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第二十五章 生命を紡ぐ糸

 虚神カムナシが両手を開きます。すると、魔神バルバトスの心臓がポロリと抜け、それが虚神の胸に吸い込まれていきました。


「『おのれ! 私の神力を己が力ともする気なのか!』」


 シャリオ…神王が忌々(いまいま)しそうに言います。虚神カムナシがニヤリと笑いました。


『これぞ、我が研究の真髄! 科学と魔法の融合です! 私自身が科学力によって、動物の利点のみをかけあわせた“複合獣キマイラ”となり、さらにそこに魔法の源たる神王の力をそこに足すことで完全となる!』


 恍惚こうこつとそう叫ぶ虚神カムナシ。その姿は常軌をいっしていました。ズルリと蛇のような尾が生え、爪が狼のように伸びます。顔色はカエルのように青紫色で、その姿は神というよりは怪物といったほうが正しいです。


『まさに私こそ全ての生命を超越した“神”! 誰にも知られず、“事象の彼方”で君たちを管理する唯一者! 私こそ、決して表舞台には現れない実体なき影の管理者たる“虚なる神”!!』


 虚神カムナシは自身の台詞に酔っているようでした。

 

『だが、それ故に誰にも知られるわけにはいきません!

その為にはここで君たちには消えてもらいます! さあ、行きますよ!!』


 虚神カムナシが片手を掲げます!

 そこに地獄の炎王が一瞬現れたかと思うと、苦悶くもんの表情を浮かべて消えました。そして、どす黒い炎が爪に宿ります!!


『〈灰燼かいじんせよ闇のほむら!!!!!!〉』

「ッ!!? ボーズ太郎! 防御魔法だ!!!」


 スタッドが叫びます。慌てて、スタッド、ボーズ太郎、そして神王が氷の盾を作り出しました。虚神カムナシの放つ邪悪な魔法によって、皆が一気に吹き飛ばされます!


「なんてこと…。源泉主の命を削って、あんな強大な魔法を放つなんて! 自然のことわりに反する行為です!!」


 怒りをあらわにメルが言います。虚神カムナシはフンと鼻を鳴らしました。


『神王の力は、源泉主よりも格上のもの!! 格上の存在が、その力をどう行使しようが自由のはずです!! ことわりなどという制約に縛られ、己が力を出し惜しみしていたから、この私に身体も神力も乗っ取られてしまうのですよ!!』

「『愚か者め!! そのおごりこそが、お前たちがいた地球という星を死に追いやったのではないのか!!』」


 神王が白く輝く神力を放ち、虚神カムナシを包み込みます。どうやら、邪悪に染められた神力…魔力を封じ込めようとしているようです。


『ほう! 身体と心臓を失っても、まだこれだけの神力を扱えますか! さすがは落ちぶれても神王といったところですねぇ!! しからば!!』


 虚神カムナシが指をパチンと弾くと、その後ろから巨大な羽根が2枚現れ、虚神の周りをグルグルと回りだしました。それらが神王の力をあっという間に弾き飛ばしてしまいます。


「フン! では、直接ならばどうだ!!」


 気配を消し、いつの間にか背後をとっていたオ・パイが死至突を放ちます!

 神王に気をとられていた虚神カムナシの反応は遅れました。確実に捉えたと、誰もが思います。


「な!?」


 突きを放ったオ・パイの目が驚愕に開かれます。敵は明らかに背後をとられて隙だらけの相手です。それが、後ろ手で死至突をガードしたです。攻撃が来ることを予め知っていなければできない動作でしょう。

 手の平で防がれた攻撃を、ただ唖然と見やるオ・パイに、虚神カムナシの浴びせ蹴りが炸裂しました!


『…もともと格闘技は我々ニンゲンが生み出した技術です。君たちの暗殺拳は、その真似事に過ぎません。

 身体的な能力を見たとき、デムに比べると我々ニンゲンの方が脆弱ぜいしゃく。それ故、従来の格闘技は力技だけでなく、人体構造をよく理解し、柔よく剛を制する作りになっています。

 そして、我々ニンゲンの格闘技の歴史は数千年規模で練られたものです。もっと技巧をらしたものとなっているのですよ。こんな風にね!』


 オ・パイの手をつかみ、サブミッション・ホールドをかけます。腕をとられただけで身動きがとれないことに、オ・パイは驚きます。額に青筋を立て、なんとか抵抗を試みますが、涼しげな顔で虚神カムナシは技を極め続けます。


「クソッ!! 『フォーマル・テンペスト!!!!』」


 レイがオ・パイを助けようと必殺技を放ちます!

 しかし、虚神カムナシを取り巻いている羽根がそれを弾き返してしまいました。


「お父さんを放して!! 『スパークプラズマ!!!』」


 メルが魔法を打ちますが、やはり同じように羽根がはじき返してしまいました。


「チッ。近距離でも遠距離でもどうしようもねぇか…。なら」


 バーボンが懐から薬品を取り出そうとしたのを見て、虚神カムナシが鼻を鳴らします。


『アルカロイド系の神経に作用する薬品は私には無効ですよ。君が調合した薬品については知っています。天球にある植物の薬効成分は、とうにすべて調べて解明しています。やるだけ無駄ですよ』


 懐に手を差し入れた状態のまま、バーボンはあんぐりと口を開けます。自分が作った薬品を見もせずに言い当てられたのですから当然です。


「な、なんなんだよ! アンタは!?」

『さきほどから言っているでしょう? やはり物わかりの悪い下等種ですね。私は“神”ですよ。思い知りなさい。己が無力さを! 〈峻厳しゅんげんなる氷河!!!!!!〉』


 オ・パイを放り出し空中に飛び立ちます。先ほどの炎王のように、氷の女皇の苦悶の表情が現れたと思いきや、ダイヤモンドダストなどとは比べものにならないほど強烈な氷の魔法が展開しました!

 ノーモーションでの発動のため、防御魔法が間に合わず、一瞬にして皆の身体が凍り付きます。手足の感覚が完全に失われてしまいます。


「うう、寒いニャー!!」

「さ、寒いというより…ぐぐ、ランドレークの雪原に埋もれるより、ひ、ひどい、状況だ…」


 鼻水を垂らし、ブルブルと震えるミャオ。身体半分が凍ったレイは青白い顔をしています。


「皆! 今、助けてやる!!」


 ノアの方舟から、ボーズ長老のボイスが響きます。そして、方舟の下方から熱風が吹き出しました。魔法の力によるそれが、ノアたちの身体に張り付いた氷を溶かしてくれます。ボーズ長老は、いつの間にか方舟の操縦席に座っていたのでした。


『まだ無駄な抵抗をするつもりですか? 退化を選択した君たちに、生きながらえる価値などない!!』

「それは違うよ! ボーズ星人たちは、争いが嫌だったから…競争を捨てただけじゃないか!! それは生命を繋げるための選択だったんだ!!」


 ノアがそう言うのに、虚神カムナシは眉をピクリと動かします。


『生命の本質は進化・発展です! 競争についてこれないものは淘汰とうたされる! そして、我々ことニンゲンは、この虚神カムナシという神に匹敵する存在までに登り詰めたのです!』

「そんなもの認めない!」

 

 ノアが理解を示さないのに、虚神カムナシはやれやれとわざとらしく肩をすくめます。


『ならば見なさい! 体感なさい! この圧倒的な力を! そして、そこに屈服する…怠慢で愚かな退化を選択した者の末路を!! 〈万象を穿うが迅雷じんらい!!!!!!〉』


 虚神カムナシが、今度は天界の雷帝を犠牲にして雷を召還します! 雷というよりは、もはや爆撃に近いほどの威力です!

 炎や氷には耐えられたノアの方舟も、雷撃にはたまらずに前後にグラグラと揺れました。皆、地に額を付けて、雷に打たれないようにするのが精一杯です。その姿は、虚神カムナシにこうべをたれているようでした。


『ヒャーッハッハッハ!! 下等種族諸君、君たちは私の統治に従っていれば良かったのです!

 私こそが平和! 私こそが秩序! そして、私こそが正しい進化!! もはや私は失敗しない!

 種の存続のため、そしてニンゲンの栄華を永久まで伝えてゆくがため!! 科学と魔法の管理者として、私はここで君たちデム・ファル・メリンを天球で管理し続けるのです!! 永遠に!!』


 意気揚々《いきようよう》と演説していた虚神カムナシでしたが、何かに気づいて眉をピクッと動かしました。

 平伏しながら、それでも反撃の機会を失うまいと、虚神カムナシをにらみ付けているのです。誰もあきらめてはいません。自分が生み出したデムもファルもメリンも。そして、特に蔑視していたボーズ星人たちですら。それは虚神カムナシが期待していた創造主を敬い恐怖する視線ではないのです。そのことが、虚神カムナシのプライドを激しく傷つけました。


『…なんです? なぜそのような目ができるのですッ!?』

「『…カムナシ。それは、彼らが“人間”だからさ』」


 神王がそう言いました。その瞬間です。虚神カムナシの後ろで張り付けになっていた魔神バルバトスが、拘束を破って手をのばしました。


『な!? そんな馬鹿な!!?』


 迫り来る爪を避けます。その動作だけがやっとで、魔神バルバトスの腕はダランと落ちてしまいました。虚神カムナシはそのことが信じられずに見やります。


『コア…心臓がなくて、どうして動くことが…できる?』

「『解らないだろうな。神力…いや、魔力や科学とやらがどんなに凄くても、完璧に世界を統治するなんて出来ない。私も…私の身体も。そして、ここにいる“人間”たちも生きたいと願っている。お前に管理されずともな!』」


 神王がゴッドキュアを使います。皆の傷が癒えていきます。そして、バーボンもすかさず薬を放り投げました。特別な回復薬との相乗そうじょうで効果が増し、皆の体力も元に戻ります。


『…実に理解に苦しみます。この絶望的な状況を覆せるわけでもないのに、どうしてそんな無駄な事をするのですか?』


 虚神カムナシが首を横に振って尋ねます。


「無駄かどうかなんて、アンタが決めることじゃない! アタシたち1人1人が決めるんだ!!」


 ノアがスラッシュレインを撃ちます!

 避けるまでもないと言わんばかりに、虚神カムナシが羽根に指示を出します。迫り来るナイフを弾かんと、回転しながら羽根が防御態勢を取ります。


「『アルティメット!!!!!』」

「『ショーフージン!!!』」


 メルとミャオの技が、ノアの攻撃に合わさります! それでも、羽根を砕くことはかないません。


『無駄です!! これは私を護る絶対防御の盾! いかな攻撃をも遮りますよ!!』

「…絶対防御か。それならば決して砕けないのだろう!」

「それなら都合がいい。最大の防御ならば、最大の攻撃と化すだろう!」


 オ・パイとスタッドが協力し、ノアたちの攻撃を防いでいた羽根を力ずくで吹っ飛ばします!

 それが虚神カムナシの方へ向かい、自分の羽根にぶつかってよろめきます。


『こ、こんな馬鹿げた戦法に…ッ!?』

「ボー! 『パワーブレス!!!』」

「馬鹿げているからこそ、お前みたいなのには効果あるんだ! 『フォーマル・テンペスト!!!!』」


 ボーズ太郎の魔法で強化されたレイの技が放たれます。それが直撃して、虚神カムナシはきりもみしながら落下しました。


『こんなもので私がダメージを受けるとでも!?』


 言葉通り、強化されたレイの奥義ですら虚神カムナシにはたいして効いていないようです。

 しかし、顔をあげた虚神カムナシのメガネに巨大な何かが映り込みました。


「ダメージを与えることが目的ではない!」


 ボーズ長老が操縦するノアの方舟が体当たりします!


『ゴガアアッ!!!』


 虚神カムナシは大きな舟体にかれます!

 魔法と科学の力によって尋常じゃない防御力を持つに至ったとしても、圧倒的な質量を持つ物に押しつぶされてしまってはかないません。


『グ、グヌヌヌ! ゆ、許しません! 最大の魔法を持ってして…』


 ヨロヨロと立ち上がって魔法を唱えようとした虚神カムナシでしたが、後ろに気配を感じてハッと振り返ります。


「…なぜ、強大な力を手にしたのに、こんな物で身を守る必要があるのか?」


 スタッドがニコリと笑って、虚神カムナシを護ろうと飛んできた羽根を指さします。その額に汗が浮かびました。


「…そう。あなたは魔神バルバトスなんて物を用意する周到な策略家だ。万が一まで考えるような小心者。そんな人が直接戦う時には、弱点は絶対に守りたいはず…」

『や、やめろぉおおおッ!!!』

「大聖激震!! 『セインブレイク!!!!』」


 スタッドが、聖なる力を纏った聖剣エイストを地面に思いっきり突き立てます!

 そして、ズボッと引き抜きました。その刀身には、エルマドールが突き刺さっています。虚神カムナシは、泡を吹いてガクガクと震えました。


『な、なぜ…私の身体の中ではなく、そこに、エルマドールがあると…?』

「簡単なこと。あなたはその羽根に自分を守るように見せ掛けておきながら、常にこの場所に誰も近寄らないよう警戒していた。さらに、あなたは魔法を使おうとするとき、必ずこの場所の付近にいた」

『ぐ、この短時間で…それを見抜くとはッ』

「こんなところでコソコソ隠れていたヤツなんて相手にならないよ! アタシたちは、生きるためにずっとずっと…戦ってきたんだ!!」


 ノアがそう言うと、皮肉めいた顔つきで虚神カムナシがフッと笑います。しかし、次の瞬間には白目をむいてガクガクとさらに強く震え始めました。


『ぐ…げ…グガガッガ!?』

「…なんだ?」


 異常な動きをみせる虚神カムナシを見て、バーボンが眉を寄せます。


「『…暴走だ。力の元を絶たれたことで、急激に進化させた身体の安定を欠いたのだ』」


 神王の言葉通り、虚神カムナシの身体のあっちこっちが膨らんではパンパンと弾けていきます。鮮血が飛び散り、臓物がボロボロと落ちました。

 あまりに凄惨せいさんな状況に、メルは口元を抑えて目を背けてしまいます。


「ちょ…。これ、どうすることもできないわけ?!」


 ノアが慌てます。いくら敵とはいえ、もだえ苦しみながら身体が崩壊していくのは見るに耐えません。


「…無理だ。こいつぁ、どんな治療も受け付けねぇ。同じ身体にいるはずの細胞同士が互いに攻撃し合ってんだ」


 バーボンが目を細めて言います。自業自得だから仕方がないという顔でした。


「過ぎた力の代償…ということか」


 オ・パイが冷徹に言います。ノアは何か釈然としないものを感じて、口をモゴモゴとさせました。


『…クヒャ、わ、私に同情なんていり、ません。クヒャ…どうせ、君、たちも…死ヌノデス!! 秩序なき…世界など…もはや…イラナイ!!!』


 虚神カムナシが痙攣けいれんしながら笑います。口の端から泡がボコボコと吹き出ていました。


「アンタ、何を言って!?」

「『離れろ! ノア!!!』」


 神王がノアの手を引っ張ります。次の瞬間、虚神カムナシの身体がパーンと四散しました。


「…自爆!?」


 飛んでくる肉片を払いながら、レイがその奥を見やります。

 虚神カムナシの身体のあったところから、黒い何かが飛び出してきました!


「な、なんだボー!!?」


 それは黒い羽を持つ怪人。カムナシの肉片を身に引っ付け、その内側から喰い破り出たのは人の影のようなものでした。黄色く光る三日月の目、耳まで裂けた赤い口。それ以外は真っ黒の異形の者。


『我ハ、“完滅神かんめつしん”。モハヤ、万象ニ存在スル意味ハナイ』

「カムナシじゃ…ない? な、なんだよ、アンタは!?」


 ノアの問いに、完滅神と名乗る者はニヤリと笑います。


『我ハ、全テヲ破壊スル為ノ存在。カムナシ失敗シタ時ニ起動スル自動実行プログラム。コレヨリ、天球オヨビ人間ニ関シタ情報ヲ完滅スル!』


 完滅神が、真っ黒な爪でノアたち1人1人と、そして最後にはるか先に見える天球を指さします。


「なんということを…。まさか、自分が秩序を保てない場合には、全てを無に帰す気か!? どこまで自己中心的なのだ!」


 ボーズ長老が叫びます。それがさも面白い見せ物であるかのように、完滅神はケタケタと笑いました。


「…させない。絶対にそんなこと!!」


 ノアがダガーを構えます。皆も同じ気持ちで、それぞれ武器を構えました。

 統治できないから、今度は滅ぼすなんて間違っています。魔神バルバトスがただ暴れていたよりも理不尽な理由ではありませんか。


『戦ウツモリカ? 無駄ナ事ヲ!』


 嘲笑あざわらうかのように両手を広げた完滅神に向かい、皆が最大の技を放ちます!!!


『……死ヌベキカ、生キルベキカハ我ガ決メル!!』




──運命ノ歯車──




 それは魔法とも科学とも呼べるかどうか解らないような不思議な現象でした。

 ただ言えるのは、カムナシが手にした技術の結晶は最悪の結果を呼び起こそうとしているということだけです。


 周囲の時が止まっています。ノアの横目には、いままさに飛び出そうとしている仲間たちの姿が見えました。しかし、白黒で生気が全くみられません。


(な、なんなんだよ…これ!!)


 ノアは心の中で叫びました。きっと自分も同じように時が止まっているのでしょう。それなのにも心はこんなにも活発に動いています。それが不思議でなりません。

 動けないノアの脳裏に、何やらイメージが浮かんできます。まるで夢をみているかのようです……



 大きな噴水のある庭。周囲に生えている植物は見たことがありません。どうやら天球ではないようです。それは地球の映像じゃないかとノアは思いました。

 噴水の前では、白髪で大柄な男性と握手をしている若いカムナシの姿。白髪の男性は後ろ姿だけでしたが、それを見てノアはボーズ長老なんじゃないかと思います。


「Dr.カムナシ。あなたの研究はすばらしい。我々、人類が生き残るためには必要不可欠なものだ」

「いえいえ。そちらの宇宙船開発がなければ生命の進化を促す研究など何の意味もないです」


 にこやかにそんな会話をする2人からは、まるで険悪な印象を受けません。カムナシとボーズ長老は、元々はとても仲の良い協力者だったのではないでしょうか。



 イメージが薄れ、今度は新しい場面が浮かびます。

 白い大きくて無骨な建物。ノアには見たことのない読めない字でしたが、看板には“神無かむなし研究所”と書かれています。

 ドーンという大きな音がして、何か大きな槍のようなものが研究所にぶつかります。その中から、慌てて白衣の人々が飛び出してきました。

 ノアには槍に見えましたが、それはミサイルです。ミサイルが研究所に打ち込まれたのです。

 間もなくして、そこにから大きな火が立ち上り、モウモウと煙が吹き出しています。大火事です。

 その逃げてきた人々の側で、髪を振り乱して今にも建物に飛び込んで行きそうなカムナシの姿がありました。白衣を着た若い人たちに両腕をつかまれています。


「はなせぇ!! はなしてくれ!! あそこにはまだ妻と子がいるんだ!!! 助けなければ! 離せ!!! 離せぇッ!!!!!」


 目を見開いて泣くカムナシを見て、ノアは胸にズキッと痛みを感じました。大きな悲しみ。絶望。映像越しに、ノアはそういったものをダイレクトに感じます。



 またイメージが変わりました。

 狭い部屋…窓からは宇宙が見えます。そうです。それはノアの方舟の中でした。カムナシは虚ろな瞳で、檻に入ったサルやネコ、ウサギたちを見やっています。


「…戦争。人間は戦争を起こす。信じているものが違うから、肌の色が違うから、意見が合わないから…くだらない。私は、もうそんな失敗を人間に繰り返させはしない! もう地球のような…妻や子のような犠牲を許しはしないッ!!」


 カムナシは誰に語るわけでもなく、そう早口でまくしたてます。


「そうだ! 私が…“神”になってやる。君たちの、“神”に!」


 狂気に取りつかれた目で、動物たちを見やるカムナシでした。

 その意見に納得はできませんでしたが、何となくノアにはカムナシの気持ちがわかるような気がします。

 彼は自分ができる何かをしたいという気持ちがあったのです。それこそ妻や子の死を無駄にしたくない一心なのがダイレクトに伝わってくるのです。

 カムナシは自分の考えが間違っているかも知れないと気づいていました。いや、それでも悲劇を止めるには、自分が必要悪として君臨しても構わない。そういう並々ならぬ決意…そんな感情が強く流れ込んでくるのです。



 周囲がにじみ、今度は天球…ラグナロク遺跡が出てきます。

 濃い夕焼けの中、綺麗な金髪をした巨人。それは魔神バルバトスに改造される前の神王です。日の光が影になっていてその表情までは解りませんでしたが、神々しさや底知れぬ懐の深さを感じます。

 そんな神王の前で、口論している人々の姿。カムナシとボーズ長老たちでした。カムナシの後ろには、怯えた表情の幼子が3人。1人はカムナシたちのような人間そっくりでしたが、もう1人はネコ耳、もう1人はウサギの耳です。


「Dr.カムナシ! 我々は科学を棄て、神王陛下の元で平和に生きることを選択しよう! 科学に頼るのは、この天球に来るまでのことで充分じゃないか!」

「…いや、人間は愚かです。人間だけではない。この新しい人間たちも、我々不完全な人間が作り出した以上は不完全。誰かが統治してあげなければなりません。そのためにも科学は棄てるべきではない」

「それは我々に“神”がいなかったからだ! しかし、この天球は違う! 我々を受け入れて下さった大いなる神王がおられる! 神王の名の下に、我々は競争を棄て、平和を生きよう!』


 ボーズ長老の言葉に、カムナシは眉を寄せます。そして、挑戦するかのように神王をにらみ付けました。


「…平和しか知らぬ神、ですか。争いを防ぐには、抑制のための恐怖がなければ。神王陛下。あなたには恐怖を与えられますか? 人々に畏怖を。神にはその義務がある。平和な神など、強欲な人々はきっと持て余す。人の本質は邪悪だ。神が思っているよりも!」


 その言葉に、神王は黙って答えません。

 答えないというよりも、答えられないのではないかとノアには思われました。

 人間という宇宙から来た異質な生物。神王はその存在を完全には理解していないように感じられます。

 この時、神王は、人間もメルシーのような人畜無害の生物だとしか思っていなかったのではないでしょうか。

 


(これは…カムナシの記憶? なんで? どうしてこんなものがアタシの頭に浮かぶんだよ?)


 ノアは頭を振って意識をハッキリさせたかったのですが、やはり頭を動かすどころか、まばたきすらままなりません。未だ夢を見ている気分です。

 目の前には剣を構えたレイに、爪を立てたミャオ、魔法を放とうとしているメルがいます。戦闘態勢なのにもかかわらず、先ほどからピクリとも動いてはいません。

 ノアの目の前に、四散したはずのカムナシが現れます。  



──私は間違えたつもりはありませんよ。私は必要悪。神には善と悪の二面性を担う義務があります。全ての恐怖対象としてこそ、魔神バルバトスはなくてはならぬ存在だったのです──



 先ほどとは違う、狂気に取りつかれてはいない穏やかな言葉。それはカムナシの本心でした。



──そして、その対抗存在としての聖剣エイスト。世界の安定にはバランスが必要。そのための私が扱う科学はなくてはならないものだったのです──



 カムナシの心が怒涛どとうのように、ノアの中へ流れこんできます。

 なぜでしょうか。ノアも魔神バルバトスが必要だったのではないかと感じ始めます。


(確かに…魔神バルバトスがいなきゃ、アタシはスタッドに出会えなかった。デムもファルもメリンも仲良くなる機会もなかった…)


 そう考えると魔神バルバトスを倒してしまったことがいけないことのように思えてきてしまいます。



──管理できぬ世界ならば、最初から存在していない方が幸せでしょう?──



(…そう…かも知れない)



──いつ不幸が訪れ、いつ死が訪れるか解らない恐れ。そんな不確定な世界に生きて何を得るのです?──



(確かに…。アタシたちは…何のために…生きてるんだろう。こんな怖い世界で……)



──矮小わいしょうな喜びより、底の見えぬ恐怖の方が人生を破壊してしまうのですよ──



 ノアの心が揺れます。いつもなら反発する気持ちが起こるのに、今は身動きがとれないせいでしょうか? その自由のない状態のせいか、カムナシの言葉が余りにどうしようもない事実のように感じられて仕方がありません。

 ノアの心がだんだん闇に沈んでいきます……



──ガッハッハ! オメェはノアだそうだ! 良い名前じゃねぇか!──



 カムナシとは違う、大きな声がどこからか聞こえてきました。それは、ノアがよく聞いたことのある声です。


(親分…?)


 ノアは心の中で周囲を見回します。

 意識を声の方に集中すると、見えてきました。

 ノアの小さな頃の記憶。大きな太い腕で抱き上げられ、呆れるほどの笑顔のバッカレスの姿です。


「いいかー。よく聞け。オメェの父ちゃんと母ちゃんはここにはいねぇ! だけどもな、ずーっと心は一緒にいるはずなんだ。父ちゃんと母ちゃんがくれたノアって名前があるんだからな。名前は証だ! オメェと両親を繋ぐな! 解ったか? ノア!」


 幼子に話すにしては、難しく無茶苦茶な理屈ではありましたが、それでもバッカレスが何を伝えたいのか今のノアにはなんとなく解る気がしました。


「のあ? のあ?」


 幼いノアが、バッカレスの言葉を真似して小首を傾げます。バッカレスはコクコクと頷きました。


「そうだ。忘れるとこだったぜ! オメェの2歳の誕生日に、父ちゃんから渡されたメッセージがあんだ!」


 バッカレスが幼いノアを下ろし、懐から小さく折りたたまれた紙を取り出します。


「…いいか。読むぞ!」



 大事な愛する子ノアへ。


 まずは2歳の誕生日おめでとう。一緒にお祝いできずにごめんね。


 そして、君から父と母の記憶を消さねばならなかったことを心から謝りたい。


 でも、それでも…これだけは言わせてほしい。


 生まれてきてくれて、本当にありがとう!!!



(ああ…。ああ!)


 ノアの目から熱い涙がポロポロとこぼれ落ちます。

 バッカレスの愛情、見たことがない父と母の愛情が痛いほど伝わってきます。


 ノアはハッキリと思い出します。


 臆病だったボーズ太郎たちが勇気を振り絞ってオルガノッソからメルを守ろうとした理由。


 ドレードが片腕を失ってまでもミャオを守った理由。

 

 レイがノアを守るためにズタボロにされてもビシュエルと戦った理由。


 レムジンの怪我人たちを命懸けで治療したバーボンの理由。家族を守るために非常を徹したオ・パイの理由。


 そして、瀕死だったノアを助けてくれたスタッドの理由。



──もう大丈夫だよ。死んで良い命なんて一つもないんだから──



 これはスタッドの本心です。間違いありません。ノアはこの言葉で救われたのですから! この言葉で動かされたのですから!


(お互いに必要とし合っているんだ! だから、人は人の事を思って、誰かのために生きていけるんだ!! 恐怖がなんだ! 不幸がなんだ! そんなの皆がいるから怖くない!!)


 ノアの思いが迸ります!!


 地球にいた人々の命から、1本の糸のようなものが延びて、それが螺旋らせん状に天球まで繋がっているのを感じます!

 人が人を思いやり、愛し合ったからこそ、この糸は今を生きるノアにまで至っているのです!

 血は繋がっていないかもしれません。考え方も、顔も、肌の色も、種族も皆が違います。

 でも、生命は繋がっているのです! どこの誰が欠けても、未来へとその糸は繋がらないのです!

 互いに影響を与え合い、それが新たな糸をつむぎ、それがずっとずっと続くのです!!

 その糸の中には、カムナシの姿もありました。その妻や子の姿もです。その尊い命は失われてしまっても、大きな生命の糸の中にはちゃんと存在していたのでした。




──そんな…。そんなことがッ──




 バキャアアーーーーーーーーン!!


 突如として全ての白黒の空間が砕けました! 止まっていた時が動き出します!!!


『ナンダト!!?』


 完滅神が顔を歪ませました。どうやら意図していた効果を発揮できなかったようです。

 ノアたちの最大の攻撃が完滅神を襲います!!!


「アンタは神様なんかじゃない! アンタはカムナシの亡霊なんだ!!」


 最後にノアの振り降ろしたダガーが、完滅神にズブリと刺さりました!


『…ソ、ソンナ! 歯車ガ…歯車ガ…生命ノ存続を…選ンダトイウノカ!!』


 悔しそうに、完滅神はそう言いました。そして、刺さったところから完滅神が消え始めます。


『ウグオ!? 我ハ…消エヌ!! マダ全テヲ…完滅サセテイナイ!!!』

「そんなこと絶対にさせない!」


 ノアはさらに深くダガーを押し込みます!


『ウグウゥオオオッ!!』


 断末魔をあげ、完滅神が虚空へと消え去っていきました。それは煙のように跡形も無くなったのです……。

 ノアはドサリと尻もちをつきました。ダガーもカランと側に落ちます。


「…倒した」


 そう呟くノアに、皆が近づいてきます。


「…どういうことだったんだ? さっきのは、いったい? カムナシが語りかけてきたのは?」


 レイが剣を納めながらも、まだ警戒しつつ言います。


「レイも同じものを…?」

「ニャー。コネミのおじちゃんとお兄ちゃんがでてきたニャー。ミャオいっぱい幸せだったニャ

 ミャオがほっぺをおさえてニマニマしながら言うのに、メルも同じようでちょっと笑います。

 確かに、ノアもバッカレスが自分を抱っこしていたのを見たときは温かいものを感じていました。


「…精神攻撃だろうね。僕たち個人個人の生きる意志に問いかけるものだったんだ」


 どんな映像を見せられたのか、スタッドは心なしかやつれて力なく笑います。


「これはカムナシが完滅神に仕組んだ最後の仕掛けだったのかも知れない。カムナシに誰か1人でも同調していたら…たぶん、僕たちは完全に消されていたんだろう」


 スタッドがそう説明します。

 それはあくまで単なる憶測でしかありませんでしたが、ノアにはきっとそれは正しいのだろうと思われました。

 というのは、きっとほんの一瞬でもカムナシの気持ちが理解できたからかもしれません。皆も同じ物を感じたのか、納得したように頷きます。


「…この中の誰1人として、カムナシの甘言には惑わされなかったってことか」


 バーボンが懐からタバコを取り出そうとして、タバコ入れが空だったことに気づき、肩をすくめてみせます。


「本当にそうなのかな…?」


 ノアがポツリとそう言うのに、皆がノアを見やりました。


「…カムナシは、もしかしたら自分の気持ちを知って欲しかったのかも知れないよ」


 ノアは妻や子を亡くした時のカムナシの悲痛を思い起こします。


「もしかしたらさ。誰かにちゃんと『違うよ』って言って欲しかったんじゃないかな…むしろ、自分を止めて欲しいと思っていたのかも」


 “運命の歯車”が破れる瞬間、生命の糸に自分や家族がいる事に気づいたカムナシは、どこか安心したような顔をしていたようにノアには思えました。


「『そうだな…。最初会ったとき、私はヤツに邪悪なものはなかった。感じたのは深い悲しみだ。その悲しみが長い月日をかけて邪悪なものに変わってしまったのかも知れん』」


 神王が前に進み出てきて言います。


「まあ、カムナシがいなくなった今となっては解らないことだけどね…」


 それが本当にカムナシの心だったのかは解りませんが、そう思う方がまだ救われる気がします。そうじゃなきゃあまりに悲しすぎる結末です。

 ノアは気を取り直そうとするかのように首を横に振ってニッと笑いました。


「あ! そういえば…」


 スタッドが何かを思い出して、申し訳なさそうに割れたエルマドールを神王へ差し出しました。サイズは野球ボールぐらいに縮み、魔力もほとんど感じられません。すべて放出してしまった抜け殻のようです。


「すみません。あなたの心臓なのに…」

「『構わぬ。時間はかかるが、治らぬわけではない。あっちの方もな』」


 神王は魔神バルバトスを指さしました。身体の方も修復が必要なのは明かです。


「神王。アンタはどうするの? 元の身体に戻れないなら、まだシャリオの身体の中にいるつもりなの?」


 ノアの問いに、神王は少し悲しげな顔をしました。


「『…私の身体が戻るまでは、この少年の中に居させてもらいたい』」

「でも、それは…」


 シャリオへの負担が大きいのではないかと心配したスタッドに、神王は「解っている」と言います。


「『この子への影響は大丈夫だ。私がこういう形で表層に現れることはもうしないと誓おう。私はシャリオの心の奥底で、しばしの眠りにつく』」

「ならシャリオは…普通のファルの男の子として生活できるのですか?」


 メルが尋ねるのに、神王はコクリと頷きました。


「『私の神力が働かねば、シャリオは普通に成長して大人となる。彼が大人になるまでには私の身体も元に戻るだろう。そうしたら、本当の身体に戻ることができる』」


 神王はちゃんとシャリオの今後のことも考えていたのだと知り、ノアたちはホッとします。


「『さて、皆に改めて礼を言わせてもらおう。そして、ひとつ恥を忍んで頼みたいことがある…』」


 神王はそう言って、皆を順繰りに見回し、最後にノアをジッと見やりました。


「頼みたいこと?」

「『ああ。私がいない間の天球のことだ』」

「ああ、そんなこと…」


 どんな難解なことを言われるのだろうと思っていたノアが呆れた顔をするのに、神王は苦笑します。


「『世界を救った君たちからすれば、確かに“そんなこと”だな…』」

「あ! いや、別にそんなつもりじゃ…」


 相手が神という存在であることを思い出し、ノアはしどろもどろになります。


「『いや、よろしく頼む。ノア。君たちであればきっとよりよい世界を築き上げてくれることだろう』」


 神王に握手を求められ、ノアは困ったような顔をしながらもそれに応えます。


「うん。やれるだけのことはやるよ」

「『ありがとう。…神王…うむ。いや、神王バルバトスが戻る時、お前たちがどう成長を遂げているか楽しみだ。その時、また共に生きよう。同じ世界を生きる生命として!』」


 神王バルバトスがフッと笑ったかと思いきや、青白く輝く光る目が消え、神力がシャリオの身体から消え去りました。

 そして、意識を失って倒れるシャリオをボーズ太郎が抱きかかえます。


「…なんだよ。言いたいことだけ言って消えちゃった」

「シャリオの表層にでることは、彼の負担になるんだ。だから、神王も滅多なことじゃ姿を現さなかった」


 スタッドがそう言うのに、ノアは頷きます。神王バルバトスが、いかに自分たちのことを考えていたのかはノアにもよく解っていたからです。


「さあ、帰ろう。僕たちの星…天球に」


 スタッドが言うのに、皆がコクリと頷きます。

 待っていましたと言わんばかりに、ボーズ長老の操るノアの方舟が大きな駆動音を響かせたのでありました…………。

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