8、闇落ち王子との、はじめてのお出かけ
早速、ルキウス様から外出のお誘いがあった。
王都の外れにある湖へ連れて行ってくれるらしい。
――湖。
その言葉だけで、胸の奥が小さく跳ねた。
遠出も、旅も、私には縁のないものだったから。
けれど、ルキウス様と一緒なら、不思議と不安はなかった。
(王都の外なんて……はじめて)
私は上機嫌で身支度を進めていた。
そんな私の部屋に、兄がどこか遠慮がちに顔を覗かせる。
「なあ、リリー。本当に行くのか?」
「ええ、ルキウス様が連れて行ってくれるって」
「でも……リリーは身体が弱いだろう。もし途中で具合が悪くなったら――」
兄は、その先を言葉にしなかった。
けれど、言わなくても分かる。
“倒れるかもしれない”
“帰ってこられないかもしれない”
そんな不安を抱いているのだと。
「心配しすぎよ。お兄様だって、最近は体調が良さそうだって言ってくれたじゃない。それに……ルキウス様も一緒よ?」
「う、うーん……お兄ちゃんも付いて行こうか……?」
「え、せっかくのデートを邪魔するの?」
「……わかったよ」
渋々と引き下がる兄を背に、私は再び準備に戻る。
外出用のドレスを広げられると、思わず頬が緩んだ。
これを着るのは……いつぶりだろう。
「リリアーナ様、嬉しそうですね」
髪を梳いてくれる侍女が、微笑みながら声をかけてくる。
「ふふ、わかるかしら?」
「はい。そんな表情のリリアーナ様を見るのは、私も嬉しいです」
穏やかな空気が、部屋を満たす。
――本当に、楽しみだった。
***
迎えに来たのは、王家特注の馬車だった。
「この馬車なら、揺れも少なく快適だろう」
そう説明するルキウス様の声は、淡々としているのに、どこか気遣いが滲んでいる。
兄が一歩前に出て、深々とお辞儀をする。
「殿下、ご配慮ありがとうございます。妹を、どうかよろしくお願いします」
「ああ、心配はいらない」
「お兄様......じゃあ、行ってくるわね?」
ルキウス様にエスコートされ、馬車へ乗り込む。
向かい合って腰を下ろすと、扉が静かに閉められた。
「ルキウス様、今日はありがとうございます。お誘いいただいてから、今日が来るのをずっと楽しみにしていました」
「......それは良かった」
短い言葉のあと、じっと見つめられる。
やがて、彼はぽつりと口を開いた。
「以前から思っていたが……兄妹仲が良いのだな」
「......兄が心配性なだけですよ」
「それでも、だ」
会話が途切れ、沈黙が落ちる。
ルキウス様は窓の外へ視線を向けたまま、何も言わなかった。
――王家では、兄弟という言葉が、必ずしも温かなものを意味しない。
そのことくらい、私にも想像はついていた。
「でも今は……ルキウス様とも、仲良くなれたらいいなって思っています」
その言葉に、彼がこちらを向く。
「私……身体が弱くて、舞踏会も最後まで出たことがないし、外出もほとんどできませんでした。友人と呼べる人も、いなくて……ずっと一緒にいてくれたのは、兄だけだったんです」
一度、息を整え、彼の金色の瞳をまっすぐ見つめる。
「だから……こうして普通にお話ししてくださるのが、とても嬉しいんです。それに……もし体調が悪くなっても、ルキウス様が助けてくださるでしょう?」
彼の瞳が、わずかに揺れた。
「私……ルキウス様と出会えて、本当に良かったです」
嘘ではない。
けれど、この言葉を今、選んだことが、少し打算的だという自覚もあった。
それでも――
私は、彼と心を通わせたかった。
彼がいなければ、私の未来は、きっと長くは続かない。
「……そのような言葉を向けられたのは、はじめてだ」
「ふふ。ルキウス様は、ご自身が思っているより、ずっと素敵な方ですから。これからも……よろしくお願いしますね」
「……ああ」
馬車は静かに揺れながら、湖へと向かっていた。
ふたりとも孤独なんですよね。
形は違うけれど。




