第一三章 知…美の四天王ビシュエル
極寒地獄。そう言い表すのが適切な猛吹雪。一年中、日の光はブ厚い雲によって陰り、周囲は雪に埋もれ、すべてが凍りついた白銀世界です。冬将軍はこういう場所からやってくるのかもしれません。そう思わさせるような場所、それがランドレークでした。
移送魔法陣に送られたのは、まったく人のいない小さな廃村でした。魔神バルバトスに荒らされた形跡がないことから、寒波に耐えかねて村を棄てたのかもしれません。食器に積もったホコリの量からしても、それが何十年も昔なのが解ります。
着いてまず困ったのが衣服でした。なにせ充分に準備も出来ずにやって来てしまったのです。ほぼ裸に近いノアや、薄着のミャオなんかは危うく冬眠するところでした。
しかし不幸中の幸いで、移送先だった民家の中に、置き忘れてあった厚手のコートなどの防寒具があったのです。ちょっと古びクタクタではありますが、何も着ないよりはマシです。この際、文句は言っていられません。
扉がバタンと開き、頭や肩に雪をたくさん積もらせたレイが飛び込んできます。慌ててボーズ太郎が雪を払ってやり、ミャオが毛布を持ってきて、メルが炎の魔法を使って暖をとらせます。
レイは青白い顔をして、ガタガタと震えていました。芯まで冷え切ってしまっているようです。
「どうだった?」
ようやくレイの震えが収まったのを見て、ノアが尋ねます。レイはコクリと頷いて、肩に担いでいたカバンをテーブルの上に放りました。中から缶詰や乾パンらしきものが転がります。
「村を出て少し行ったところに、軍の宿営天幕があった。相当、昔の物だったが、中にはまだ保存食がある。これは一部だ。食料問題は当面は大丈夫だな…ヘイキッシュン!」
レイは鼻水を垂らしながらニッと笑います。しかし、ノアもメルもひどく深刻そうな顔をしてます。
「…外には出られないの?」
ノアの問いに、レイは眉を寄せます。そして小さくため息をつきました。
「ああ。吹雪がこれじゃ…。村の外にちょっと出て戻ってくるだけで死にそうになったぐらいだ。さすがに俺もランドレークの地理がどうなっているかまでは知らない。闇雲に外に出ても、死にに行くようなものだよ」
皆が落胆して肩を落とします。
「…オ・パイはどうしたんだろうボー」
ボーズ太郎がポツリと言います。移送魔法陣を通って、このランドレークにノアたちより先に着いているはずです。しかし、ノアたちがここに着いた時にはすでに姿も形もなかったのです。この吹雪の中、ノアたちは立ち往生しているというのに不思議なことでした。
「あの男なら、吹雪の中でも駆けていきそうだな…。
でも、この悪天候の中でラグナロク遺跡にすぐに辿り着くとは思えない。
今は急いて事を仕損じるより、じっくり確実な方法を考えるんだ」
レイは前向きに言いますが、それでも自信はなさそうでした。まるで自分に言い聞かせるように言ったようです。それが、ノアたちを余計に不安にさせました。
「…ああ。レムジンでは、バーボンさんや皆さんが戦っているというのに」
「ミャー。お兄ちゃんやファラーのおじちゃんも心配だニャ」
メルが泣き出しそうな顔をします。ミャオもいつになく元気がありません。
「大丈夫だって! レムジンは、親分たちがいるんだし。なんだか勝算ありそうだったし! きっと!」
ノアは皆を元気づけようとして言いますが、頷いてはいて見せても、みんなは心の中では葛藤していました。
早く先に進まねばならない…でも、この自然現象が足止めしてくるのです。どうしようもないことだとはいえ、それで納得がいくものでもありませんでした。
「ま、まあ…とりあえず、食事にしよう」
重苦しい沈黙を破るべく、レイが持ってきた食料を指さして言いました。
缶詰に詰め込まれていた保存食は、美味しくもなんともありません。なんだか調味料を入れ間違えたんじゃないかというような微妙な味に加え、パサパサとしたような食感もよろしくありませんでした。そんな食事だけでも更に気持ちが沈んできそうです。
「…さすがにラグナロク遺跡は載っていないか」
レイが乾パンを食べながら、紙切れを見やり呟きます。ノアもそれをのぞきこみました。どうやら、宿営所で食料と一緒に地図も見つけたようです。
そこにはランドレーク全体の地理が描かれています。村や街らしきところが赤い点になっていますが、その上にはバツ印がついています。どうやら、それはバルバトスに破壊された場所を表しているのでした。それを見る限りだと、いまノアがいる村以外は全滅しているようです。まあ、20年も前の情報なんですが…。
「本当は、ここ全部がランドレークという大きい都だったみたいだ」
レイが細長い半島をした大陸全部を指でくくります。
「え? これ、全部? レムジンなんかよりも、もっともっと広いじゃんか!」
ノアは驚きます。地図で見る限りでも、都市というより、もう国家という感じだったからです。
「ああ。そのランドレークの一部に、ファルたちが寄留していたようだ。それもこの移送魔法陣がある村を中心に、ほんの一部分だけ」
レイが自分たちのいる廃村とその周囲を差します。それは半島全体の半分にもなりません。確かに、地図上にはここからほんの少し先までしか街や村の名前がないのです。その先にはまだ大陸が続いているのに、あとはまっさらなのでございます。
「古代都市ランドレークは、本当はボーズ太郎たちの住処だったんだろうね」
レイがボーズ太郎を見て言います。ボーズ太郎はキョトンとした顔をしました。
「そういえば、着込んでいるアタシたちよりも軽装だしね。寒さには強いんじゃない?」
ノアに言われ、この寒さの中で、上着一枚だけのボーズ太郎は自分自身を見やりました。
「ボー。暑さは苦手だけど、寒さはへっちゃらだボー。確か、長老が昔に…『我らの故郷は最果ての雪降る地にあった』って言っていたことがあったボー」
「なんだ! もっと早く言ってくれよ! それなら、俺じゃなくてボーズ太郎に周囲を見てきてもらえばよかった。俺がわざわざ凍える思いをしないですんだのにさ」
レイが苦笑いして言うのに、ボーズ太郎が今思いついたかのように頷きます。それがあまりにも滑稽だったもので、ちょっと皆に笑顔が戻りました。
「…長老様であったら、ラグナロク遺跡の場所を知っていたかもしれませんね」
メルがちょっと残念そうに言うのに、ノアもレイも頷きました。
「んー。我らは記憶が…遠い昔の記憶はあやふやだボー。だから、解らないと思うボー」
ボーズ太郎が申し訳なさそうに言います。ちょっとだけでも手がかりがあればいいのですが、まるで指針になりそうなものがありません。
「ミャー。コネミのおじちゃんが言ってたニャ。『困った時は、自分の恥辱をさらけだしてでも教えを請いなさい』って」
「まったく。コネミさんは何をミャオに吹き込んでんだか…」
「“ちじょく”…ってなんだか知らないけれどニャ♪」
ノアが転けそうになると、ミャオがニャハハハと笑いながら言います。
「いや、教えを請えって言ってもな…来いと言ったスタッド本人がここにいれば、本人に直接聞けるだろうが。今は教えてくれる相手がそもそもいない」
レイがミャオに諭すように言いますが、ミャオは解っていないようで首を傾げます。そのやりとりを見ていて、ノアがハッと何かに気づきました。
「スタッドに直接教えてもらう…か。いや、その手があった!」
ノアがポンと手を叩いて立ち上がります。いきなりのことだったので、レイもミャオも目を丸くしました。
「そうだよ! スタッドに教えてもらえばいいんだ!!」
目を瞬いているメルに、掴みかかるようにしてノアは言います。
「で、でも…。レイの言うとおり、ここにスタッドさんは…」
「いや! 別に本人じゃなくてもいいんだ!」
ノアは確信を得た顔をして、ボーズ太郎を見やります。
「ボーズ太郎! オルガノッソをアンタたちが倒そうとした時、スタッドから渡されたっていう魔法陣の紙あったろ! そいつだよ!! そいつを出して!」
ノアがボーズ太郎を揺さぶります。それを聞いて、メルが目を輝かせます。
「あ! ああ! そうです! そうです!! あの聖波動クライクを秘めていた魔法陣!! あれにはスタッドさんの魔法力が込められている!!」
メルも勢いづき、ボーズ太郎を揺さぶります。2人に左右から揺さぶられ、ボーズ太郎は目を白黒させました。
オルガノッソと戦っていないレイとミャオは未だ解っていなくて呆然としています。
「ボー。こ、これだボー!」
ボーズ太郎が、腰から紙切れを取り出します。
最初、ボーズ星人たちの命を使って敵を封じる疑似魔法と思われていたあの紙です。それには、実はボーズ星人たちの能力を引き出す補助魔法が込められていたのでしたね。
「このボロイ紙が…なんだっていうんだ?」
レイが尋ねるのにも関わらず、ノアはボーズ太郎からそれを取り上げ、メルに渡しました。
「スタッドさんのことです。この聖魔法が込められた紙に、何かヒントがあるかも知れません!」
メルはその紙をしげしげと眺め、それからちょっと魔法力を紙に込めてみました。
次の瞬間、何かがパチンと弾けます。聖波動クライクを表してた魔法陣が変形し、なんだかグネグネと歪んでいきます!
「ビンゴ!! アタシの勘はやっぱり当たっていた!!」
ノアが、レイがさっきまで持っていた地図と、その魔法陣の紙をテーブルの上に並べます。
なんと、あの紙に描かれている魔法陣が、地図にある半島と同じ形になっているのではありませんか。そして、その魔法陣の半島の上の方に丸い印がついていました。
「も、もしかして…これが?」
「ああ! きっと、ラグナロク遺跡だ!!」
ノアたちは喜びに歓声をあげました。目的地が解ったのですから当然です。
「で、でも…。場所が解っても、行けなければ意味がない…ボー」
喜んでいるノアたちに、ボーズ太郎の冷静な一言が突き刺さります。
「そ、そうだよな…。どうすれば」
そう言って悩み出した時です。ドンッ! と突き抜けるような振動。大きな地震が突然、ノアたちを襲います。
「ギニャー!!?」
「ど、どわわわわ!?」
「キャー!!」
「ま、またかよ! レ、レムジンの時よりも…お、大きい!?」
「またガーゴイルが…やってくる…ボー!!?」
4人が、なんとか互いに支え合って立ちます。しかし、揺れは一向に収まりそうにありません。
「グゴオオオオオ!!!!」
地鳴りとは違う、何かの咆吼が外から聞こえてきました!
「な!? 敵だ!!」
ハイハイをしながら、レイは腰の剣を抜いて、外の扉を開きます。
「…へ? おかしいな。壁なんてあったか?」
しかし、開いた先は行き止まりでした。石造りの壁が目の前にあったのです。
「いえ、違います! それが敵です!」
メルが言うと、目の前の壁が動き出しました!
隙間から強い吹雪が入り込むと同時に、目の前の壁…岩石が振り屈むような動作をします! そして顔らしき物を扉に近づけて、緑の目を輝かせながら再び吼えました!
「ロックゴーレム!? クソッ! みんな、この家から出ろ!!!!」
レイが叫びます。皆、ハイハイしたまま裏口から抜け出ました。
凍てつく寒さが襲ってきますが、皆逃げるのに必死で、そんなことお構いなしです。
「グゴオオオオン!!」
ズガーーン! ロックゴーレムの大きな拳が、その家を叩きつぶしました!
間一髪、最後にレイが滑りでた直後の事です。あと1秒でも遅れていたら、家と一緒にペシャンコでした。その衝撃のせいではないでしょうが、とりあえずは地震の方はなんとか収まっていました。
「なんてこった! レムジンのとこのヤツよりは小さいけど、それでも家1軒よりデカイじゃんか!!」
拳を打ち合わせ、雄叫びを上げているロックゴーレム…いえ、『ロックゴーレムJr』とでも言った方が適切でしょう。サイズは変わってもその狂暴さは同じようです。
「いくら廃村とはいえ、こんな村の中にまで敵が入ってくるなんて反則だボー!!」
「ニャー! 寒いけど、やっつけるしかないニャー!!」
この寒さの中、戦うには不利でした。この寒さで身体は意識してなくてもガクガクブルブルと震えます。厚い手袋のせいで武器を持つ手も確かではありません。ミャオは爪をたてるために手袋を脱いでいますが、すでに血の気を失って青白くなっています。メルも鼻先が凍り付き、気を付けないと呪文の詠唱を間違えてしまいそうです。対して、人外の身体をもつロックゴーレムJrは寒さなんて気になりません。吹雪だって、そよ風ぐらいにしか感じてないでしょう。そんな相手とは、ハンデキャップがありすぎます。
ロックゴーレムJrが、ノアたちに向けて拳を振り上げました。
「みんな! まず1発くるよ!!」
ノアが警戒に声をあげます。皆、必死にその攻撃を避けようと構えました。
「『鬼子畏れる久遠の業火。煉獄より来たりたもう憤怒の炎王。灼熱の濁流と為す息吹が逆巻き荒れ狂う。穢れし此方の大地を、汝が災厄の爆炎にて塵芥と化させ給え…エクスプロード!!!』」
呪文の詠唱がロックゴーレムJrの後ろから響き渡ります。長い詠唱のはずなのに、一言二言しか喋っていないようなスピードで聞こえました。
地が割れてマグマが吹き上げ、天が裂けて太陽の炎が火柱として注がれます! 二つの巨大な炎が渦を作り出し、ロックゴーレムJrを中心にして混じり合い、大きな輝きを伴った大爆発となります!
「グガオオオオーォォッ!!!」
大きな叫び声をあげて、ロックゴーレムJrは悶え苦しみます。しかし、その苦しみも一瞬でした。あっという間に、炎の連続爆発に飲み込まれて蒸発してしまったのです。本当に瞬く間のことでありました。
ノアたちは状況がつかめず、そのままの状態で硬直してしまいます。
「…し、信じられません」
メルは自分の両肘を抑えてブルッと震えました。
「詠唱するのにベテランでも1分以上はかかる上級魔法を…数秒で。しかも、これほどの高威力!」
メルはガチガチと歯を鳴らして震えていました。それは寒さのせいだけではありませんでした。
「フフン。これでも手加減したんだけどねぇ。あんな小者の悪魔に、本気で魔法使うなんて私の美学に反するよ」
語尾が尻上がりになる甲高い声が響きます。
ロックゴーレムJrがいた場所、まだ残り火がくすぶっている上を、ファッションショーで歩くモデルのように、かつ独自のアレンジを加えて、気取ったように腰を振りながらノアたちに近づいてきます。
レイより頭1つぶん大きい長身痩躯。メリンの長い耳を入れれば、2メーターを越す高さがありそうです。
まるで作り物のように均整がとれた美しい顔と身体。それを彩る派手な衣装。ボディラインを浮き立たせるピッチリしたオールインワン白タイツに、いったいどこで売ってるのかと聞きたいピンクの羽毛ストール。しかもラメが入っているのか、動く度にチカチカと光を反射します。
色白の肌の上には濃い化粧がされています。切れ長の目に施した赤いアイラインが、何よりも強いであろう当人の自己主張を表していました。
「こ、こんなところに人が…? アンタは…いったい?」
その男はパタンと手に持つ魔法書を閉じます。その分厚い本も、金箔やら朱色の房やらで彩られています。何から何までゴージャスでございます。
「ハハーン? それは私が尋ねたいところだよ。この辺境の地ランドレークに、キミたちのような少年・少女がどんな用事でいるんだと言うんだい?」
丁寧にネイルアートされた長い爪を向けられ、ノアは思わずゴクッと息を呑んでしまいます。
「美しい私が、美しく助けてあげたんだ。まさか秘密ってことはないだろうね?」
フチのない眼鏡をカチャリとあげ、妖しげにメリンの男は紫色のクチビルをニヤリとさせます。
見た目、話し方からしても、どうやらかなりのナルシストのようです。美に強い拘りがあるようです。
言うまでもなく、ノアが苦手とするタイプです。いや、ノアだけでなく他のみんなもどう反応していいのか困っていました。
「ア、アタシたちは…ヘーキショイッ!!」
答えようとしたノアが大きなクシャミをしました。
飛んだツバを見て、メリンの男は不愉快そうな顔を一瞬だけします。しかし、すぐにさっきの妖しい笑みに戻りました。
「…このランドレークにいて、『バランサー』を使っていないとは命知らずにも程があるねぇ」
ノアたちは顔を見合わせ、全員が同じように首を傾げました。
「まあ、口で説明するよりも…かけてあげた方が早いね」
男は人差し指を立て、ブツブツと何やら魔法を詠唱しました。
すると光りの束が地面に散り、それがノアたちの足下から照らします!
「お? おお! な、なんだ!? 急に寒くなくなったぞ!」
「ミャー!! ポカポカしてくるニャ!!」
さっきまでの震えがピタッと止まります。身体の芯から温かくなり、ポカポカしています。まるで湯たんぽを
まるごとお腹の中に入れたかのようです。
「スゲー! これなら半袖でもいられるよ!」
ノアは嬉々として防寒着を脱ぎ捨てます。ゴテゴテした厚着は嫌だったのです。
しかし、こんな吹雪の中だというのに奇妙な感じですね。
「補助魔法の一つだよ。初歩的なものだけれどね。私ぐらい美しく応用がきけば、例えこの極寒でも熱帯地方のようさ。そちらのお嬢さんは使えないのかな?」
からかうように言う男の言葉に、メルはしょげてうつむいてしまいます。
「ありがとうボー! これでラグナロク遺跡に行けるボー!!」
「おい! ボーズ太郎!」
安易に目的地を言ってしまったボーズ太郎を、レイが慌てて叱咤します。
「あ! し、しまったボー」
「ラグナロク遺跡?」
ピクリと長い耳が動きます。 その長い耳は伊達ではありませんでした。ちゃんと聞いていたのです。男は額に手を当てて考える仕草をします。
「…へえ。あんな遺跡に行きたがるのが、まだいたなんてね。これで3回目だね」
男の独り言に、ノアたちは目を丸くします。
「3回目だって!? ど、どういうこと!?」
「ああ。キミたちで今年に入って3組目ってことさ。ラグナロク遺跡に向かおうとする人たちはね」
男は眼鏡をカチャリとあげて、長い髪の毛をかき上げます。
「フフン。興味あるの?」
「ああ! アタシたち以外に誰が来たのさ!?」
もったいぶったように、男はジロジロとノアを見やります。
「ま、いいだろう。まず1人目は英雄スタッドさ」
ノアは「やっぱり!」と嬉しそうな顔を浮かべますが、男はさらに続けます。
「2人目は我が同胞オ・パイとその従者。…そして、最後は君たちだよ」
わざわざ1本ずつ指を立てて説明してくれます。いちいち、その動作が大仰でキザったらしいのですが、ノアはそんなことにツッコミをいれられるような心境ではありませんでした。
「我が…同胞オ・パイ…だと?」
レイが眉を寄せます。ノアの顔も途端に曇りました。
皆、警戒したように構えます。男は「んー?」と目を細めました。
「私の名は知の四天王ビシュエル。ああ、もちろん美の四天王でもいいんだけれどもね」
その名前を聞いて、皆に衝撃が走ります。
「そ、そういえばどこかで見た顔だと思っていたんだよ!」
「ああ! ミルミ城の投影で見た顔と同じだ! 俺としたことが、すぐに気づかなかったなんて!」
「ボー! な、なんてことボー!! 我、余計な事を…!」
ボーズ太郎は自責の念に駆られて頭を横に振りました。
「フーン? 何か勘違いしていない?」
「何をだ!?」
「私は戦う気はさらさらないよ」
殺気立つノアたちに対して、ビシュエルは無防備のままに肩をすくめました。
「戦う気はない…だと? しかし、オ・パイの同胞だと…」
レイが剣を突きつけながら言いますが、ビシュエルは涼しい顔をしたままです。
「ああ。かつての同士さ。でも、別にいま組んでいるわけでもない。ヤツにはヤツの目的があるんだろうが、私には関係のないことさ」
「信じられ…」
「ない? いやよく考えてみなよ。もし敵なら、さっきキミたちに魔法をぶつけてたよ」
確かにビシュエルの言うとおりです。ロックゴーレムJrを倒したエクスプロードがノアたちに向けられていたとしたら、もうすでに消し炭になっていたことでしょう。
ノアたちは互いに顔を見合わせました。そして、それぞれ武器を下ろします。
「…じゃあ、オルガノッソやアルダークみたいに。魔神の呪いを受けているわけじゃないのか? 見たところ、悪魔になってはいないようだけれど」
ノアが訝しげに言うと、ビシュエルは吹き出すように笑いました。
「この私が…悪魔に? アハハハ。あり得ない話だねぇ。
確かに20年前にやられはしたが、今では逆にその力を利用させてもらっているぐらいさ。私が美を保っているのはそういうわけだよ」
言われてノアたちは気づきましたが、ビシュエルは20年前に見た過去の映像そのままなのです。シワ一つ増えていません。
「私やオ・パイぐらい力が強いならば、魔神の呪いなんて跳ね返せる。オルガノッソやアルダークなどは魔神に取り込まれて、姿どころか記憶まで変えられてしまったようだがね」
ビシュエルは肩を震わせて笑います。かつての仲間であっただろうに、どうして他人事のようにそんなことが言えるのかノアには解りませんでした。
ノアたちが生真面目な顔をしているのに気づくと、ビシュエルはコホンと咳払いします。
「ま。かつての同胞たちの悪名が広まるのは関心しないからね。私の名声にもキズがつくしさぁ…。迷惑だよね。
せめて、四天王は各地に守護者として封印されてるとかなんとか適当な噂は流して置いたけれど…」
レイはハッとします。封印されていた悪魔が守護者として伝承されていたのは、他でもないビシュエルが原因だったのです。
「そんな噂がジャスト城の正史として残されていただなんて…」
反応を見て、ビシュエルはニッと笑いました。それはイタズラに成功したガキ大将のような顔でした。
「そもそも英雄スタッド殿の登場で、四天王の存在なんてほとんどの人が記憶していないしね。私たちが活躍したミルミ城もすでにない…。今は昔の話さ」
ビシュエルは顔に影を落として切なそうに言います。
「魔神と戦い、英雄と呼ばれたこの私が、この辺境の地で人に知られず美しく生きる…ああ。なんて美しい薄幸の物語だろうか。まさに美人薄命!」
美人薄命とは意味が違うような気がしますが、とりあえずビシュエルは悦に入って空を仰いでいます。雪原にバラの華が散っているかの幻覚まで見えてくる派手な立ち振る舞いでありました。
「と、とりあえず、悪人じゃないんだね! 助けられたよ! ありがとう、ビシュエル!
そして、アタシたちは…もう先に行くとするよ!」
ノアは早口でそう一挙に言います。それは悦に入っているビシュエルを邪魔してはいけないとの配慮です。ええ。決して、面倒くさそうだから、関わり合いたくないからなんて理由ではないですとも!
しかし、自分の世界に入っていたはずのビシュエルはすぐにノアたちにと向き直りました。
「フフン。君たちの実力でこのランドレークを行けるとは思えないけれどね。さっきの小さいロックゴーレムなんて、ここでは一番弱いぐらいだよ」
それを聞いて、ボーズ太郎がブルッと震えます。レイが目を細めました。
「何が言いたい?」
「えー。美しい私にそれを聞いちゃう? まあ、今回は大目にみてあげよう。つまりは、私が協力してあげようと言っているんだよ。仲間になってあげるってことさ」
ウインクして言うビシュエルです。なんとも上からの物言いでしたが、その実力を考えれば仕方がないことなのかもであります。
「私の美しい魔法は、きっと役立つと思うんだけどねぇー」
「…なぜだ? そんなことをして、何のメリットがそっちにある?」
レイの問いに、ビシュエルは後ろ髪をなでてちょっと考えます。
「興味がある…じゃ、ダメかな? オ・パイの形相がただごとじゃなかったからね。察するところ、君たちは英雄スタッドでなく、オ・パイと敵対しているのだろう?」
敵対という言葉に、メルが顔を曇らせます。
「オ・パイの強さは一緒に戦っていたから知っている。弱い君たちが、彼を同じ場所に向かってどうするのかとても興味があるんだ。この辺では娯楽がないからねー」
まるで映画でも見に行こうと言わんばかりのビシュエルの態度に、一同はちょっと複雑な顔をしました。
「それに、強い者の味方をするより、弱い者の味方をした方が美しいじゃない! 弱き者を助ける知の四天王ビシュエル…ああ。もちろん美の四天王でもいいけれども! いい、とても美しい、私!!」
身体をくねらせて身もだえするビシュエルです。どうやら、本当に自分の美しさが優先のようでありました。
動機は不純でしたが、それでもビシュエルの魔法力は魅力的です。
「…ちょっと相談させて」
「どうぞどうぞ」
ビシュエルから少し離れ、ノアたちは顔を突き合わせて話し合います。
小声ではありましたが、ビシュエルの長耳には「魔法は…」とか「危険かも」とか、「遺跡までなら…」や「お腹減ったニャー」などの声が聞こえていました。
「それで返答は?」
「……本当に遺跡までついてきてくれるの?」
「もちろん」
「なら、お願い…」
ノアたちは悩んだ末に、コクリと小さく頷きます。ビシュエルは満足そうに髪を払って笑いました。
「そう♪ 損はさせないよ。じゃあ、ヨ・ロ・シ・ク、ね?」
「え、ええ…」
なぜか、ビシュエルはメルに向かって言いました。メルはちょっと気まずそうに目をそらしながら頷きます……。
こうして、知の…いえ、美の四天王ビシュエルがノアたちの仲間に入ったのでございました。
3000体もの悪魔が跳梁跋扈する魔都ランドレーク…そう言ったのはどこの誰だったでしょうか。それはまさにその言葉通りで、村を出たノアたちに、息もつかせぬほどの悪魔の群れが襲いかかってきます。
レムジンを襲ったガーゴイルはもちろん、ロックゴーレムJr。それだけでなく骸骨騎士スケルトンマンの親玉である『キング・スケルトン』。8本の首をもつ『ヤマト・ドラゴン』。強力な上級魔法まで使いこなす、悪魔の中の悪魔と呼ばれる『アークデーモン』。いやはや、古の資料にすら載っていない超強力な悪魔たちが、特売日のスーパーになだれこむ奥様たちのごとく、立て続けに迫ってくるのであります。
しかも、その1匹1匹が、それこそオルガノッソやアルダークと同じぐらいに強いのですから。反則だ、チートだと騒ぎたくなるぐらいひどい有様でした。
しかしながら、今回仲間になったビシュエルは口だけの男ではありませんでした。そんな強力な悪魔たちをほぼ魔法1撃で蹴散らしてしまいます。
「『ファイヤストー…』」
「フフン。『エクスプロード!!!』」
「『ブリザー…』」
「エレガント! 『ダイヤモンドダスト!!!』」
「『ライト…』」
「アハハン! 『スパークプラズマ!!!』」
なにせ上級魔法を使っているのに、下級魔法を使っているメルよりも詠唱が早いのです。しかも、決め台詞をいちいちつけた上に、極めて本人が美しいと思っているポージングまで決めています。ウザイことこの上ありませんが、それでも実力はノアたちよりも数段上でした。
「す、すごいな…。俺たちが出る隙もない」
レイが感嘆して言うと、ビシュエルはチッチッチと指を横に振りました。
「フフン。さすがの私でも、もっと先に進めば一筋縄じゃいかないよ。醜くしぶとく生き残っているヤツらがでてくる。そいつらは、さすがに君たちが相手してくれないとしんどいね」
そうは言っているものの、ビシュエルはさほど深刻そうな顔はしていません。まだまだ魔法力には余裕がありそうです。
しかし、まったくノアやレイ、ミャオの出番がないというわけでもありませんでした。ビシュエルが魔法を放った後に隙ができるので、そこを護らなければならないのです。そうすればやはり怪我人がでてくるのでボーズ太郎が治します。
「大丈夫? 疲れてないかい?」
ビシュエルがメルにそう尋ねます。しかし、疲れるはずがありません。メルは村を出てから一度も魔法を使っていないのですから…。放つ前に、ビシュエルが敵を倒してしまうのですから。メルは小さな女の子がやるように、ギュッとスカートの端を握りしめます。
「…いいえ。大丈夫です」
小さくメルはそう答えるのが精一杯でした。それ以外のことを口にしたら、自分が懸命にフタしている感情までがあふれてしまいそうだったからです。
ビシュエルは「ふーん」とだけ言ってそのまま行ってしまいます。
「なあ、ビシュエル。アンタのその化粧品ってどこで調達すんの?」
「うん? ああ、私は化粧品はまとめ買いするタイプでね。同じメーカーじゃないとダメなんだよ。だから、あと150年ぶんぐらいはストックがあるよ」
「150年!? ど、どれだけ長生きするボー!!」
「ニャハハハ! シワシワになっちゃうミャー!」
「アハハ。失礼だねー。魔神の呪いのおかげで歳をとらなくなったって言ったじゃない。寿命だってどれだけのびたか解らないしね。ああ、私の美しさは永遠の罪かもしれないよ」
「自分でよく言うなぁ。俺なんかそんなこと恥ずかしくて…」
「ん? レイ。君だって化粧すれば化けるかもよ♪」
「え? そ、そうかな…」
「うげー! レイが化粧! 見たくなーい!」
戦いに余裕があるせいでしょうか。そんな無駄話をしています。ビシュエルはアッという間に仲間に溶け込んでしまったようでした。
いいんでしょうか…。レムジンでは死闘が繰り広げられているのに。
いいんでしょうか…。もうすぐにでも魔神バルバトスが復活するかもしれないのに…。
ああ、こんなに平和に、和やかに、穏やかに……楽しくおしゃべりなんてしてていいんでしょうか?
メルは疑問に思います。でも、口には出せません。出したら止まらなくなってしまうでしょうから。
心の中で、フタを押してグッと抑えつけていた何かが暴れだしそうでした。ガタガタ揺れて、隙間からタイミングを見計らっているかのようです。
それがなんなのかまでは口に出してみるまでは解らないのですが、それはとても真っ黒くてイヤなものに違いないだろうとメルは感じていました。
「…なんだろう。なんだかザワザワする」
メルは胸に手を当て、チラリと目の前にいるノアたちを見やりました。なんだか、仲間たちはこの数時間でメルよりも遠くに行ってしまったような気がします。
ビシュエルに向かって微笑むノアが、ビシュエルの肩を叩くレイが、ビシュエルの耳を狙うミャオが、ビシュエルに踏まれそうになるボーズ太郎が…なんでしょう。気に入らないのです。メルにとってなんだかとっても遠い人に感じられるのです。なんだか、それはとてもイヤな気持ちでした。
「私…なんでここにいるんだろう」
メルはふと立ち止まります。
でも、ノアたちはそれに気づきません。どんどん先に行ってしまいます。きっとそのままラグナロク遺跡に着いて、ようやくメルがいなくなったのに気づいても「まあ、いいじゃん」とか言って捜しにきてくれないような気がします。
「私は…必要ないんじゃ…」
自分の足下を見ながらメルはそう呟きます。
ほら、フタから何だか黒いものがあふれてきました。だから口にしたくなかったんです。なんだかその黒い物は口があって「ヒヒヒ」だなんてイヤらしく笑っています。
「私なんて……別にいらないんじゃ…」
惨めな気分になって、思わず泣き出しそうになってしまいます。
メルには上級魔法は使えません。自分はそれなりに魔法力が強いと思ってきましたが、それはデムやボーズ星人の中にあってです。
レムジンの魔法兵たちが扱う魔法は、自分よりも遙かに強力でした。そして、ファラーや娘の司教たちも、メルよりもきっと魔法力が高いに違いありません。それを肌で感じて、メルは自分の能力に疑問を覚えていたのです。
もし、自分がビシュエルぐらいの魔法力があれば、レムジンでもガーゴイルたちに好き勝手させなかったでしょう。そう考えると、とってもとっても惨めなのです。
ノアやレイ、ボーズ太郎にミャオは…それに気づいていません。ボーズ太郎は同じ魔法を使うにしてもジャンルが違います。
ああ、今やもうメルの魔法がお荷物になっていることが、誰にも知られていないだけなのです。ただ、そのことに甘えていたのではないか…そうメルは感じてしまいます。
「私は…バーボンさん。私は…お母さん。…私は…どうしたら」
ついにあふれ出す涙を隠そうとして、メルは顔を手にやります。涙なんて流したくありません。でも、止まりません。
メルは視線を感じ、ハッと顔をあげました。自分よりも遙か先にいるビシュエルが振り返ります。その顔は悪意に満ちていました。
──ここでお別れしたほうが…君のためだよ──
──君の代わりは私がやってあげるから。それが彼らのためだよ──
──君はいらないんだ。もうお帰り──
言葉が聞こえるわけではありません。しかし、その表情から、メルはそういうメッセージを受け取りました。
「ああ…。私は…。私は…ううっ」
メルはひざまづいて泣きじゃくります。小さい子供のようにしゃっくりを上げてポロポロと涙を流します。
暗闇に沈む心に、人々が見えます。
メルに暴行した男たちが『メリンだと思って、何様のつもりだよ』と怒鳴っています。
ボーズ星人の長老とその仲間たちが『メルメル。お前が我らを見捨てて殺したのだ…』と責めます。
霊希碑が『心なき思いはやがて汝が友を破滅に追いやろう…そう言ったではないか』と罵ります。
クラレ村の人々が『純血のメリンではない…』と冷たい眼で見ます。
オ・パイとシーラが『お前は私たちの子供ではない。メルメルは死んだのだ』と拒否します。
そして…最後に、バーボンがでてきます。バーボンはエリムを抱きながら『お前なんて嫌いだよ。向こうに行け』と言います。
それらが何度も何度も繰り返され、メルの心をえぐります。
そうこうしているうちにフタがパンと開いて、それが顔をのぞかせました。
それは“悪魔”です! しかもメルメルと同じ顔をした悪魔なのです! それはニタニタと笑っています! これこそが、メルの本性なのではありませんか…
「ああ。…ああ!!」
メルは自分の首をしめます!
この苦しみから、この悲しみから…救ってくれるなら!
死の方がまだいい!! 居なくなってしまいたい!! 消えてしまいたい!!
──ダメだよ。メルメル。しっかりしなさい──
メルはハッと我に返ります。自分の首にかけてていた指を1本ずつゆっくり離し、ケホケホと咳き込みます。
そして、自分のポケットの中に入れていた…あのスタッドの疑似魔法の紙を取り出しました。
それは会ったことも、話したこともないスタッドの声のようでした。なぜか、スタッドの声だと感じたのです。
「スタッド…さん?」
メルは何かに気づきます。何かが示されたような気がします。辺りを見回します。
「なに? 誰? 誰…なの?」
それは泣き声でした。小さいけれど…本当に小さいけれど、メルの耳には聞こえます。
「どこ? どこにいるの?」
メルは道から外れて、凍りついた茂みの中に入っていき、雪に埋もれた木の間をすり抜けて行きます。
すると、ちょっと広い場所にでました。道ではありません。一面の雪のせいでわかりませんけれども、大きな原っぱのような場所なのかも知れません。
「クスンクスン…」
小さな泣き声でした。すすり泣きです。メルは雪をかき分けるように進んでいきます。
「誰なの? 泣いているのは…」
かき分けて行くと、青い布が見えました。もう少しで雪に埋もれてしまうぐらい小さな子供です。布は、その子がしているマフラーなのでした。
「どうして…泣いているの?」
そう言って、自分だって泣いていたのを思い出したメルです。慌てて自分の目の周りを拭き取ります。
その子は顔を上げました。綺麗な顔をしたファルの少年でした。ファル特有のちょっと大きいネコ耳。澄んだ海のようなアクアブルーの髪と、それと全く同じ色をした大きな瞳。色白の顔には、ほっぺと唇が淡く朱に染まっています。ちょっと長い揉み上げがチャームポイントでした。
泣いていてもその魅力は衰えません。メルは思わずその少年の魅力に引き込まれてしまいます。
「おねえちゃん…だあれ?」
少年は舌足らずの口でそう尋ねます。顔つきから年齢は10才ぐらいだとメルは思いましたが、声を聞くとなんだかもっと幼いような気がします。
「私は…メルメル。あなたは?」
メルは怯えさえないようにと、できる限り優しく言います。
「ボクは…シャリオ」
シャリオはシャックリをあげながらもそう名乗ります。メルは解ったとコクリと頷きました。そして、しゃがんでシャリオと目線を合わせます。
「ねえ。シャリオ。どうして…泣いていたの? お姉ちゃんに教えて…」
なんでそんなことを聞かねばならないのか、メルは自分で不思議でした。もっと他に言うべき事があったでしょう。でも、なぜか泣いている理由…それを聞かねばならないような気がしたのです。
シャリオは、自分が泣いていた事を思い出し、ポロポロと再び涙をこぼしはじめました。メルは優しくシャリオの頭をなでてあげます。
「お、お父さんと…おか、お母さんが…あ、悪魔に…悪魔に!!」
それだけの説明でしたが、シャリオに何があったのかメルは理解します。
シャリオは泣きながら、自分が来たであろう轍のようになった跡を小さな手で指さしました。
メルがその先を視線で追うと、小さな掘っ立て小屋のようなものが見えます。どうやらシャリオはそこから来たようでした。
「メル!?」
メルがシャリオに言葉をかける前に、背中から大きな声がします。
少しビックリしましたが、それでもその声をメルが聞き違えるはずもありません。
ノアです。ノアたちが、いなくなったメルを心配して戻ってきたのです。メルが心配していたように、そのままラグナロク遺跡に行ってしまうようなことにはならなかったのです。
「その子は…どうしたの?」
「ランドレークの住人か?」
「ミャー。ミャオと同じファルだニャー。…お前、男かニャ?」
「ボー! メルメル、急にいなくなったら心配ボー!」
仲間が口々にそう言います。シャリオはちょっと気圧されていましたが、「大丈夫よ」とメルはその背中をさすりました。
「この子…シャリオっていうんだけれど。この子の両親が…あの小屋で悪魔に襲われているみたいなの」
メルが指さす小屋を、ノアたちはチラリと見やります。
「…罠だよ」
ビシュエルがシャリオを冷たく見下ろしながら言いました。
「罠?」
「ああ。高等な悪魔が使う常套手段さ。あの小屋自体が悪魔で、入った瞬間に丸飲みにされるって寸法だよ」
ビシュエルは「相手にすることないよ」と、手の平をヒラヒラと振りながら言います。
「そ、そんなこと! ほんとうに、お、お父さんと、お母さんが!!」
涙を流しながら、シャリオは首を横に振ります。
「その子供も悪魔が変じているのさ。信用しない方がいい。ランドレークでよく使われる諺は『信じる者は裏切られる』だよ」
「そ、そんな…。でも、シャリオが嘘をついているようには、私には…」
メルがシャリオをかばいますが、ノアたちはなんだか半信半疑のような感じです。
「まあ、そこまで言うなら証拠を示そうか?」
そんなビシュエルの言葉に、メルの背に嫌な冷たい汗が流れます。
ビシュエルはシャリオをつまらなそうに見つめます。
「このランドレークの奥地で、今までまったく襲われずに君たちは生活していたのかい?」
「…え」
「ましてや人里離れたこんなところに住んでいたわけ?」
「…あの」
「こんな雪しかないところで食べ物なんかはどうしていたのさ?」
「それは、お、お父さんが…」
「両親が悪魔に襲われたのに、なんで君はこんなところで泣いてるの? この辺のレベルの悪魔を相手に、君だけ無事に逃げ出せたなんてことある?」
ビシュエルが次から次へと質問するのに、シャリオは言葉に詰まります。明確な返答はありません。
「…で、今、私たちの目の前に出てきて助けて欲しいだって。なーんとも、話が出来過ぎじゃない?」
ビシュエルの言っていることは筋が通っていると、ノアもレイも頷きます。
「で、でも! ほんとうに!! ほんとうに!!」
必死にシャリオは言いますが、もうノアたちにもその言葉は届かないようです。
「…行こう。メル。アタシたちはこんなところで立ち止まってはいられないよ」
ノアが言うのに、皆がコクリと頷きました。メルは驚きに目を見開きます。
「そ、そんな…。もし、シャリオの言っていたことが本当だったら…どうするの?」
ノアとレイは悲し気に顔を見合わせました。
「メル。こんなところに子供がいるわけがない。俺たちですら命が危うい場所なんだ。あれだけ凶悪な悪魔たちがいた場所だ。もし子供が本当にいたら、真っ先に殺されている…」
レイは蔑むようにシャリオを見据えて言います。
それでもメルは首を横に振りました。
「私は…私は…! このシャリオを信じます! 私は…あそこへ、この子の両親を助けに行きます!!」
メルは震える身体を抑えながら立ち上がります。そして、掘っ立て小屋に向かって走りだしました。
「メル!!」
ノアたちは慌てて捕まえようとしますが、メルはその手をすり抜けて行ってしまいます。
「……行きたいなら好きにさせればいいじゃない。さあ、先に進もう」
ビシュエルは肩をすくめて言います。
ノアたちは困ったような顔で、必死に雪をかきわけて進むメルを見やりました。
「そう…」
「…だね」
ノアとレイが小さくそう言ってコクリと頷きます。
そして、先頭を歩き出したビシュエルの後に続いて、先来た道を戻って行きました……。
シャリオを信じ、その両親を助けに行こうとするメルはいったいこれからどうなるのでしょうか。
そして、ノアたちはメルを見捨てて本当に行ってしまうのでありましょうか…………。