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第一章 女盗賊ノアと秘宝エルマドール

 ここは地球よりも、ずーっと遠く遙かに遠く離れた惑星。

 でも、ありがちなことに、山もあれば海もあり、酸素もあれば、植物がいて動物もいる……そりゃよくもまあ、地球によく似た環境の星なのです。


 さて、地球と違う点と言えば、この星には人間に似た三つの種族が存在しているということでしょう。

 ネコが進化した“ファル族”。ウサギが進化した“メリン族”。そしてサルが進化した“エテこう”…いや、これは失礼。もとい、“デム族”という三つの種族です。

 この三種族はそりゃ仲良く…まあ、毛深くて知性の低いデムは差別されてましたけどね。うん。…えー、まあ、それなりに良好関係にあったわけでありますね。


 それでもって、やはり知性ある生物というのは何かを崇めるもんなんでしょうか。この三種族のいる世界では、神様というものがちゃんとおります。それは“バルバトス”と呼ばれる神様でした。

 それも目に見えない存在なんかじゃありません。ちゃんと歩いて、座って、ご飯まで食べる…つまり、姿形があるわけでございます。

 特徴を言い表すならば、30メートルを超す、超巨大なムキムキボディ、雄牛のような角のついた鉄仮面、鋼のような三本指のカギ爪…といったところでしょうか。うーん、なんだか凶悪レスラーみたいですね。

 そんな恐そうな見た目どおりと言いましょうか、その気性の荒い神様なんですが、ある日、突然に、なんの前ぶれもなく、『なんかムカツクわ!』という理由で、いきなり大暴れをしだしたわけでございます。

 10代の若者の暴走ならば学級閉鎖ですむかもしれませんが、相手は神様なのです。30メートルのボディプレスでお城は壊れ、トゥキックで山は崩れ、ヒップアタックで川は氾濫してしまいます。それでも全く少しも怒りは収まりません!

 『なんかムカツクわ!』…この世界はそんな理不尽な神の怒りで、滅びの危機をむかえたのです!


 もちろん、この世界に生きている三種族。懸命に毎日を生きてる彼らは、ただ黙って滅ぼされるわけにはいきません。

 体技に優れたファル族は剣を持ち、魔力が高いメリン族は魔法を使い、特筆すべき能力もないデム族は…まあ、わーわー騒いでいただけなんですが…とりあえず抵抗しようと、つまり神様と戦おうとしましたわけでございます。

 

 しかしながら、バルバトスは“魔神”と呼ばれるほど強力な神様なわけでありますからして。んまあ、結論から言いますと、ハンパないわけです。ドエラツエーなわけであります。

 ドス紫色に輝く無敵の筋肉をテカらせて、「そりゃ! ふんりゃ!」と鼻息荒く、ドッカン! バッコン! と、ああ、三種族を千切っては投げ、千切っては投げしての大活躍……いや、活躍じゃおかしいですかね。まあまあ、平たく言えば、三種族をひどく叩きのめしたわけであります。

 

 そして、誰も止められぬ魔神は、風の吹くまま、気の向くままに、手当たり次第に町や村を破壊しては、各国に多大な被害をもたらせたのであります。

 魔神バルバトスの暴走に、なす術もなく、誰もが家の中で恐れに震えるしかできないのでありました……。


 さて、これでお話は終わりではございません。本題はここからであります。

 三種族の中でも劣等なデムですが、その中でも一際に変人・奇人と呼ばれる男がいました。デムの中でも奇異な眼で見られ、誰も決して関わろうとはしませんでした。

 そんな彼の名をスタッドと言います。この男、自称考古学者であったのですが、魔神バルバトスが暴れる中、なんと一人でフラフラと遺跡巡りなどをしていたのであります。


 ある日、この魔神バルバトスと考古学者スタッドは森の中でばったりと出くわしてしまいます。

 もう、森のクマさんに出会ったよりも最悪なケースですね。普通の人だったら、泡を吹いてその場で倒れてしまったことでしょう。でも、変人スタッドは倒れませんでした。

 昼飯を終えていたバルバトスは、爪楊枝つまようじをシーシーさせながら(仮面しているのに不思議ですね!)、「おこんにちは! 挨拶は終わったので、そのまま死ねぇい!」と悪役らしいカッコよい台詞を言いながら殴りかかりました!

 “会ったらまず挨拶と共に殴る!”…それが、魔神の自分ルールだったから仕方ありません。

 轟音をあげて迫る魔神の一撃を受けては、ひ弱なデムなんてひとたまりもありませんよね!

 バルバトスの頭の中では、ピューン! と、彼が遥か遠くに飛んでお星さまになる姿がありありとイメージできていました。

 でも、スタッドは怯えることも、逃げることもしませんでした。

 迫りかかる鋼の拳を前に、無精髭ぶしょうひげをポリッとなで、丸メガネの奥の細い目はいつもと変わらず穏やかでした。


 そして、小さく呟いたのです…



『聖結界エミトン』



 スタッドがおもむろに出した手の平から魔法陣が現れたと思いきや、それが魔神の身体を包み込みました。

 それはまるで、洗濯機に洗われる運動部員の汗くさいシャツのように、グルグルと勢いよく魔神の身体ごと回転し始めました。

 そして、その回転が次第に収縮して、魔神バルバトスはシューンッ! と、どこかに消えてしまったのです…。

 あの巨大な魔神が一瞬にしてです! 跡形もなくとはまさにこのことでしょう!


 なんと! まあ! バカタレでアンポンタンで、力もなく、ギャーギャー騒ぐだけが能のあのエテ公が! …それもエテ公の中でも一番の変人が! おっかな恐い魔神バルバトスを一人で封じ込めてしまったというわけなのでございます!!


 しかしながら、スタッドは何事もなかったかのように、また普通に遺跡巡りをはじめました。

 このままこの歴史的快挙、偉業中の偉業が誰にも伝えられず消え去ってしまうのかと思いきや、こうやって語ってるわけだからしてそんな訳がございません。

 タイミングよくも、川で桃を拾ってたある村のババアがおりました。のぞき見する家政婦の如く、はたまたスパルタ教育を受けている弟を見守る姉の如く、事の一部始終を目撃していたのであります!


「ワシァはこの眼で見たんじゃぁ!」


 もちろん、こういった話を自分の胸に秘めておけないのがババアです。村に帰って早々、村人を広場にかき集めての演説が始まりました。


「ワシは知っておった。あの男が単なるデムの変人でないことをぉ!

 よー聞け、皆の衆! 遺跡巡りをしていたのはのぉ。実は魔神を封印するための“ぱぅわー”を探していたのであって、偶然、道ばたで魔神に出会ったのはスタッドのすべて計算通りだったじゃ! そう、かくいうワシもこの伝説を広めるための伝道者だったのじゃぁぁぁぁッ!」

 

 と、入れ歯をガタガタ言わせながら、自分の勝手な妄想も八割ほど付け加えた話をしまくりました。

 それは止みません、止まりません。明くる日も明くる日も同じ話をあっちこっちでしまくります。

 いつの間にかババアは伝道者どころか、“伝説の予言者”とまで呼ばれるようになります。

 話は二転三転して、1週間後には、『予言者ババアの叡智えいちある崇高な導きによって、魔神バルバトスを倒した英雄スタッド』という話に変わっていました。

 しかし、それでも変わらないのは、スタッドが魔神を倒したという事実そのものです。

 やがては止まるところをしらない噂話は、尾ひれはひれがさらにこれでもかとくっついて、スタッドが泣いて謝る魔神をボコボコした挙げ句に唐揚げにし、しょう油をかけて食べてしまった…というような話もでてくるわけですが、まあ、それは置いておきましょう。

 とりあえず、スタッドが魔神バルバトスを倒したという噂は、こうして村のババアの働きで世界中に広まったわけなのです。


 こうして、ファル、メリン、エテ公…デムからも、スタッドは本人の預かり知らぬところで“英雄”として担ぎ上げられることとなったわけであります。 


 さて、前置きが長くなりましたね。ここからが本題であります。

 いまから致しますのは、スタッドが魔神を封じてから20年もの月日がたった頃のお話……ある、一人の女の子の物語なのです。




☆☆☆




 三種族は、基本的に住む場所が別々です。それぞれが住む地域を持ち、独立しているわけです。


 ここは、エテ公たちの住まう城ジャスト城とその城下町。

 デムたちが築いた城の中では一番に大きい物です。っていうか、魔神バルバトスに壊されて、他に城なんてもうないんですけどね。


 その付近の森に、エテ公からも見放された、どうしようもないエテ公たちが住んでいました。

 定職にも就かず、いつもフラフラして、必要とあればジャスト城やその城下町から拝借…泥棒してくるっていう集団です。このならず者集団を、“バッカレス盗賊団”といいました。


 月を見上げながら、赤ら顔で酒ビンをあおる大男がいます。

 ボロボロのバンダナに、ガチムチの体格、腰にはギラリと光る大きめのダガーが差してあります。

 これこそ、バッカレス盗賊団を率いる首領ことバッカレス親分です。


「ウィー。飲みすぎちまったかな。いや、まだいけるな。今日は良い月夜だ。ガッハッハ!」


 そう上機嫌で言いながら、酒ビンを再び口に含みます。

 しかし、すぐにバッカレスは渋い顔をしました。口から酒瓶をはずし、逆さにするとポタポタとしか出てきません。


「チッ。切れちまったぜ。おーい! ノア! 酒だ!! 酒をもってこーーい!!」


 野太く大きな声で、バッカレスが粗末な小屋に向かって言いました。

 この小屋は盗賊団のアジトなのです。外観はみすぼらしいですが、中はかなり広かったりします。

 そこから、赤い髪をした小柄な少女が出てきました。

 ショートに無造作に切り揃えられた髪、健康的に日焼けした小麦色の肌。肉付きは少し足りないようですが、全身はほどよく鍛えられています。ファル族ではありませんが、猫科の生き物を連想させます。

 ちなみに肌の露出が多く、布や皮鎧が覆ってるのが大事な部分らへんだけというのは彼女の趣味がそうだからというわけではありません。盗賊は身軽な格好を好むので、バッカレスもほぼ上半身は裸だったりします。

 さて、彼女が両手に抱えているのは、大きなタルです。少女が持つにはちょっとサイズが大きいですね。

 少女がヨロヨロと進む度、ちゃぷんちゃぷんと音がします。それは酒がなみなみ入った酒ダルなのです。


「親分ー。飲み過ぎだよ」


 呆れた顔をして、赤い髪をした少女は言いました。それでも、酒ダルはバッカレスの目の前に置かれます。


「うるせぃやい! お宝ゼロで、これが飲まずにいられるってのか!」


 酒ダルの上蓋をバカンと拳で殴りつけて割り、バッカレスはそれを丸ごと持ち上げてゴックゴックと飲み始めました。

 口の端から酒がボタボタと滴ります。嗅ぐだけで酔ってしまいそうな発酵臭が漂い、赤い髪の少女…ノアは、嫌そうな顔を浮かべています。


「ぶっはーーー! うめぇーー! うますぎるぜ!!」

「…んだよ。これじゃ、単なる酔っぱらいじゃないか」

「そりゃ、見て解るように酔ってるからな。なんだ? オメェも一口いくか?」

「そうじゃなくて…」


 ノアは強く首を横に振ります。お酒なんて飲めませんし、飲みません。


「アタシらベテランの盗賊でしょ。なら、もう一度チャレンジすりゃいいだけじゃんか。酒に逃げるなんてみっともないよ」


 ノアはふくれっ面でいいました。女の子なのに、アグラをかいて親分の隣に座ります。


「もう一度、だと?」


 実は、バッカレス盗賊団は今日、お宝を盗りにジャスト城に乗り込んだのですが…失敗してしまったのです。

 それで、バッカレスはヤケになって、酒をガバガバと飲んでいるわけなのです。


「アホぬかすな。先月、今月と収穫ゼロなんだぞ」

「そんな事知ってるよ。だから、今度はちゃんと作戦を練ってさ!」

「いつからそんなせせこましい考えするようになった!? んなこと教えてねぇぞ!」

「いや、真っ正面から特攻だなんて…」


 雄叫びを上げて城に乗り込むバッカレスの姿を思い浮かべ、ノアは苦い顔をします。


「盗みも正々堂々とが俺の信条だ! だが、そんなことじゃねぇ! クソ、それもこれも、あのクソッタレ大臣のせいだな!」


 ウーッと怒りの息を吹き出しながら、バッカレスの顔がますます赤くなります。


「大臣? ああ、なんだか最近に就任したとかいう? 暗殺拳の使い手で、なんだか王様の警護も任されているんでしょ」

「ああ。それに頭もキレる。あいつの策で、俺の部下が何度してやられたことか! それに、こんな辺鄙へんぴな場所にアジト作らなきゃいけねぇのもヤツのせいだ!」

「えー。ソイツ、親分より強いわけ?」

「バカ言うな! 俺は盗賊だぞ? 戦士じゃねぇ。真っ正面からやり合うのは好きじゃねんだよ!」

「え? さっき正々堂々って…」

「盗みと戦いは違うってことだ!」


 バッカレスはドンッ! と、机がわりにしている切り株を叩きました。


「ちきしょう! あいつさえいなければ、“秘宝エルマドール”もすでに俺の手にあったのになぁー」

「秘宝エルマドール?」


 ノアが小首を傾げると、バッカレスは何かを思いついたかのようにニヤリと笑いました。


「そうだ。ジャスト城に眠る、最高のお宝だ! こいつを売れば、なに不自由なく一生遊んで暮らせる!」

「へえー。すっげーな!」


 ノアのつり目が、大きくなってキラキラと光りました。

 そりゃ女の子ですもの、そりゃ盗賊ですもの。光り物大好きです!


「で、だ! ノア。赤ん坊のオメェを拾ってはや16年。俺のもてる技術のほとんどは教えた! もう一人立ちしてもいい頃だ! 一人前の証として、秘宝エルマドールをかっぱらってこい!」


 酔っぱらっているバッカレスは、唐突にそんなことを言い出します。


「一人前…。よし。やる! アタシやるよ!!」


 短絡的な思考回路のスイッチがカチッと入ってしまいました。

 ノアはバッと立ち上がり、腰からダガーを抜いて構えます。バッカレスの使ってる物よりは二まわりは小さいですが、ちゃんといつも手入れしている立派な彼女の武器です。

 ドン! そんな音に驚いて、小屋の方を見やると扉が勢いよく開けられていたのでした。

 今の会話を盗み聞いていたらしく、二人の男がアジトから慌てた様子で飛び出てきたのです。


「む、無茶です、親分!」

「ノア一人にそんな危険なことを!!」


 血相を変えた顔で、二人はそれぞれバッカレスに詰め寄って言い放ちます。

 一人は黒のボーダーハットに、これまた黒で揃えられたローブといった、修道師の格好をしたシュタイナ…盗賊なんですけど、諜報活動のためこんな格好しているんですね。バッカレスの右腕とも呼ばれる20歳の男です。

 もう一人はノアと同い年。倉庫番をしていて、オレンジ色のニット帽をかぶっているのが特徴のヤグルです。


「なんだオマエら!?」


 ノアは驚いて目をパチパチとさせました。

 そんなノアなんてお構いなしで、二人はバッカレスの腕を左右から揺さぶります。体格差から、まるで子供が父親にじゃれているかのようにも見えてしまいます。


「バッカレス親分! いまの城がいかに危険か知らないわけじゃないでしょう! あの暗殺大臣のせいで、この僕もケガを負ったんですよ!!」


 シュタイナが左腕の裾をめくります。

 そこにはひどい青痣がありました。盗賊団の中でも、腕っ節の強い彼がケガをするなんて相当なことです。


「そうですよ! もし、どうしても行けというのなら俺も! ノアがいくら親分の一番弟子だからって…」


 そう抗議する二人に、バッカレスの鉄拳が落ちました!


 ゴツン! ゴツン!


「うるせーーい! ピーピー! ピーピー! 男のくせにさえずるな!

 ノアはもう一人前だ! ったく、テメェらみたいな心配性な奴らがいるから、ノアを連れて盗みに入ることができなかったんだろうが! 寛大な俺も限界だぞ! この件はノアに任す! ノアが適任だ!」


 バッカレスは鼻息荒く、そう言い放ちました。

 完全に酔っぱらっています。バッカレス親分の悪い癖です。酔うと勢いに任せたことを言ってしまうのです。


「いつもは、親分がノアを連れていきたがらないのに…」

「うるせーってんだ!!」


 バッカレスがえると、「ひぃ」とヤグルは腰を抜かしました。シュタイナは苦い顔をします。

 ですが、ノアは、大丈夫だとVサインをしてみました。


「だーいじょうぶだって! この盗賊ノアに任せとけい!」


「ノア…」


「シュタイナの仇討ちさ。秘宝エルマドールはアタシがかるーく奪い取ってきてやるよ!!」


 そんなわけで、ずいぶんと適当な成り行きで、ノアはジャスト城に一人忍び込むこととなったわけでした…………。



 さて、実のところ、今回の件はノアにとって大チャンスであったのです。

 盗賊団が盗みに入るとき、ちょっとでも危険な事があると、ノアは女の子だからという理由で参加させてもらえなかったのです。

 いくら親分の娘みたいなものだからといって、いくら盗賊団の紅一点だからといって、こうも過保護にされることにノアはちょっとイライラした気分を感じていました。

 即時決行、豪放磊落ごうほうらいらく猪突猛進ちょとつもうしん。それがノアの性格とスタイルとやり方です。…要は深く考えるのことは苦手なのですね。

 そして、ましてやジャスト城の側も、今日の昼に来て、夜もまた盗みに入るなんて思っていないかも知れません。だとすれば、今夜がなによりも狙い目じゃありませんか。

 そんなわけでありまして、彼女にとってまたとない好機なわけです。


 愛用の赤いポーチに、薬草やらロープやらの必需品をチェックして詰め込みます。

 そんな準備をしている間、シュタイナは複雑そうな顔をし、壁にもたれ掛かりながらノアを見ていました。


「ノア。酔っぱらった親分が無茶苦茶いうのは知っているだろう? 今日はとくにひどいよ。考えなおしてくれ」


 兄貴みたいな存在のシュタイナです。ノアはいつもするようにニッと笑いました。


「もう、さっきも言ったろ。大丈夫大丈夫。その暗殺大臣とかいうのとは戦うつもりないし。危なければすぐ逃げるってばさ」


 そう言いながら、ノアはチラッとシュタイナの腕を見ました。

 きっとあの暗殺大臣につけられた傷なんでしょう。ノアに心配させまいと、シュタイナは昼間にケガをしたことを今の今まで黙っていたのだろうと、そんなことはノアにはお見通しでした。


「そんなに簡単にすむ相手じゃない…あいつは別格だ」


 重々しくシュタイナは言いますが、ノアはすでにポーチを腰に巻いています。

 鼻歌まじりの彼女が話を聞いていないのは明白です。一度スイッチが入ったノアは、誰にも止められません。親分と同じで、こういうところは本当にガンコなのです。

 それを知っているシュタイナは、大きくため息をつきました。


「ヤグル。無駄のようだよ。力ずくで…っていっても、お前の力じゃノアは止められないだろ」


 シュタイナが扉を開くと、その後ろに隠れていたヤグルが前のめりに倒れました。


「…ノ、ノア、俺も一緒についていくってのは?」


 ヤグルが顔を紅くして言いますが、ノアは首を強く横に振りました。


「それじゃ一人前って認めてもらえないだろ。ヤグル。それに、オマエと行ったら逃げるときに足手まといだよ」


 ノアがはっきり言うのに、ヤグルはしょぼんとした顔をしました。

 でも、実際にヤグルの実力は褒められたものではありませんでした。子犬に吠えられて、泣きべそをかくなんて団員の中じゃ彼ぐらいでしょう。しかも足も速くはありません。親分に亀並みと評されるほどです。盗賊としては決定的にダメダメです。だから、いつも倉庫の番をさせられているのです。不審者を見かけたら叫び声をあげる…それぐらいの仕事しか任せてもらえないのです。

 ああ、足手まといなんて言われてしまったら、男としてのメンツもなにもあったものではありません。潤んだヤグルの眼は上目づかいにノアをジッと見やっています。何か言いたげに、口をモゴモゴさせます。ですが、結局、それを言う勇気はでなく、がっくりと肩を落としました。


「じゃ、じゃあ…せめてこれを持っていってくれ。きっと、役に立つから!」


 ヤグルは、ポケットの中から小さな球状の物を取り出しました。

 球といっても完全な球体でなく、何かガムテープのような物でグルグル巻きにしたものです。一見してゴミに見えます。いや、ゴミにしか見えません。

 ノアはそれを指でつまんで首を傾げました。


「なにこれ?」

「あの…危なくなったら、投げてみて。そしたら解るから」


 ヤグルが両方の人差し指を付き合わせながらモジモジと言います。

 ノアは「ふーん」といって、それを無造作に胸元に入れました。それを見て、ヤグルはカッと赤くなります。

 ええ。ノアについて行きたがったのは、そういうわけもあったんですね。

 ちなみにノアの胸は…まあ、年相応というか、成長期と言いますか、うん。はっきり言ってまな板です。ベニヤ板です。コルクボードです。でも、恋する男にそんなことは関係などありません。彼の目には富士山のごとく見えるわけでありますね。


「…とりあえず、危険なことはしないで。無理だと思ったらすぐ逃げるんだよ」


 シュタイナが柔らかくそう言います。ヤグルもコクコクと何度も頷きました。

 ノアはあっけらかんと笑って「大丈夫大丈夫」と再び答えました。

 

 実は、本当に大丈夫ではないことが先に待ち受けているんですけれども…。

 そんなこと、今の浮かれたノアが知る由もありませんでした…………。




☆☆☆




 俊足しゅんそくの足で、盗賊の森を抜け、エルジメン橋を通って行きます。この橋が森と王国を繋ぐ唯一の橋なのです。

 ちなみにノアの足はかなり早いです。盗賊団の中でもピカイチです。普通のデムの3倍の早さなのは、別に彼女の服装が赤で揃えられてる事とはなんの関係もないことでしょう。指揮官のアンテナもついてませんしね。

 そして、寝静まったジャスト城下町へと入りました。

 当然ですが、武器屋も防具屋も道具屋も閉まっていますし、町中にはほとんど誰もいません。

 バッカレスに内緒で行く馴染みのアクセサリー屋にもシャッターが下りていました。煌々(こうこう)とした灯りがついているのは酒場ぐらいです。

 見張りの兵士が松明をもってうろついていますが、暗闇に慣れているノアは、上手に死角をくぐってジャスト城へと向かいます。


 ジャスト城はそれほど大きな作りではありません。

 三階建てで、一階に兵士たちの待機所や厨房に食堂。二階に王間や王子たちの部屋、そして三階に式典などに使われる大広間などが設けられています。

 それでも、初めてこれだけ近づいて見る城はノアにとってはすごく大きい物でした。

 ポカンと口を上げて月明かりの中、しばし見とれてしまいました。ですが、いつまでもボーッとしているわけにもいきません。観光に来たわけではないのですから。


 堀にかかっている跳ね橋の向こうでは、見張りの兵士が二人たっていましたが…なんと二人揃って居眠りしているではありませんか! 片方はコックリコックリと舟を漕ぎ、もう片方は鼻ちょうちんをふくらませています。

 まあ、デムの兵士なんてそんなものなわけです。これだから森をアジトにしているバッカレス盗賊団も捕まらないわけなのですね。

 城下では兵士が巡回していますし、きっと気が抜けていたのでしょう。城を守る兵士としてそれはどうかと思いますが、とりあえずノアにとっては好都合でした。

 足音を忍ばせて跳ね橋を渡り、閉じている城門の上にめがけて、フックのついたロープを投げます。見事、のぞき窓の端に引っかかります。

 身軽なノアはヒョイと飛び上がり、スルスルと器用に、まるでサル…ああ、デムって、サルが進化した種族なんですが…ツルツルした壁を登っていきます。


 シュタッ! と、二階の空中庭園に到着しました。

 大変、順調です。あまりに順調すぎて、ノアは思わず笑みが零れそうになりました。

 ですが、ハッと背中に人の気配を感じました。慌てて、大きな鉢植えの裏に身を隠します。

 チラッと気配を感じた方を見やると、庭園の真ん中。石作りのテーブルに両肘を乗せ、憂鬱(ゆううつ)な表情で月に見とれている金髪の少女がいました。

 幸い反対の方向を向いていたので、ノアには気づいていないようです。

 フワフワした豊かな巻き毛、ヒラヒラの純白のドレス。神々しいまでの装飾が施された、金でできたブレスレットにイヤリング。

 それだけで、彼女がこの城の王女であるマレルであるとノアは気づきました。

 年齢は12歳。まだ幼さがある顔つきではありますが、大人になれば絶対に美人になること間違いなしです。

 あんまり森から出ない、世間知らずのノアも、この国の王様や王女様の顔ぐらいは知っています。というか、よく城下町にやってくるので見たことがあるってなだけの話なのですが…。

 そんなマレルの神々しいまでのドレスと、自分の着ているボロボロの胸当てを見比べて、自分とは対称的だなぁと、ノアは自分でちょっとおかしく思ってしまいました。

 女の子として羨ましいという気持ちと同時に、それ以上に女の子らしくない自分の姿が滑稽こっけいに感じられたのです。

 でも、盗賊として一人前に、バッカレス親分のようになりたいと思っている気持ちを優先すれば、それは笑い飛ばせるぐらいの嫉妬に過ぎなかったのです。


「…はあ、お兄様。いつになったら私の気持ちに気づいてくれるのでしょう」


 マレルが口にした言葉に、ノアの目が少しだけ大きく開きました。自分の聞き間違いだと思ったのです。


「…お兄様。お慕いしています。ああ、お兄様」


 マレルは月を見上げながら、祈るようにそう呟きます。

 ノアの腕にポツポツと、鳥肌が立ちました。


「…うわー。なんだよ。めさか兄妹で、かよ? ううーん。アタシには理解できないなぁ」


 ノアは首を横に振り、マレルに気づかれないよう静かに城内の方に向かいました…。


 大きな窓は今日は暑いので開けっぱなしです。不用心ですね。

 でも、最近のニュースでも、城の要人の誰かが狙われたというような話はありません。優秀な暗殺者が大臣になってからというもの平和なのです。

 あのバッカレス盗賊団を追い返してしまうぐらいの実力の持ち主が城にいるのですからそりゃ安心なわけですね。

 だから、見張りの兵士が居眠りしていたとしても納得…いきませんけど、まあ、そういうわけですね。


 ノアが窓から入ったところはやけに広々としてきました。机や椅子、本棚…そして、端に見えるベッド。どうやら廊下ではなく、王子の部屋に入ってしまった様です。

 ベッドに近づきますが、ノアの侵入にも気づかず、青いナイトキャップをかぶり、枕を抱きかかえてムニャムニャと夢の中でした。枕を抱いて寝言を言っている姿は…ちょっと王子様には相応しくありませんね。

 彼こそが、マレルの兄であるレイ王子です。眠っている姿からは想像しにくいですが、眉目秀麗びもくしゅうれい博識明瞭はくしきめいりょうかつスポーツ万能。デム族にしては、そんな優秀な王子様なのです。ちなみにノアとはちょうど同い年でありました。

 バルコニーで手を振っているレイの姿をノアも見たことがありますが、自分の好みでないものの、それなりに格好良く、女の子にモテそうな顔だとは思います。事実、キャーキャという黄色い声援が飛んでいたのですからね。

 そんな格好いいはずの王子様が、枕を抱えている姿を見たら、どんな女の子でも幻滅してしまうことでしょう。そんなことを考えて、ノアは声を立てずに小さく笑ってしまいました。


「マヌケ面だなぁ…。まったく。報われるかどうかは知らないけどさ、妹さんの気持ちも汲んでやれよ。お・う・じ・さ・ま♪」


 ノアは、王子の平たいオデコにデコピンしました。

 金色の眉が苦痛に歪みましたが、それでも目を覚ますことはありません。ノアはまた笑いが込み上げてきました。

 王子様との運命的な出会いですら、ノアにとってはドキドキの展開にもなりませんでした。

 ノアの好みは、バッカレスのように強い男性なのです。マッチョです。タフガイです。ハードボイルドです。殺しても死ななそうな男の中の男なのです。

 シュタイナのような心配性な男も、ヤグルのように気弱な男も興味が湧きません。レイ王子のように綺麗な顔立ちも、どちらかというと苦手なのでした。


「じゃあねぇ〜」


 ノアは王子に向かって舌を出すと、そそくさと部屋をでました。


 廊下に出た瞬間、何やら悲鳴のような物が聞こえます。ノアは自分が見つかったと思いビクッと反応してしまいました。

 …でも、どうやら違うようです。


「…ゆるしてくれぇー。ゆるしてくれぇー」


 その声は許しを求めていました。

 声のする部屋に向かうと、どうやらそれは王様の部屋のようです。


「わかったー。お前の言うとおりに政策をするー。だから、怒鳴らんでくれー。すまんー」


 そのしわがれた声からして、どうやら王様が言っているようです。

 でも、誰かと会話しているという感じではありません。それは寝言のようです。なにやら、しきりに低姿勢に夢の誰かと話しているようでした。

 王様…このジャスト城の王様はとても気弱な人だと有名です。そりゃ、女王様が気が強すぎるせいもあるという噂もありましたけどね。どちらにせよ、情けない話であります。

 だからこそ、まだ若年のレイ王子に、国民の多くは望みをかけています。今の王様は統治者としては及第点。もっぱら大臣の言いなりになっているのだとのことです。

 そういえば、城に入ってからノアはずっと違和感を覚えていました。普通、王族の住まいともなれば、ビロードのカーテン。高価なメルシー毛皮を使った絨毯。巨大なドラゴンの剥製。天才芸術家が生み出した無数の彫刻。勇猛果敢な勇者の甲冑などなど。そういった装飾品が所狭ところせましと並び立つものです。

 ですが、ジャスト城は簡素…というより、殺風景。申し訳ない程度のツボが廊下にポツンとあるだけです。

 これは無駄な国費を極限まで制限し、有事に際して貯えるという新大臣の財政策によるものだそうです。つまり、高価な調度品などはすべて売り払ってしまったのです。

 さすがに国宝であるエルマドールは手放していないでしょうが…。しかし、こうも高価な品がなくなると、盗賊団としては盗み甲斐もなくなるではありませんか。

 そして、そこまでできるほど、大臣の発言力が強いのがうかがえるわけです。大臣に支配されているというのもあながち噂だけじゃないのかもとノアは思いました。

 ちなみに、バッカレス盗賊団は義賊です。お金があるところしか盗りにいきません。そして、貧しい人々への施しもちゃんとやっています。

 税金などを納められない人々が時々、路頭から迷いに迷って、盗賊の森にフラフラと来るときがあります。まあ、もしかしたら最期の場所を探してのことかもしれませんが…。そんな人をバッカレスたちは助け、働ける人には仕事を探してやり、どうしても見つからない人に至っては、自分たちの仲間にしてしまいます。

 そんなこんなで、大きくなってしまったのがバッカレス盗賊団なのです。

 迷ってくる人の数もここ最近では増えてきました。新しい大臣になってから急のことです。それも、盗賊なんてとてもやれそうにない老人までが、森の中にヘロヘロの状態でやって来ているのでした…。

 王族だけでなく、国民にも厳しい大臣の政策です。それは反対意見も多いことでしょう。

 でも、それは大臣そのものを攻撃することはありません。もっぱら、振り回されている王様が弱いからだと揶揄やゆされているからです。それはそうてでしょう。そんな大臣を選んで使ってるのは王様なんですからね。

 しかしながら、そんな政治のことはノアには興味がないことでしたし、まったく関係ないことでした。


 特に誰かに見つかることもなく、ノアはあっという間に三階にやって来ました。

 国宝だったら、やっぱり一階などには置きません。でも、あんな警備が薄い二階に…まあ、王族がいるのに警備が薄いってのも問題なんですが…そこに、秘宝エルマドールがあるとも考えられません。

 ということで、ノアは三階に目を付けていたわけです。

 三階の大広間。王族の主催するパーティなどの催し物が行われる場所です。そして、まず来ることがないファルやメリンの来賓が、もし万が一でも来たときに応接するための貴賓室でもあります。

 そんなわけで、普段はあまり使われていないのでした。だからこそ、ノアはここが何よりも怪しいと考えたのです。

 ここも財政策のせいで、装飾品の類はほんの少ししかありません。

 ただ唯一、魔神バルバトスの像…ではなくて、なんかよく解らない女神の像。おそらくは女王様を象ったものなのかもしれません。それが大広間の奥にありました。

 ステンドガラス越しに差し込んでくる月明かりで照らされています。表情はちょっと厳し気ですね。気弱な王様にビシッと言う感じです。


「アヤしい…アヤしすぎる」


 ノアはその像を見て、ピーンときました。

 近寄って、ペチペチと叩いてみます。


「こういう像には何かが隠されている。アタシの盗賊の勘がそう言っている!」


 自信満々言います。

 というより、この部屋にはこの像しか変わった物がないので…当然じゃないかとも思われるのですが。

 もうすでにノアは勝利のポーズをとっていました。


「どういう仕掛けかな? とりあえず、うおりゃああ!」


 ノアはおもむろに像の首を掴み、グイッとひねりました。

 いやー、これが生身の人ならば完全に折れてます。まさに考えるより動けの極みですね。

 しかしながら、このなんの考えもない行動が功をそうすることもあるものです。

 ガキンと首の中の部品が外れる音がして、頭の部分が手前に折れました。

 そして、残った首のところに赤いスイッチが現れたのです。


「おおお! ビンゴ! さっすがアタシ!!」


 ノアはパチンと指を鳴らします。

 普通は考えるところなんでしょうが、そこはノアです。なんの躊躇ためらいもなしにスイッチをバシンと叩きます。

 でも、シーンとして何も起きません。


「なんだよ?」


 ムッとして、連打するノアです。


「なにも起きないじゃ…うわぁッ!」


 スイッチに顔を近づけ、油断していたノアの周囲の空間が突如として歪みました!

 慌てて逃げようとしたノアを取り込み、魚眼レンズか万華鏡を通して見たようにグニャグニャと風景ごと波打ちます!!


「う、うわわわぁぁぁッ!?」

 

 シュッポン!

 

 最後に間抜けな音をさせて、ノアの姿は瞬時に消えてしまいました。

 歪んでいた空間もなくなり、像の頭も自動的に元の位置に戻ったようです。

 後には、まるで何もなかったかのように女神像がたたずむだけでした…………。




☆☆☆




 どこまでも続く真っ暗闇……

 ノアはゆっくりと起き上がります。意識が消えたわけではないようです。何やら一瞬で別の場所に移動してきたようでした。


「ここは…?」


 辺りを見回りと、ガラス張りの床の上にいるようです。たぶんかなり厚いのでしょうが、割れてしまうんではないかと不安になってどうしても恐る恐る踏んでしまいます。

 あるのはただ闇だけ。このガラス床から下がどれだけ深いのかもよく見えないせいで解りません。

 もし落ちたら、底がなくて永遠に落ち続けるかも……そんなことを思ってしまいノアはブルッと震えました。


「まさかトラップだったのかも…」


 盗賊を引っかけるための罠。もしそうだとしたらかなりマズイ状況です。ノアは全身の血が氷ついたかのように感じました。頭の芯から冷えて、気が遠くなります。

 しかし、こんな所で倒れるわけにはいきません。とりあえず、ここがどこなのか確認して脱出しなければならないでしょう。幸いなことにまだ身動きができるのですから。きっと大丈夫だと、自分を奮い立たせて顔を上げます。

 そういえば、辺りは暗いはずなのに、どうしてガラスのような床だと解ったのでしょう。

 そう。どこからかうっすらと光源が来ているのです。それは、ちょうどノアが顔を上げた瞬間に解りました。

 暗闇の遥か奥で輝く小さな光の点。脈打つように震えるそれは、今のノアのとって希望の光に見えました。ヨロヨロとおぼつかない足取りで光の方に向かいます…。

 徐々に光が大きくなっていきます。最初、松明ぐらいの大きさだろうと思ったものは、実はとてつもない大きさでした。

 この部屋がどれだけ広いのか皆目検討もつきませんが、ノアが10歩ほど進む毎に、倍の大きさになっていくのです。

 不思議と光量は変わりません。なんだか色はロウソクの灯火に近く、それは一定のリズムで明滅していました。


 ドックン、ドックン…


 光が大きくなるに連れて、なにやら重低音まで聞こえてきます。

 地を揺るがすような忙しない音です。ノアはお腹の底が揺れて、気持ちが悪くなってきました。決して心地よいものではありません。


「なんなんだよ…これ」


 すぐ側までやってきたノアは愕然としました。

 その大きさは、小さな太陽と言っても良いくらい。もしかしたらジャスト城と同じくらいはあるかも知れません。

 そんな物がどうして城の中に収まるのでしょう?  いや、そんなことより、これはいったい何なのでしょう?

 不気味な赤黒い色を波立たせ、まるで生き物のようにブルブル震えているではありませんか。

 これは良くないものだ。そうに違いないと、ノアは言い知れぬ恐怖に包まれました。


「…クククッ。ネズミが。ようやく来たか」


 強い敵意がこもった低い声がして、ビクッとします。しかし、すぐにノアは腰に下げていたダガーを抜いて構えました。

 あの太陽みたいなもののインパクトが強く、思わずそれに注視していたために気づきませんでした。

 不気味な太陽を背にして、まるでそれを護ろうとせんばかりに立ちはだかる男が目の前にいることに…。

 浅黒い顔に、ノアよりも釣り上がったキツネのような細く冷たい目。そして濃い緑色のゆったりした不思議な服を着ています。それはローブのように見えますが、シュタイナが着ている物とは違います。下は綿のパンツで動きやすそうです。ノアは知りませんでしたが、この男が着ているのはいわゆるカンフー胴着なのです。


「誰だ!?」


 ノアは恐怖と警戒に全身の毛を逆立てました。

 逆手に持ったダガーの剣先を向けますが、相手はまったく怯む様子もありません。


「誰だ、だと? 少なくとも盗人が吐く台詞ではないな。それはこちらが問うことだ。お前こそ何者だ?」


 細い目を、さらに細めて進みます。押されでもしたかのように、ノアは思わず一歩退いてしまいました。近づいてはまずいと本能が叫んでいます。

 ノアが武器を構えてるのに、相手は丸腰で、しかも後ろに手を組んでいるのです。有利なはずのノアの方がなぜか気圧されていました。


「フッ。まあ、よかろう。ならば、私から名乗ってやろう。私はジャスト城の大臣オ・パイだ」


 ノアは目を丸くしました。相手の顔をまじまじ見やります。


「あ、アンタが暗殺者の大臣か!?」


 ノアには信じられませんでした。

 背は高くはあるものの、細身で、横幅もバッカレスの半分もありません。暗殺者なんていうぐらいですから、もっと筋骨隆々していると思いこんでいたのです。

 まあ、ノアの価値観で強い男というのは基本的にマッチョタイプだったわけです。筋肉の量こそ強さの基準なわけです。


「見たところ、昼間のネズミの仲間のようだな。まだあれだけ痛めつけられてもりんとみえる…。それまでに、この国宝が欲しいか?」


 痛めつけられたというのはシュタイナの事でしょう。ノアは不快そうな顔をしました。

 しかし、強い関心を抱いたのは、その後の台詞の方でした。


「国宝?  エルマドールのことか!?  どこにある!?」


 そうです。自分はただ仇討ちに来たわけではありません。秘宝エルマドールを奪いに来たのです。その目的こそ、仇討ちのために達成しなければならないのです。

 オ・パイは、嫌らしくニヤリと口元を笑わせました。


「どこにある?  貴様の目は節穴か? いま前にあるではないか」

「え?」


 言っている意味が解らず、ノアは眉を寄せました。

 オ・パイは小馬鹿にしたように鼻を鳴らし、両手を広げます。


「私の後ろにある“コレ”だ!  “コレ”こそが、ジャスト城が誇るデムの秘宝エルマドール!」


 オ・パイの言葉に応答するかのように、気味の悪い太陽がドクンッ! と、一際大きく脈打ちます。

 驚愕の事実が判明しました! なんと、あの不気味な太陽こそが宝だったのです!

 ノアはあんぐりと口を開きました。


「な、な、なんだよ~!  親分のバカヤロー! あんなの盗めっこないじゃないかよッ!」


 がっくりと肩を落とします。

 それは、とてもノア一人に抱えられる代物ではありません。それどころか、バッカレス盗賊団が束になっても持ち上げることすら無理そうです。


「…まさしく徒労とろうだな。物の真の価値が解らぬからそうなる。…さて、後悔はすんだか?」

「うるさい! 生まれてこの方、アタシは後悔なんてしたことがないんだ!」

「…フン。実に救い難い。低脳ネズミは、やはり地道に一匹ずつ駆除せねばならぬようだ」

「さっきから人のことをネズミ呼ばわりしやがって! バカにすんな!」


 逃げようとしないノアを見て、オ・パイは不敵に笑います。


「私と戦うというのか? その勇気は褒めよう」

「ハン! 秘宝が盗めないんじゃ、アンタに八つ当たりの一撃でも喰らわしてやらなきゃアタシの気が収まらないんだ!」

「…それこそまさに徒労だな」

「言ってろ! アタシは“オッパイ”なんて変な名前の野郎なんかに負けない!」


 ノアの挑発に、オ・パイの額に青筋がたちます。


「…私はオ・パイだ。やはり低脳だな!」


 オ・パイが襲いかかってきます!

 やはり素手なだけあって、武器は徒手空拳としゅくうけんなわけです。

 下手な刃より鋭そうな手刀がビュンと振るわれます! ノアはそれを寸前でかわしました。


「チャイアッ!」


 休む間もなく、次にオ・パイは素早い動作でしゃがみ込み、ノアに足払いを仕掛けます!

 両足ともに刈られて、すってんころり。ノアの小さなお尻が、ガラス床にしたたかに当たります!


「いってぇーッ!!」


 骨盤から電気が走りました。涙目に叫びます!

 ですが、オ・パイは止まりません。


「ほらほら、どうした! 次から次へと行くぞ! シィアッ!」


 オ・パイの無数の連打!

 拳ありーの、二本拳ありーの、掌打、手刀、抜き手のおまけ付きでのオンパレード!!

 尻餅をついたままのノアは、お尻をズリズリ後退させながら猛攻を受けます!

 ただでさえ薄着なのに、このままじゃお尻の皮がむけてしまいます!

 しかも、オ・パイは手加減して遊んでるだけのようです。

 連打も片手でしか打っていませんし、その気になれば蹴り技をノアに叩きつけるなんて造作もないでしょう。

 ヤツの余裕の笑みは、ノアを明らかに嘲笑あざわらっています。


「く、くそッ、た、ちょッ!」

「さっきの威勢はどこへ消えた! 地べたをう様はまさしくネズミだなぁッ! それも薄汚いドブネズミだッ!」


 ノアは悔しくて唇を噛みました。

 尻もちをつきながら、ダガーで防御する姿はなんとも恥ずかしいではありませんか。マヌケじゃありませんか。

 でも、熾烈しれつな攻撃は止みそうにありません。

 必死でした。少しでも気を抜くと、パシンと鼻先を払われてしまいます。痛みが防御しなければと思わせるのです。そうやって、わざと戦う時間を引き延ばしているのです。気絶なんてさせてくれるわけもありませんでした。

 それに鋭利なダガーの刃先で防御しているはずですが、素手のオ・パイはそれを物ともしません。まるで拳が本当に金属でできているかのようです。

 ガキン! ガキン! と、拳を受け止める度、火花と共に金属がぶつかりあうような音が響きます。

 一撃、一撃が重くて、手が痺れてきます。腕が重くて非常にダルイです。


「フン。暇つぶしにもならんな。わざわざ、ここまで誘き寄せてまで、私の相手をさせた意味がないではないか…」


 オ・パイの攻撃が、ピタリと止みました。

 ホッとして、ノアは両手をダラリと落としました。もうヘトヘトです。クタクタです。汗でビッショリです。

 お尻の皮もむけてしまいました。ヒリヒリと、ジンジンとした痛みが鈍く感じられます。

 鼻先から血がツーと垂れ落ちます。悲しくもないのに、その痛みで涙が零れました。

 オ・パイは、三つ編みにした黒髪をピュンと後ろに払いました。冷たい瞳が、満身創痍まんしんそういで放心しているノアを見下します。


「… もうお仕舞しまいか。面白くもない。なら死ね」


 オ・パイが片手をあげ、人差し指だけピンと伸ばします。


「大臣という要職になってからというもの、なかなか人殺しもできん。せいぜい、良い声で泣き喚き、私の渇きを癒せ!」


 目にも止まらぬスピードで、オ・パイの人差し指が、ノアの胸元をズドンッ! と、突きます!!!


「…『死至突しいとつ』」


 オ・パイがゆっくり指を離しました。

 次の瞬間、ノアの身体がビクンと跳ね、全身の血管が浮き上がって、ドス黒くなっていきます!


「きゃ…ああああッ!」


 血を吐きだし、全身を襲う激痛に身を寄せて、ノアはその場でのたうちまわります。

 オ・パイは満足そうに笑いました。


「…これが私が暗殺者たる所以ゆえんだ。地獄の苦しみの中で、己が愚かさを呪い、そして死ぬがよい」


 しかしながら、その言葉ももだえるノアには聞こえていません。目を白黒させて痙攣しています。


「…む?」


 コロンと何かがノアの胸元から転がり落ちました。胸元を突いたとき、胸当ての隙間から出てきたのです。

 オ・パイは片眉を上げ、それを拾おうとしました。

 触れた途端、小さな玉状の物から、ブシュー! と、煙が勢い良く吹き出します!


「こ、これは!」


 それはヤグルがノアに渡したものでした。ええ。一見ゴミみたいな小さな球です。そう、あれは煙玉だったのです!


「煙幕だと!? 小癪こしゃくな!」


 オ・パイは煙を吸い込まぬように、口元を抑えながら身を庇います。

 ようやく煙が収まった時、オ・パイは目を見開きました。なんとさっきまで倒れていたノアがいないのです。


「むう。『死至突』を受けてなお動くか…。フン。やはりネズミだけあってしぶとい。まあ、時間の問題に過ぎんが」


 オ・パイは秘宝エルマドールをチラッと見てから、きびすを返してその場を立ち去りました…………。




☆☆☆




 ジャスト城と盗賊の森を繋ぐ、エルジメン橋。ノアは身体を引きずりながらそこまでやってきていました。

 自分でも、どこをどうやってここまで逃げてきたのか解らないのです。気づいたら、この橋の欄干らんかんを辿って歩いていました。

 動悸が早く、時おりに信じられない激痛に襲われます。しかし、生きたいという気持ちがノアを動かしていました。


「…ハ、ハハハ。アタシ、死ぬのかな」


 橋の真ん中まで渡ったところで、ついに動けなくなって膝をつきました。

 もうダメです。一歩も進めそうにありません。ここまで逃げれたのも奇跡と言ってもおかしくないくらいなのです。

 あと少しで、皆が待つアジトが見えてくるというのに…。

 ノアの朦朧もうろうとする意識に、バッカレスやシュタイナ、ヤグルの顔が浮かびます。心細くなり、涙ぐんでしまいます。

 川の流れが、雲に隠れて幾分か弱くなった月光を浴びています。そこで、鯉に似た魚がノアを見上げて口をパクパクとさせました。まるでそれは死に逝くノアを馬鹿にしているみたいじゃありませんか。


「…チキショウ。まだアタシは死にたくないよ」


 ついにノアは目を閉じて、頭を石畳に押し付けました。


「……ああ、これはヒドイね」


 ふいに、ノアの背に呑気のんきな声がかかりました。

 誰だろう? 振り向きたくとも身体はもう言うことをききません。


「これは命を奪うツボを突かれているようだ。このままじゃ死んじゃうよ」


 あっけらかんと言うその口調は、まるで他人事で、ぜんぜん深刻そうではありません。


「よし…。そうだな。僕が君を助けてあげよう」


 ノアの後頭部にポンと手が当てられます。痛みに朦朧としてる中、その手の温かい感触がとても心地よく感じられました。

 その手が、ポーッと温かさを増します。聖なる光がノアの身体を駆け巡ります。

 ショートカットの赤い髪一本一本から、指の先、足の末端に至るまでエネルギーがとめどなく流れていきます。

 ドス黒くなった血管が浄化されて正常の物に戻りました。

 ずっと痛みに耐えていたノアの体からスッと力が抜けました。そして、倒れるようにゴロンと仰向けに転がります。

 その時、ノアの虚ろな瞳に、その声の主の姿が映り込みました。

 ボサボサの茶髪に、ド近眼の分厚い丸メガネ。生え放題の不精髭。ボロボロの登山服に大きなリュックサック。

 その男は、場にそぐわないほど朗らかにニコニコした笑みを浮かべています。


「もう大丈夫だよ。死んで良い命なんて一つもないんだから…」


 そんな男の言葉は、意識が混濁こんだくしているノアには辛うじて聞こえた程度でした。

 ノアは何かを言おうとしましたが、それを許すまいとしてか、もの凄い睡魔が襲ってきます。

 その睡魔には勝てず、ノアはそのままゆっくりと眠りの世界へと落ちていってしまったのでした…………

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