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第十一章 大司教ファラーと元老院

 レムジンの中央に位置する大教会。

 ここは法と秩序と正義の名の下に、罪人を裁く…いわば裁判所のような役割を果たす場所でありました。

 整然とした街並み同様に、大教会もまた精緻せいちな計測によって造られ、完璧なまでの威容で屹立きつりつしているわけであります。

 端から段々に高さを増していって、ちょうど中央で一番高くなるように建てられた塔。少しでもバランスを間違えたらひっくり返ってしまいそうな、急角度の外壁。それらは正面から見ると菱形ひしがたをした宝石のようでした。その全体の形状に合わせ、窓や入り口も菱形の形になっています。

 いやはや、レムジンの建築技術の凄いこと。その調和の取れた見事な造りに、見惚れてしまいそうでしたが、手首に巻かれているジャラジャラとしたものがそういう気分にはさせてくれませんでした。

 ノアとメルとボーズ太郎に至っては2度目の連行経験です。もう沢山だと思っていただけに、不愉快さはより強いものがあります。

 ノアたちは何とか脱出の機会を見いだそうとしますが、その包囲陣形には隙がありません。

 前後は確実に抑えられ、左右の建物からも弓兵が狙っている気配がします。少しでも不審な動きをみせれば、すぐに射れる準備ができていることでしょう。レムジンの兵士たちとのレベルの差、数の差はいかんともしがたいのです。

 大教会の門を通り、背よりも遙かに高い玄関がいよいよ開かれます。レイは苦い顔をしました。


「クッ。中に入ってしまえば、逃げるのが難しくなる…」


 レイは小声でそう呟きます。メルもボーズ太郎も不安そうな顔をしました。


「レイ。大司教はどんな人なんだ? 容赦なく、アタシらの首をはねちまうってことはないんだよね?」


 ノアが問うのに、レイは首を横に振ります。


「すまないが、俺も知らないんだ…。元老には会ったことがあるが。大司教は政治には関わらないからな」


 つまり、どういう裁きが下されるか予測すらつかないのです。

 もしデム嫌いだったとしたら、メルやミャオは軽い刑ですんでも、ノア、レイ、ボーズ太郎には極刑が待っているという可能性もあります。それを考えると、とても気が重くなって来ます。なにせ、レムジンの恐ろしさはコネミからよく聞いていたのですから。

 大教会の長い廊下を渡ると、ようやく聖堂に出ます。ジャスト城のホールよりも遙かに大きいです。長椅子が左右にズラッと並べられ、簡単に200人ぐらいは入ってしまいそうなスペースです。

 中央の奥に聖壇があり、その後ろには巨像が建っていました。

 長身痩躯ちょうしんそうくで、大剣を地面に突き立てて仁王立ちになっている勇ましい男性の像です。しかし、不思議なことにその顔の部分が深くえぐれていて、その表情がどんなものか全く解りません。


神王しんおうと呼ばれた、我々が本来信ずるべき神の像だよ」


 ノアたちは大きな像の方に注意がいっていたので、聖壇の前に立つ人に気づきませんでした。

 長いローブに、聖帯を首にかけ、手には錫杖しゃくじょうをもっています。ピッチリと綺麗に整った白髪混じりの七三分け。少し垂れた感じのネコ耳、端がピンと立っているちょっとシャレた口ヒゲ。そして優しそうな目元をした初老の男性です。

 ノアはどこかで見たような気がして、目を細めました。


「お久しぶり。海は満喫まんきつできたかね?」

「あー! あの、釣り人の海で水着をくれた、おじさんじゃーん!?」


 ノアもメルも目を丸くします。そうです。釣り人の海で会ったファルのおじさんだったのです!


「コラ! 失礼な! 口をつつしめ!」

「いやいや、問題ないよ」


 兵士が怒るのを、おじさんはニッコリと笑って止めます。

 あの時は旅人の服とリュックを背負っていたので全く解りませんでした。ただの農家か何かをしているおじさんにしか見えなかったのですから。


「はじめまして…ではないが、改めて名乗っておこうか。私がレムジンの大司教ファラーだよ」


 その言葉に誰もが衝撃を受けます。


「まさかとは思ったが、どうりで魔法石も使わずにテレポートなんて高度な魔法を使うわけだ。…大司教だったとしたら納得がいく」


 レイがちょっと気に入らなさそうに言います。ファラーはヒゲを撫でて笑いました。


「そう言うな、レイ王子。私はただスタッドに言われたようにあの場を通っただけだ

 そんな言葉に、またまたノアもレイも意表を突かれました。


「スタッドだって!?」

「なぜ、俺が王子だと!?」


 2人が問いかけるのにも、涼しい顔でファラー大司教は片手を静かにあげました。その視線は兵士たちに向けられています。


「…彼らは罪人ではない。手かせを解きなさい」


 その命令に、兵士たちの間で動揺が走ります。

 隊長らしき人物が前に進み出てびざまずきました。


「ファラー大司教。おそれ多きことながら申し上げます…」

「…発言を許可します」


 今度は頭を深々と下げます。


「ヤツらはデムを含む不法入国者。このまま解き放つのは危険かと。それに元老の方々の手前もありますし…」

「控えなさい。これはレムジンの司法。大司教ファラーによる命令ですよ」


 左右にある回廊から、ファラーと同じような格好をした美少女たちが姿を現します。

 左から3人、そして右からも3人。それぞれ凛とした顔つきで、隊長を見下します。立っている位置も、立場も美少女たちの方が上なのです。

 隊長は膝をグッと掴み、再び深く頭を下げたかと思うと、部下たちにノアたちの拘束を解くよう指示しました。


「後は、この私に任せなさい。お前さんらは下がってよろしい」


 ファラー大司教が言うのに、隊長はこれだけは譲れないとばかりに首を横に振りました。


「しかし危険です! せめて、私だけでも護衛に…」


 その言葉が言い終わらないうちに、ファラー大司教が隊長の目の前に移動していました。

 錫杖を剣に見立てて、隊長の喉元に軽く当てます。

 そうです。テレポートの魔法です。あの一瞬でそれを使用したのです。

 隊長がゴクリとツバを飲む音がハッキリと聞こえました。


「私はファルでは一番の魔法の使い手だと自負しているつもりだよ」


 こうまでされては、さすがの隊長も認めざるを得ませんでした。

 兵士たちを連れ、それぞれが聖堂から出て行きます。最後に隊長はギロッとノアたちを睨むと、少し乱暴に扉を閉めました。


「さて。これでゆっくりと話せるね」


 ファラーが手をポンと叩いてニコリと笑います。

 そして、さきほどの6人の美少女たちがファラーの側に立ちました。


「あ、あの…。彼女たちは?」


 勢揃いする美少女を前に、レイは鼻を抑えながら尋ねます。


「ああ。私の娘たちだよ。私に次ぐ司教さ。

 前に言ったろ? これだけいるもんだから、水着のサイズを覚えるのも大変で、その上、デザインも好みがあるからね…まとめ買いしたってことなんだよ」


 ファラーは大きく笑います。この6人が水着だったら…そんな想像を浮かべて、レイは鼻血をまき散らしながら倒れました。


「スゴイサイテーだぞ。レイ」


 ノアがジト目をして、倒れているレイの脇腹を蹴ります。


「あー。ちょっと刺激が強かったかな?

 まあ、ここじゃなんだ。奥の部屋で話そうか…」



 さすが大司教ともなると色々な客人がくるのでしょう。案内された応接室もかなり広いものでした。

 ノアたちの前にあるソファーに、大司教を中心にして、左右に娘の司教たちが座ります。


「長女アルマです」


 一番左端の背の高いお淑やかな美人がペコリとお辞儀しました。

 長い黒のロングヘアーに、白を基調としたドレスのようにも見えるローブです。目元のホクロが何ともセクシーでした。

 隊長に向って「控えなさい」と言ったのも彼女ですね。あの時はキツめの印象でしたが、微笑んでいる今はまったくそんな感じはしません。公私をキッチリ分けられるタイプなんでしょう。優しいけど、出来る頼りになる長女という感じがします。


「次女フェルデだ」


 その隣に座るオレンジ色のショートカットで、釣り目の少女がニッと笑います。

 この中でも一番司祭らしくありません。ローブも丈が短く、中には短パンをはいています。動きやすさを求めるためか肌の露出が多いようですね。錫杖も腰に無造作にくくり付けていました。なんだか全体的な雰囲気はノアと似ていますね。

 もしかしたら頭を使うより、肉体を使った方が得意なアスリートタイプかも知れません。活動的なボーイッシュ好きにはストライク間違いなしでしょう。


「三女グリムアーですわ。うっふん」


 さらにその隣。紫色の豊かな盛り髪にした派手な美女がウインクしました。

 スタイルは姉妹の中でも抜群です。大きな胸を寄せ、アイシャドーたっぷりの妖し気な視線がさっきからずっとレイを捉えていました。うるんだ瞳が、つややかな唇が、すべてが意味あり気に見えて仕方がありません。もちろん、大人の世界のお話ですね。

 漂う香水の匂いによって、側にいるだけで男だったらノックアウトされてしまうことでしょう。レイとボーズ太郎の理性は、ノアにつねられているお陰で保たれていたのです。


「四女…。エカテナ」


 茶色い三つ編みで、丸ブチのメガネをかけた、ちょっと暗めな少女がファラーの方腕を抱きながら言います。

 メガネのせいで解りづらいですが、この中でも整った容姿をしています。ローブも質素でオーソドックスで、ファラーとのお揃いでありました。

 真面目な秀才タイプが好きな人にはたまらん系であります。好きになったら一途に追いかけてきてくれる感じがします。……浮気したら刺すタイプでもありますが。


「五女のテーテだよん♫」


 レモン色のポニーテールの小柄な少女が、脚をバタバタとさせ、ニカーッと笑いながら言います。抜けた歯からしてもまだ10代前半でしょう。あどけない感じに、つい頭を撫でたくなってしまいますね。

 ミャオと年齢が近いせいか、互いに気になっているようで、見つめ合ってはクスクスと笑い合います。はしが転んでもおかしい年頃なわけですね。

 うーん、ちょっとまだ早いですね。いや好きな人は好きって解るんですが……きっと犯罪です。

 でもあえて言いましょう! 『お兄ちゃん!』と呼ばれたい相手ナンバー1であると!


「末女のアングリーと申す。よろしく頼もう!」


 …………ハッ! こ、これは失礼しました。もう紹介は終わったとばかり!

 一番右に座っていた美人…ええ、美人……この場合は、そう言わなければ、きっと殴り飛ばされてしまうことでしょう。

 この6人の中で一番…その、体格がよろしくていらっしゃる、逆三角形ボディにバッキバッキの腹筋。ピンクのサラサラしたオカッパヘアー。その胸も大きく…いや、大胸筋だいきょうきんが立派でいらっしゃる。まるで金剛力でも宿ったかのような角張った顔で、凄む…いや、微笑んでおられます。


「これが私の娘たちさ。どうやら、末娘のアングリーがレイ王子を気に入ったようだね」

「え!?」


 ファラーがそう言うと、さっきからジッとレイを見ていたアングリーがポッと赤くなります。


「わたくしも見ておりましたのに…」


 グリムアーが親指の爪をかみますが、ファラーもアングリーもなぜか知らない風を決め込みます。

 

「照れるわいな! 親父殿!! そんな恥ずかしいわいー!」

「……いや、本当に勘弁して下さい」

「遠慮せずともいいわーい!」

「いや、真面目に…うわーッ!」


 そんな乙女なことを言いつつも、すかさずテーブルごしからレイに裸締はだかじめ…いや、抱きしめにかかります。


「ダーリン、むっちゃ好きやねん!!」

「うごがッ!」


 レイの背骨がバギャギャっというような凄まじい音で悲鳴を上げました。


「まあ、そのへんにしておきなさい♪

 では…話を続けようかね」


 真面目な顔を作り、ファラーが言います。名残惜しそうにアングリーはレイを離して自分の席にと戻りました。

 レイは半死半生でしたが、ボーズ太郎の治療魔法でなんとか一命を取りとめます。


「…ファラー大司教。アンタは、スタッドを知っているの?」


 ノアがさっきからずっと尋ねたかったことを聞きます。


「ああ。旧知の仲だよ。それも魔神バルバトスが封印される以前からのね」


 そうにこやかに笑いながら言うファラーは、どことなくスタッドに似ているかもとノアは思いました。


「彼から聞いていたんだ。やがてノアという少女が、メリンやファルの仲間、ボーズ星人などを連れてレムジンに現れるだろうと」


 その言葉にノアたちはさらに驚きます。


「どういうことでしょう? 私たちのことまでどうして…」

「メリンはメル。ファルはミャオ。ボーズ星人はボーズちゃんだミャ♪」


 ミャオはボーズ太郎の頭をポスッと叩きます。


「ま、まるで予言者みたいだボー!」


 ファラーは両手を広げ、目を細めました。


「『すべては聖剣エイストの意思のままに』…彼ならそう答えるかな。

 詳しいことは解らない。ただ、魔神バルバトスの封印を完全なものにするには。ノアさん。お前さんの力が絶対に必要だと言っていた」


 ファラーにしげしげと見つめられ、ノアは目を丸くします。


「あ、アタシ!? そんな! アタシはただ…スタッドに命を助けられて、そのお礼が言いたいだけで!

 あ、いや…もちろん、オ・パイや魔神バルバトスもなんとかして! 親分やバーボンおじさんも助けなきゃだけど!!」


 テンパったノアは一気にそんなことを言います。

 ファラーは微笑ましそうに、そんなノアを見やっていました。


「『すべてには意味がある』と、彼ならば答えるだろうね。

 彼とお前さんが出会ったのは何かの運命だったのだよ」


 ファラーは立ち上がります。


「私は旧友との約束を果たさねばならない。お前さんたちをランドレークへ送ろう。

 そのためには、元老たちに許可をもらわねばならないが…」

「…元老たちは聞き届けてくれるでしょうか」


 レイの問いに、ファラーは苦笑いをします。


「まあ、なんとかするしかないだろうね」



 元老院議会堂。

 まるで大教会に守られているかでもいるように、その裏側に正五角形の立方体のような建物はありました。

 左右には大きな兵舎があり、有事の際には、すぐにでも元老員たちを守れるようになっているのでしょう。いかにも権力者が考えそうなことだとノアは思いました。もし、民を優先的に守るためならば、兵舎は街の入り口に作るはずですから…。

 政治的主導権はもっていなくとも、大司教ファラーの発言力は大きいものなのでしょう。議会招集を部下に命じただけで、すぐに元老たちが集まるという話になりました。

 そして、ファラーと6人の姉妹に連れられ、議会堂にノアたちはやって来たのです。


 ノアたちのいる場所から、段々畑のように元老員たちの机が並び立ちます。

 まだ元老たちは来ていませんが、上から見下されるような威圧を感じさせられる部屋の作りに、ミャオもボーズ太郎も落ち着かずにソワソワとしていました。ノアもなんだか心もとない感じです。

 ファラーと6人の姉妹たちはさすがに慣れているのか、何ともないといった顔ですが…。

 ノアたちが席に着座してから数分が経過したでしょうか。一番高い位置にある扉が開き、元老たちが次から次へと入って来ます。

 数は総勢10名。レムジンですから、ファルだけかと思いきや、メリンも混じっています。きっとミルミ城から避難してきた権力者なのでしょう。


「…ファラー大司教。緊急を要する件と聞いたが?」


 一番上に座っている、30代半ばと思わしき壮年のファルが低い声で言いました。

 その様子からして、きっと元老たちの代表なのでしょう。切れ長の目が、冷たい光を放っています。


「ええ。ドレード卿。前置きなしで、率直に申し上げます。

 ランドレークへの門を…。移送魔法陣の使用許可を頂きたい」


 ファラーの言葉に、ザワザワと周囲が慌ただしくなりました。

 ドレードはそれを一瞥いちべつし、目を細めてファラーを見やります。


「…魔神バルバトスに呪われし災厄の地。20年もの間、閉ざされていた魔法陣を解放したいというのか?

 それなりの理由があってのことであろうな?」


 ファラーはコクリと頷きます。ドレードとその視線が強くぶつかりました。


「…英雄スタッド。彼が魔神にかけた封印魔法が、程なくして解けます。それを止めるために、彼らをランドレークにあるラグナロク遺跡に送らねばならない」


 さきほどとは比べものにならないぐらいに、元老たちがざわめきたちます。

 さすがのドレードも驚きが隠せないようで、大きく息を吸い込みました。


「あ、ありえない! 我らが故郷、ミルミ城では…何の異変も感知されていないではありませんか!」


 ドレードの隣にいるメリンの青年が立ち上がって言います。


「ディレアス卿。これは聖結界エミトンを施した本人…スタッドが言っているのです」


 ファラーが真面目な顔をして言うのに、ディレアスと呼ばれたメリンの青年はグッと言葉を詰まらせました。


「…解せんな。スタッド殿本人はどうした? そんな重要なことをなぜ今まで黙っていたのだ?」


 ドレードは努めて冷静な顔で尋ねます。

 これには、ファラーも少しだけ間をおいて考えるような仕草をします。


「スタッドの考えは、私にも全ては計りかねます…。しかし、これは真実です」

「それを信じろと?」

「そうと言うしか…ありません」

 

 さすがに説得には弱いと思ったのか、ファラーは苦しげに言います。

 ドレードは腕を組み、ノアたちをジロリと見やりました。


「…そのデムたちを送る理由は何だというのだ? その得体の知れぬ者たちを送り、どうやって魔神バルバトスの封印が解けるのを防げるというのだ?」


 予想していた質問なだけに、ファラーは困ったように眉を寄せます。


「それも…判然しないことです。

 しかし、彼女はスタッドが認めた者たちです」


 ドレードは話にならんと言わんばかりに首を横に振りました。


「話にもならん。それを信じる根拠がない。もし本当にそうならば、スタッド殿が直接に我々レムジン元老院と交渉すべきはず」

「ですが、スタッドは話を聞いてもらえぬからこそ、ここを立ち去ったのでは?」

「そう言うのはデムたちだろう。スタッド殿の話は今まで聞いてきた。しかし、最終的にそれを判断するのは我々なのだ」


 話が平行線のままなのに、ファラーもドレードも黙ったまましばし睨み合います。


「…ハァ。だから、エテ公は信用ならないんですよ…。いくら、英雄といえどね」


 ディレアスはちょっと頬をふくらませて言います。

 頭に血が昇ったノアが飛びかかりそうになりますが、レイがグッと抑えつけました。

 ドレードはノアとレイを見やり、小さくため息をつきます。


「…公の場だ。ディレアス卿。ファルとメリンの品格を問われる」

「え? ああ。失礼しました…私としたことが」


 ディレアスはバツが悪そうにします。どうやら、ドレードには完全に頭が上がらないようでした。


「…少し、よろしいでしょうか。ドレード元老長閣下」


 ノアを自分の後ろに引き下げ、レイが目礼しつつ前に進み出ます。


「…ん? ああ、どこかで見た覚えがあると思えば、ジャスト国のレイ王子か」

「ええ。ご無沙汰しております…」

「王族の者までもがランドレークに向かうと言うのか?」


 ドレードは無表情のままでしたが、それをあざけりだと思った他の元老たちは喉の奥で小さく笑います。


「下位種族なれど、私は一国の王子であり、デムの先頭に立つ者です。

 デムを代表してお願いしたい。どうか、ランドレークへの道を…。

 同胞、スタッドの願いをどうぞお聞き届け下さい!」


 レイはそう言って、膝を地面につき、両手を添えて頭を下げました。これは土下座です!


「お願いします!」


 一国の王子が、ファルとメリンの代表たちを前に平伏してお願いしているのです。

 それを見て、ノアの心の奥がなぜかズキリと痛んだような気がしました。


「お願いします!!」


 レイが地面に額をこすりつけ、再び心の底から声を出します。

 ノアたち、みんながいたたまれない気持ちになりました。


「レイ…。アンタってヤツは…」

「プハーッ! エテ公が、エテ公の王子が…! 頭を下げて、この私たちに…うっぷくぷー!」


 ディレアスが吹き出します。ドレードを除く他の元老たちもゲラゲラと大笑いです。

 これには我慢なりません。ノアたちの怒りは爆発しました!


「ここまでして頼んでるのに!! テメェらはそれを笑うのかッ!!!!」

「ひどいです! あんまりです!!」

「最悪最低に意地が悪いボー!」


 ノアは椅子を蹴り、メルは立ち上がり、ボーズ太郎は腕を振り回します。


「…それが、仮にも為政者のとられる態度ですか」


 あの温厚だったファラーや娘たちもディレアスを睨み付けます。

 その剣幕を前に、最初に笑いだしたディレアスは青ざめた顔をしました。他の笑った元老は素知らぬ顔です。


「う、うう…。何を! わ、私はそもそも、エテ公なんかがこの街に入ること自体が…」


 それ以上は発言するな、と言わんばかりにドレードの目がキラリと光ります。

 ググッと悔しそうにディレアスは唇を噛みしめました。


「……頭を下げようが、何をしようが元老院の決定は変わらぬ」


 ドレードはゆっくりと立ち上がります。


「魔神の放つ悪魔が蔓延はびこる魔都ランドレーク。

 仮にその閉ざされた扉を開き、悪魔どもがこのレムジンに雪崩れこまないという保証はない。それこそ魔神バルバトスを復活させることとなりうるやもしれぬ。

 そんな危険を冒してまで、お前たちに移送魔法陣を使わせるわけにはいかぬ」

「悪魔だったら、アタシたちが倒せるさ! もしレムジンに乗り込んできそうだったら返り討ちにしてやる!」


 ノアが拳を振り上げて言います。


「そ、そうだボー! わ、我らは…もう悪魔を2体も倒しているボー!」

「ええ! オルガノッソ、アルダーク…四天王と呼ばれる悪魔を退けた実績があります!!」


 ボーズ太郎もメルも続いて言います。

 ドレードはそれでも顔色ひとつ変えません。


「オルガノッソ? アルダーク? …聞いたような名だが。まあいい。

 だが、そんな悪魔2体程度であれば、レムジンの兵隊でも充分に倒せるのだ。

 ……どうやら、まったく理解していないようだな」


 そう意味深に言うドレードに、ノアたちはゴクリと息をのみました。


「前もって断っておくが、これは20年前の数字であり、しかも混戦の中、無理やりに入口を閉じたような状況下だったからな。決して正確な数ではない」

「…なにがだよ?」

「ランドレークの悪魔の総数、だ! およそ3000体余り! 3000体もの凶悪な悪魔が跳梁跋扈ちょうりょうばっこするのが、魔都ランドレークなのだ!」


 この事実に、誰もが言葉を無くしました。

 ボーズ太郎は指で数を数えていって、指だけでは数え切れないと知ると、ブルッと震えて頭を抱えます。


「…聞けば、お前たちはレムジンの兵士たちに抵抗むなしく取り抑えられたと言うではないか。そんな者たちに、どうして任せられるというのだ?

 仮にランドレークに行ったとして、半日として生き延びられはすまい。無意味な自殺をしに行くようなものだ」


 ノアたちは何も言い返せませんでした。悔しいことですが、ファルの兵士たちには為す術もなかったのは事実でしたから…。

 そして、何よりも3000体という悪魔の数に心を折られたということも大きかったのです。


 話は終わりだという感じに、ドレードは背を向けます。それに合わせて、他の元老たちも立ち上がりました。


「……魔神バルバトスの封印の永続は我々も願うところ。そのための措置だ。潔くあきらめ、己の国に戻るがいい。

 封印はスタッド殿が施したが、その永続は我々ことファルとメリンが全力で保つ。デムに出る幕はない」


 そう言い切って、ドレードが歩き出そうとした時、「ミャー!」という甲高い鳴き声が議会堂に響きました。


「へん! へん! へんなのーー!!」


 ミャオです。ミャオはピョーンと飛び、段々になっている元老たちの机の上に飛び乗ります。

 そしてその上を飛び回って、元老たちの顔を1人1人見やりながら「へんなのー」と繰り返します。


「ミャオ!?」


 メルが止めようとしますが、ミャオは最後にドレードの前に着地しました。

 待機していた兵士たちに緊張が走りますが、ドレードは「問題ない」と止めます。


「……お前はファルだな?」

「そだよー。そっちもミャ?」

 

 ドレードは訝しそうにしました。


「…ファルの言葉ならば聞こう。何が変だと言うのか?」

「ドレード卿! こ、こんな者を相手になど!!」


 ディレアスは慌てて言いますが、ドレードはジッと間近で顔を合わせるミャオから目を離しません。


「へんへんへんー。へんだよー!

 だってだって、ノアは…スタッドいうのに会いたくて、ランドレーク行きたいニャ? 

 そしてそして、バルバトスっていうワルーイのやっつけるニャ?

 でもでも、ここの人たちダメーって言うミャ?」


 ミャオは首を左右に動かしながら、ドレードたち元老を次々と指さします。


「だけどだけど、ここの人たちも…バルバトスっていうのがキラーイだニャ? やっつけるんだニャ?

 だったらだったら、どうして行っちゃダメーっていうミャ?

 うーん、うーん、ミャオにはぜんぜんわかんないニャ!!」


 ミャオはミャオなりに、今の話を理解していたのでしょう。

 やりとりの意味はわからなくても、ノアたちが何をしたいのか。そして、元老たちが何をダメと言っているのかは解っていたようです。


「この娘は…」


 元老の一人が、ドレードに耳打ちします。


「……ああ。おそらくレグー砂漠の環境下で生き残ったのだろう」


 ドレードはどこを見やるでもなく、そうポツリと呟きました。


「なーんだ! やっぱりね! おかしいと思っていたんですよ! なんでファルがデムたちと共に来たのか!」


 ディレアスがニタリと笑い、ミャオを指さします。


「このガキは優秀なファルの一員などではなく、『捨てられたみ子』だったんですね!!」


 それを聞いたドレードの目がカッと見開かれました。その迫力に、ディレアスが「あわわ」と腰を抜かします。


「…捨てられた?」

「忌み子?」


 ノアとメルが目を丸くします。

 ファラーはグッと目をつぶりました。


「ミャー? 『い・み・ご』ってなーにニャ?」


 ミャオは興味津々という感じに、ドレードの周りをクルクルと回ります。


「この子は、なにか欠点があった。だから、まだ幼いうちに捨てられた。それがたまたま生き残っていただけのことじゃ」


 元老の一人が、冷ややかにミャオを見ながらそう言います。それは同族を見る者の目ではありません。


「優秀なファルらしからぬ欠点…。例えば、知性や品性などがなければ、このレムジンでの記憶を魔法で消去してから捨てられるのだ」

「この小娘は、昔にレグー砂漠に捨て置かれていたんでしょうな。あの環境下で、今まで生きてこれるなんて奇跡ですな」


 ガッハッハと一人の元老が笑い出すと、他の元老たちも揃って笑い出します。

 ただ口をへの字にして考えこんでいるドレードと、腰を抜かしているディレアスを除いてでしたが…。

 何を笑っているのか解っていないミャオは、その元老たちを真似してガッハッハと笑います。


「優秀じゃなきゃ…子供を捨てる!? そんなフザケた話があるかッ!!!!」


 ノアが怒鳴り散らします。しかし、元老たちは笑うのを止めません。


「……そうして、我々は今まで生き残ってきた。

 優秀な者だけを残したからこそ、このファルの首都レムジンが今なお世界の最先端に君臨しているのだ」


 ドレードがミャオから目を背けて言い切ります。

 ですが、ほんの一瞬だけ、その目には何か寂し気なものが浮かんでいました。

 それはなぜなのか、真意を確かめる間もなく、ドレードは元老たちを引き連れて議会堂を出て行きました……。




☆☆☆




 議会堂を後にし、ファラーに連れられてやってきたのは大教会ではありませんでした。

 街の西方の外れ、理路整然りろせいぜんとした街並みとはちょっと違う、離れてにある古いお屋敷です。

 ファラーとレイが何やら管理者らしき人物と話している間、ノアとメルは近くにあった公園のベンチで座って休んでいました。

 目の前の砂場では、ミャオとボーズ太郎、そしてテーテがじゃれあって遊んでいます。


「……他に、人っ子ひとりいないね」


 ノアが膝の上に顎をチョコンと乗せ、目だけで辺りを見回します。良い天気だというのに、子供の姿どころか、人の姿をみることもありません。


「ええ。ファラーさんにお聞きしたら、子供たちは学校というところで勉強するそうです。朝早くから、夜遅くまで…」


 勉強という言葉に、ノアは渋い顔をしました。

 そういえば、盗賊の森にいたときはシュタイナが勉強を教えてくれたのです。読み書きから、算数まで…でも、ノアは身体を動かしている方が好きで、じっとそんなことをやるのがいつも苦痛だったのでありました。


「じゃ、アタシとかミャオとかボーズ太郎とか。学校いかないバカばっかが、こんなところにいるんだね」

「そんな…ノアったら」


 ノアはブーッとふくれっ面で不機嫌でした。でも、メルはそんなノアの気持ちがわかるので、ただ心配そうにします。


「…ゴメン。メルに当たっても仕方なかった。アタシが許せないのは、このファルのやり方だよ」


 ノアの言葉に、メルも同じだと頷きます。


「ええ。あれは…あんまりです。ミャオが…かわいそうです」


 メルの目がミャオを捉え、少し潤みます。ミャオは何も知らずに無邪気に遊んでいますが…。


「…コネミさんの言っていた通りだ。元老院は腐ってる。ミャオだって、こんなところに置いてはいけないよ」


 ノアが立ち上がってミャオを呼びます。

 ボーズ太郎を追いかけまわしていたミャオの耳がピクピクと動き、猛ダッシュでノアの元にやってきます。


「呼んだミャ?」

「ああ。ミャオ、アンタはどうするんだい? このレムジンにいたいの?」


 ノアの問いに、ミャオは首を少し右に傾げます。


「ミャオは…。んー、ミャオは、ミャオみたいなのいーっぱい見たからもういいニャ。

 テーテと、ファラーだいしきょーでしょ。アルマ、フェルデ、グリムアーにエカテナ、アングリーでしょ。で、それからそれから…」


 元老の名前を一つ一つ言い出しそうだったので、ノアもメルも「もういいから」と止めます。

 

「…で、どうします? コネミさんのところに戻りますか?」


 今度はメルが尋ねます。ミャオは今度は左に首を傾けます。


「んーー。んーん。ノアとメルとレイとボーズちゃんは、でっかくて悪いヤツをやっつけるミャ?

 コネミのおじちゃんがバルバトスは悪いヤツって言ってたミャ。それをやっつけるミャ?」


 ミャオの問いかけに、ノアもメルも顔を見合わせます。


「んー。やっつけるっていうか…。まあ、復活させないのが目的なんだけれど。まあ、そうだね。間違ってはないと思う」


 ノアがそう答えると、ミャオの目がランランと輝きました。


「じゃあ、ミャオもバルバトスやっつけるー! ノアについてくー!」


 ミャオがはしゃいで言います。走り疲れて、テーテに支えられながらヨロヨロとやってきたボーズ太郎に、テンションが上がったミャオがガブリと噛みつきました。


「痛いボー!」

「あー、ミャオ! 食べちゃメだよぉ! ボーズ太郎、砂まみれなんだもん!」


 テーテにそう言われても、ミャオは離しません。頭をガッシリと捕まえられて、ボーズ太郎は半泣きに悲鳴を上げます。


「…ミャオ。よく考えなよ。魔神バルバトスって、滅茶苦茶こわくて強いんだよ? そんなのと戦うことになるかもしれないんだよ?」

「そうです。危ないことが…たくさん待っているかもです」


 ノアとメルがそう言うのに、ミャオはパチクリと目をしばたたかせます。


「なんでー? だって、バルバトスって悪いヤツなんでしょー?」


 ミャオがテーテの顔を見やると、彼女はコクリと頷きます。


「だから、みんな困ってるんでしょー?」

「た、確かにそうだボー。…いま困ってるのは我だけどボー」

「それをミャオが倒せば、みーんな嬉しいミャ!

 ドレードもディレアスも、ダメーって言っていたけど。倒したら、きっと嬉しいミャ!」


 ボーズ太郎から降り、ミャオは軽々とバク転してみさます。


「コネミのおじちゃんが、良いことはいっーぱいしていいんだって言ってたニャ。

 バルバトス倒せば、みーんな嬉しくなって、みーんな仲良しになれるよ。きっときっとそうだよ!」


 ノアもメルもひどく驚きます。

 魔神バルバトスを倒して、ファルやメリンにも認められたスタッドのようになれると言っているのでしょうか? いいえ。きっと違います。ミャオは、種族間の差別や、自分が受けた不当な扱いをこえて、皆が仲良くなる簡単な方法を言っているだけなのです。


「ミャオ…。アンタってヤツは」

「ああ。ミャオ。その心は誰よりも優しいのに…」


 ノアとメルに抱きしめられ、ミャオは目を白黒させます。


「ミャー。みーんな仲良しがいいニャー。ねー?」


 ミャオがボーズ太郎とテーテに笑いかけると、何がなんだか解らないといったようにボーズ太郎は困惑の表情を浮かべ、テーテは「もちろん!」とニカッと笑いました……。


 こうしてミャオが正式にノアたちの仲間に入ったのであります……。



 公園で他愛もない話をして過ごしていると、しばらくしてアルマがやってきます。


「皆様。どうやら話がついたようですわ」


 アルマがニコリと笑って言います。

 そしてノアたちはアルマについて、公園を出ていきました。


「なあ、アルマさん。ちょっと聞きたいんだけれど」


 ノアが言うと、アルマは人の良さそうな笑顔でコクリと頷きます。


「あのー。ランドレークってどのへんにあるの? もしかして…歩いてとか、行けない?」


 移送魔法陣が使えない以上は、徒歩も覚悟しているノアでした。

 どういう道のりか解りませんが、はってでも行くつもりなのです。しかし、せめて方角だけは聞いておかないと…ということなのでした。


「かなりーだよね? アルマおねーちゃん?」


 テーテが言うと、アルマは頷きます。

 そしてアルマは静かに天を指さしました。それから、指先をちょっとだけ北の方に向けます。角度はほぼ垂直です。


「へ?」

「…だいたい、この方向ですわ。レムジンを半月ほどひたすら北上します。

 そして、世界一とも呼ばれる山脈を命がけで登って降りてで…まあ少なく見積もって1週間ほど。

 そして、それからさらに雪原を3日3晩かけて歩いて、ようやくたどり着ける場所です。

 まあ、普通に行ったら間違いなく凍死するか、食料が尽きて餓死でしょうね。秘境も秘境ですから」

 

 そんなことを言ってのけるアルマに、ノアはゾーッと背筋が凍る思いをします。


「…では、スタッドさんは? ああ。テレポートを使っているのでしょうけれども。でも、テレポートを使う以前は、どうやって行き来していたのですか?」


 メルの問いに、アルマは人差し指をクルリと回して円を描きました。


「良い質問ですってこと!」  


 テーテが笑いながら、その仕草の意味を教えてくれます。

 

「ランドレークは、遙か昔はボーズ星人たちの故郷であったと…スタッド様はそう論文に書いていらっしゃっています。

 まあ、レムジンの学会は異端説だとして認めていませんけどね」

「ボーズ星人の…」

「故郷?」


 自然とボーズ太郎に視線が集まります。ボーズ太郎は首を横に振りました。


「し、知らないボー。そ、そんなの長老も言っていなかったボー!」


 アルマはコクリと頷きます。


「ええ。かなり昔のことですし…。しかし、20年前にレムジンと並ぶ大首都がランドレークに存在する以前から、移送魔法陣はすでにランドレークとレムジンを結んでいたのです。

 その移送魔法陣はメリンの魔法とはちょっと違います。それは…」

「ワタシ、知ってるー!」

「…古代魔法」


 テーテが答えようとする前に、メルが先に呟きました。テーテはちょっとだけふてくされた顔をします。

 アルマは再び指で円を描きました。それは正解とのことです。


「ボーズ星人が、かつて古代魔法を用い、ランドレークと今あるレムジンとを結びつけた。そう考えた方が自然ですね。

 現代にある魔法よりも高度であったといわれる古代魔法ならば、もしかしたら私たちが考えているよりももっと優れた移動手段があったのかもしれません」

「へー。アンタらすごいんじゃん」

「ボーズちゃんスゴーイミャ!」


 ノアやミャオが誉めると、ボーズ太郎は照れたように頭をかきました。


「ボー。おだてても、我の力じゃランドレークには行けないボー」


 そんなやりとりをしながら、あの屋敷の門をくぐります。

 かなり広い庭園ですが、ほとんど手入れがされておらず、放置されていて荒れ放題です。

 正面玄関の前に、レイとファラー、そして、その他の娘たちが立っていました。


「ファラー大司教、ここは? なんで、アタシたちはこんなところに…」


 実はノアたちは、なぜここに案内されたか全く聞いていなかったのです。


「ここはバーボン先生のお屋敷だぜ」


 フェルデが鼻の下を擦りながら言います。


「バーボンさんのお屋敷!?」


 ノアが驚く前に、メルが飛び跳ねました。


「な、なんで? アタシら、別にバーボンおじさんの名前なんて…」

「うっふん。バッカレス盗賊団。その専門主治医がバーボン先生だなんて調べがついてますことよ。

 ノアちゃんがバーボン先生と古くからの馴染みだなんてすぐに予想がつきますわ。レムジン大教会の情報網を甘くみないで欲しいですこと」


 グリムアーが、無駄に色気をはなってクネクネしながら言います。ローブの下から揺れる巨乳を見て、レイの鼻からブッと鼻血が飛び散りました。


「…元老院の指示で…デムは宿とれないから。…泊まるなら…ここしか…ない」


 エカテナがメガネの奥から陰気なオーラを放ちながら言います。でも、相変わらずファラーの腕を握ったままです。


「ほらほら! 早く入ろうよー!」

 

 テーテが、ミャオと一緒にハシャギながら言います。


「うむ! そうさのぉ! まずはゆるりと座って作戦会議だのぉ!

 売り物件に出されておったんであるが、不動産屋とは話つけちょる! 安心してここをレムジンの本拠地として使うがいい!!」


 末娘のアングリーがグチャグチャ何かを噛みながら言います。

 どうやらスルメのようです。口の端から脚がピョコピョコと動いて見えます。……なぜ? とは誰も聞けません。


「ほら、ダーリン! 親父殿も! ささと、入らんと! レムジンの兵隊にみつかったら面倒だわい!」

「お、おい! は、離せ!」

「ガッハッハ! 照れんでよろしいわいな!」


 アングリーがレイをがっつり掴んで持ち上げます…片手で。その反対の手で、バーンと玄関を押し開けました。ええ。別に鍵がかかっていても開きそうな勢いであります。

 長年使っていなかった中は、なんだかホコリっぽい感じがします。

 6人の娘たちがそれぞれ手分けしてカーテンと窓を開きに向かいます。


「これがバーボンおじさんが住んでいたところかー」

「ノアも初めて?」

「そりゃね。アタシはレムジンに来たことないから。話には聞いていたけどね」


 ノアは興味津々に、居間にあるものを見回します。

 金の燭台、レンガの暖炉、剥製はくせいのクマ、高価そうな調度品の数々…いえ、別に金目の物を物色しているわけではありませんが。それなりに良い暮らしをしていたのだということが伺わせられます。


「これ…もしかして」


 メルが恐る恐る、棚の上にあった写真立てを手に取ります。

 上にかぶっていたホコリを払い、ノアがそれをのぞき込みました。

 笑っている十代後半と思わしき青年。白髪があるわけでも、眼帯をつけているわけでもない幸福そうなその人物はバーボン本人でした。

 その隣に、いかにも優しそうな女性の姿。フワリとした金髪をしていて、おっとりとしたお嬢様のようで、守ってあげたくなるような愛らしい感じがあります。

 その彼女は親し気にバーボンの腕に自分の腕を絡めていました。


「あ。これがエリムさんだよ。…懐かしいなぁ。

 なかなか滅多に会えなかったけれど…盗賊の森に来てくれたときは必ずアップルパイ作ってくれたんだ。『男所帯で甘いお菓子なんて食べられないでしょうから、ノアちゃんはかわいそうね』って言ってくれてね。

 アタシのことを娘ってか…妹みたいに可愛がってくれたんだよ」


 ノアが説明するのに、メルはなんとも言えない複雑な顔をします。


「あ。メル…。ごめん。アタシ、メルの気持ちも考えないで…」

「いえ。いいんです。ただとても素敵な女性だな…って思ったから」

 そうは言いましたが、メルはちょっと寂しそうな顔をしていました。


「この時のバーボンさんは…とても幸せそうですね」

「うん。そうだね…」


 メルは写真のバーボンをもう一度じっと見つめ、それから静かに元の場所に写真を戻します。


「ノア。すべてを解決したら…私がアップルパイを焼いてあげますね」

「え?」


 唐突にそんなことを言い出すメルの真意をはかりかねて、ノアは首を傾げます。


「私もエリムさんに負けてられませんから…。私とエリムさんのアップルパイ。どっちが美味しいか判定して下さいね」


 メルがニコッと笑って言うのに、ノアは大きく頷きました。


「おい。ファラー大司教が呼んでいる。裏庭にきてくれって」


 レイがヒョイッと居間に顔を出して言います。

「あ。うん。今行くよ」


 ノアもメルも頷き、レイについて行きます。

 どうやら他の皆はすでに裏庭に行っているようで、レイはわざわざノアとメルを探しに来たようでした。


「なあ、レイ」


 前を歩くレイに、ノアは呼びかけます。レイはチラッと振り返りました。


「議会堂で土下座したじゃん。アタシ、あのときアンタのこと、ちょっと格好いいなーって思ったよ」

「ええ。私もそう思いましたよ」


 ノアとメルがそう言うのに、レイはカーッと赤くなって、前を向いてしまいます。


「な、なんだよ…。あんなみっともないところ、さっさと忘れてくれよ」


 耳の先まで真っ赤になっていることから、きっとすごく恥ずかしいのでしょう。

 ノアとメルは顔を見合わせてクスリと笑いました。そして、2人で目線で示し合わせ、左右からレイを挟む形にして両腕をとります。


「お、おい! なんだよ!?」


 両腕に絡んでくるノアとメルに、レイはドギマギしました。意外とこういうことにはシャイなレイなんです。


「ほら、美女二人をエスコートするんだからさ、腕くらい組むのが当然だろ♪」

「ええ。そうですよ。レイ」


 2人に言われ、レイは口を少しモゴモゴ動かしましたが、結局は何も言わずにそのまま3人揃ってしばらく歩き続けたのでした……。


 海に面した絶景。裏庭からは、緩やかなU字を描く岬を一望できるようになっています。

 さざなみの音に、爽やかに吹き抜ける潮風が心地よいとても良い場所です。

 老朽化してはいますが、素敵な白いウッドテーブルとチェア。そこにファラーたちは座っていました。


「さて。作戦会議といこうかね」


 ファラーが席に座るよう促し、ノアたちもファラーと向かい合わせに座ります。


「陸路は当然ながら、聖剣エイストの力があるスタッド様ほどの魔法力でもない限りはテレポートも不可能ですね」


 アルマが言うのに、ファラーはコクリと頷きます。


「やはり移送魔法陣を使うほかはない。こうなれば道は一つ…」


 重々しく言うファラーに、皆がゴクリと息をのみ込みます。


「ここは強行突破しかないだろうね!」


 さぞかし良いアイディアがでてくるものと思いきや、あまりの短絡的な作戦に皆が椅子からズッコケます。


「え、ええー? で、でも…そんなことをしたら、大司教の立場がないだろ!?」

「それに、先の元老たちとのやりとりで警戒されているのでは? 見張りの兵士の増員が考えられるし…」


 ノアとレイがそう心配そうに言うのに、ファラーは首を横に振ります。


「世界の命運がかかっているのだよ。私の立場などどうでもいい。そ

 れと見張りは我々に任せてほしい。必ずお前さんたちをランドレークに送り届ける。それが私の使命なのだよ」


 ファラーと6人の娘たちが親指を立てます。


「私の血を受け継いでいるだけあって、この娘たちもファルながらそれなりの魔法力を持っている。

 向こうにも、ミルミから避難してきた手練れのメリンの魔法使いがいるが、それらが相手でもそれなりに時間ぐらいは稼げるさ」

「久し振りに大暴れできますわね」

「うっし! 腕がなるぜ!!」

「うっふん。邪魔するならお仕置きですわ」

「……やっちゃお」

「時間稼ぐどころかみんな倒しちゃうもんね♫」

「おう! ダーリンのためならば、命なんて惜しくないわい!」


 娘たちもそれぞれやる気のようです。

 アングリーがレイに向かってバッチリとウインクしたので、レイはなんだか気分が悪そうに青くなりました。


「ファラー大司教。それに司教のみんなも…」


 ノアたちは、自分たちのためにこうまで協力してくれることを心からありがたく思いました。


「さて。話は決まったね。決行は…明日の晩がいいだろう。それまではここでゆっくりと…」


 ファラーがそう言って立ち上がろうとした瞬間、地面が大きく揺れました!!


「こ、こ、これは地震だボー!!?」

「ミャー! ユラユラするニャー!!」


 ボーズ太郎とミャオが大騒ぎして飛び跳ねます! しかし、いつものと違ってなかなか収まりません!


 ゴゴゴゴゴッ!!!


 深い地鳴りと共に、突き上げるような揺れはますますひどくなっていきます!

 皆、立っていられず、地面に伏しました!


「な、これちょっと…ハンパなくない!?」

「なんだ!? 天変地異の前触れなのか!!?」


 ノアとレイも立ち上がれず、地面に手をついて顔をあげるのがやっとです。


「み、皆さん! あれを…あれを見てください!!」


 メルが何かに気づき、なんとか空を指さします。

 皆が揺れを耐えながら、メルの指さす方向に目をやりました。

 最初、黒い雲が海の上を覆っているものだとばかりノアは思いました。しかし、よく目を凝らすと、小さな黒い粒のようなものが集まって、ひとかたまりになって動いているのだと解ります。

 それはだんだんとこちらに向かって近づいてきているようでした。グニャグニャと形を変えながら、どんどん大きくなっていきます。


「あ、あれは…『ガーゴイル』? そんな…あんな数はみたことないぞ」


 レイが唖然として言います。ようやくノアの目にもそれがなんだか解りました。

 2本の牙をむき出しにし、大きな翼で飛び交う灰色の怪物。赤い目をぎらつかせ、ギャアギャアと叫んでいるのであります。

 それが何十、何百、何千…いえ、何万もの大群を作り上げているのであります!!


「馬鹿な! ランドレークに住まう悪魔だぞ…。なぜそれが…」


 ファラーも信じられないと言わんばかりに頭を横に振ります。


「理由なんてどうでもいい! 狙っているのはきっとこのレムジンだ。なんとかしなきゃ!」


 ノアがそう言います。

 ひどくなっていた揺れはようやく収まってきました。どうやら、あの悪魔の集団がやってきたための地震だったようです。

 きっとレムジンに住まう他の人々も、この地震のせいで、あの異様なガーゴイルの集団に気づいたことでしょう。

 皆が立ち上がり、誰からというわけでもなく、それぞれ武器を構えます。その脅威はさほどの準備時間もくれそうにはありません。


 急に襲来したこのガーゴイルの大部隊とノアたちはどうやって戦うのでしょうか?


 そして、ノアたちはスタッドの待つランドレークに無事に着くことがはたしてできるのでありましょうか…………。

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