襲いかかってきますが、ノアと競うかのように、レイも光輝くサーベルでバッタバッタと斬り伏せていくのです。


「へえ! やるじゃん!」

「まだまだ! 俺の王国剣技はこんなもんじゃないさ!」


 なかなかの戦力ではありましたが、ただ魔物を倒した後に、決め顔をわさわざメルに向けるのだけは頂けませんね。ほらほら、歯なんてキラリとさせなくてもいいでしょうに…。


「? 何か私の顔についてますか?」

「い、いや…」


 まあ、そんな感じで、懸命なレイのアピールもメル自身はまーったく気づいてもいなかったのでありますが…。


「メルメル! そっちに向かったボー!」

「はい! 『ファイヤーストーム!!』」


 後方支援のメルとボーズ太郎も、なかなか良いコンビネーションでした。

 スタッドの魔法の影響なのか、ボーズ太郎は次々と戦闘補助や簡易治癒の魔法を会得していきます。敵に幻を見せて攻撃方向を変えたり、魔力の盾でみんなを守ったりと、なかなか良い働きをしています。

 メルの魔法も、使う度に研ぎ澄まされていき、より正確で強力な威力をもたらします。攻撃力だけならメルが一番で、魔法でまとめてトドメというパターンが一番多かったのです。

 この二人が後ろから、前面に立つノアやレイをガッチリとサポートしているのです。


 そんな快進撃を続け、小1時間も歩いたぐらいでしょう。ようやく、森の間に民家の屋根らしきものが見えてきました。


「クラレ村は、三種族会議をレムジンで開くときに通った場所なんだ。王族の俺か、メルが一緒なら入れてもらえるはずだ」


 レイがメルにウインクしながら言います。


「…我でも大丈夫ボー?」


 不安そうなボーズ太郎でしたが、レイはその肩をポンポンと叩きます。


「ボーズ太郎は、従者ってことにすれば平気さ」

「レイの手下ボー?」

「フリでいいんだよ、フリで」


 ボーズ太郎は不満そうに口をとがらしていましたが、レイは面白そうに笑います。


「誰かメルを知ってる人がいるといいね。例え、メルがあの村に住んでなかったとしてもさ」 


 ノアが言うと、メルがゆっくり頷きます。


「…ねえ、レイ。メリンの村は他にはどれくらいあるんですか?」

「え? それはメルの方が……ああ、そう言えば記憶がないとか」

「ええ。名前や魔法とかのことは覚えているんですけれど…。どこに住んでいて、誰と居たのかそういった記憶がまったくないんです」


 ノアはボーズ村長に本当のことを聞かされていたので、メルに対してなんだか申し訳ない気持ちになります。

 しかしここでそれを伝えてしまったら、村長の気持ちを無視するような気がして、なんだか板挟みにあったような心境でした。


「あー。その…なんと言っていいか。気が利かなくて…ご、ゴメン」


 何となく気まずい感じがして、レイは深く頭を下げました。


「い、いえ。レイが悪いわけじゃないですから謝らないで下さい」

「う、うん。でも、メリンの住まいか…」

 

 レイは少し困った顔をして頭をかきます。


「…その。なんて言えばいいのか。今はクラレ村しかないんだ」

「は? どういうこと?」


 怪訝けげんそうにノアが尋ねると、レイは考えるかのように上を見ながら、前髪を指先でクルッと巻いてもてあそびます。


「メリンの首都があったミルミ城とその周辺の村々は、20年前に魔神バルバトスによって真っ先に滅ぼされてしまったんだ…。

 今でも、魔神の呪いで色濃く汚染されていて、誰一人立ち入ることができない死の国と呼ばれている」

「国がなくなっちゃったってこと? ならメリン族はどこに?」

「だから、メリン族の大多数がそのクラレ村にと移ったんだよ」


 ノアは「うーん」と難しい顔をして唸ります。


「…クラレ村しかないなら、なんでメルのことが解らなかったのさ?」


 オ・パイの話では、メルはクラレ村には住んでいなかったとのことでした。


「さあ。そこまでは…」

「やっぱりオ・パイが嘘ついてたってこと?」

「いや、それはない。もしデムがメリンを勝手に裁判して死刑に処したとすれば外交上の大問題だよ」


 レイは嘘をつくメリットがないと断言します。もしクラレ村の住民であれば、生かしておいて交渉カードにもできるんだということを詳しく説明しますが、ノアの頭では何が何やらサッパリでした。

 

「…つまり、パイだってそのことは解ってるから、わざわざクラレ村に照会に当たっているんだ」

「そんならクラレ村の間違いって可能性は? 名前を聞き間違えた…とか」

「それもないと思う。魔神が暴れて大きく人口が減ってから、毎年の人口調査が行われているんだ。それだから、住民登録はレムジン元老院の主導で厳しく義務づけられている。

 デムならいざ知らず、きっとメリンとファルの記録簿は正確だよ」

「…じゃあ、そうなると」

「うん。メルはクラレ村にいなかったで確定だと思う」


 ノアとレイのやり取りを今まで黙って聞いていたメルは長いまつ毛を伏せ、うつむきます。


「……もしクラレ村にいなかったのだとしたら、私はどこから来たのでしょう。どうして、退化の大森林などでさまよっていたんでしょうか」


 ノアが「コラ」と言って、レイの頭をパチンと叩きます。

 メルが落ち込んでいることにようやく気づいたレイは、慌ててフォローの言葉を考えます。


「あ、あの…。別にクラレ村だけじゃなく、レムジンにもメリンはいるからさ。だから、そんな落ち込まなくても…」


 しどろもどろのレイでしたが、メルはわずかに頷いただけで、その暗い表情が消えることはありませんでした……。


 

 それは大きな、大きな崖。それこそジャスト城すら飲み込んでしまいそうな大きさの、まるで底の見えない深み。そんな断崖絶壁(だんがいぜっぺき)が森を抜けた所にありました。

 その崖の突端に、今にも崩れ落ちそうな吊り橋がかかっています。崖と崖との間に、深みに呑み込まれずに取り残された土地が点在しており、そこを辛うじて細い橋がかかっているのであります。

 そうです。クラレ村は、こうした崖の間の土地のわずかなところに家を建てて成り立っているのでありました。


「…魔神バルバトスのせいで、こういう地形になったっていう話だ」


 ノアは断崖の端に立って、底がまるで見えないのを確認してブルルッと震えました。ヒュウと吹き上げる風がひどく冷たいです。しかし、寒さのせいだけで震えたのではありせん。


「しゃ、シャレにならないね…。いくら、神様だからって地形を変えるだなんてどんだけだよ」


 こんなことをやってのけた魔神に初めて恐ろしさを覚えたのでした。


「だから、ファルの剣士も、メリンの魔道士も歯が立たず…スタッドが封印魔法を施してようやくしずめられたんだ」

「ボー。やっぱりスタッドはスゴイヤツだボー!」


 自分のことのように、ボーズ太郎は胸を張って言います。


 村の入り口につくと、メルとレイが先頭に立ちます。

 それは一際に長い吊り橋で、ノアたちのいる崖からは、どうやらそこからしかクラレ村に入れないようでした。

 これが落ちたらどうやって行き来するんだろうかとノアは思いましたが、そもそも何もなかったところに橋をかけたわけですし、メリン族は魔法が使えるのだから何らかの手段があるのでしょうね。

 さて、橋を渡って行くと、向こう岸に立っていた人物が、手にもった長い棒を構え直しました。


「…そこで止まれ。何者だ?」


 メルと同じような耳。それがピーンと上に立っています。まるで敵意を隠そうとはしません。

 それはよく日焼けした浅黒い若者で、メルのように白ではなく、茶色っぽい色の耳をしていました。


「俺はデム国ジャスト城の王子レイだ。

 国家防衛上の事案があり、その報告のため至急レムジンに向かいたいのだ。

 ここに長居するつもりはない。どうか霊希碑れいきひの使用許可を頂きたく、その旨を村長殿にお伝え願いたい」


 レイはハキハキと言い、自分の身分証であるペンダントをかざします。

 権力を捨てたつもりだなんて言って、利用できるものはなんでも利用しようってことなのでしょう。国家防衛だなんて大げさに言ったのもその一環でした。

 その割り切った考えに、ノアはちょっと好感を抱きます。盗賊たるもの、そういった思いっ切りのよさが時として求められるのです。細かいことにウジウジしていては稼げないのですね。というより、ノアが大雑把おおざっぱすぎるってなだけの話なんですけども…。


「フン。デムの王子が…霊希碑を使いたいだと?」


 若者は、小馬鹿にしたようにフンと鼻を鳴らしました。

 それから、チラッとメルを見やります。一瞬だけ驚いたような顔をしましたが、それでもすぐに視線をそらしてしまいました。


「すみません。私…その、退化の森で迷っていて。記憶がなくて…。あ、あの、私のことをご存じありませんか? 私はいったい誰なんですか?」


 メルが青白い顔で、必死になって尋ねます。不安が頂点に達したのでしょう。それは、いつものメルらしくありませんでした。

 若者は、「うっ」と言ってメルから離れます。怯えたように、汚いものに触れるかのように、メルを避けたのです。

 メルの顔が今にも泣き出しそうな悲しいものとなり、伸ばしていた手がダランと力なく落ちます。

 ノアとボーズ太郎は思わず怒りを顔に出してしまいましたが、レイに抑えられて、ここはグッと堪えます。


「そ、村長に聞け。俺は…何も知らん」


 目線も向けず、苦々しい顔で若者は素っ気なく言い放ちました。


「…霊希碑の件は、俺から伝えておく。村長の家は奥だ。ウロチョロせずに真っ直ぐに向かえ」


 逃げ去るように、メリンの若者は走って行ってしまいます。


「ったく! んだよー。あの態度はさ。気にすんなよ、メル」


 ノアがメルの肩に触れます。

 そんなメルは小刻みに震えていました。ですが、無理に笑顔を作ります。


「…メル」


 ノアはいたたまれなくなって、いつもより小さく見える彼女を抱いて背中をポンポンと叩きます。メルはされるがままにしていました。


「……ありがとう。ノア。もう、大丈夫です」


 メルが落ち着いたのを見てから、橋を越えて4人は村の中へと入っていきます。


 橋の先はまるで孤島のようで、小さな狭い島地ひとつに、家が平均して3軒か4軒ほど建っていました。といっても家は決して小さなものではなく、どれもこれもデムの民家に比べて見ればその倍はありそうな立派な物でございました。各家にくつろげるテラスが付いており、ちょっとした園芸農地もあります。

 そんな初めて見るメリンの家々なのでしたが、誰も何も言葉を発しません。何か感想でもあって然るべきなのですが、それは3人ともメルを気づかってのことでした。


「…ボー。そ、そういえば、レイ。霊希碑って何ボー?」


 気まずい無言に耐えかねたボーズ太郎がついに口を開きます。


「ああ。いわゆる、テレポート魔法装置さ。レムジンには、あの崖のさらに先にあるガラガ山道を抜けて行かなきゃいけないんだ」


 レイが遠くに見える、雲にも届きそうなほどに巨大な“山”の方を指さして言います。


「崖だって? あれ山じゃないの?」

「いいや、山に見えるけど違うんだ。あの崖を越えた先が本当の山脈なのさ。

 実はこのクラレ村はあそこから陥没してわずかに残った土地なんだ。俺たちの住んでる地の方がかなり低いんだよね」


 それは驚きの事実でした。つまりいまノアたちがいるところも崖の下側の方だったのですね。

 山に見えた巨大な崖もほぼ垂直なので、確かに徒歩などでは登れそうにはありません。


 ノアたちは、吊り橋を何本か渡り、武器屋や道具屋がある場所にと向かいます。どうやらこの島地は商業区みたいな感じで店が集まっているようでした。

 道具屋の店先に珍しい薬草があったので、ノアがちょっと見ようと思って近づいてみると、店主は血相を変えてバババッと品物をまとめて棚下にしまってしまいます。


「…なんだよ、まるで泥棒にあったみたいじゃん。感じ悪いなぁ〜もう!」

「泥棒って…。お前は盗賊じゃ…グッ!」


 レイの冷静なツッコミに、ノアはヒジ打ちで応えます。


「ま、まあ、メリンもファルも基本的にデムを嫌っているからな。スタッドぐらいにならないと認めてもらえない」


 レイが気にしてもしょうがないと言います。

 気づいたら、村人の全員がノアたちを冷たい目で見ているのではありませんか。老人も、女性も、子供も…長い耳をピンと立て、嫌悪や侮蔑といった視線を遠慮なしに送ってきます。


「チェッ。まるで見世物じゃんかよ」


 ノアは捕まった時に、町をさんざん歩かされたことを思い出して気分が悪くなります。

 そんな嫌な視線をかいくぐり、ようやく、一番奥の立派な屋敷の前に来ました。

 あの遠くから見えていた大きな断崖を背にした、ツヤツヤでピカピカの白壁のお屋敷でした。他の民家よりも遥かに大きく豪華であり、それは間違えようもなく村の権力者の家です。

 並木道の下で、さっき見かけた若者が立っていました。長棒の先で、屋敷の扉の方を示します。きっと入れということでしょう。

 どこも家もそうなのですが、その長い耳に合わせて扉が高くなっています。だから、メルも耳をたたんだり、わざわざ屈んだりすることなく入って行けます。

 中はデムの家に比べ、あまりこだわった装飾品は少なく、むしろ自然のものを自然のまま生かした家具が多いのが特徴でした。

 大きなクルミを半分に割った小物入れ、曲がった木をそのまま使った柱。乾燥させた葉っぱをたくさん集めた絨毯。草を編んだカーテン。いずれにしても、ノアにとっては初めて見るものです。

 玄関を過ぎてすぐの客間。巨木の年齢が克明に表れたテーブルの前に、ちょこんと腰掛けた小柄な老人がいました。

 ノアたちに気づくと、その長い眉をピクリと動かします。


「…デムの客人たぁ、おみゃあさんらかい?」


 老人は、見た目通りのしわがれた声で言います。

 ツルリと禿げ上がった頭から、毛もない、むき出しとなった肌色の耳。それはまるで鳥の手羽先のように見えました。


「はい。お久しぶりです。クラレ村の村長。実は…」

「だまらっしゃい! ワシャ、エテ公が何よりもキライなんじゃい! とっとと自分らの住処すみかへ帰えーりゃん!」


 いきなり、村長は入れ歯が飛ばんばかりに怒り狂います! 眼は血走り、額にはビッシリと血管が浮き出ていました!


「…え?」


 レイは呆気にとられます。まさか、しょっぱなから話を聞いてもらえないなんて想定していなかったからです。

 城を出たからといって、王族は王族。そんな態度をとられるなんて予想だにしません。


「ちょっと! 待ってよ! 話ぐらい聞いてくれてもいいじゃん!!」

「だまりゃあああッ!」


 ノアが言いますが、村長は目の焦点がまったく合っていません。


「エテ公が口を開くなァ! 部屋が生臭くなるんじゃあああああいッ!」


 ああ、まったくもって、とりつく島もありません! どういうことか、ご老人は頭に血が昇りすぎてしまったようでありました!

 ここではお伝えするのもはばかれる、悪口雑言(あっこうぞうごん)罵詈雑言(ばりぞうごん)誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)の雨あられの数々!

 村長は言いたい放題にまくしたてます! 思いつく限りの悪辣あくらつな例えを駆使し、怒りの中にあって時には泣き、時には訴え、時には笑い、一人芝居や演技も辞さず、大きな身振り手振りを交え、まるで意味不明な非難をこれでもかとぶつけてきます!!


「…んだから、オメェーたづはぁッ!! ……ん? この微かな香りは…」


 説教にノリノリだった村長が急に動きを止めました。

 そして犬のようにクンクンと周囲のニオイをかぎはじめます。


「こ、こ、こ、これは!? ま、まさか…メルシーの乳!? んま、んまさか! こんなエテ公が、そんな高級な、芳醇ほうじゅんな、まさに甘露と呼べるソレを持っているなどとは、あ、ありえんッ!?」


 村長の長い眉がグワッとあがり、その血走った目がノアをピンポイントでバチッと捉えます!


「ノア。もしかして…あの退化の大森林でメルシーからもらったミルクをまだ持っているのでは?」


 メルがハッとして手を叩きます。

 そうです。断ったにもかかわらず、無理やりにメルシーにミルクを渡されたのでしたね。


「あー。う、うん」


 嫌な顔をしたノアでしたが、ポーチからメルシーのミルクが入ったツボを取り出します。

 もちろん、デムの嗅覚には有害な臭いでありますからして、それは厳重にタオルにくるまれ、テープでフタを張り付けた上に、長い布でグルグル巻きにと、そんな感じに幾重にも幾重にも…と、これはもう完全封印の状態にありました。


「マジか! ウホゥッ♪ くれ! ソイツをくれ! くれ! くだされい! よこされい! よこしやがれい! はよはよ! さっさとコッチに、とっととよこさんかぁーいッ!!」


 焦点が合っていない目で、村長がだだっこのように暴れ回ります! 誰が見てもヤバイぐらいに完全に狂っています! さっきの怒り狂っていた方がまだ可愛げがあると思えるほどに!

 こんなグルグル巻きで臭いが漏れないようにしてあるにもかかわらず、それがメルシーのミルクであると解る嗅覚からしても…いや、例え鼻の良いメリンだとしても、かなりクレイジーとしか言いようがございません!

 村長が飛びかかってきそうな勢いだったので、ノアは思わず持っていたツボを引いてしまいました。

 しかし、村長は素早く、ゴ●ブリのような人外の動きで、その骨ばった腕を伸ばしてツボをもぎ取ります! 盗賊から盗み取る村長の腕前恐るべし!


「うっひょぉおおー! 1年ぶりの乳じゃ!!!」


 奇声を上げて、グルグル巻きのテープや布をブチブチッと引き裂き、描写できないようなかなり危ない顔つきで、ツボの中に顔を突っ込みます!


 ベロンチョべロンチョ!

 

 ズズズズチャチャ!


 ビチョジョジョジョ!!


 なんともはや、吐き気をもよおす、かなりひどい効果音に相応しい、おぞましい飲用風景でございました。

 それを目撃していた4人は、古いホラー漫画であるような恐怖におののく劇画風の顔となっています。

 しかも漂ってきます。あの、ツーンとする臭いが! ノアもレイも涙と鼻水を放出させて心底辛そうです。


「…プハーッ!」


 ようやく飲み終わった村長は、輝いた顔となっていました。ビチョビチョになった髭を拭いながら、生まれたての赤ん坊のような顔をしています。


「いやぁー! うまい! うまかった! こんなの、半世紀ぶりぐらいじゃ!

 新鮮かつ懐かしい味。コクと酸味が微妙なバランスで折り混じりあい、ワシの口の中でハーモニーをかもし出す! まさに口腔内展覧会こうくうないてんらんかいじゃあーーーい!!」


 そんな意味不明なことを叫びながら、村長はパァーッとにこやかに微笑みます。


「…………コホン。デムの諸君。失敬した」


 無造作に空になったツボを窓から外へ放ると、席に戻り、メリンの村長は深々と頭を下げます。


「最近、魔物が凶暴化しておりまして、なかなかメルシーのミルクを得るのも難しくなっておりましてな。それでワシもかなり気がたっておったのですわい。いやはや、お見苦しいところをお見せしました」


 「まったくだ!」と言いそうになったノアの口を、レイが慌てて塞ぎます。

 ホッホッホと年寄りらしく笑う村長は、さっきとはうってかわって普通の人でした。

 吐く息はかなり臭いわけですが…。まあ、ツボから直接に比べればまだ我慢できるレベルです。鼻を洗濯バサミでつままれた痛みと、目に砂粒が入ったようにシパシパする程度です。


「ミルクをもらった礼です。ワシができることで良ければ、なんでも協力いたしましょう」


 それは“奪い取った”の間違いではありましたが、ノアもレイも笑顔になります。これでようやく話が進みます。


「では、村長。さっそくですが、霊希碑の使用許可をぜひとも頂きたいのです!」


 レイが真面目な顔をして言います。


「…フゥム。使って頂くには、こちらとしては一向に差し支えありませぬ。

 ですが、果たして霊希碑をデムの方々が扱えるかどうか…」


 村長が、チラッとボーズ太郎を見ましたが、きっとデムだけでなくボーズ星人も含めてのことだったのでしょう。


「扱えるかどうかって…。そんなに使うの難しいの?」


 ノアが不安そうに尋ねます。テレポート装置…装置というぐらいですから、もしかしたら専門的な知識が必要なのかも知れないと思ったのです。


「いえ、魔法力の問題ですじゃ」


 村長が言うのに、レイは承知とばかりに頷きます。


「以前、レムジンに行く時には、城の魔道士全員分の魔法力が必要だった…」


 レイが額を抑えながら言いました。


「左様です。弱き魔法力では、魔神バルバトスの呪いが未だ残るミルミ城跡地に行くのは危険ですわい。

 そのため、霊希碑はテレポートを願う者の力量を計ります。…つまりは無意味な犠牲者を出さぬために」


 ノアは目をパチパチとさせ、「なぁーんだ」と言ってからメルを指さしました。


「アタシらには、メルがいるじゃん! メリンだし、魔法力も強いしさ!」

「……メル、ですと」


 メルは驚いた顔をしますが、村長は眉を寄せます。


「そう言えばさ、村長さんなら知ってるんじゃない!?

 この、メルメルっていうんだけど、記憶喪失でさ。どこのなのか解らないかな? 家族とか知らない? なんかちょっとした手がかりだけでもいいからさ!」

「お、お願いします…。どうか、どうか教えて下さい」


 メルは深く頭を下げます。

 村長は、眉を寄せたまま、唸るような仕草で、小さくため息をつきました。


「…記憶を失っておられる、と」

「…は、はい」

「……確かにメルメルという名前は…覚えがございます。デムの城から問い合わせもあった名ですじゃ」


 「やっぱり!」と、ノアは拳を握ります! 

 きっと何か間違いがあったんだろうとノアは確信しました。だって、村長が知っていたのですから。

 メルも期待を顔に浮かべます。自分の正体の手がかりとなる糸口がいま目の前にあるのですからね。

 しかしそんな浮かれる2人とは対象的に、村長は重々しく次の言葉を放ちます。

 

「……しかし、この村の者ではありません。そして、メリンの者でもありません」


 ようやく顔を上げた村長は、悲しそうに、そして辛そうにメルを見やります。


「メリンの者…ではない? 私は…では、私はいったい…何なのですか?」


 ショックを受けたメルは、青白い顔で、震える唇で問います。


「…それは、言えませぬ。メルメルさん。それは、ワシの口から申し上げることではないのですじゃ」


 意味深な台詞に、ノアとレイは怪訝な顔を見合わせました。

 メルは何か深く考えるように、胸に手を当てて目をつむります。


「…ど、どういうことボー?」


 ボーズ太郎が心配そうに、メルと村長を交互に見やります。


「でも、あなたはメルのことを知っているんですよね? 今、そう仰ったはず…」


 レイが詰問すると、村長は肩を落としました。


「…ええ。知っております」

「はあ! 知ってて、なんで言えないんだよ!?」

「知ってても申せないのです。だからこそ、デムからの問い合わせに、クラレ村にはいない…と、そう答えたのですじゃ」

「だから! なんでって聞いてるんじゃんか! どうして教えてくれないのさ!?」


 ノアが机を叩いて怒鳴ります。しかし、それでも村長は首を横に振るだけでした。それ以上は何をしても答えそうにありません。


「…ノア。いいんです。もう」


 メルがノアの肩にそっと触れました。


「よくないだろ!? だって…」

「いえ、いいんです。何か理由があるのでしょう。

 …クラレ村の村長様。一つだけ…一つだけ教えて下さい。私の正体は…どうすれば解りますか? どこに行けばいいのですか?」


 メリンの村長は、眉間に深いシワを寄せ…そして、やがて小さく口を開きました。


「霊希碑を…越えなされ。それが、あなたの運命ならば…きっと道が拓かれるでしょう」


 メリンの村長は、眉からのぞく目でジッとメルを見やりました。それは、深い同情にあふれています。ただ、それはとても深い悲しみをも帯びた目でした。

 メルはただ、深く、深くお辞儀をしました……。



 霊希碑。それは村長の家から出てすぐにある裏庭に安置されている灰色の石柱でした。

 大きさは、このパーティのなかで一番大きいレイとほぼ同じです。つまり170センチ程度ですね。

 あ。ちなみに、メルが165センチ(耳は含まず)、ノアが158センチ、ボーズ太郎が150センチですね。はい。まったくの余談でございました…。

 して、霊希碑には、水晶らしき丸い半透明な鉱石が、いくつも連なって柱の中に埋め込まれています。これで魔法力をコントロールしているわけです。

 メルが霊希碑の前に立つと、どこからか噂を聞きつけてきた住人たちがゾロゾロと集まりだしました。


「…あの娘に?」

「無理だろ。メリンの者ではないのに…」

「以前、デムの魔道士が使ったが…あれは特例だった」


 嫌でも聞こえてくるヒソヒソ話に、ノアは喉の奥で「グルル!」という声をあげます。


「霊希碑は…基本的にはメリンでないと使えません。そして、その中でも魔法力が高い一部の者にだけ扉を開くのですわい。

 この村にいるメリンでも、この霊希碑に認められるほどの力を有する者はおらぬのですじゃ」


 村長がやって来て、メルの側でそう説明します。


「大丈夫。メルならできるって!」

「ああ。きっと、きっといけるさ!」

「メルメル! 我は信じているボー!」


 後ろからの仲間の声援に、メルは振り返ってニコリと笑います。


「……わかりました。やってみます」


 メルが両手を開きます。

 村長は頷いて後ろに下がりました。


「霊希碑よ! 私たちの願いを聞いて! どうか! どうか道を拓いて下さい!!」


 メルが渾身こんしんの祈りを捧げます。メルの魔法力が高まり、その力が…霊希碑の水晶に吸い込まれて輝きだします!

 霊希碑が振動し、辺りが光に照らされ、魔法力をさらに増幅していきます!


──…ほう。これは強力な力だ。以前来た30人集まって辛うじて認められた力などとは訳が違うぞ──


 なんと、頭に声が響いてくるではありませんか!

 それは霊希碑からでした。霊希碑は、どうやら人格とか感情を持ち合わせているようです。

 メルは驚いて目を見開きました。


「で、では…認めてもらえるのですか?」


 メルの問いかけに対し、霊希碑は黄金色に輝きます。


──確かに、“力”だけならば充分だ──


 ノアとレイは手を叩き合って喜びますが、メルは神妙な顔つきになります。


「力だけなら…?」


──そうだ。だが、その扱う力に意思が見られぬ…。“心の弱さ”が感じられる──


「心の弱さ…」


 メルはひどく傷ついた顔をしました。


「なにぃ!? お前がメルの何を知ってるって…!!」


 飛びかかって行きそうなノアを、レイとボーズ太郎が止めます。


──意思なき力は方向性を失い、心なき想いはやがて汝が友を破滅にと追いやろう…。かような者に扉を開いて送るわけにはいかぬ──


「そ、そんな!」


 メルは必死に呼び止めようとします。ですが、無情にも霊希碑に集められた魔法力は中空にとパーッと散って流れ出ていってしまいます。


「待って! …お願いだから!!!」


 そんな必死の呼びかけも虚しく…霊希碑からついに魔法力の光が消え、普通の石柱に戻ってしまいました。いくら呼びかけても、もう声も聞こえませんでした……。



 崖の裏に太陽が消えて、辺りに夕闇が訪れました。

 今日のところはとりあえず、村長の家に泊めてもらうこととなります。

 村長が自ら調理場に立ち、ノアたちのために腕を振るいました。ウサギらしくニンジンやセロリなどの野菜をふんだんに使った料理が多く、味付けがなんだかメルシーの乳風味(つまり若干の異臭を放っていたんですね)だったことにさえ目をつむれば、量も味もそこそこ満足のいくものでありました。

 ノアとメルは客室のふかふかベッドで眠ります。隣の部屋では村長の野獣のようなイビキが響いているのですが、防音対策がバッチリなのか扉さえ閉めていれば聞こえてきませんでした。

 夜遅くに、途中で目を覚ましたノアは隣にメルがいないことに気づきました。


「メル? …どこに行ったんだろう?」


 寝間着姿のまま、ノアは目を擦りながら部屋を出ます。

 客間のソファーの上では、レイとボーズが寝ていました。ベッドの数が足りなかったのでここしか寝るところがなかったのですね。

 レイはどこからか持ってきたナイトキャップとアイマスクを着けており、ボーズ太郎は起きていても寝ていても目が細いので本当に寝ているのか解りませんでしたが、たまにムニャムニャと言っていることからどうやら本当に寝ているようでした。

 レイとボーズ太郎を起こさぬように、忍び足で客間を通り抜けて出て行きます。

 ノアが向かったのは、村長が己の腰痛を治すために、権力を振りがざして作らせたという露天風呂でした。家の真ん中が吹き抜けになっていて、その部分に贅沢な天然石作りの浴場があるのです。


「メル?」


 扉をガラリと開け、湯煙の中で目を凝らします。返事は聞こえませんでしたが、湯の奥で白い長い耳が見えました。それはメルに間違いありませんでした。

 ノアは手早く寝間着を脱ぎ捨てます。上からスポッとかぶるタイプなんで、すぐに脱げちゃうんですね。

 タイルの上を滑らないよう慎重に行くと、メルがいました。湯船につかりながら、ここではないどこかを見つめています。


「メル」

「きゃ!」


 ノアがメルの肩を叩くと、驚いたメルが両手を上げました。跳ねた湯が、バチャンとノアの顔にかかります。


「うぇっぷ!」

「あ、ご、ごめんなさい…。ああ。ノア…だったんですね」


 ノアだと知って、ホッとしたような顔をしたメルでしたが、すぐに表情に暗い影が落ちます。


「…まだ気にしてんの?」


 ノアが心配そうな顔をすると、メルはコクリと頷きます。


「ごめんなさい。私のせいで…私が至らないせいで、皆さんが先に進めない。一刻も早く、バーボンさんやバッカレスさんたちを助けなければいけないのに」


 バーボンとバッカレスの名前がでたことで、ノアもちょっと悲しそうな顔になります。

 でも、ブンブンと首を横に振って気を取り直します。


「メル。アタシは…どんなことがあってもさ。メルを信じている。友達だもん。メルだったら絶対に大丈夫だって。次はきっと上手くいくよ」


 ノアの言葉には何一つ根拠となるものはありませんでした。

 でも、メルは胸がいっぱいになります。ノアの笑顔を見ていると、元気をわけてもらってる気がします。


「ノア。私は…私は…」


 ハラハラとメルの目から涙が落ちます。そして、ノアの肩に頭を寄せて泣きじゃくります。

 ノアはメルの頭を優しく撫でながら、満点の夜空を見上げました。


「…バーボンおじさんはさ、昔はファルの首都レムジンで有名なお医者さんだったんだ」


 急にノアが話し出したので、メルは顔を上げて赤い目をパチパチとさせました。


「おじさんは、ファルもメリンもデムも…皆が仲良くなって欲しかったんだ。それで、『種の平等説』ってやつを言い出したんだよ」

「…種の平等ですか?」


 メルが尋ねると、ノアはゆっくり頷きます。


「その時のおじさんの口癖が…『人は定規じょうぎじゃ計れねぇ』って言葉なんだ。

 誰も勝てなかった魔神バルバトスを、馬鹿とか野蛮だと言われていたデムのスタッドが封印しちゃった。

 デムであるバーボンおじさんが、ファルやメリンも驚くようなスゴ腕のお医者さんだった。

 こういった例もあるように、何の種族だとか、何の立場だとか、何の職業とかで決めつけて差別するのはおかしいって言ったんだよ。みーんな対等で平等じゃないかってさ」

「人は定規じゃ計れない…ですか。なんだかバーボンさんらしい。とても耳に残る言葉ですね」


 メルはちょっとうっとりした顔で、何度かその言葉を口の中で繰り返しました。


「…でも、ファルやメリンの人たちはすごく反対した。一部の人たちは、それをどうしても認めたくないって言ったんだよ」


 ノアが辛そうに言うと、メルも切なそうな顔になります。


「そんでも、おじさんは頑固でしょ? そうやって自分の意見を曲げないもんだからさ。それに怒ったヤツらに襲われて大怪我をしたんだ。その時に、あの片目と片腕を…ね。

 それでも、おじさんは諦めなかった。いつかきっと理解してもらえるって信じていたんだ」


 メルは衝撃を受けます。バーボンの眼帯と義手は、そういう理由があったのです。


「それで…バーボンさんは?」

「うん。そうやってずっとレムジンで頑張っていたんだけれど、最後には奥さんも…事件に巻き込まれてね」

「事件に? ということは…」

「うん。そう。…亡くなっちゃったんだ」


 詳しく聞かずとも、その奥さんという人はノアのよく知っている人なのだろうとメルは思いました。ノアは、懐かしいような、悲しいようなそんな目をしていたからです。


「…バーボンさん…ご結婚されてたんですね」


 メルがようやく出した言葉はそんな感じでした。それだけショックを受けていたのです。

 奥さんがいたことに驚いたのも事実ですが、それよりもその人が亡くなっていることにメルは何と答えていいものか悩みます。何を言っても正しくないような気がしてなりません。


「それから、バーボンおじさんは奥さん…エリムさんのお葬式を終えてから変わっちゃった。

 ある日、レムジンの家もそのままにフラフラと出てきちゃったんだ」


 ノアは思い出します。スーツケースを1つだけ持ち、ほとんど飲まず食わずで盗賊の森に現れたバーボンのことを。不健康にやせ細り、目の下にクマができ、雨風にさらされてボロボロのビショビショだったのを、バッカレスが慌てて介抱したのです。


「それからジャスト城の町外れに住んで、ほとんど無償で病人や怪我人を診るようになったんだよ」


 バーボンが相手にするのは、病院に通えないような貧乏人だけです。社会のはみ出し者と呼ばれる相手に治療を行うようになったのは、まるで自分の主張を通せなかったせめてもの罪滅ぼしのようにも見えたとノアは続けました。


「バーボンさんは、変わってしまわれたんですか?」

「うん。あー、なんか上手く説明できないんだけどさ。なんかアタシみたいな子供のために、ああいう無茶やって命とか張るようになったんだ。人には無理すんなとか言って、自分が真っ先に危ないことするんだよ。笑っちゃうだろ?」


 とても笑える話などではありません。でも、ノアもそんな風にでも言わないと悲しすぎてどうにもならなかったのでした。

 ノアやメルみたいな将来のある若者を、きっとバーボンは自分と同じ目にあわせたくないと考えていたのだろうとメルは理解します。


「バーボンさんにはそんなにも辛い過去があったんですね…」

「…うん。そう、自分のことを大事にできずに捨てちゃったんだよ。きっと」


 自分を捨ててしまう…それがどんな気持ちなのか、メルはとても想像すらできませんでした。

 主張が理解されず、大怪我を負い、最愛の人まで失う…それがどれだけ辛いことであり、どれだけバーボンの気持ちを傷つけたのでしょう。それを考えただけで、メルの心は張り裂けんばかりになりました。

 単なる記憶喪失なんかで迷っている自分が、ひどく弱く甘いように思えてなりません。


「でもさ。メル。アンタだったらさ、バーボンおじさんを元に戻せるかも知れない」

「え?」


 キョトンとするメルに向かって、ノアはニッと笑います。


「退化の大森林で、バーボンおじさんが攻撃したメルシーをさ、メルが体を張ってかばったじゃん。そのとき、ほんの一瞬だけ…おじさんの目が昔に戻ってたんだ」

 

 レムジンにいた頃のバーボンの目はもっと優しかったんだよとノアは付け加えました。

 そういえば、2人がメルシーに追いかけられているとき、バーボンが助けに入ってくれたのです。でも、バーボンはもう戦えないメルシーに追い打ちをかけようとしました。それをメルが助けに入って、『もうこの子は戦えません! 戦えない子に、これ以上に何をするんですか!?』と言ったのでしたね。


「…そんな。あんなことで」

「ううん。きっと、おじさんは嬉しかったんだと思う。

 アタシも容赦ない性格だからさ。敵となれば、フルボッコだけど…。

 メルは違う。メルは、誰かを優しく思いやれる心があるんだよ。おじさんもそう言っていたじゃん」


 やたら誉められたせいで、メルは恥ずかしそうに口元まで湯に浸かります。


「あ! もしかしたら、おじさんは…メルに医者になってもらいたいんじゃないかな。自分の後継者にしたいのかもよ♪」


 メルの目に光が宿ります。ザバァっと勢いよく出たので、またノアの顔に湯がかかりました。


「ホントですか!?」

「え? う、うん…。たぶん」


 メルが真剣な表情で聞いてくるので、ノアは少し驚いた顔でついコクリと頷いてしまいました。

 なんだかメルは嬉しそうで両手で拳を作って気合を入れています。


「ノア。私…やってみます! そうです。バーボンさんに…昔を取り戻させてあげたい。ええ…私が、それをします!

 そして、私も誰かを癒せる医術を教わりたい! 私が後継者に選んでくれるなら! そのためには、バーボンさんを一刻も早く助け出さないと!!」

「う、うん。なんか、やる気でたね!」

 

 とりあえず結果オーライだと思ってノアも笑います。

 もしかしたら、とんでもないスイッチを入れてしまったのかも知れませんが、もし後々に問題となったしたら、その時にまた考えればいいやとノアは思いました。


「もちろん後継者になるってことは…ま、上手くいけば、同居生活から…結婚なんて流れになることもあるだろうしね!!」


 ノアが茶化して言うのに、メルはボッと真っ赤になりました。


「の、の、の、ノア! な、なにを!!? 私は…そ、そんなつもりは!」

「くたびれたバーボンおじさんに、こんな美少女かぁ~。ちょっともったいないなぁ!

 ほら、なんだ、このデカイ乳は! アタシと同い年には思えないこのナイスバディは! おじさんなんて、一発で悩殺じゃん♪」

「きゃあ!」


 ノアが、メルの胸をガシッと掴みます。そりゃ、もう…メロン? スイカ? いや、それぐらいの次元です。あどけない表情に合わないぐらいの抜群のプロポーションなわけであります!


「いつもブカブカなローブで隠してたな! ほら、このノア様に全部みせて見なさい!」

「イヤだ! ノアったら! くすぐったい…キャハハハハ!!」


 遊女と遊ぶお代官様のような顔で、ノアが執拗しつようにメルの身体をくすぐりました。

 少女二人の楽しげな声が、深夜のクラレ村に響いたのでありました………。



 さて、翌朝。再び霊希碑の前にメルは立ちました。昨日のような、不安や迷いはもう微塵みじんもありません。


──見違えたぞ。まるで昨日とは別人のようだ。それほどまでに、先に進みたいと言うのか?──


「はい。私は…なんとしてでも、先に進まなければいけないのです。その理由が私にはあります!」


 メルは強い目をしてハッキリと言いました。

 霊希碑はしばらく沈黙します……。


──幾重いくえもの苦難が待ち受けているだろう──


「覚悟の上です」


──数多あまた災厄さいやくが訪れるのは間違いない──


「必ずや乗り越えてみせます」


──お前のその決断が仲間を危険にさらすとしても、それでもなお先に進むのと言うのか?──


「ええ。そうだとしても、仲間たちと一緒なら必ず乗り越えられます」


 メルがそう言うのに、ノアとレイとボーズ太郎が前に進み出てコクリと頷きました。


──なるほど。その決心しかと見届けた! よかろう。さすれば我らが故郷。呪われしミルミ城への道。ガラガ山道への扉を開こうぞ!!──


 パァーン! という轟音と共に、霊希碑に集まったメルの魔法力が空間を歪めます! それはノアがかつてジャスト城で経験したワープの罠に似ていました。

 そして碑石の土台から、虹色に輝く光の橋が断崖絶壁の遙か向こうにまで到達しました!

 この騒ぎに、村長をはじめ、クラレ村の住民が集まって来ました。どうせどうやってもダメだろうと思い、今日は誰も来ていなかったのです。


「おお! な、なんてことじゃ!?」

「そんな…まさか! メリンとは認められないはずの者に…霊希碑が道を拓いたというのか!?」


 驚きに誰もが目を見開く中、ノアは得意になって「ヘヘヘッ、やったね。メル」と鼻の下をこすりながらメルに目配せします。メルも嬉しそうにニッコリと笑って応えました。

 ノアたち4人は手を振って光の先に進もうとしたとき、村長が慌てて走り寄ってきました。


「ま、待って下され! メルメルさん!」

「村長様?」

「ガラガ山道の道中、ミルミ城よりも手前に、“救いの小屋”と呼ばれるものがあります! あなたは必ずそこに立ち寄りなされ!」

「え?」

「村長! あんなヨソ者に何を!?」


 村人が驚いて、村長の体をつかみます。それでも村長の目はジッとメルだけを見ていました。

 その目には哀れみも同情もありません。ただ、大事な何かを…そう、とてつもない何事かを訴えているようにも見えました。


「救いの小屋…ですか?」

「そうです。そこで…あなたの正体は明らかとなるでしょう」

「村長!!!」

「なぜ、教えてやる必要があるのですか!?」


 村人たちがいきどおりの声をあげます。若者など、手に武器を持って村長を威嚇いかくするほどに険悪な状態になります。


「クラレ村の衆…。もう、やめよう。国を失って、いつまでワシらは形だけの掟に従わねばならぬというのだ。

 よく見てみい。あの娘もまたメリンではないか。間違えなく、我らの仲間なのじゃ」


 村長がそう言うと、誰もが苦しい顔つきになります。

 それがなぜなのかノアたちには解りませんでしたが、村人たち全員が何か深いものを抱えているのだということだけは何となく解りました。

 村長の側にいた小さな男の子が、モジモジして…ようやく意を決したかのように強く頷くと、メルの方に走ってきました。母親らしき女性が悲鳴をあげます。


「お母さんにお話しちゃいけないって言われていたけれど…お姉ちゃんは良い人だと思う! だから、はい! これ! 旅の幸運を祈るお守りあげる!」


 男の子は耳をピンと立たせ、そしてメルの手に小さな何かを手渡しました。それは、手彫りで作ったメルシーの人形でした。

 メルシーは凶暴な魔物ですが、メリンにとっては、最良のミルクをくれる最高の生物として、守護者のような扱いを受けているのでした。子供たちにとっても馴染なじみ深い、人気のあるキャラクターなのですね。

 人形を受け取ったメルは、思わずポロリと涙を流しました。男の子はギクリとした顔をしましたが、メルはその手を優しく握りしめます。


「ありがとう…。ありがとうね。ぼうや」


 その光景を見ていた母親は、何か感じ入るものがあったのか思わずグッと自分の胸を抑えます。 


「…無垢むくな子供の方が、あの人たちの本質をよう理解しておるわい。ワシらなどよりもな」

 

 村人の誰もが、何とも言えぬ顔でメルと子供を見やりました。彼らの表情には、一種の恥ずかしさや後悔といったものがありました。


「…メルメルさん。そして、デムの皆さん。次に来たときは、本当の客人としてお迎えさせて下され」


 村長がそう言って深々と頭を下げました。メルはコクリと頷きます。

 そして、メルはもう一度だけクラレ村全体を見回した後、先行く仲間たちの背を追いました。


 そして、人々がずっと見守る中、ノアたちは光の橋を渡って行ったのでした…………。

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