第三章 7人のボーズ星人
ノアとメルの2人が揃えば鬼に金棒、ネコにマタタビ、ヘビにマングースでした。
朴念仁以外の魔物に出くわしても、例えばマントの下にパンツだけを着用した『変態バンパイア』や、その手下の『吸血コウモリ』。捨てられたシーツに怨念が宿った『ゴースト』などが出てきたわけでありますが、普通の女の子なら「キャー!」という悲鳴を上げて泣いちゃうんでしょうが、そこはちょっと普通とは言えない二人であります。そのいずれもノアがポカリとワンパンを加えるか、メルが威嚇のファイヤーストームを放つと蜘蛛の子を散らすように逃げていきました。
迷うような森も、1人では絶望に膝を抱えていたことでしょうが、2人なら鼻歌まじりに楽々スイスイ進んでしまいます(ちなみに迷ってるので道順は勘です)。
「あら、ノア。ここ、さっきも通った道ですよ」
「ホントだ。じゃ、もう1度ダガーで印つけちゃえ♪」
なんて、あっけらかんとした様子で、アハハ、ウフフと笑い、手近な木の幹にドカッと目印をつける始末です。まるでピクニック気分ですね。
いやはや、そんな機嫌良く進んでいた二人なのですが、メルの耳がピクッと跳ねて何かを捉えたのでした。慌てた様子でノアの肩を叩きます。
「なに? メル?」
「しっ! 喋らないで…気づかれます」
メルは真面目な顔つきで言います。ノアもキュッと口を引き締めて頷きました。そして、メルが指さす方向を見ます。
水辺に座った毛むくじゃらの1頭の魔物。ゴリラのような見た目をしていて、口がワニのように裂けています。そこからは凶悪な牙がのぞいていました。ガリガリと木の皮を食べています。座っている側には、巨大な棍棒が置かれていました。
「な、なにあれ? あれも魔物なの?」
「ええ。『メルシー』という子です。あの子には、私の魔法も効きにくいんです。それにちょっと乱暴者で、人の姿をみると必ず追ってきます。ここは見つからないように行きましょう」
ノアは素直にコクリと頷きます。無駄な争いはしないに越したことはありません。あんな棍棒で殴られてはたまりませんし。
抜き足、差し足、忍び足で、ソロソロと二人は音をたてないようにその場を過ぎ去ります。
しかし、そんなノアの鼻に何かがよぎりました。ここは、プ〜ンという擬音がふさわしいでしょう。
牛乳を拭いてロッカーの中に放置した雑巾と、バッカレスの半年間はきっぱなしの湿った靴下に、納豆とクサヤと腐った卵をかきまぜたような臭いとでもいいましょうか。もう臭いというレベルを越えて、痛い…いや、痛苦しいのです!!
「くっさーーーーーーーーーーー!!」
ノアは涙と鼻水を同時に放出しながら悲鳴をあげました。いや、あげざるをえないような強烈な異臭だったのですから仕方がありません!
「の、ノア!?」
メルが慌てます。耳がピーンと立ちました。
って、メルがなぜこの異臭に反応しなかったかといいますと…デムに比べてメリンはかなり嗅覚が良いのです。良すぎるがあまり、あまりに強烈な異臭には麻痺して感じとれなかったという恐るべき理由があるのです!
もちろん、そのノアの悲鳴にメルシーが気が付かないわけがありませんでした。ムクリと起きあがり、ガバッと牙をむき出しにします。
「ウォウォウォウォウォッ!!」
威嚇の声を上げ、胸をボンボコ叩きならしました。ゴリラがやるドラミングというやつですね。ゴリラは戦闘というより和解のための交渉でこれを行うそうなんですが、メルシーの場合は明らかに怒り狂っているぞアピールです。その証拠に、右手で棍棒を掴んで振り回します!
「や、やばい! 逃げよう!!」
「え、ええ!!」
ノアはメルの手を取って駆け出します!
しかし、メルシーはその巨大な体格にしては俊敏でした。人のように二本足で走ってくるのです!
「ぐひぇーーッ! くさい! ひどい! なんじゃこりゃああ!!」
ノアは逃げながら、涙をこぼしつつ、鼻水を垂らしつつ叫びました。なんだか、メルシーが近づいてくるにしたがって異臭まで強くなってくるのです。異臭の原因は間違いなくメルシーでした。
「臭い? えっと…私はわからないのですが。もしかして、発酵したメルシーの乳の臭いなんでしょうか?」
メルはハァハァと苦しそうに息をしつつそう言います。
「メルシーの乳!?」
「ええ。あ、あれです! メルシーなら必ず自分の絞り出した乳をもってるんです!」
メルはメルシーの持つツボを指さしました。棍棒とは反対側の手にツボを抱えているのです。ノアがそっちの方をチラリと見ます。
「うげええええーーーーー!!」
間違いありません! アレからです! アレから強烈な異臭が放たれているのです! あのツボの口が、ノアたちの逃げている方向に向くたび…まあ、つまりはメルシーが走るときの動作で左手を下げたとき、その巨烈な悪臭がプーーーーーーン! と漂ってくるのでございます!
「あ、あんな状態のヤツとなんて戦えないよッ!!」
敵が強いとか、強くないとか以前の問題です。あの異臭を嗅ぎながら戦うなんて不可能です。
メルもコクリと頷き、ザッと踵を返して瞬時に魔法を唱えました。
「『連なる霜。我が言霊に従い、立ち塞がる凍てつきし飛礫となれ…ブリザード!!』」
ファイヤーストームとは違う魔法です。
青い軌跡が伸び、魔法陣を描きます。ヒューッと周囲が冷たくなったかと思うと、地面から強大な霜柱が起きあがり、そこから無数の氷石となってメルシーに襲いかかります!
バシバシッとメルシーの黒い毛に氷の塊が当たりますが、その走る勢いは止まりません。どうやら、寒さに強いようです。
「うう〜、やっぱり足止めにもなりませんか…でも、ファイヤーストームもあの子の毛を焼くのがせいぜいですし。きっとライトニングも効果ないでしょうし。ああ、せめて上級魔法が使えれば…」
メルが精神力を使い果たしてガクッと膝をつきそうになるのに、ノアはパシッとメルの手を取って再び駆け出しました。
「ゼェゼェ。しつこい! このままじゃ、追いつかれる!!」
ノア1人だったら、何とか逃げ切れたでしょう。でも、いまはメルが一緒です。メルは魔法が強い種族らしく、やはりデムやファルに比べて体力に劣るのです。
「ったく、あにやってんだ!」
呆れたような声がしました。それと同時に、その声がした方から何かが放り投げられました。それはメルシーの前でガシャンと割れた音がします。
シューッという音と共に、清潔そうな消毒液の香り。ミントに近い匂いです。最低最悪な公衆便所に、美しい一輪の百合が咲いたのをノアはイメージしました。ノアを悩ましていた悪臭が消えたのです!
「ンガ!?」
メルシーは割れた瓶を見て、不可思議そうな顔をします。
「よくも俺の可愛い妹分を追いかけまわしてくれたな。嫁入り前だぜ。キズモンになったらどうしてくれる? がさつだが、デリカシーのねぇ獣にくれてやるわけにもいかねぇな」
「ば、バーボンおじさん!?」
なんと、木陰からバーボン医師が姿を現しました。彼はノアとメルに軽くウインクします。
こんな森林の中でもいつもの白衣姿です。フックの義手アタッチメントをガチャリと取り外し、ヘビの尻尾のような鞭の義手と取り替えます。
「おら、俺が相手だ。こいよ!」
バーボンが右手をの人差し指をクイッと動かして挑発します。
「ンゥホンゥホーッホッ!!!」
メルシーは憤り、棍棒を振り回してバーボンに襲いかかりました。
バーボンはニヤリと笑い、胸ポケットから薬品の入った試験管を取り出します。それを絶妙なタイミングでメルシーの顔面に引っかけました。ジュアッという嫌な音が響きます!
「ンギャアアアーー!! ヌガガガガッ!!」
襲いかかろうとしていたメルシーは、目をやられて、痛みに滅茶苦茶に暴れまくります。
「おらよッ!」
バーボンがメルシーの攻撃を避け、勢いよく鞭を振るいます。ずいぶんと慣れた見事な鞭捌きです。剛毛の部分は狙わず、顔や腹や内股といった比較的皮膚の弱い部分に正確に狙いを定めます。
「キィーキィー!」
メルシーが嫌々と首を横に振ります。視力が奪われ、弱点ばかり狙われているのです。もうなす術はありませんでした。
「さて、終わりだな」
バーボンが、露骨なドクロマークの描かれた試験管を取り出しました。明らかに危険な色の液体が入っています。ポコポコ危険そうに中で泡立っています。
「もう、止めて下さい!」
「メル!?」
哀れにも頭をかかえているメルシーをかばうように、メルがバーボンの前に立ちはだかりました。
「あん?」
「もうこの子は戦えません! 戦えない子に、これ以上に何をするんですか!?」
バーボンはメルの顔をジッと見ます。しばらく見て、「ふむ」と言いながら試験管を胸ポケットに戻しました。代わりにタバコを取り出して火を付けます。
「心優しいメリンのお嬢さんにそうまで言われちゃしょうがない。ここは赦してやるよ」
バーボンがメルに向かってニッと笑います。メルはフゥと安心したように息をつきました。
そしてメルは、グズグズと泣いているメルシーの頭を優しくなでました。
「メルは優しいね…。朴念仁の時も、手加減したんでしょ? 芽までは奪わなかったし。今回も自分を襲ってくる魔物をかばうなんてさ」
ノアの言葉に、メルは首を横に振ります。
「この子たちも…不安なだけなんです。私たちと一緒。迷子みたいなものなのだと思います。怖くて。寂しくて。だから、知らない人がくると、近寄ってきて欲しくないから…きっと乱暴しちゃうんです。本当は、私。こんな魔力なんて…いらない。これは人を傷つける力です。人を癒すことはできないの」
メルは、メルシーの額に自分の額を当てました。抵抗することもなく、メルシーもされるままにしています。つぶれてしまった目を、メルは悲しそうに見つめました。まるで自分が治してあげられない無力さを詫びるように…。
「…あー、治せるぞ。一時的に視力を奪っただけだ」
バーボンは心外だと言わんばかりにそう言いました。ノアもメルも目を丸くします。
「これだって…一時的に気絶させる薬だ。命までとろうなんて思わねぇよ。医者が殺しをしちゃシャレにもなんねぇだろ」
バーボンは、さっきのドクロマークの試験管を指して言います。
ドクロマークだったのは、ちょっとした冗談のつもりだったのです。まあ、一応は劇薬なので扱いを注意せよ、という意味合いでしかなかったのです。
「ちょいと離れてくれ」
「え? は、はい」
メルが素直に離れると、バーボンは茂みから医療カバンを取ってきて、メルシーの前にドカリと座ります。
カバンの中から、治療用具と、いくつかの薬を取り出しました。
メルはその様子をただ側に立って見守っているしかできません。
「大丈夫だって。おじさんに任せておきなよ」
「…ノア」
瓶を逆さにしてガーゼを浸すと、ピンセットで摘んでそれをメルシーの目に優しく塗布しました。鞭による傷跡も、丁寧に消毒液を塗って包帯を巻いてやります。
あまりに手際よく治療しているので、メルは感心してそれをジッと見つめていました。あまりに真剣に見つめられるので、バーボンは居心地が悪そうに咳払いをします。
「すごい…。誰かを、治せる…癒せる技術」
「あー。こんなのは別に凄くはねぇよ。医術はちゃんと勉強すれば、誰にでも出来る。だけど、誰かを癒したいとか、誰も傷つけたくないって気持ち。これは誰もがもっているわけじゃねぇ…。メリンのお嬢さん。お前さんの誰かを慈しむ心ってのほうが貴重なんだ。俺はそういう心を持った子こそ、医療を学ぶべきだと思うね」
カバンの口をパタンと閉め、バーボンは小さく笑ってメルの頭をポンと叩きました。その顔が真っ赤になります。
「ウガー」
メルシーがゆっくり立ち上がります。
「おいおい。薬塗ったばかりだぞ。まだ目はぼやけているはずだ。あんますぐに動かないほうがいい」
バーボンがそう言います。メルシーは解っているのか解っていないのか、はしゃぎながらコクコクと頷きました。
「ウガウガ」
メルシーは左手に持っていたツボをズイッと差し出します。
「礼のつもりか? いらねぇよ」
バーボンは手を横に振ります。受け取ってもらえないと見ると、今度はメルの方にそれを向けました。
「いいえ。私も…。私が何かをしたわけじゃないですし」
メルにも受け取ってもらえないので、メルシーは心なしか寂し気な顔をします。そして、奥の切り株に座っていたノアに目をつけました。自分が見られていると知って、ノアは思いっきり首を横に振ります。
「いらない! 絶対にそんなのいらない!!」
「ウガウガウガ!」
断固として拒否するノアでしたが、メルシーは嬉しそうにノアの目の前にそのツボを置きます。
「い、いらないって言っているだろ! な、なんでだよ!? なんで、アタシ!!?」
「ウガウガウガ♪」
なぜかメルシーは喜んで、ツボを置いたまま森の奥へと帰っていきました。
「ちょ! おい! こんなの置いていくな! なんで、アタシの時だけ!!? コラ! 待て!!」
側にあるツボを見て、ノアはガックリと肩を落とします。
「なんだよー。これ、どうしろっていうんだよー」
「…乱暴なメルシーが自ら乳をあげるなんて珍しいことなんです。無理にも渡す時は、確か…」
「奴ら、一番に飢えてそうなヤツを助ける習性があるんだよな。行き倒れの動物を、メルシーが助けたって報告書を読んだことがある」
そうバーボンが続けました。
「だ、誰が一番に飢えてそうだ! ふざけんな!!」
ノアがふて腐れるのに、バーボンとメルは顔を見合わせてプッと吹き出しました。
「…そういえば、どうしてバーボンおじさん。こんなところに?」
ノアは、ハッと思い出したかのように言いました。
「そりゃ、退化神殿のことを教えたのは俺だしな。ちょっと責任を感じてな。…午前中で診察きりあげてこっちに来たってわけだ」
バーボンが頬をポリポリと掻きながら言います。なんだかんだ言いながら、面倒見がいいのです。
そして、バーボンとメルが、それぞれ自己紹介し合います。
メルの記憶喪失の下りで、バーボンは少しだけ興味深そうな顔をしましたが、あえてなにも口にしませんでした。メルの方も、バーボンの眼帯と義手が気になっているようですが、初対面の相手に聞くことではないと何も言いませんでした。
「しっかし、せっかく地図を渡したのに…まったく役だってないじゃねぇか」
バーボンが、ノアのポーチを指さします。ノアは、「あっ!」と言って地図を引っ張り出しました。すっかり地図を持っていたことを忘れていたのです。
「えっと…」
「あー、逆さだ。東がこっちだから、グルッと反対に回せ」
バーボンが地図の向きを変えさせて、三人でのぞき込みます。
「ここが退化神殿。朴念仁の群生地から、双子岩の河川を南に下ったから…ちなみに今いるのはここら辺だな」
バーボンが指さしたところは、退化神殿よりもかなり離れた場所でした。
「なんだよー! ぜんぜん進んでないじゃんか!!」
ノアがブーッと不平を言います。バーボンは呆れた顔をしました。
「ずっと同じ所グルグルと回ってたんじゃねぇのか? それなら当然だろ。午後からでてきた俺が追いつくぐらいだからな。相当、道に迷っていたんだな」
そう言われて、ノアは苦々しい顔をします。
「でも、きっと…この地図ほどは距離はないと思いますよ」
「俺もメルと同意見だ。入り口から距離を測ってるんだが、この地図の三分の二程度の距離しかねぇ。素人が作った適当な採寸の縮図なんだろ。迷いやすいから、作ったヤツも余計に広く感じてそう描いたんだ」
バーボンにメルと呼ばれたことで、メルはなにやらモジモジとし出しました。
「ま、とりあえず歩くしかないってことか」
ノアの言葉に、メルもバーボンもコクリと頷きます。
こうして女の子2人に、頼もしい医師バーボンが仲間に加わったのです……。
粘土質な土塊を、泥水で溶き、塗っては乾かし、塗っては乾かし…何年も、手間暇をかけて作られた外壁。山肌から切り出したらしい石柱を何十本も横に並べ、その壁面を支えさせています。
園庭には幾何学模様の描かれた柱がズラリと規則正しく並び立ち、神殿に向かうためのストーンタイルには、等間隔に歴史を紡ぐ絵が描かれていました。解説らしき文字も横に並んでいますが、古代文字が読めないノアたちにはさっぱり内容は解りません。
その奥には正四角形の形をした神殿と思わしき大きな建物がポツンと1つありました。無造作に蔦がからみつき、一見してただの小山のようにも見えます。ですが、入り口から見ると、その様相は明らかに計算して造られていることが解ります。門柱より手前から立って見ると、外壁と建物の高さが一直線に…平行に見えるようになっているのです。それは森の中に突如として現れる地平線のようでした。自然と人工物の調和。これが、この退化神殿を造り上げた人の狙いだったのではないでしょうか。
「すばらしい…。すばらしいの一言しか言えねぇよ。こりゃ、考古学者じゃなくても心躍る!」
冷静なバーボンが、珍しく興奮したように鼻息を吹き出しました。それはオモチャを見つけた子供の顔です。
「えー。ただの小汚い家じゃん~」
ノアがしかめっ面をして言います。言ってから、そういえばメルの今住んでいる家だったと慌てて自分の口を抑えましたが、メルはまるでそんなことは気にしていないようで、帰ってこられた喜びに浸っていました。
「なにが小汚いだ! これでスタッドの正しさが証明されたんだぞ!
第四種族、ボーズ星人といえば…進化をやめて退化した劣等種族であるというのが今までのファルの学者たちの見解だ!
それが、こんな高度な遺跡を作る能力があることがここで証明されたんだ!! これは世紀の大発見だ!!
スタッドが『種の平等説』を説いて久しいが、まさか…それが正しかったなんて!! ボーズ“星”人ならぬボーズ“聖”人だなんて、くだらないギャグと馬鹿にし、途中で論文を読むのをやめてしまったことを、今になって俺はもーれつに後悔してる!
ああ、あのときの俺の馬鹿! レムジンの大図書館でいくらでもスタッドの論文を読めたのに!!! もったいない!! 実にもったいない!!」
大騒ぎしているバーボンを尻目に、ノアは耳の穴を小指でかきました。まったくもって歴史になんか興味がないノアらしい態度ですね。
遺跡に金銀財宝でもあれば違ったのですが、ノアの眼には単なる古臭い土の塊にしか見えません。あんなところにお宝なんてまずないでしょう。だからこそ、まったく惹かれる要素がなかったのです。
「ねえ、メル。それで、ボーズ星人ってのはどれくらいいるの? 結構、沢山なわけ?」
ノアが尋ねます。少なくとも、神殿の外にはそれらしき生き物は見あたりません。
「えっと…。長老様を除いて、7人のボーズ星人さんがいます」
「8人だけ? ずいぶんと少ないんだなー。ここにしかいないの?」
「ええ。他にはいないと長老様は仰っていました」
メルの案内で、神殿の側まで向かいます。建物は思ったより大きく、ノアが縦に4人並んぶほどの高さはありました。頂上付近に採光用の窓らしきものはありますが、正面の木の扉以外に入り口はなさそうでした。
バーボンは壁画に夢中になっているのでかなり遅れています。未だ門柱の壁画に釘付けになっていました。しかし、ノアは気にせず先に中に入ることにします。声をかけても反応しないんだから放って置くしかなかったのです。
腐りかけた扉をあけると、ブワッと埃っぽい臭いが舞いました。ノアは思わず咳き込みます。
「メルメルです! いま帰りました!」
メルが声をあげると、薄暗闇の中、「ボー」というような奇妙な返答があっちこっちから返ってきます。
ト・ト・ト…と、かなり遅い足取りで、彼らが集まってきました。
全身が真っ白で、体毛らしきものは一つもありません。顔のところだけがわずかに肌色。腰は青い布をまとっています。腕も足も棒のように細く、握ったらそのままポキッと折れてしまいそうです。
首はなく、ツルリとした頭と肩が一体化しています。まるで電車が通るトンネルを正面からみたような形の上半身です。
顔は…なんともまあ、間が抜けていて、横にのびた3本の線があるだけ。目が2つに、口が1つの線。非個性を追求しすぎた芸術家が、ほんの1秒もかけずに描いた様な適当な顔なのです。
それも7人ともが皆が皆、同じような背格好、同じような顔をしているのです。瓜2つどころか、瓜7つなわけです。まるで誰が誰だか区別がつきません。
「メルメル。帰ったボー」
「無事だったボー。心配したボー」
「捜したボー。見つからなかったボー」
「人生とは探索…。探し求める時には見つからず、悠久の流れにただ任せる時に道は開かれる」
「お腹へってないボー? 我はお腹へったボー」
「長老、心配していたボー。顔を出してあげると喜ぶボー」
「お客? お客を連れて来たボー?」
7人がそれぞれ思い思いに口を開きます。文章じゃ伝わりにくいかも知れませんが、それもかなり…いえ、かーーなーーりーー…の、そんな感じのスローテンポで喋っているのであります。
1人だけなんだか違う口調なのがいましたが、基本的には語尾に『ボー』がつくようですね。それが何とも間が抜けてる感じを上乗せしてくれます。
「ありがとうございます。ご心配をおかけしました」
メルは1人1人に順繰りに答えます。ボーズ星人に合わせ、彼女もかなりゆっくり目に話していました。
そんなやりとりを黙って見ていたノアでしたが、メルが3人目か4人目に話しかける前についに爆発します!
「あー! じれったい!」
彼らのノンビリした話し方は、せっかちな彼女をイライラさせるには充分だったのでした。
「もう!! スタッドは!? スタッドはいるのか!?」
ノアが怒鳴ると、ボーズ星人たちは怯えたように震えました。まあ、3本線だけで表情がほとんどないので顔付きではよくわかりませんが…何となく雰囲気で判断ですね。
「……スタッド?」
「そう!」
「……あー、スタッドは…」
「あー! アンタじゃ埒があかない!!」
あまりのスローテンポに怒り、ノアは喋ろうとしたボーズ星人を押し退けます。
「の、ノア! あ、あんまり乱暴は…」
メルが心配しましたが、ノアにそんな余裕はありません。一刻もはやくスタッドに会いたいのです。そのために苦労してこんなとこまで来たのですから!
次のボーズ星人も同じで、ノアに突き飛ばされます。ノアの言葉の意味を理解するまで時間がかかるのです。返答を待つしかないのですが、そんなものをノアが待っていられるはずもありません。
「かの英雄。兼ねてよりの威風に備えるべく最果ての地へと…」
「わけわからん!」
なんだか頭の良さそうなボーズ星人が説明してくれましたが、回りくどい言い回しにノアは憤慨します。
「ちょ、長老様なら何か…知っているかもしれません」
メルがオロオロしながら言うのに、ノアは「それだ!」と言わんばかりに腕を振り回しました。
7人を連れ立って、神殿の奥へ進んで行きます。
窓らしきものは見当たりませんが、天井の四隅から太陽光がとりこまれて、部屋の中を明るく照らします。その採光が届かないところは、光苔や輝く鉱石などが灯りの補助しています。巧みに自然環境を利用した照明なのですね。
ようやく追いついたバーボンは、まだまだ興奮冷めやらぬ様子であり、初めて出会ったボーズ星人に感激したかと思いきや、簡単な身体検査を行った後で、なおも遺跡の隅々を舐めるようにじっくり見ていきます。忙しいったらありませんが、知的好奇心がどうしても抑えられないようです。土壁を採取し、試験管の中に入れたりもしていました。ボーズ星人たちは何でそんなことをするのか不思議そうにします。
さて、もっとも最奥の部屋。大きな広間になっているところに、その長老はいました。宴会場の舞台のような、ちょっと小高くなっているところにポツンと立っています。
長老というぐらいですから、さきほどの7人とは違う威厳ある姿……ということなど、まったくなく、まるっきり見た目は同じでした。
「長老様。ただいま戻りました」
「おお、メルメル。帰りが遅かったので心配したぞ。しかし、よくぞ無事で戻ってきた」
そんな見た目の間抜けさとは裏腹に、その長老はハキハキと喋ります。長老までノンビリ話されたらたまったもんじゃないと思っていたノアはホッとします。
「客人…か」
長老の目か向いたのを幸いとばかりに、ノアはズイッと前に進み出ました。
「なあ! スタッド! スタッドはここに来ていないのか!?」
いきなり質問にも、ボーズ長老は動じることはありません。さすがは長老と呼ばれるだけはあります。
長老は糸のように細い目で、ノアとバーボンの姿を交互に捉えます。
「…フム。ようやく時満たれり。デムの者よ。ようこそ、退化神殿へ。スタッド殿の言われる運命の通りだな」
ボーズ長老の言葉に、ノアとバーボンが驚きます。
ノアが慌てて掴みかかろうとするのを、バーボンが肩を掴んで止めます。
「ようやく? 運命の通り、だと? …まるで俺たちがここに来るのを予見していたみたいな口ぶりだな」
バーボンが訝しげに言うのに、ボーズ長老はコクリと頷きます。
「すべては運命なのだ。客人よ。…退化した種族の言葉に耳を傾ける気持ちがあるならば語ろう」
意味深な台詞に、ノアとバーボンは顔を見合わせます。そして、二人とも強く頷きました。話を聞かなければなんとも判断できません。
「結論から言えば、ここ最近はスタッド殿は来ておらん。だが、昔に、“赤き髪の少女が来たら告げて欲しい”と頼まれた言伝がある」
ノアは目を丸くします。
「赤き髪の少女…あ、アタシのこと? どういうこと? スタッドは…アタシがここに来るということを知っていたっていうの!?」
「そう思ってくれて間違いないであろう。スタッド殿は、すでに我らよりも遙か先を見据えておられる。すべては運命。運命には逆らえないのだ」
淡々と、かつハキハキいう長老は確かに賢そうでした。ですが、歯がゆい物言いは、さっきの難解な言葉を使うボーズ星人と大差ありません。
ノアはイライラして、自分の胸をかきむしりたい気分にかられました。もっとさっさと、すぐに知りたいことが山ほどあるのです!
「…そのスタッドの言伝というのはなんだ?」
バーボンが尋ねます。冷たい感じの口調だったので、メルは不安そうな顔をしました。
ボーズ長老はもったいつけて、大きな咳払いをしてから続けます。
「スタッドの台詞をそのまま告げよう…。
『ノアへ。ランドレークのラグナロク遺跡で待つ』」
ノアもバーボンも雷で打たれたような衝撃を受けました。メルも驚いて口元をおさえます。
「す、スタッドって…超能力者!? な、なんでアタシの名前を…」
「どうなってやがる? 確かに遺跡で妙な力を得たという噂は聞いたが…透視か予知能力でもありやがるのか? 理解し難いぜ」
バーボンが額をおさえて言います。論理的でないことは信じられない性質なのです。
「で、でも…ランドレークって? ラグナロク遺跡ってなに?」
ノアがバーボンの顔を見て尋ねます。バーボンは苦い顔をしました。
「ラグナロク遺跡は聞いたことがねぇ…。が、ランドレークは…確か、滅びの都の名前だな。ファルの首都レムジンより遙かに北。魔神バルバトスがかつて完膚無きまでに破壊した大都市だ。いまじゃ、凶悪な魔物たちが占拠していて、誰も近寄れないほど危険な土地だと聞く。
だが、そんなところになぜだ? なぜ関係もないノアに、スタッドはそんなことを言いやがるんだ?」
バーボンの問いに、ボーズ長老は首を横に振りました。
「それは我も…知らぬ。ただ運命。我は運命に従い、言伝を述べるだけ」
運命と繰り返す長老に、バーボンは降参といわんばかりに両手を広げます。
「なら、質問を変えよう。スタッドとお前さんらはどんな繋がりがある? なぜ、そんな言伝を残したんだ?」
「我らは…スタッド殿の盟友だからだ。スタッド殿は、この地に住まう災厄を封じ、一時の平安を与えてくれた。その借りがある」
長老の言葉に、7人のボーズ星人たちも「そうだそうだ」と頷く。
「我らはここで誰にも知られず静かに消えていく運命。そして、スタッド殿は、魔神バルバトスを完全に封じなければならぬ運命に生きている」
気の抜けた顔でこそありましたが、長老の声には覚悟や決意といった物が感じられました。
「魔神バルバトスを…完全に封じるだって? だ、だって…スタッドは魔神を20年も前に封印したんだろ!? それで平和になったんじゃないの!? 完全にってどういうことだよ!?」
昔から教えられてきた伝説が否定されたような気持ちになってしまったので、ノアはムキになって言います。
「確かに…『聖結界エミトン』は強力な魔法だ。だが、永続するものではない。魔神バルバトスの恐るべき力を考えれば当然のこと。長き時を経て、もはや強力な結界にも綻びが見えつつある。
スタッド殿は、その封印を完全なものとすべく動いている」
バーボンは腕を組んでしばらく考え込みます。
「…さっき、消えていく運命と言ったな? そっちはどういう意味だ?」
「そのままだ。退化した我らは滅びいく定めにある。しかし、ただ消え行く前に、受けた恩には報いたい。故に我らはスタッド殿に全面的に協力しているのだ」
ボーズ長老がそう言った直後、グラグラと大きな地響きと揺れが起きます。
「う、うわわ! 地震!?」
「…これだ。魔神バルバトスの封印が弱まったことで、この退化神殿に封じられし災厄。『悪魔』の1匹が目覚めつつある現象だ。
魔神バルバトスと共に各地に封じられた悪魔が、やがて次々と目を覚ますのだろう…もう起きるまで間がない」
この地響きは悪魔とやらが動かしているのだと解りましたが、地震を起こすなんてとんでもない力です。あまりのことに、ノアもバーボンも真っ青になりました。
「悪魔だと。まさか、伝説の代物だと思っていたが」
「あ、悪魔って…なに?」
「魔物の上級種だ。魔物よりも知性が高く、力も強い。なかには、メリンのように魔法を使うヤツもいるって話だ」
さっきの地震に驚いて、ボーズ星人たちが集まってきました。長老以外、みんな怯えてブルブルと震えています。メルはその1人1人の背中をさすり、「大丈夫よ」と声をかけます。
「デムの少女ノアよ。我らの願い…聞き届けてはくれまいか?」
神妙そうな顔…といっても、いつも変わらない顔なんですけれども。しかし、ボーズ星人にしてはきっと精一杯な深刻な顔なのでしょう。
「悪魔が目覚めれば、我々には為す術はない…。これが我らの滅びる運命。覚悟はできているのだ。
だが、メルメルだけは違う。この子は間違って我らの地に迷い込んでしまった者。どうか、このメルメルだけは連れて逃げてほしい」
「長老様!」
メルが悲しそうに抗議の声をあげます。
長老とメルを見て、ノアは気に入らなそうにプクッと頬をふくらませました。
「アンタたちはどうすんのさ? さっきから滅びるとかってなんなんだよ?」
「我らは…争いを求めぬ。争うことを嫌い、進化をやめ、自己を捨て、誰の目にも止まらぬ日陰に逃げた者たち。我は我らであり、我らは我。調和こそが我らの本質」
バーボンは思わず息を呑み、深く思案するように腕を組みます。
「哲学的だ。退化した種族であるボーズ星人が、そこまで知性を有していたとはな。まさに一なる全、全なる一。自我を捨てることにより、種族全体の調和を計ろうとしたのか。こりゃ悟りってヤツの境地に近いんじゃねぇか?」
バーボンが関心して言うのに、メルは思いっきり首を横に振りました。
「違います! ボーズ星人さんたちは…ただ平和に生きたいだけ。誰も傷つけたくないから…誰にも干渉せず、干渉されず! 誰よりも愛が深いからできることです! そうじゃなきゃ、記憶を失った私を受け入れて、助けてくれたりなんかしません!」
メルが強く言います。自分の言った台詞がちょっと理屈っぽかったと反省し、バーボンは眉の付け根を揉みました。
ボーズ長老は、ボーズ星人全体を見回します。言葉を使わずとも、意思の疎通ができるようです。思考レベルに差はあれど、皆が同じことを思って感じられる、心を共有する能力があるのです。
「…数多くいた我らの数もここまで減ってしまった。この世界は我らには生きにくい。競争を下り、退化をした種族は滅びる定めにある。
我らは、我らだけでなく、世界にも平和をくれたスタッド殿に報いる。それが最期の我らの望みでもある」
「報いるって…」
「我らの命を賭し、この地に再び悪魔を封じて、世から消え去るつもりなのだ」
決意したかのように、ボーズ長老が言うと、さっきから怯え震えていたボーズ星人たちが顔を見合わせてコクリと頷きました。
そして魔法陣が描かれた小さな紙を取り出します。長老も、7人もまったく同じものを持っているのです。
「それは…まさか! 『疑似魔法』!? まさか…そんな、長老様!」
それを目にして、メルが取り乱します。バーボンもそれが何か知っているかのようで、ギリッと歯ぎしりしました。
「スタッド…の野郎ッ! まさか、ボーズ星人とその悪魔を一緒に心中させるつもりかよ!?」
「な、なに?」
ノアはわけが解らず尋ねます。メルが目尻に涙をためながら言いました。
「魔法が使えない者でも、魔力を持つ者が描いた魔法陣を通して…一時的に魔法を使うことができるのです」
あんな小さな紙にそんな力があることにノアはビックリします。
つまり、魔法の“ま”の字も知らないノアでも、メルのファイヤーストームなどを簡単に使えるということなのですね。
「そりゃ、スゴイじゃない!」
この8人がファイヤーストームを一斉に使えば、どんな凶悪な魔物だって倒せるような気がします。悪魔だって楽勝なんじゃないかとノアは思いました。
「しかし、それには代償が付きまとうのです」
「代償?」
「ああ。それも魔法の種類によっちゃ重い代償だ。魔法ってのは便利な代物だが、決して万能なんかじゃねぇ」
「はい。簡単な魔法ならば、少し体力を使うとか、少し熱が出る程度で済む物もありますが…」
「それぐらいの代償なら、アタシ的には魔法使えた方がいいけどな」
ノアはそんな風に軽く言いますが、バーボンは首を横に振ります。
「あの紙には魔法の術式が組まれてるんだがな。門外漢の俺が見ただけでも…」
バーボンがメルに目配せすると、大きく息を吐き出してから重く頷きます。
「はい。描かれているのは…高度な封印魔法です」
「そんな高等魔法となりゃ、魔力の無い者が使うとしたらその生命を代償に捧げなきゃなんねぇだろ」
「生命…を捧げる?」
「……命を使い、魔法を発動させるのです」
「な、なんだってぇ!?」
魔法を使うのに命を使うだなんて割が合わないにも程がありました。さっきからノアは自分が魔法を使っている姿を想像していましたが、すぐにそれを振り消してしまいます。
「……スタッドが描いた魔法陣は、ボーズ星人たちの命を使って悪魔を封じ込めるものなのかよ? ホントに…?」
ノアは思わず長老の顔を見やります。しかし、その顔には何の変化も…いえ、ずっと顔つきは変わらないんですが…迷いや、ためらいといったものが感じられなかったのです。
「おい! アンタたち…」
「間違うな。これはスタッド殿の意思などでは決してない。我ら、ボーズ星人全員の選択なのだ…。
ただ無為に滅び行くより、意義ある死を選びたい。我らが望む最期の“我”だ」
どこまでも達観しているボーズ長老が遠い目をして言います。
「そんなのダメだッ!!!」
我慢の限界に達したノアが怒鳴りました。
シーンと辺りが静まりかえります。
「アタシは信じない! スタッドがそんな恐ろしい魔法をアンタらに渡しただなんて!」
ノアを助けてくれた時のスタッドは優しい目をしていました。だからこそ、そんなことあるわけ無いと思うのです。
「死んでいい命なんてあるはずがないだろ!!! 死んだらお終いじゃないか!!」
メルとバーボンはハッとします。頭にはあっても、言葉に出せていなかったことをノアが何の遠慮もなく言い放ったからです。
命を棄ててまで悪魔を倒すと言った長老たちの決意が崇高なもののように思われて、それをただ止めるなんて失礼なような気がして、ついそんな理屈に囚われてしまったことを二人は恥ずかしく思いました。
でもそうじゃありません。ノアの言った通り、死んだらお終いなんです。そんな簡単に死んでいいはずなんてないじゃありませんか。
「何が意義ある死だ! 何が滅び行く運命だ! 自分で諦めちゃ、何もできないじゃないか!!!」
「ノア…」
メルが微笑んで涙を零します。バーボンはタバコに火を付けてフッと笑いました。
「…ノアよ。ありがとう。こんな我らのために。だが、この地の災厄を捨て置くわけにはいかぬ」
「そんなん“ギジマホウ”なんて使わずに、ブッ倒せばいいじゃん!」
そんな感じにあっけらかんと言うノアに、ボーズ長老はたぶん…驚いた様子でした。
「た、倒す…?」
「そうそう。気に入らないヤツなら、この拳でブッ飛ばしてやればいいんだよ!」
平和主義者のボーズ星人たちには、倒すという考えはまったく思いつきもしませんでした。長老と7人はそれぞれ顔を見合わせます。
「し、しかし…この地に眠る、悪魔『オルガノッソ』は魔神バルバトスの力を大きく受け継いでいる。魔物などとは比べものにならぬ強大な力をもっているのだ。スタッド殿でも、苦心の末に封じたほどの敵。戦って倒すなど…」
「そんなのやってみなきゃわかんないよ! 命を賭けて封じる気があるなら、死ぬ気で倒したほうがいいじゃん!!」
ノアの明確な物言いに、ボーズ長老は衝撃を受けました。
チラッと横を見やると、なんとボーズ星人たちがノアの言葉に呼応して拳を握りしめています。臆病で、戦うことが嫌いな彼らが彼女の言葉に反応しているのです。
長老はしばし考え込みます。そして目の前で自信あり気な少女に、ある男の面影が重なりました。
「……ノア。お前はスタッド殿に似ている」
「へ? スタッドに、似ている? アタシが…?」
ボーズ長老はそうだと大きく頷きます。
「何気ない言葉一つ一つが、皆の力となる…。世界から見捨てられた我らを、『価値ある存在』といって高く評価してくれたのはスタッド殿だ。自我と共に、優しさや慈しみを忘れていた我らに…大事なものを取り戻してくれた」
親が子を見るような目で、ボーズ長老は優しくメルを見やります。
「そうでなければ、退化の大森林で倒れていたこの子を助けてやることもできなかっただろう…。我らはただ滅びるだけの愚者となっていた。スタッド殿もメルメルも、我らに愛をくれた。とても感謝している」
「…いいえ、いいえ。長老様。私こそ…多くを与えられました。記憶を失った私を、ここに置いて下さいました。私こそ、愛が与えられたのです。今度は、私が…お返しをするときです!」
メルが強い目をします。
彼女も悪魔や疑似魔法の存在を知った時折に諦めてしまっていました。しかし、ボーズ星人たちと同じ様にノアの勇気に触発されたのです。
メルも心優しい少女ではあります。しかし、その優しさの裏側には強く太い芯があって支えられているのでした。
「チッ。女の子2人だけに行かせるわけにもいかねぇしな。俺も付き合ってやるよ、その悪魔オルガノッソってヤツも気になるしな」
バーボンが煙を吐き出し、ニッと笑います。
「メル! バーボンおじさん!」
ノアは嬉しそうな顔をしました。この二人がいれば100人力じゃありませんか! その湧き出る勇気たるや、そんな100人が乗ったってビクともしない頑丈さと完璧な安定感の例の物置き並なのです!
ええ、きっとそれは魔神バルバトスだって倒せてしまうんじゃないかとさえノアは思います!
「よっしゃ! やったろ!! そんな悪魔なんて、アタシが粉みじんにしてから、メルがそれをカラッと焼いて、バーボンおじさんが薬品をまぶして、親分の酒ダルにでも漬け込んでやるよ!」
頼もしい勇者3人に、ボーズ長老は自分の内側にも熱いものが出てくるのを感じました。
自己を放棄して退化することを選んだ時から感じなくなっていた情熱です! パッションです! ほとばしるエナジーなのでございます!
「…もう止めはすまい。倒せるならば、運命に抗えるならば、進んでみるのもまた運命」
長老が何やら手をあげて、呪文を唱えました。すると、長老の後ろの土壁が崩れ、降りるための階段が現れます。
「この先にこそ、オルガノッソがいる! スタッド殿の封じた悪魔だ」
その底はずっとずっと深く、赤いマグマのような光だけがおどろおどろしく蠢いていました。
怖さはありました。でも、それ以上に絶対に負けられないという思いが湧いてきます。
「覚悟は?」
「大丈夫です!」
「ああ、いつでもだ!」
ノアがダガーを構え、メルがスカートの裾をしばり、バーボンが義手の鞭をカチャリと付け直します。
「倒すぞ! アタシたちで! 悪魔オルガノッソを!!!」
さあ、今こそ出陣の時です!!!