第二十六章 まだ見ぬ世界へ……
盗賊の森にあるアジト。
ノアの部屋で、割れた鏡がタルの上に立てかけられています。ちょっとくすんだ鏡越しにノアは軽く苦笑いを作ってみせました。
「ほら、ノア。動かないで…」
ノアの後ろで、クシで髪を優しくすいてくれているメルが言います。
「でもさぁ、アタシ…こんなのしたことないし…」
鏡のノアが照れくさそうに笑います。クシを棚に置き、メルが正面にまわります。
「ダメ。お化粧ぐらいしなきゃ。女の子は綺麗になる権利があるんですから…。
うーん。ノアには、この色が合うかしら?」
ポーチから口紅を何本か取り出して、メルはちょっと悩んでから薄いピンク色のものを選びました。
それを唇につけられて、なんだかノアはお尻がムズムズするのを感じてしまいます。
メルにされるがまま、目の上に鉛筆のようなもので何かを描かれたり、ほっぺにパウダーをつけられたりします。クシャミが出そうでしたが、メルが真剣なのでノアも我慢しました。
「…ほら、ノア。こんなに可愛くなれるんですよ」
メルが鏡を持ち上げて、ノアを間近で映し出します。
「…へ? こ、これがアタシ?」
ノアは目の前に映るのが自分だとは信じられませんでした。
鏡に映っていたのは、いつものボサボサの頭で日焼けした傷だらけの女の子じゃありません。普通にしていれば王女マレルと肩を並べられるぐらいの美少女がいるのです!
つけマツゲとアイシャドーのお陰で、いつもより目も大きく見えるのもポイントでしょう。
「さあ、自信がついたでしょう? 着替えて。もっと違いますよ」
メルがウインクして、ドレスを取り出します。バーボンの自宅から拝借してきたエリムの服です。メルが頼み込み、わざわざファラーにレムジンまでテレポートで取って来させたものでした。
「うええ…。い、いいよ! アタシはこのままで!」
逃げだそうとするノアを、メルが押しとどめます。
「ダメったら、ダメ! 逃げたら…アルティメットですよ♪」
そう言ってニコリと笑うメルを、ノアは心底恐ろしいと感じました……。
着慣れないヒラヒラの服を着て、ノアは盗賊の森をトボトボと歩きます。ハイヒールなんてはいたことがないので、ちょっと油断していると木の根につまずいてしまいそうです。
自分が向かう先に誰がいるかは知っているので、いざその時になってみると心臓が爆発しそうなぐらいに高鳴っています。すぐにでも引き返したいところなのですが、魔法を詠唱しているメルを思い浮かべるとノアはブルッと震えてしまいました。
なぜならば、おめかししたノアを見て、食べているパンを吹き出そうとしたシュタイナと、鼻血を撒き散らしてドレスを汚そうとしたヤグルを、問答無用で魔法でぶっ飛ばしたのですから、メルが本気の本気なのは言うまでもありません。
このまま、おめおめと戻ったら、メルに何をされるか解ったものではないのです。
「メル、あんな子じゃなかったのになぁー」
泣き笑いの顔でノアがぼやきます。
そうこうしているうちに、待ち合わせの場所にまで来てしまいました。少し遠くから水の音。滝の側です。盗賊たちなら誰でも知っている所です。
「…あー。どうしよう。やっぱやめよう。そうだ。明日にしよう。うん。そうしよう」
「…ノア?」
ノアが大きな木の影であーでもこーでもないと言っていると、何者からか声をかけられました。ノアは自分の心臓が口から飛び出るのではないかというぐらいに驚きます。
「おや? 待ち合わせの時間に遅れてしまったかと思ったけど、どうやらノアも今来たようだね」
ノアの来た反対側から、スタッドが姿を現します。てっきり滝の側で待っているものと思っていたノアは口をパクパクとさせました。
スタッドはいつものようにニコリと笑い、滝の方へ歩いて行ってしまいます。
ノアは逃げ出したい心境にかられましたが、それでも…スタッドの後について滝の方へ出ました。
スタッドが滝を見て感嘆の声をもらします。
「へえー。盗賊の森は何度も来たけれども、こんなところは初めて見たよ」
段瀑からは、緩やかながら、とめどなく水があふれ流れでています。鳥たちがちょっとひと休みしようとその周囲の岩場にとどまり、森に住むリスやキツネたちが喉のかわきを癒やしに集まっています。
日の光の角度によっては虹まで現れて見えました。そして削れた岩が芸術的で神秘的なことこの上ないです。自然の力の凄さと不思議さを感じさせます。
滝に見とれていた2人の間を、さわやかな涼しい風が吹き抜けていきました。
「とても綺麗な場所だね」
スタッドがそう言うのに、ノアは自分が褒められたような気がしました。それはここがノアのお気に入りの場所だったからに他なりません。
待ち合わせするのにここを指定したのも、ここをスタッドに見せたいという気持ちもあったのです。
よく幼い頃、バッカレスと水浴びに来たのがこの滝だったのです。ノアにとってとっても大事な場所なのですね。
「…さて。それで僕に何の話だろう?
そういえば、レムジンで…すべてが終わった後に聞いてもらいたいことがあるとか言っていたよね。
まあ、メルメルちゃんにあんな真剣に言われなくても話ぐらいきくつもりだったんだけれども…」
スタッドは困ったような顔で頭をかきました。
どうやら、メルはスタッドにまで脅し…いや、強く、お願いをしたようです。こういう時のメルの行動力にはノアも驚かされます。
「あの…」
ノアは真っ赤な顔でモジモジしながら、指と指を絡まさせたり解いたりしています。
「ん? …あれ、ノア。その格好は…」
今頃になって、スタッドはノアがいつもの格好ではないことに気づきました。
改めてそんな事を指摘されたせいで、ノアはさらに緊張して、ピキーン! と、硬直してしまいます。
ああ、スカートの中がスースーして落ち着かないです。なんでこんなにヒラヒラしてるんでしょう。ノアの焦る気持ちをあおってるかのようです。
「…ヘン、かな?」
うわずった不安そうな声でノアが尋ねます。
「うん。変だね」なんて言われたら、きっと泣いちゃいます。それでも、キョトンとした顔のスタッドに向かってノアは聞かざるを得ませんでした。
だって、スタッドに告白するためにこんな恥ずかしい格好をしているのです。これでスタッドが何も思わなければ、とてもとても悲しいじゃありませんか。
スタッドはノアの身体を上から下まで眺めました。まるで値踏みされているようで、ノアは生きた心地がしません。
ああ、回れ右して全速力で逃げ出したい気持ちで一杯であります。
一通りノアの姿を見た後、スタッドはニコリといつものスマイルを決めます。
「うん。とてもいいね。可愛いと思うよ」
ボボン!
なんの音でしょう? はい。ノアの顔が高熱で爆発したのです。好きな人に可愛いだなんて言われて、ノアはもう空にまで飛んでいってしまいそうな気持ちでありました。
ノアの中で何かが動き出しました!
小さなボーズ星人たちが、ノアの脳の中で隊列を組んで一斉に動き出しています! ヒゲの生えた一番偉そうなボーズ星人が、手を垂直に突き立ててGOサインを出していました!
ガチャン!
バコーン!
ズキャーン!
小さなボーズ星人たちがノアの脳に隠されていたスイッチを一斉に入れました!
もう止まりません!
止まれません!
「スタッド! アタシは…アンタが好きだ!!」
前もって考えていた台詞とは違いましたが、ノアはダイレクトに気持ちを吐き出します!
脳内のボーズ星人たちが一斉に『よくやったボー』と拍手しています。
「え…」
スタッドが目をグルリと回します。ノアの言葉の意味をしばし考えているようです。
ノアはそれが怖くて、スタッドに一気に詰め寄りました。その迫力にスタッドが少し後ずさります。滝に落ちそうなところまでズンズンと進んでいきます。
「ずっと、ずっと! エルジメン橋でアンタに救われてから……ずーーーーーっと、アンタが好きだったんだ!
アタシ、あれから変なんだ! いつもアンタの事考えてるし!! 今だって胸バクバク言ってるし!!
アンタが笑ってるのが好き!
アンタがハーモニカ吹いてるのも好き!
メガネを上げる仕草も好き!
遠くを見るときに目を細めるのも好き!
ちょっと頼りなさそうだけど、絶対に誰かを見捨てたりしないのも好き!!
もう、好きすぎて、アタシ、もうわけわからんないけど好きなんだ!!!
好きすぎてどうしようもないんだよ!!」
テンパっているノアは、定まらない視点で好きを連呼しました!
ノアの生涯のなかでもうこれ以上は「好き」という言葉を言わないだろうというぐらいに、ここで一気に出し切ったのであります。それは売りつくしバーゲンセール並です。でも、決して安売りではございません。
「…あ…。うん」
スタッドがようやく放った言葉は、なんともハッキリしないものでした。
告白してしまった恥ずかしさもあって、ノアはさらにスタッドに詰め寄ります。
「スタッドは…どう!? アタシに告白されて…どう!?」
自分でも何が「どう!?」なのか解らないのですが、ここで答えがどうしても欲しくて聞いてしまいます。
スタッドが目を白黒させながらも、ノアの顔を見て言います。
「…んーー。その、無理、だよね」
苦笑いをしながら言うスタッドです。
その言葉を理解するまで、ノアにはちょっと時間がかかりました。
そして、「無理」という単語の意味を理解し終えた時、ノアの中で全てが停止しました……。
ワンパッパーパー! ワンパカパッパー!
間抜けなファンファーレが頭の中で鳴り響きます。世界の終わりのようです。全てが壊れて消えてしまったかのようです。
ノアの脳内で、ヒゲのボーズ星人が無念そうに白旗を振って涙を流します。他の小さなボーズ星人たちも男泣きです。
戦いは終わったのです。完全に敗北したのです……。
「……うきゃ」
「の、ノア!!?」
ノアは白目をむいて、川の方に倒れます。
慌ててスタッドが抱きかかえますが、その顔は遠くへ行ってしまっています。この世界ではない場所へトリップしています。
ガサガサッ! と、茂みから人々が姿を現します。
メルにシュタイナにヤグル。ボーズ太郎にレイ、シャリオやミャオといった面々です。ずっと隠れて事の次第を見ていたのです!
「…ん? これは、いったい?」
スタッドが状況が飲み込めずに首を傾げると、怒りの表情のメルがズンズンと進み出て来ました。
「スタッドさん! みそこないました!! 断るにしても、もっと言葉ってものがあるでしょう!!
ノアがどんな気持ちで、勇気をふりしぼって告白したか解ってるんですか!?」
「め、メル!! 落ち着け!!」
「ま、魔法はダメだボー!!!」
アルティメットの詠唱に入ったメルを、レイとボーズ太郎がはがいじめにして止めます!
「あうー。ノアー」
「ほら、ヤグル。お前もいつまでも泣いてないで…」
ヤグルは鼻の頭を真っ赤にさせてシクシクと泣いていて、それをシュタイナは困ったようになぐさめています。
そんなやり取りをしていると、遠くから何かが走ってきました。ドドドッ! と、猛烈な勢いです!
「あ! 親分!!」
シュタイナが「あっ!」と気づいて声を上げます。それはバッカレスでした。そして、スタッドに抱えられて気絶しているノアを見て、パンと自分の額を叩きます。
「…あー、チキショウ。やっちまったか! 朝からコソコソやってると思えば、やっぱりこんなことだろうと思ったぜ」
バッカレスがガリガリと頭をかくのをみて、メルは訝しげな顔をします。
「こんなこと…?」
ユラリとメルの身体から殺気が放たれるのを見て、バッカレスは慌てて首を横に振ります。
「勘違いすんない! ほら、ノア! 起きろ!!」
バッカレスの無骨な手が、パンパンとノアの両ほっぺを引っぱたきます。
気がついて目を開いたノアでしたが、ほっぺは真っ赤にふくれあがっています。
「…あ。親分? …うっきゃー!!!」
気がついたノアは、自分を抱きかかえているのがスタッドだと気づいて再び気絶しそうになります。
「あー! めんどくせー! しゃんとしろ!! いちいち倒れるな!!」
ノアがトリップしそうになるのを、目の前で怒鳴りつけて止めます。そして、スタッドから引きはがして立たせました。
「あー! もうイヤだ! 消えたい! 消えちゃいたい!! あーーーー、泣きたいけど泣けない! なんでみんないるんだよぉおーー!!」
泣いているのか笑っているのか、よく解らない顔でグチャグチャになりながら、バッカレスの分厚い胸板を力いっぱい殴りつけるノアです。
「あー。もう! テメェがちゃんと説明しねぇからこうなるんだろうが!! いつも、テメェは説明がたんねぇんだよ!!」
バッカレスがスタッドに怒鳴りつけます。スタッドは自分の鼻をポリッとかきました。
「…ああ。そうだね。バッカレス親分。ちゃんと言わなきゃね」
やつ当たりしているノアの腕を、スタッドがやんわりとつかみます。
ノアはイヤイヤと首を横に振りますが、スタッドは「大丈夫だから。僕をよく見て」と言い聞かせます。
そして、鼻水でグチャグチャになったノアと目線を合わせてスタッドはニコリと笑いました。
「…ノア。僕が君のお父さんだよ」
ノアはスタッドが言っている言葉の意味が理解できませんでした。ただ真っ赤な目で、ジッとスタッドの顔を見つめるだけです。
「…本当だ。スタッドが、オメェの親父だ。血の繋がった正真正銘の親だ」
バッカレスが大きく頷きます。ノアだけでなく、他の皆も驚きに止まってしまっていました。
「…だって、親分。アタシは…親分に宝と間違えて…拾われたって」
「ありゃ嘘だ。義賊バッカレス様が人さらいなんてするもんかよ。
…16年前、俺様はスタッドからオメェを預かったんだ」
なんてことでしょう。ビシュエルに幻をかけられた時に見た夢は、本当のノアの記憶だったのです。
あの時に優しく抱っこしてくれていたのはスタッドだったのです。
「あ。じゃあ、ノアの方舟…も、偶然じゃ…」
レイが思い出したように言うと、スタッドはコクリと頷きます。
「もちろん…。僕はラグナロク遺跡にあった、あの方舟の名にあやかって君をノアと名付けたんだ。
ノアの方舟が、人類を存続させるための希望だったように、僕たちの希望となって欲しいと願いを込めてね」
愛おしそうにノアを見るスタッドの視線を受けて、ノアはダランと腕を下げます。
時折、スタッドが意味深に見つめてきたのは、親が子を見る愛情に他ならないのでした。
「…なんで、親分にアタシを預けたの?」
ノアがそう呟くのに、スタッドはちょっと困った顔をします。
「…それはオ・パイ殿と同じ理由だよ。家族を守りたかったんだ。
僕は魔神バルバトスに強く恨まれていた。事実、四天王ほどではないにしろ、かなり凶悪な魔物たちにもつけ狙われていたしね。
君を守るには、バッカレス親分に預けるのが最善だと思ったんだよ」
スタッドがバッカレスを見る目に、強い信頼があることが解ります。
「そして…大きくなったら、きっと僕の意志を継いでくれるだろうとも信じていたんだ」
スタッドがノアを選んだ理由。ノアに可能性を見出した理由がこれだったのです。自分の娘だから、期待するのは親としては当然だったのではないでしょうか。
「…なら、どうして会った時に教えてくれなかったのさ!」
ノアが怒るのに、スタッドは初めて口ごもります。
なんだか裏切られたような気がして、ノアは心の中がざわめくのを感じました。
「そんなん決まってんだろ。オメェが大事だからだよ」
スタッドの代わりに、バッカレスが答えます。ノアはハッとしましたが、それでも眉を寄せます。納得がいきません。
「…大事って。なんだよ」
「好きこのんで秘密にしていたわけじゃねぇしな。そして、娘を危険にさらしちまったっていう負い目もあるんだ。…いまさらノコノコ出てきて、『親です』なんてなかなか言えたもんじゃねぇよ」
痛いところをつかれたと言わんばかりに、スタッドは頭をかきます。
「それでも…アタシは…言ってほしかった!」
ノアが泣きそうになりながら言うのに、スタッドは心底、申し訳なさそうな顔をします。
バッカレスがブフーッと大きなため息をついたかと思うと、ゴン! と、ノアの頭に鉄拳が振り下ろされます! その音を聞いて、シュタイナとヤグルがすくみ上がりました。
「イッテェ! なにすんだよ!!」
ノアが涙目に怒ります。ショックを受けた上に、殴られるなんてたまったものじゃありません。ですが、バッカレスは呆れた顔をしていました。
「…ホント、馬鹿な親子だぜ」
「あんだと!!? やるってのか! 相手になってやる! いくら親分だからってやっていいことと悪いことが!!」
ノアが腕まくりをするのに、バッカレスは腕を組んだままで動きません。
「…テメェが、スタッドに告白するまでどれくらい時間がかかった? ん? それ以上に、スタッドは思い悩んでいたんだぜ」
「…あ」
ノアはハッとします。我が子を愛しむときのスタッドの目を思い出します。いつも、その時にスタッドが「僕がお父さんだよ」って言いたかったのではないでしょうか。
それが解るのは、ノアがいつも「好きだよ」と伝えたいのと同じぐらいにチャンスがあったからです。
言いたいけど言えない。その辛さは、ノア自身がよく解っていました。
「…ごめん。ノア。僕は…良いお父さんではないね」
ションボリしてそう言うスタッドの肩が、ノアにはいつもよりも小さく見えました。
いつも飄々《ひょうひょう》としているけれども、本当はスタッドは怖かったのです。ノアに拒絶されるのが…。
そしてノアも、スタッドに拒絶されるのが怖くて本音を隠していたんです。無理して元気な女の子を演じている部分があったんじゃないでしょうか。
「…似た者同士なんだよ。テメェら親子はな。話す時間ならたっぷりある。それで納得できねぇなら、殴り合え。とことん殴り合え。俺様が立会人になってやっからよ」
言うことは全部言い終えたとばかりに、バッカレスがフンと鼻を鳴らして来た道を戻ります。
「そんな! そんな言い方はひどすぎ…」
メルが抗議しようとしたのを、いつの間にか姿を現していたバーボンが止めました。
「バーボンさん…」
「いーんだよ。あれで…。フッ。スタッドがバッカレスにノアを預けた理由もわかる気がするぜ」
ノアとスタッドは、しばらく呆然としたまま見つめあっていました。
そして、ノアはいきなりプッと吹き出して笑います。スタッドは目を丸くしました。
「…そうか。アタシ…自分の…父親に告白…したのか」
自分で言って、さらにおかしくなったのかノアは腹を抱えて笑い出しました。スタッドは困ったような顔をして頬をかきます。
「…あー。まあ、女の子の初恋は、父親だっていうから、ね。…ブハッ!!」
スタッドの顔からメガネが吹っ飛んでいきました!
ノアの拳が、スタッドの顔面にとクリーンヒットしたのです!
「この年齢になって、初恋もないだろ! これは…アタシの純情を踏みにじった罰だ! これでチャラにしてやるよ、親父!!」
鼻を抑えながら、スタッドは降参したと手を挙げました。
「…ん。やっぱり…預ける相手を、間違えたかな。ハハ」
ノアとスタッドはそろって笑い声をあげます。その笑い声は、盗賊の森全部に響き渡ったのでした…………。
☆☆☆
──親愛なるノアへ。
お久しぶりです。いまはどこを旅されているのでしょう? お元気にされていますか?
私は今、バーボンさんの診療所でアルバイトの形で住み込みで働いています。
まだお薬をだしたり、包帯をまいたりするだけですけども…かなり腕前は上達したのよ。
よく治療にくるヤグルさんに褒められるぐらい…。ええ。バッカレスさんのゲンコツが主なケガなんだけれどもね♪
バーボンさんったら、カルテをあっちこっちに置くので、患者さんが来たときに見つけるのが大変なの。
今はデムだけじゃなく、評判を聞いたファルやメリンの患者さんもよく来るわ。
ああ。私の話だけじゃなく、他の皆の話も聞きたいですよね…。
あれから、レイはお城の復興に全力を注いでいます。
王様も王妃様も、レイにほとんど国の運営を任せてるみたい。とても忙しそうなの。
お兄ちゃん子のマレル王女は相変わらずべったりだけれど。とても仲の良い兄妹よね。
もしかしたら、次に会う時には王様になっているかも…ね♪
お城が直ったら、なんだかドレードさんと一緒に他の大陸の調査をする計画を立てているみたい。
ノアの方舟の技術を解明して、海を航海する船が作れるようになるらしいの。
ボーズ太郎たちの協力もあって、着実に計画は進んでいるそうよ。
その船で、いま私たちがいる大陸以外の場所にも行けるようになるらしいわ。
私たち以外の種族がいるかも…そう考えると、今からワクワクしてきますよね♪
ミャオは今はコネミさんとステラさん、ウィリアムのところにいます。
ドレードさんやディレアスさんは、やっぱりレムジンとミルミの再建が一番忙しいみたい。
ミャオが側にいるとつい遊んでしまうらしくて、コネミさんのところに預けてるみたなの。
ミャオは時々、救いの小屋の私のお母さんやリッケルにお魚を届けてくれているって。
新鮮な魚が手に入って、お母さんはとても助かっているみたい。
あ。アホンさんとダラさんだけど…なんだか、どういう経緯なのかよく解らないんだけれど……
コネミさんの弟子になったという話を聞きました。
なんだか最強の釣り師になるとか、で?
まあ、お城の兵隊さんよりは、よっぽど合った仕事だと思いますよね。応援してあげましょう♪
私のお父さん…は、フラッとどこかへ行ってしまいました。
まだ魔物の残党を倒さなければならないとか言っていたんで…。
でも、ノアに倒されたのが悔しくて、修行をやり直しているのかもしれないわね。きっとそうよ…。
もしお父さんに会うことがあったら、私とお母さんが怒っているから早く帰ってくるようにと伝えてね。
シャリオは、バッカレスさんやシュタイナさんの元に預けられることになりました。
時々、ファラー大司教や娘さんたちが遊び来てあげてくれているようです。
でも、ノアがいなくなって元気ないみたい。たまには手紙を書いてあげてくださいね。
こんな感じに皆、元気にしていますけれど、やっぱりノアがいなくなってとても寂しいです…。
戻ってこれる機会があったら、いつでも! ぜひ顔だけでも出して下さいね!
では、旅路、気を付けて…。
心からノアとスタッドさんに祝福がありますように…。
──メルメルより
ノアは手に持ったメルメルの手紙を読み終えると、丁寧にたたんで胸ポケットにしまいました。
そして、口の横に手を当てて、赤茶けた大地のくぼみに向かって大声で言います。
「メルー!! 手紙ありがとうーー!! アタシは元気ー!!! 親父も元気ー!!!」
その言葉がメルに届くなんて思ってはいませんでしたが、ノアの声はいくつも木霊します。
「……はぁ、はぁ。待ってよ、ノア」
大きなリュックを背負ったスタッドが、崖のはるか下からフラフラになりながらよじ登って来るのが見えます。
「遅いよ! 親父!! さっさと行かないと、日が暮れちゃうだろ!」
「…だ、だったら少しぐらい、荷物もってくれたって…」
ブツブツと言うスタッドでしたが、ノアは鼻の下をこすって知らん顔をしました。
「のんびりしてらんないよ! レイたちが城を直したら、船作ってこの大陸まで来るかもしんないんだから!
その前に、アタシたちがこの未知の大陸をみーんな解明してやんだからね!」
ノアが手書きの地図をパチパチと叩きます。ほとんど空白のそれは、未だ見ぬ場所がたくさんあるのだということを示していました。
「盗賊から一変して、冒険者か。ノアの好奇心はたいしたものだよ」
スタッドが水筒の水を口に含みながら言います。ノアはそれを引ったくってガブガブと飲み、グイッと口の端をぬぐいました。
「親父の娘だからね。遺伝でしょ、こいうのはさ♪ まだまだ、アタシは色んなものを見て回るんだ! この広い世界のね!!
宇宙からみただけじゃ解かんなかったし! 歩いて、この目で直に見てやる!! まだまだアタシの知らないことだらけなんだから!! 世界の秘密はアタシのもんだ!」
崖の上でガッツポーズを取るノアです。スタッドが控えめにパチパチと拍手しました。
「…だから、メル。もうちっと、アタシは旅を続けるよ。でも、きっと戻る」
メルの手紙の入った胸ポケットにふれ、ノアは誓います。
「戻る頃には…バーボンおじさんと結婚してるかな。へへ、手紙にはそのこと触れてないじゃーん」
ノアは、伝書鳩の足首に自分の返信を巻き付けます。
そして手からエサをやって、鳩を飛び立たせました。
「…生きているって素晴らしいじゃない!」
太陽の光を浴び、崖の上を大きく旋回しながら飛び行く鳩を見て、ノアは日焼けした顔を上げ、そう大きな声でいいました…………
さて、これでノアたちと魔神バルバトスのお話はお終いです。
けれでも、ノアたちの冒険が終わったわけでは決してありません。
新しく見出された未知の大陸。そこで、ノアはまた多くの出会いをすることでしょう。多くの発見もすることでしょう。
ですが、それはまた別のお話。いつかまたの機会に。その時を楽しみにしております──
──おしまい──
この話の後日談は下記です。
『ノアの恋の行方…』
(https://ncode.syosetu.com/n7462bi/)