50、もう、離れないでくださいね
ルキウス様の異能によって、飛ばされた先は公爵家の一室だった。
見慣れた室内のはずなのに、空気は張り詰めている。
兄と侍女は周囲を見回し、状況を理解できずに立ち尽くしていた。
「殿下……今のは、一体……」
兄の声は低い。
ルキウス様はわずかに視線を伏せ、それから静かに告げた。
「俺の異能だ。……これまで隠してきたが、今回は使わざるを得なかった」
その一言に、部屋の空気がさらに重くなる。
兄の視線が、ゆっくりと私へ向く。
「......リリーは、知っていたんだね」
小さく頷くと、兄は何かを察したように目を細めたが、それ以上は追及しなかった。
ルキウス様が口を開く。
「時間がない。状況を整理する」
その声音は冷静だが、どこか急いている。
「最近、兄上の命で動いていた任務の中で、王妃側の不穏な動きを掴んだ。……狙いは、君だ。リリアーナ」
心臓が、嫌な音を立てた。
「……私?」
「王妃は以前から君を監視していた。君が事件について探っていることも、すでに把握している」
元王宮侍女に接触したことで、焦ったのだろう。証言が揃う前に潰すつもりだ」
ぞくりと背筋が冷える。
核心に近づけば――消される。
それが、この宮廷の現実。
「いくら公爵令嬢とはいえ、安全ではない」
彼の視線が、まっすぐ私を射抜く。
「王妃は、容赦しない」
その事実に寒気が走る。
けれど同時に、胸の奥で小さな違和感が灯る。
この前、彼は私を突き放した。
“話しかけないでくれ”と。
なのに今は――。
その瞳は、はっきりと私を案じている。
(……どうして?)
問いは飲み込む。
今は事件が優先だ。
「こちらの侍女は重要な証人です。公爵家で保護しましょう」
兄が頷く。
「俺が手配する」
ルキウス様も同意し、そして一瞬、視線を巡らせた。
「……それから、シアン殿」
「何でしょうか、殿下」
わずかな間。
そして。
「少し、リリアーナと二人で話したい」
その言葉に、兄の視線が鋭くなる。
私とルキウス様を交互に見比べ――やがて、静かに息を吐いた。
「……分かりました」
兄と侍女が退出し、扉が閉まる。
部屋に残ったのは、私と彼だけ。
ルキウス様が、チラリと私の方を見た。
やっぱり以前のような拒絶は感じない。
これは私にとってもチャンス。
ルキウス様に、私の想いを伝えるのよ。
***
兄と侍女が退室し、扉が静かに閉まる。
部屋には、私とルキウス様だけが残った。
先ほどまで命の危険があったとは思えないほど、静かな空気。
彼は一歩、私に近づき――深く頭を下げた。
「......リリアーナ。すまなかった」
「......え?」
顔を上げた彼の瞳は、迷いを含んで揺れていた。
「思い出したんだ。君のことを。……全部」
胸が強く鳴る。
(気のせいじゃなかった......!)
視界が滲む。
次の瞬間、私は衝動のまま彼に抱きついていた。
「......ルキウス様......!」
彼の身体がわずかに強張る。
けれど、逃げなかった。
そっと、私の肩に手が置かれる。
「すまなかった。覚えていないとはいえ、君に酷いことを言った」
「いいんです……!」
涙が止まらない。
「思い出してくれただけで、十分です」
少しだけ身体を離し、彼を見上げる。
逃げない。
今度は、私が。
「私は……もう、あなたと離れたくありません」
息を整える。
震える声でもいい。
伝えると決めたのだから。
「ルキウス様が……好きです」
「......え?」
ルキウス様の動きがぴたりと止まる。
「君が......俺を、好き? 」
彼の瞳は揺れ、困惑しているようだった。
もしかしたら、私の想いが信じられないのかもしれない。
確かに、最初は彼の異能を目当てに近づいたのだから。
きっと彼はそれを見抜いていた。
だからこそ、まっすぐに想いを伝えなくてはならない。
ルキウス様の顔を両手で包み込み、目を合わせて、はっきりと告げた。
「いいですか? もう一度言います。 私はルキウス様が、好きなんです。心から」
彼の金眼が、大きく見開かれる。
そして、目元がわずかに赤くなり......彼の頬を静かに涙が伝う。
「リ、リリアーナ......すまない」
そんな姿さえも愛おしい。
彼の涙をそっと指で拭う。
「俺も......好きだ。ずっと、君に伝えたかったんだ」
「ルキウス様......!」
再び彼を強く抱きしめる。
「もう、離れないでください」
「......だが、俺のそばは危険だ。今日だって、君は狙われていた」
彼の指先が、わずかに震えている。
「俺のせいで、君を失うかもしれない」
「それでもです」
はっきりと告げた。
抱きしめる手に、力が入る。
「危険でも、利用されても、巻き込まれても――私はあなたの隣にいたい」
沈黙が落ちる。
長い、長い沈黙だった。
やがて。
彼の手が、私の背に回る。
「俺も......離れたくない」
低い声が耳元に落ちる。
「本当に......好きなんだ」
「だが――これからは戦いになる」
「はい」
「......それでもいいか?」
「もちろんです」
彼がようやく、静かに微笑んだ。
二人の想いが重なった瞬間だった。




